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白いしっぽと私の日常  作者: 黒崎リク
番外編・後日談
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06 白い犬とあなたと、白い星(前編)


 暗い空に花が咲く。

 あか。きいろ。あお。みどり。むらさき。

 夜の闇を背景にして、大輪の光の花が咲いては、散っていく。

 そうしてまた一つ、今度は一際大きな、白い花が咲いた。

 花びらのように散る光は、まるで星の欠片か、季節外れの雪のようだ。

 けれども、きらきらと降る光の星は、すぐに消えてしまう。


 燃え尽きて消える花火の星のように。

 溶けてなくなる白い雪のように。


 綺麗で、儚くて。

 確かにそこにあるもので、そして無くなるものだと、知っている。


 だから、いとしくて――かなしくなるのだ。



*****



 夏至が過ぎ、七月に入っても梅雨は続いた。とはいえ、たまの晴れ間に降り注ぐ太陽の光の強さと、湿気を含む空気の暑さは、夏の到来を感じさせる。

 七月の第一週の土曜日の午後、伯父の店のバイトを休んだ俺は、強い日差しと暑い外気を避けるように図書館に入った。

 久しぶり――二週間ぶりに訪れた市立図書館はいつも通り、程よく空調が効いている。貸出カウンターを見やれば、眼鏡をかけた彼女の姿は見当たらず、残念なようなほっとしたような気持ちになった。

 今日は公休なのだろうか。それとも、別の場所で作業しているのか。頭の隅で考えながら、二階の専門図書が置いてあるコーナーへと向かった。

 肩にかけたショルダーバッグには、勉強道具を入れてある。図書館に来たのだし、整った環境でただぼうっとするのも時間が勿体ない。

 書棚の前で、事前に調べてあった論文に関連する文献を探していたときだ。


「――っ!?」


 突然、頭の上に何かが落ちてきた。

 衝撃と重みに、驚いて声をあげそうになったが、何とか飲み込んだ。こんな不意打ちをしてくる悪戯いたずら者には、十分に心当たりがある。

 そうして予想通り、突然の襲撃者は俺の頭を蹴って、ひらりと床に降り立った。

 身軽に着地して、こちらを見上げるのは、白い子犬だ。

 丸みを帯びた三角の耳に、鼻先の尖った顔つき。青い目はやんちゃそうに輝き、いたずらが成功したのを喜ぶように白いしっぽがぱったぱったと揺れている。

 棚の上に待機していて、時機を見て飛び掛かってきたのだとすぐに知れたのは、以前にも何回かやられたからだ。とはいえ、あの頃ははるかに大きな体格だったため、そのまま床に潰されてしまい、周囲の人から不審がられたものだが。


「ちょっと、雪尾さん……」


 辺りに誰もいないのをすばやく確認して、小声で注意しようとすれば、雪尾さんはたーっと駆けて棚の端っこに隠れてしまう。そして、ちらちらと顔を覗かせてこちらを見てきた。

 遊んで遊んで、と期待する眼差しに、ついに俺は小さく吹き出してしまった。

 

「……駄目ですよ。館内では遊ぶなって、白瀬さんに注意されたでしょう?」


 勉強が終わったら外で相手しますから、と小声で付け足すと、雪尾さんは渋々ながらもしっぽを下げて頷いた。それでも、彼の青い目は「いつ終わるの?まだ?」と言わんばかりであり、移動する先に付いてきたり先回りしたりしては、催促の視線を寄越される。

 相変わらずの、いつも通りの雪尾さんだった。いや、以前よりも『構って』攻撃が少し強くなっている気がする。

 白瀬さんが見ることができなくなってから、雪尾さんは存在をアピールするかの如く、彼女の周りをよくぐるぐると回ったり、飛び跳ねたりしていた。それに、俺にちょっかいをかける回数が増えた。


 ……やっぱり、寂しいのだろうか。小さくなって、見えなくなって――


 そこまで考えて、俺はふるりと頭を振った。

 伯父から「せっかく大学も休みなんだし、今日は行ってきたら」と、バイトを休ませられて背中を押されたのだ。一人で悩んでいる暇があったら、直接会ってこいという無言のアドバイスである。

 ここに来てまで悩んでどうする、と自分の頬を軽く叩く俺を、雪尾さんは不思議そうに青い目で見上げていた。



*****



 雪尾さんがいるということは、もちろん白瀬さんもいるということだ。


 集中力が切れたのと、雪尾さんが退屈そうに一人遊びをし始めたことに気づいたこともあり、机の上に広げていた本を閉じる。そうして外の東屋に休憩に出ようとした際に、カウンターに戻っていた白瀬さんを見つけた。返却された本をカウンターの奥にある台に移していた彼女は、こちらに気づくと軽く会釈してきた。

 俺も軽く頭を下げて、足元を一度指さした後、大きな窓の外を指して見せる。「雪尾さんと外に出てきます」の意味だ。短いジェスチャーの意味を、白瀬さんはすぐにわかったのだろう。苦笑を見せて、もう一度頭を下げたのだった。


 もう夕方だというのに、外は変わらず暑かった。クーラーで冷えた身体に外気はより蒸し暑く感じられる。

 すぐに汗がにじみ出てくる中、東屋の影に入り込んでバッグを降ろした。手元では、売店で買ったスポーツ飲料のペットボトルと、小さい牛乳の紙パックが表面に露を纏わせる。

 雪尾さんはベンチに座った俺を置いて、広い前庭を駆けだした。濃い緑の芝を蹴って、身体をぐんと伸ばして目一杯走る姿は、暑さなど何のその、とても元気である。

 小さい姿で駆け回る雪尾さんを、冷たいペットボトルを開けながら、俺は眺めた。そういえば以前も、この場所で走り回る雪尾さんを見ていたと思い出す。

 あのときは雪の日だったから遊び相手ができたが、今の季節に雪尾さんを追いかけると俺の体力がもたないうえ、間違いなく不審者と見られるだろう。結局は東屋の中で、時折戻ってくる雪尾さんの目の前に、牛乳の紙パックをぶらさげて、ひょいっと動かして遊ぶくらいしかできない。

 三十分くらいひたすら駆け回っていた雪尾さんは、ぽてぽてと少し重くなった足取りで東屋の影に戻ってきて、座り込む。


「お腹空きましたか?」


 尋ねると、ぱっと顔を上げた雪尾さんの目が輝いた。期待に揺れるしっぽに答えるように、牛乳のパックを開けて、バッグの中に入れていたプラスチックの小皿に少量入れてから差し出した。


「ご飯前だし、少しだけですよ」


 少ない量に、雪尾さんは少し不満そうであったが、小さな舌を使って飲み始める。あっという間に飲み終えるので、何度かおかわりをしてパックの半分ほど減ったところで「これでおしまいです」と止めた。

 雪尾さんは満足したのか、今度はうとうとと首を前後に揺らし始める。あれだけ走り回ったのだから、さすがに疲れたのだろう。

 白い子犬の眠そうな様子につられて、俺も欠伸が零れ出る。いつの間にか風は涼しくなっていて、さらに眠気を誘った。

 少しだけと東屋の机の上に肘をついて、俺は重くなった瞼を閉じた。


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