53 高階君とキジトラ君(後編)
今日も今日とて煮干しが美味い。
前足で押さえつつ、あぐあぐと煮干しを頭から食べるオイラを、しゃがみこんだメグが茶色い目を細めて見てくる。相変わらず睫毛長ぇなぁ。やー、ホントに女顔――
「何か言ったか?」
言ってません、思っただけです!
何かますます勘が鋭くなって無いか!?お前ホントに何者だ!マジで怖ぇよ…。
びくびくしながら食べ終えて、習慣で顔の毛並みを整えるオイラの背中を、メグが撫でてくる。
こいつ、食事中は邪魔しないようにしてくれてるんだよなぁ、と内心で感心しながら、長い指と大きな手に身を任せる。
メグの店に来るようになって一か月以上経った。最近じゃ慣れたもんで、顔を出す時間も決めている。
オイラだって気を遣って、仕事の邪魔にならねぇように閉店時間頃に来るようにしてやってる。あと、『白いの』が来る曜日も大体決まってるから、時々遊んでやってるんだぜ!
そこいらの猫と違って、気配りできるオイラ。ま、これが年上の余裕って奴よ。ふふん。
……何だよ、何笑って見てんだよこの野郎。
「何でもないよ」
そうやって笑って誤魔化そうとしても……くっ、にゃ、こ、こら、撫でて誤魔化そうたって……ゴロゴロ、にゃあ~ん。
……ああっ、ちくしょうっ、またやられた。
ったくよー、お前ってホント撫でるの好きな。
オイラが思うに、メグは猫好きだ。ってか、動物全般好きだ。何気に可愛いもの好きだ。
やっぱ女顔だけあって女子力高――あ、何でもないです、睨まないで下さい。
つーかさ、そんなに動物好きなら、あいつ撫でてやりゃいいじゃねぇか。あの白いの。
「……」
お、どうした?黙りやがって。
「……撫でていいか、許可もらってないから」
おまっ、それ言うならオイラのこと許可取らずに撫で回してきただろうが!
オイラはどうでもいいってことか!?
「そういうのじゃなくて。……勝手に撫でるのは、白瀬さんにも、雪尾さんにも、悪い気がして」
はあ?何でだよ。
あの眼鏡のねーちゃんなら、いいって言いそうだぜ?白いのも、撫でてもらうの好きじゃねぇか。ほら、よくねーちゃんにしっぽ撫でてもらってるし。
「……雪尾さんは、きっと、白瀬さんに一番に撫でてもらいたいんじゃないかって。俺が雪尾さんだったら、一番好きな人に、最初に触れてもらいたいって思うから」
むう……そういや、眼鏡のねーちゃんは目が悪いって、姐さんが言ってたな。
白いののことが、しっぽだけしか見えないとか、しっぽだけにしか触れられないとか。
「雪尾さん、白瀬さんのことが一番好きだし。……俺が先に頭とか撫でたら、駄目だよなって」
……人間って、面倒臭いこと考えるのな。
変な遠慮ばっかしてさ。
そんなの、オイラは気にしない。
だって、撫でてもらうのは、嫌いじゃないから。
まだ猫だったときも、猫又になってからも。
道端で会った可愛い女子や、昼寝の邪魔をする悪餓鬼。
ご飯をくれたばーちゃんに、怪我をした時に手当てしてくれたおっさん。
雨で濡れたオイラを抱き上げて家に連れ帰ったものの、親に叱られて泣きながら引き返す子供。
みんなみんな、優しい手をしていた。
怖い人間もたくさん見てきたし、酷い目に何度も遭ってきたけど。
それでもオイラは、あったかい人間の手が好きだ。撫でてくるときの人間の顔が、好きだ。
笑ったり、泣いたり、怒ったり、喜んだり。手から、顔から、感情が伝わってくる。
どんな感情も不思議とあったかくて、優しくて。
オイラは、好きだよ。
そんな難しいこと考えなくていいのに、メグって馬鹿だよな。
だけど、そういうところは、嫌いじゃないって思ったりもする。
お前ってさ、あの白いのとねーちゃんのこと、本当に好きなんだなぁ…。
何か、ちょっと羨ましいとか……
……お、おおおおお思ってないからな!そんなこと!!
「どうした?急にそっぽ向いて」
何でもないっ、にゃんでもにゃいからにゃっ…!
はっ、動揺のあまり猫語になってしまったじゃねぇか、ちくしょうっ。
さっきまで思ってたこと、見透かされてねぇよな!?大丈夫だよな!?
「……何じたばたしてるんだ?」
せ、セーフ。どうやら聞こえてなかったみたいだな。
ふう、危なかったぜ…。
「で、何が羨ましかったんだ?」
にぎゃああああっ!!きっ、聞こえてやがったのか!?
う~わ~恥ずか死ぬっ!いや、死なねぇけどな!
結局、細部までは聞こえてなかったようで安心したが、メグが何を勘違いしたのやら、オイラに別のちゃんとした名前をつけることにしたらしい。
『キト』って名前だ。
お前それキジトラ略しただけだろって突っ込めば、笑顔が返ってきた。じゃあ『キジ』にするかって脅迫されたので、渋々了承してやった。
きと。キト、か。ま、悪くは無いかな…。
まあ仕方ない。俺は大人だからな、我慢してやらんでもないぞ。
煮干しくれるなら、キトと呼んでも構わんぞっ。
*****
大きな煮干しに小さな口で齧り付くキジトラ猫を見ながら、私は笑みを零す。
隣では同じように笑みを零した高階君が、しゃがみこんで優しい眼差しで猫を見下ろしていた。
「名前、つけたんですね。『キト』君でしたっけ?」
「はい」
「可愛い名前ですね。キジトラ模様だから、キト君なんですか?」
「……実は、もう一つ意味があって」
高階君は、内緒ですよ、とちょっと悪戯っぽい笑みを見せた。
――こいつ、子猫みたいに子供っぽいし、無邪気だし、可愛いから。
こそりと囁かれた言葉を露知らず、煮干しを食べ終えたキト君は無邪気に「にゃあ」と鳴いたのだった。




