表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
75/98

70 白いしっぽと見えない彼女 前編

 大神夏貴おおがみ なつきと名乗った男は、仕事が早かった。

 先ほど聞こえていたサイレンは、彼が引き連れてきたパトカーのものだったようだ。気を失っている白瀬さんを車に乗せて、パトカーの先導で近くの総合病院へ向かう。病院に到着すれば連絡済みだったようで、看護士が待ち構えており、白瀬さんはすぐに処置室へと運ばれた。そうして検査と処置が行われている間に、大神さんは入院の手続きを進ませている。部下の女性に、白瀬さんの着替え等の準備を命じる抜かりなさだ。

 病院までついてきたものの、雪尾さんを抱きかかえておく以外、俺は何もすることがなかった。

 無意識にコートのポケットへと入れた右手が、白瀬さんの眼鏡と、それから――ピンポン玉くらいの大きさの球体に触れる。青白く光る、白瀬さんの『目』だ。大神さんに見せるのが少し躊躇われ、白瀬さんを運ぶ際に咄嗟にポケットに忍ばせていたのだ。

 眼鏡と『目』があることを確認する俺の肩を、大神さんが軽く叩く。一瞬、『目』の存在に気づかれたかと思ったが違った。


「顔色が悪いよ。君も診てもらった方がいい」


 指先で、とん、と触れられた部分に鈍い痛みが走る。雪尾さんの爪が食い込んだ場所だ。

 吹雪、と大神さんが声を掛ければ、しなやかな体躯の白い犬神が、ととっと足元に寄ってきた。俺の顔を見上げた後、目を伏せて一礼する。


『失礼いたします、高階様』


 とんと飛び上がり、右肩の部分を噛む動作をした犬神の吹雪さんは、口元に黒い煙を咥えて床に降りた。重かった身体が少し軽くなる。そう言えば黒い靄の影響を受けていたのだと、今更ながら思い出した。

 その後医者に診てもらえば、肩には赤黒い痣ができていた。それだけではなく、雪尾さんに押し倒された際に打った背中や、いつの間にか擦りむいていた腕や手の傷の治療もしてもらう。

 その間、眠り続ける雪尾さんを「僕が抱いておこうか」と大神さんがやけにキラキラした笑顔で申し出たが、白姫さんと吹雪さんに牽制されて、結局俺の膝の上に乗せた状態のままだ。

 処置を終えた後、薄暗い廊下を進んで、白瀬さんが運ばれた処置室の前へと戻る。廊下の長椅子に座れば、「どうぞ」と眼前に缶コーヒーが差し出された。ラベルを見ると牛乳と砂糖がたっぷり入った甘いやつだった。温かい缶を受けとりながら、礼を言う。


「あ……ありがとうございます」

「どういたしまして。君には恩を売っておいた方がいいかと思って」

「……」

「冗談だよ」


 廊下の壁に寄り掛かった大神さんは、お汁粉の缶のプルタブを開けながら、可笑しそうに笑う。

 冗談なのか、本気なのか。よくわからない人だと思っていれば、俺と大神さんの間に、のそりと白姫さんが割り込んできた。

 無言で牽制する白姫さんに、大神さんはやれやれと肩を竦める。


「雪尾君といい白姫様といい、白瀬の犬神はやっぱり高階の血筋を好むようだね」

「……やっぱりって?」

「ただの山伏だった君の先祖は、白瀬の当主と懇意にしていたらしくてね。当主から頼まれて、犬神の一匹を預かり受けたそうだよ。それがもとで、犬神筋に名前を連ねることになったんだ。……何かしらの縁というか、運命を感じるよね」


 ふふ、と大神さんは意味ありげに笑む。突然告げられた情報に俺は困惑した。

 かつて犬神筋だったことは祖父から聞いていたが、そんな繋がりがあったとは知らなかった。驚いたが、特に感銘は湧いてこない。結局は遥か遠い昔のことで、今の自分と関わりがあるとは思えなかった。


「……縁とか、運命とか、そういうのはよくわかりません。だけど……」


 目線を落とせば、膝の上に乗った小さな白い犬神が映る。眠りながらも前足の爪がしっかりとシャツの裾を掴んでいた。幼い姿をしばらく見つめてから顔を上げて、処置室の閉ざされた扉を見やり、その向こうにいるであろう白瀬さんを思い浮かべる。


「俺が犬神を見ることができて、白瀬さんと雪尾さんに出会えたことが縁だと言うなら、その縁に感謝します。俺は、ふたりに会えて、ふたりの側にいられて、幸せだと思うから。それが縁でも運命でも、そういうものじゃなくても、嬉しいです」

「……」


 俺の答えに、大神さんは笑みを引っ込めて目を瞬かせる。それに反して、すぐ近くからは鈴を転がす様な笑いが聞こえてきた。


『してやられたな、大神の次男坊』

「……仰せの通りでございますね、白姫様」


 大神さんは棒読みで答えた後、ふっと苦笑を見せる。困ったように、しかしどこか面白そうに細めた目で俺を見下ろした。


「まったく、高階翁たかしなおうといい……。だから君達は、白瀬にも犬神にも好かれるのかな」

「え…?」


 彼が独りごちる声はよく聞こえなくて、聞き返そうとすれば、がらりと処置室の扉が開いた。「ご親族の方はいらっしゃいますか」と顔を出した看護士に、大神さんが頷いて扉の向こうへと姿を消す。

 見送りながら、俺はまだほんのり熱を残したコーヒー缶に口を付けて、その甘すぎる味にほっと息を付いた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ