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54 白い犬と老人と犬神使い(前編)


高階君の祖父目線のお話です。





「今日は本当にありがとうございました」


 深々と頭を下げる若夫婦に、軽く頷いて返す。

 夫の方はそうでもないが、ほっそりした妻の表情には安堵の色が浮かんでいた。それでも、目の下の隈やこけた頬、顔色の悪さが目立つ。


 数か月前に中古の家を買って越してきたというこの夫婦は、怪現象に悩まされていた。誰もいない二階で誰かが走り回っている音がする、家具の位置が変わっている、夜中にベランダも無い窓をノックする音が聞こえる等々。

 特に専業主婦でほぼ家にいる妻にとって、辛い状況だったようだ。家にいれば何らかの気配や視線を感じて落ち着かず、夜も眠れずに食欲も無くなっていったそうだ。

 妻の相談を受けた家族から、知人や友人を得てこちらに連絡が入ったのは三日前の事だった。霊能力者という紹介で会うことになり、隣県にある若夫婦の家に直接やってきたわけだ。

 見たところ、少し霊が溜まりやすい箇所はあったものの、それほどひどい状況ではなかった。

 しかし、夫婦の周囲にある複数の黒い影が気になった。

 夫婦に会った際に目がいったのは、夫の背後からしがみ付く女性の影と、妻の脚にしがみ付く小さな子供のような影だ。女性の方からは夫への執着と妻への恨みを感じ取った。子供はただ甘えたいのか、妻の足元に纏わりついている。

 おそらく、この二人の霊に引き寄せられて他の霊も家の中に溜まっていき、妙な現象が起こるようになったのだろう。

 見当をつけて家の中の各所に清めの塩と酒を置き、窓を開けて家の中の空気を流しながら祓っていけば効果があった。とりあえず二つの霊以外は祓い散らすことに成功し、子供の方も今は妻から離れている。女性の方はしぶとく張り付いていたが、夫に清めた数珠と塩を持たせることで引き剥がせた。


 家の前に立って見送る夫婦の側にも家の周りにも、もう黒い影は無い。

 ただし――


「……さて、そろそろ行くかの」


 何も無い傍らに――自分の目には黒い影が見える空間に声を掛ければ、行き場を無くした影がゆらゆらと揺れる。

 紺色の丹前の裾を颯爽と捌きながら歩く老人の後ろを、黒い二つの影がぞろりと付いていった。




*****




 自分は、幼い頃から他の人には見えぬものが見えていた。

 どうやら家の血筋のようだ。かつては犬神筋だったとか、そんなことを同じように“見える”叔父から聞いた。

 身を守るため叔父から手解きを受け、経験を積んでいくことで、ある程度の対処はできるようになった。

 学芸員の職に就いていたときも霊関係の相談を受けることはあったが、退職してから特に増えたものだ。今日のように他県に呼ばれて行くことも少なくない。

 元々は自分や家族を守るために身に付けた対処法ではあったのだが、気付けば祓い屋と呼ばれて副業になっていた。


 とはいえ、祓い屋“もどき”にしかすぎない。

 霊を見ることができても、浄化することはできない。

 せいぜい、追い祓うことしかできないのだ。


 自分にできることとできないことは、解っている。

 だからこそ、依頼を受けて一度様子を見てから断ることもあるし、そういう場合は知人の本物の祓い屋を紹介する。

 今回のような件なら、とりあえず霊を祓った後は、清めるために神社や寺社に足を向ける。足りない力は場所で補ってもらうのだ。

 そういうわけで、目安を付けていた神社に向かった。

 背後から感じる強い視線は女性のものだろう。子供の方はだいぶ存在が薄くなっているようだ。


 緑の杜に覆われた古い神社。

 古びた赤い鳥居をくぐって参道を数歩も行かぬうちに、澄んだ空気が全身を包む。手水舎てみずやで手を洗って後ろを見やれば、いつの間にか子供の方は消えていた。

 あの子供――赤子に近い小さな影は、元々それほど力が無く、あの若夫婦の妻への念の残滓のようなものだった。水子だったのか、それとも幼くして亡くなったのか。詳細を知る気は無いが、引き離されて清らかな場所に来たことで成仏したのだろう。

 残るは女性の方の黒い影だが――


 ね……、どう……て……

 ……あの、ひと……すて……ひど、い……

 あの、おんな……の、せい、で……

 くや、しい……に、くい……にくい…


 ぶつぶつと耳元で呟く声は次第に大きくなっていく。

 やれ、どうやら思った以上に力が強かったようだ。しばらく神社ここにいた方がいいだろう。下手に動いて連れて帰っては、家族に迷惑がかかる。

 特に、自分よりも敏感で影響を受けやすい孫に会わせるわけにはいかない。


 石畳の参道を進みながら考えていたときだった。


 階段の上から、ふわりと何かが降りてくる。

 白く光るそれは石段を蹴って跳んだかと思えば、自分の横を瞬きの間に通り過ぎた。さあっと空気が流れて、参道沿いの木々がざわめく。清涼な風が頬を掠めた。

 後ろを振り返れば、黒い影が地面に倒れて、その上に白いものが乗っかっていた。


 白い毛に覆われたしなやかな身体に、地を踏みしめる四肢。

 白く長い尾が揺れて、三角に立った耳がぴくりと震える。

 眦の吊り上った青い星のような目が、横目でこちらの姿を捉えた。


 黒い影の喉元に喰らい付いて押さえこんでいるのは、白く輝く毛並みを持つ、立派な体躯の犬――いや、犬神だった。


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