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51 白いしっぽと猫の声(後編)

 一匹は、真っ白な綿毛のような子。

 もう一匹は、白地に茶色の縞模様の子。


 綺麗な青色の目を持つ二匹の小さな子猫が、雪尾の側にいると高階君は教えてくれた。私の目には見えないから、子猫は幽霊の類なのだろう。

 カウンター席に座った私の足元では、雪尾が落ち着かなさげにしっぽを振っていた。高階君はすっかり雪尾と子猫に目を奪われて、足元を見ては頬を緩ませている。


「ああ、もう、写真撮って見せたいくらいです!」


 写るかはわからないけど、白瀬さんにも見てもらいたいです、とはしゃぐ彼は、目に映る光景を説明してくれる。

 今は雪尾の揺れるしっぽに二匹の子猫が興味を抱き、しっぽが動く度に顔をぱっぱっと動かしているそうだ。時折前脚を伸ばして、じゃれつこうとしては失敗し、ころんと床に転がっているらしい。

 頭の中で想像した光景も可愛らしくて和んだが、高階君が楽しそうな様子も微笑ましかった。それに、彼が霊を見ても体調が悪くならなくてよかったと、胸を撫で下ろしながら問いかける。


「猫、好きなんですか?」

「はい。小学生の頃から、実家で飼ってて」


 何でも、霊が見える高階君のために、母親と弟が「猫って幽霊見えるって言うわよね」「猫いれば兄ちゃんより早く霊見つけられるかも!」と猫を飼うことを決めたそうだ。そして猫の見つめる先に盛り塩や清酒を置いてまわったそうだが、事あるごとに置くものだから家中が塩や酒だらけになってしまい、見かねた父親が止めたらしい。今では普通にペットとして猫を飼い、可愛がっているそうだ。

 とはいえ、悪いものがいると警戒するように唸っていたこともあるから、猫は霊が見えるという話は本当かもしれない、と高階君は苦笑した。


「家に帰ると脚にすり寄って来たり、寝てたら腹に乗っかってきたりするんですよ。今は三匹いて……」


 嬉しそうに話していた高階君だったが、こほん、と小さな咳払いの音がした。音の主はシリウスの店主――高階君の叔父さんで、ちらりと横目で高階君を見やっている。


めぐむ、先に注文を聞かないと。それに一番テーブルの片付けが終わってないよ」

「あ、はいっ、すみません!」


 わたわたと慌ててテーブル席に向かう高階君を見て、店主は苦笑する。


「まったく、浮かれてしまって」

「あの、すみません、私が高階君を引き止めてしまって…」

「いや、白瀬さんのせいじゃないですよ。それより、結局注文聞かずに行ってしまって、すみませんね」


 いつものでよろしいですか?と尋ねてくる店主に頷きかけて、口を開く。


「ミルクを一つ、追加で」


 今まで雪尾の牛乳を飲んでいたのであろう子猫の霊の分も頼めば、先ほどの話を耳にしていた店主は、二つの小皿にミルクを用意してくれたのだった。




*****




 閉店時間が近くなり客がまばらになった頃、カウンターに戻ってきた高階君に、事の経緯を手短に話す。数日前に神社で散歩して以来、雪尾の様子がそわそわとしており、猫の声や気配がするようになったと。

 空の段ボール箱のくだりを聞いて、高階君は眉を顰める。


「歯も生えてるし自力で歩いているから、生後一か月以上は経っていると思いますけど……そのときに捨てられたんだと思います。それで、たぶん……」


 そこで言葉を濁らせて、高階君はカウンター席の足元を見やる。

 彼の顔に悲しそうな色が滲むのは、すでに子猫が死んでいるとわかっているからだろう。無邪気で可愛い姿が見えても、彼らはこの世のものではない。

 しんみりとした空気が漂いそうになる中、高階君は明るい声を出す。


「ああ、そうだ。子猫たち、ミルク飲んでお腹いっぱいになったみたいです。二匹とも雪尾さんのしっぽにしがみついて寝ていますよ」


 なるほど、さっきからしっぽが動かないと思ったら、子猫のために大人しくしていたようだ。

 えらいね、と褒めれば、しっぽがぴくりと嬉しそうに上がりかけたものの、すぐにそーっと床に下ろされた。くすくすと高階君が笑いを零す。


「雪尾さん、気を遣ってるんですね。子猫もずいぶん懐いているみたいです」

「そうなんですね…」


 子猫の霊に懐かれる犬神。……奈緒なお姉さんに見られたら、呆れられそうだ。

 それはともかく、このまま子猫の霊が側にいていいものなのだろうか。

 雪尾が祓わないのは懐かれているせいもあるとは思うが、子猫が悪いものではないからだろう。

 床にじっと横たわる白いしっぽを見ながら、私は思わず高階君に尋ねていた。


「このまま側にいさせても大丈夫でしょうか?」

「……悪い感じはしません。まだ小さいし、自分達が死んだのも分かっていないのかも。それに、捨てられた場所が神社で、悪い霊やらの影響を受けていないんでしょう。でも、長くこの世に留まり過ぎるのは、良くないとは思います」


 高階君はそこで言葉を切って、視線を落とす。


「祖父だったらわかるんですけど……すみません、ちゃんと答えられなくて」

「いえ、そんな!謝らないでください」


 高階君は霊を見る能力は高いが、霊を祓うことを生業としているわけではない。むしろ霊の影響に悩まされている彼に、霊の相談をしてしまった。

 そもそも最初から、犬神筋である自分の家族に相談すれば良かったのに。身近にいる彼に、何も考えずに頼ってしまった。

 慌てて首を横に振る私に、高階君は「あっ」といきなり声を上げ、落としていた目線をパッと上げた。壁に掛けられた時計に目をやって、独りごちる。


「もしかしてあいつなら……少し待ってて下さい」


 ちょっと外に出てきますと店主に伝えた高階君は、店の奥に行って何かの袋を抱えた後、暗くなった外へと出て行った。

 五分程経った頃、店内に戻ってきた高階君は、早歩きで私の方へと近寄ってくる。


「あの、明日、仕事帰りにまたウチに寄ってもらえませんか?何とかなると思います」


 生真面目な表情で私に告げる彼の腕には、なぜか煮干しの袋が抱えられていた。




*****




 翌日、仕事が終わってから急いでシリウスに向かえば、高階君が外で待っていた。黒いエプロンをとって上着を羽織った高階君は、店内ではなくウッドデッキの横を通って、庭の奥の方へと案内する。

 薄暗い中、春の兆しを見せ始めた庭園は、店の小さな窓から零れる灯りでぼんやりと照らされている。庭園には石畳が敷かれた細い道があり、道の先に二つの小さな影が伸びていた。


 三角に尖った耳に、しなやかな長いしっぽの影。

 揺れているせいか、一本のはずのしっぽが、二つに分かれているようにも見えたが、気のせいだったようだ。

 そこにいたのは、私の目にも見える、二匹の普通の猫だった。

 しかも、前にも見たことがある綺麗な黒猫と、雪尾の友達の小柄なキジトラ猫。


 思わぬ者達の登場に私が高階君を見上げれば、彼はにこりと微笑んだ。

 

「猫の霊のことは、猫ま……猫なら解るかなと思ったんです。なあ、キト」


 高階君が呼びかけたのは、キジトラ猫の方だ。

 一瞬しっぽをびくっと跳ねさせたキジトラ猫――キト君は、「にゃっ」とまるで返事をするように鳴く。背筋を伸ばしてきっちりと座る姿は何だか緊張しているように見えたが、高階君はにこやかに見下ろしていた。


 いつの間にふたりは仲良くなったのだろう。

 不思議に思っていれば、高階君は「あのときから、うちに餌をもらいに来るようになって。こいつ、煮干しが好きなんです」と教えてくれた。


 固まるキト君に対して、黒猫は優雅にこちらに歩み寄ってくる。以前雪尾が失恋したことがある黒猫だとは思うのだが、黒猫は特に気にした風も無く、私の足元にいる雪尾へ身体を摺り寄せた。

 しばらく足元にいた黒猫は、ゆっくりと雪尾から離れる。暗い石畳の道を、かり、と引っ掻く小さな足音と、「みー」と微かな声とが複数重なった。

 もしかして、とはっとする私を、タイミング良く振り向いた黒猫が見上げてくる。綺麗な形の金色の目は少し細められて、まるで挨拶するかのように軽く頭を下げてきた。

 再び背を向けて歩き出す黒猫の姿を見つめていれば、高階君が隣で静かに告げる。


「あの黒猫が、子猫達を案内してくれるそうです。ちゃんとあの世へ行けるように」

「……はい」


 普通なら信じ難いであろう言葉は、すんなりと私を納得させた。

 姿は見えずとも黒猫についていく小さな足音と声は聞こえたし、高階君の目には子猫が黒猫に付いて行く様子が見えたのだろうから。

 灯りの届かぬ庭の闇に黒猫が姿を消してしばらくした後、高階君はふうっと息を付いた。


「……よかった。何とかなって」

「あ…。ありがとうございます、助かりました。……無茶なお願いをしてしまって、ごめんなさい」


 頭を下げる私に、高階君は焦ったように手を横に降る。


「いや、気にしないで下さい。俺が勝手にやったことだし、上手くいくか確実じゃなかったし。それに……頼ってもらって、嬉しかったから」

「え?」

「あっ、えっと、その……いつも雪尾さんに助けてもらっているから、自分も何かできないかなって!」


 顔を赤くしながら、高階君は答えた。

 なんて義理堅いのだろう。雪尾のことをそこまで考えてくれている高階君に、私は目元を綻ばせてもう一度礼を言う。


「ありがとうございます。ほら、雪尾も…」


 しかし見下ろした足元では、白いしっぽがどこか元気無さそうに地面に垂れている。子猫がいなくなったのが、少し寂しいのかもしれない。しゃがみこんで撫でてやれば、徐々にしっぽが上がっていく。

 やがて、雪尾はキト君の方にばっと駆け寄って盛大にじゃれつき始めた。にゃーにゃーと鳴きながらも相手をしてくれているキト君は、高階君同様、雪尾のことを考えてくれているのだろう。

 微笑ましい光景に和む私の横で、高階君は「しまった…何か間違った気がする…」と小さく呟いていたのだった。



高階君、実は猫好き。でも犬も好きです。

そしてキジトラ君(キト君)は高階君の舎弟となっています。(一日煮干し一本の餌付き)



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