11 白い犬神と甘酒と約束(中編2)
夏貴様は気遣い屋である。
周囲に目を配り、些細な変化も見逃さない。
そうしてさりげなく気を遣って、しっかりと確実に相手に恩を売る、喰えない人間である。
白姫の姉様が常々(つねづね)、「あ奴はどうも好きになれぬ」と毛嫌いするが、気持ちはよく分かる。
こちらの考えは見透かされているのに、こちらからは彼の腹の底がちらとも読めないのが、たまに居心地が悪くなるのだ。
困ったものだ、と私は習慣となった溜息をつく。
その眼前に差し出されているのは、冷やし甘酒だ。
仕事の帰り、約束通り店に寄った夏貴様が、冷やし甘酒と冷やし汁粉を両手に持って車に戻ってきた。ちなみに夏貴様は本当に甘酒が苦手なようで、逆に汁粉は大の好物のようである。
礼を言って受け取った後、空調の効いた車内で、両の前足でコップを押さえて、ちびちびと甘酒(ちなみに生姜入りであった)を舐めていれば、「そういえば」と夏貴様が話しかけてくる。
「白瀬の犬神はみんな嗜好があるようだね」
確かに、その通りである。
白姫の姉様は日本酒に目が無く、銀司様は焼酎を嗜まれる。氷雨様は麦酒を好んでいた。ショコラ(待雪)はチョコレートとミルクココアが好きだし、雪尾は牛乳が大好きだ。
「不思議だよね。大神家の犬神は別に好きなものも無いし……というか、そもそも犬神って普通ものを食べないのに」
犬神はそもそも犬の霊である。
力を維持するには主の霊力をわけてもらったり、偶に始末した霊を食べたりするくらいで、食物を食べる必要は無い。それなのに食の嗜好があるのはおかしいと言いたいのだろう。
まあ、言われてみればそうであろうが、白瀬の犬神達は皆、何かしら食べたり飲んだりしているので、私にしては普通であった。
『嗜好があるのはいけませんか?』
「いや、むしろ良いと思うよ。食べ物で釣りやすくなるからね」
私の冷やし甘酒を見ながら夏貴様はほくそ笑む。
癪ではあるが、私はどうやら彼に釣られているらしい。しかし彼に私の忠誠心を許したことは一度もない。
「雪尾君とかさ、おいしい牛乳あげたら抱っこさせてくれないかなぁ」
今の雪尾君、小さくて可愛いよね、と言う夏貴様を私はじろりとねめつけた。
『それはお止し下さい。ただでさえ、今のあの仔は……』
春先に起こった事件で、私の弟分のような存在である雪尾は霊力を失い、身体が小さくなってしまった。
あの、私よりも一回り以上大きい、雄々しく立派な成犬の体躯をしていた雪尾は、かつての子犬ほどの大きさに戻ってしまったのだ。
今まで多大な霊力を使って身体を維持していた反動が来たのだろう。そのためか、主である未緒様も、今は雪尾のしっぽすら見ることができなくなられている。
幼い頃、姿を主に見てもらえなかった頃の雪尾を思い出す。
いつも寂しそうで、それでも懸命に未緒様の後を追いかけて寄り添っていた。
白瀬の家では、犬神が生まれる際に、主の力を喰らってしまうことは稀にあると聞いた。でも、それはあまりにも哀れな運命ではなかろうか。
己の主の力を喰らって強い力を得ても、その主に見ても触れてももらえないのは、犬神としてあまりにも辛い。
『……可哀想な仔なのです。そっとしておいて下さいませ』
目を伏せた私であったが、汁粉を啜った夏貴様はあっさりと返してくる。
「そう?別に可哀想だとは思わないけどなあ」
何を言い出すのだろう。問うように見上げる私に、夏貴様はあっさりと答える。
「僕はむしろ、雪尾君は幸せだと思うよ」
『なぜですか?』
「だって彼は、一番側にいたい人の側にいるじゃないか。『犬神』の役目も寿命もすべて捨てて、たった一人のためだけに存在しているだろう?……それは決して、不幸ではないと、僕は思うよ」
強大な霊力も、霊体ゆえの長命も。
雪尾はすべてを投げうって、主と共に生きることを決めた。
例え主には見えなくとも、触れられなくとも。
ただ、側にいる。
一番好きで、一番大切な人の、側に。
その魂が消えるときまで、一番愛しいもののために生きる。
それは果たして、『可哀想』なのだろうか。それとも――
『……』
そんな風に考えたことなど無かった。
思わず視線を落とした私の青い目に、甘酒の白い水面が映る。
表面に幾つもの丸い波が立っては消えて、揺らぐ。
夏貴様の言葉が、私の中にぽつりと落ちて。じわりと染み込み、広がっていく。
「雪尾君ってさ、未緒ちゃんへの『好き好き大好きー!』ってオーラが全開だよね。しっぽぶんぶん振ってさ。見てると微笑ましいって言うか、なんか羨ましいって言うか」
くすくすと、夏貴様は思い出し笑いをする。
しばらくして笑いを収めると、淡々とした声で続けた。
「……『白瀬』の人間も犬神も、情が深い。特に犬神が主に向ける情は、僕には理解しがたいよ」
苦笑交じりの声が降ってくる。
「ねえ、吹雪。本当に可哀想なのは、一体誰だろうね?」
『……どういう意味ですか?』
尋ねる私に、夏貴様は静かな笑みを返してくる。
「君が側にいたいのは、僕じゃあないだろう。それでも、君は幸せかい?」
『……』
夏貴様の問いに、私は答えることができなかった。
口を閉ざす私の頭の上では、「僕でごめんね」と本気なのかふざけているのか、軽やかな謝罪が響いていた。
中編の続きです。
後編は明日には更新できるかと思います。
夏貴さんは少し吹雪に意地悪です。
その理由は、後編の後に閑話で書ければと。
***
おまけ話 ~教えたのは誰?~
『……ところで夏貴様』
「ん?何だい」
『雪尾が牛乳が好きということをなぜ知っているのです?』
「ああ、けっこう前に、達央さんから聞いたんだよ。たしか、未緒ちゃんと雪尾君に贈り物をするって言ってて、カタログ広げててさ。未緒ちゃんは焼き菓子が好きなんだって?今度、僕も贈り物してみようかな」
『……左様でございますか……(余計なことを吹き込みやがったのですね達央様)』
「え、ちょっと何、今の低い声!怖いんだけど!」
『何でもございません、お気になさらずに』
あとで奈緒に報告して、きっちり達央を締めてもらおうと考える吹雪であった。




