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白いしっぽと私の日常  作者: 黒崎リク
番外編・後日談
90/98

08 白い犬とあなたと、白い星(後編)


 神社の境内にはいくつもの屋台が並び、薄暗くなった空に渡した電線には橙色に灯る提灯がずらりと吊るされていた。

 たこ焼きや焼きそばのソース、焼き鳥の香ばしいタレの香り。ポテトフライやから揚げの匂い、イカ焼きの醤油の香りに食欲を刺激されながら、クレープのたっぷりの生クリームにも心を惹かれる。氷水に沈むラムネの青い瓶、色取り取りの水ヨーヨーが浮かぶ水槽。綿飴の屋台の前には子供たちが集い、金魚すくいの水槽では水が跳ね歓声が沸く。レトロなおもちゃの景品が並んだ射的も楽しそうだ。


 祭りの屋台というものは誘惑が多く負けそうになる。

 それは俺だけでなく、白瀬さんと雪尾さんもだった。きょろきょろと辺りを見回す白瀬さんの顔は楽しそうで、足元では負けじと雪尾さんがぴょこぴょこ跳ねている。


「何を食べますか?私、はしまきが好きなんです。小さい頃、母がたまに家でも作ってくれて」

「俺、はしまきは屋台でしか見たことないです」


 お好み焼きを割り箸にくるくるとまいた形のはしまきは、美味しいうえにボリュームもある。夕食を食べていないこともあって、まずははしまきを買ってお腹を満たした後、再び屋台を見て回ることにした。

 人混みの中を歩く中、隣を並んで歩いていたはずの白瀬さんが徐々に遅れがちになっているのに気付く。

 どうしたのだろうと見れば、白瀬さんは足元に視線を落としては、すれ違う人達に肩がぶつかって、慌てて謝って――と繰り返していた。

 何か落とし物でもしたのだろうかと思いかけたが、そうではないとすぐにわかった。

 白瀬さんは、雪尾さんを探していた。姿が全く見えない今の状態で、しかも人が多い中では気配も感じ取りにくいのだろう。

 当の雪尾さんは、人の足の間を器用にすり抜けて(時には人の足自体を通り抜けて)白瀬さんを追いかけているが、やはり人の多さに難儀しているようにも見える。

 俺は、人混みにもまれて流されそうになっている白瀬さんの手を咄嗟に掴んだ。


「え、た、高階君?」

「白瀬さん、こっちに」


 白瀬さんの手を引いて、近くの屋台の間を抜けて裏側の人の少ない方に連れ出した。後ろからは雪尾さんが慌てて追いかけてくる。

 戸惑う白瀬さんと雪尾さんの前に、俺はしゃがみ込んだ。


「雪尾さん、どうぞ」


 自分の肩を指さすと、雪尾さんの青い目がきょとんと不思議そうに見上げてくる。

 

「人が多くて周りが見えにくいでしょう?よかったら、俺の肩に乗ってください」


 雪尾さんは俺の顔と白瀬さんの顔を交互に見上げて迷うそぶりを見せたものの、好奇心が勝ったのか地面を蹴った。飛びついた背中を伝って、肩の上にしがみつくようにして乗ってくる。

 小型犬よりは大きい体格だが、重さはそこまでない。立ちますよ、と声をかけて立てば、少し驚いたのか雪尾さんの爪が肩に軽く食い込んだ。

 雪尾さんは器用にしがみ付きながら、安定する場所を探すようにうろうろと肩の上を移動する。やがて、パーカーのフード部分がいい足場になったらしく、前足を俺の右肩に置いて、後ろ足はフード部分にかけて収まった。

 横目で見やれば、雪尾さんは高くなった目線が珍しいのか、身を乗り出しながら鼻と耳を動かしている。

 俺は呆気に取られる白瀬さんの方を見て、右肩の部分を示してみせた。


「雪尾さん、今はここにいますよ。これだったら、下を見なくていいかなって思って」

「……はい。ありがとうございます」


 白瀬さんはようやく合点がいったようで頷いて礼を言うと、次いでくすりと笑いを零した。


「雪尾、あまりはしゃいで爪立てないようにね。それから、落ちないように気を付けて」


 小さな子供に注意するような白瀬さんに、雪尾さんは分かっているのかいないのか、元気よく尻尾を振って返した。



*****



 約束通り雪尾さんにミルク味のかき氷をおごれば、三分の一ほどでお腹いっぱいになったらしい。

 現在、雪尾さんはフードの中が気に入ったのか、中にもぐりこんだり飛び跳ねたり肩や頭の上を移動したりと、食後の運動に忙しない。

 フードに雪尾さんが入り込むたびに重みで引っ張られる。空いていたベンチに座った俺は、首元を緩めながら、残りの溶けかけのかき氷をちびちびと食べた。隣では、同じように白瀬さんがミルク金時のかき氷を食べている。

 祭りも終盤に近付いてきて、屋台の間を埋め尽くしていた人混みも少し落ち着いたようだ。

 かき氷を食べ終えて一息つき、俺は白瀬さんに礼を言う。


「あの……今日は誘ってくれて、ありがとうございました。お祭りとか屋台とか、久しぶりで楽しかったです」

「いいえ。こちらこそ、付き合ってもらって……」


 そこで白瀬さんは少し口をつぐんだ後、遠慮がちに微笑む。


「……何だか最近、高階君、元気が無さそうに見えたから。楽しかったのなら、よかったです」

「白瀬さん……」

 

 俺ははっとして白瀬さんを見る。

 ここ最近の俺の態度は、伯父だけでなく白瀬さんにも気づかれていた。彼女が祭りに誘ってくれたのも、俺を気遣ってのことだったのだ。

 嬉しさと後ろめたさが胸に押し寄せてきて、言葉に詰まっていれば、会場にアナウンスが響き渡る。

 祭りのフィナーレの花火が上がるというアナウンスに、白瀬さんは立ち上がった。


「花火、見に行きましょう。私、いい場所知ってるんです」


 境内が雪尾の散歩コースで、と言いながら白瀬さんが俺のパーカーの袖を引いて進む。その手に導かれるまま進めば、神社の拝殿の裏手にある開けた場所に出た。

 たしかに穴場のようで、見物客はちらほらといるだけだ。空いた一角に二人で並べば、どん、とお腹の底を震わせるような音が聞こえた。

 見上げた空に赤色と黄色の大きな花火が打ちあがり、数秒置いてぱぁんと音を届かせる。


 音が鳴り、空に光の花が咲く。

 赤色、黄色、青色に緑色。黒い夜空を背景にして鮮やかな色を見せる。

 ぱちぱちと音を立てて、爆ぜる黄金の光の束。

 ひゅーっと鳴って、流れる星のような形をとる炎。

 そうして、ひときわ大きな花火が空に広がった。

 白い光が線を描いて、夜空を彩る。

 落ちてくるその光の粒は、雪のようにも見えた。

 きらきらと星の瞬きを残して、消えていく。


 その迫力と美しさと儚さに見とれていれば、右肩に重みがかかった。横目で見ると、フードの中にいたはずの雪尾さんが前足を肩について身を乗り出している。

 興奮しているのか、耳がピンと立ち、見開いた青い目に光が反射していた。雪尾さんは花火をもっとよく見たいようで、肩から俺の頭の上によじ登っていく。

 そうすると、右側にいた白瀬さんの姿が見えた。

 空を見上げた彼女は、雪尾さんのように目を見開いている。口元は楽しそうに緩み、かけた眼鏡に花火の色が反射した。

 俺の視線に気づいたのか、顔をこちらに向けて見上げてくる。


「花火、綺麗ですね」


 向けられた無邪気な笑顔に、俺は胸を塞いでいたものがすとんと落ちるのを感じた。


 ああ、そうか。

 俺は、白瀬さんが好きなんだ。雪尾さんが好きなんだ。

 好きだから、側にいたいんだ。

 ふたりの側にいて、ふたりの笑顔が見たい。

 来年も、再来年も、その先もずっと。

 白瀬さんの隣に立って、雪尾さんを肩に乗せて、こうやって祭りに一緒に来て、花火を見て。

 そんな未来を、望んでいるんだ。


 俺は一つ息を吸って、花火の終わった夜空から白瀬さんの方へと身体を向けた。


「……白瀬さん。俺は、あなたが好きです」

「……」


 俺の唐突な告白に、彼女は眼鏡の奥の目を大きく見開いた。


「雪尾さんが、好きです。ふたりのことが、好きです。これからもずっと、ふたりと一緒にいたいです」

「高階君……」

「側にいても、いいですか。……俺が」


 声が詰まった。

 言葉にするのが怖くて、喉が震える。緊張で口の中が乾くのがわかる。

 唾を飲み込んで、拳を握って堪えて出した声は、情けないことに震えていた。


「俺が、雪尾さんを見ることができなくなっても、側にいていいですか」

「……」


 俺の泣きそうな声に白瀬さんは目をわずかに瞠った後、静かに凪いだ眼差しで見つめてくる。そして――


 さくっ。

 

「いっ…!?」

 

 俺の頭の上、丁度つむじの位置に鋭い痛みが走った。


 頭の上に登っていた雪尾さんの短くも鋭い爪が、俺の頭皮に刺さったのだ。


「い!?いた、痛いです雪尾さん!つむじっ!つむじが、わ、ちょっ、爪立てないで下さいっ」


 禿げますよ!と慌てる俺の頭の上で、雪尾さんは器用に髪にしがみ付いて、頭皮に爪を突き立てている。俺の痛がりようと慌てぶりに驚いたのか、白瀬さんも慌てて頭上を見上げた。


「こ、こらっ、雪尾、だめよ、やめなさい!」


 めっ、と叱る白瀬さんは、俺の頭の上に手を伸ばした。

 その手から逃れるように、雪尾さんは肩の方、そしてフードの中へと器用に滑り降りる。ふすーっと興奮気味に鼻を鳴らしているのは、怒っているのか得意げなのか、何だかよくわからない。

 とにかく、ようやく鋭い爪と痛みから逃れられて息をつけば、白瀬さんが申し訳なさそうに眉根を下げた。


「高階君、ごめんなさい。大丈夫ですか?」

「だ、大丈夫、だと思います……」


 血は出ていないよな、と思っていれば、頭の上に温かなものが触れる。

 痛かった個所にそっと触れてくるのは白瀬さんの手だ。血は出ていないみたいです、と言いながら、彼女もまた、何を思ったのか指の腹でつむじを押さえてきた。指先の熱が頭皮に直接伝わってくる。


「し、白瀬さん……?」


 一体どうしたのだろう。……まさか本当に禿げの予兆があるのだろうか、と危惧したときだった。


「十円禿げ、見つけました」

「えっ」

「冗談です」

「ええっ!?」


 白瀬さんが冗談を言うことはあまり無い。反応に困る俺の下げた頭の上から、苦笑交じりの柔らかな声が届く。


「……でも、あんまり悩むと、本当に禿げちゃいますよ」

 

 温かな掌が頭を撫でてくる。そして、ゆっくりと言葉が紡がれた。


「高階君。もし、雪尾が見えなくなったら……そのときは、私と一緒に雪尾を探してくれますか?」

「え……」

「見えなくなっても、大丈夫ですよ。雪尾は、いなくならないから。ずっと、側にいるから。……高階君が、そう言ってくれたじゃないですか」


 あの雪の日に、俺がかけた言葉が、返ってくる。

 光を反射する雪の結晶のように、思いが返ってくる。


「そりゃ、少しは寂しくなるかもしれないけれど……高階君が側にいないと、私も、雪尾も、もっと寂しいです。だから、側にいて下さい」

「……」

「一緒に探しましょう。必ず見つけるって、雪尾と約束したんです」


 そっと頭の上の手を離される。

 顔を上げれば、思ったよりも近い位置に白瀬さんの顔があった。

 その表情は優しくて、俺の抱いていた不安を掃い、温かさで満たしてくれる。


「……あ、でも、見えない歴は私の方が長いから、高階君には負けませんよ。先に雪尾を見つけてみせます」


 彼女は悪戯っぽく笑って「ね、雪尾?」と俺の肩の方に声を掛ける。

 わうっ、とフードの中から帰ってくる元気な声は俺にしか聞こえないけれど、白瀬さんはまるで聞こえているかのように笑った。


 ふたりの優しさに、堪えていた涙が今度こそ出そうになって、ごまかすように夜空を見上げた。

 花火の後の煙が風に流れて消えていく。煙の向こうに覗いた深い色の空には、消えることの無い無数の白い星が輝いていた。


 確かにそこに、存在していた。




おまけ話 ~雪尾さんのちょっかい~



 神社からの帰り道、白瀬さんが尋ねてきた。


「最近元気がなかったのって、もしかしてこのことで悩んでいたからなんですか?」

「あ……はい、その、すみません」

「高階君が謝ることじゃないですよ。……もしかして、誰かに何か言われたんですか?」

「えっ」

「そういえば、少し前に兄さんが来てましたね」

「……」


 俺が答えれずにいれば、白瀬さんはにっこりと笑って「後で母と姉に連絡しておきます」と言った。

 何を連絡するのかはわからないが、達央さんの身に何か起こるのであろうことは予感できた。

 彼の冥福を祈っていれば、白瀬さんはふうと息をつく。


「それから、最近、雪尾がよくちょっかいかけてきませんでした?」

「あ、ああ、はい」

「勉強の邪魔になっていたらごめんなさい。でも、雪尾、高階君を元気づけようとしてくれていたんです。何だかずっとそわそわしてやる気に満ち溢れていた感じがしたので……」

「……」

「……どうしたんですか?」


 両手で顔を覆った俺に、白瀬さんが不思議そうに声を掛けてくるが、俺は「なんでもないです」としか答えられなかった。


(雪尾さんが寂しがってるとか思ってた俺の馬鹿……!)


 雪尾さんが『構って』ではなく『構ってやる』攻撃をしていたことが判明し、俺は後悔と羞恥に苛まれたのだった。



*****


 余談ではありますが、”はしまき”を検索したときに、西日本の屋台でしか見かけないとあってびっくり。普通に全国にあるものだと思っていました……。



 


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