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50 白いしっぽと猫の声(前編)


 近所の神社を散歩しているときのことだ。


 苔むした石畳を先に行く雪尾の白いしっぽがぴんっと跳ねて、参道沿いの灯篭とうろうの方へと駆けていく。後を追えば、灯篭の裏側の植え込みから、ひょこりとしっぽが飛び出ていた。

 わさわさと茂みを揺らす後ろ姿に、何か見つけたのだろうかと近づく。

 後ろから覗き込めば、緑の陰に茶色の段ボールの箱が見えた。

 植込みと灯篭の間に隠すように置かれた箱はまだ新しく、中には薄汚れたタオルが敷き詰められている。タオルには糸がほつれた痕が幾つもあり、白や茶色の毛が付いていた。

 犬か猫か、何らかの動物がいた形跡はあったが、今は空だ。しばらく参道や手水舎の周りを探してみたが、動物の声も姿も無い。

 自力で箱から出ていったのか、それとも誰かが連れて帰ってくれたのか。

 経緯はわからないが、住人を失った空箱を放置しておくこともできず、とりあえず社務所にいる宮司さんに声を掛けた。

 片付けられる段ボール箱を見送った後、参道を引き返す。


「帰ろうか、雪尾」


 後ろを振り向けば、白いしっぽは灯篭の側で幾度か跳ねて、不自然に揺れていた。

 どうしたのだろう。不思議に思ったが、雪尾はすぐにぱたぱたと駆けよってきて脚にすり寄ってきたので、気のせいかと思い直す。


 だから、気付けなかったのだろう。

 鳥居をくぐって石の階段を降りる私と雪尾の背後から、とっ、ととっ、と微かな足音がついてきていたことに。




*****




 頬に触れるのは、細く柔らかな毛。

 ふわふわとこそばゆい感触に、微睡の中でふふと笑いを零した。


「くすぐったいよ、雪尾……」


 枕に頭を埋めて目を閉じたまま、触れてくる毛を撫でようと手を伸ばす。だが、指先は何にも触れることなく、フリース素材の枕カバーを撫でただけだ。

 あれ、よけたのかな。

 撫でられることが好きな雪尾にしては珍しい。

 思った矢先、ぽすっ、ぽすん、と掛布団の上で何かが飛び跳ねているのに気づく。雪尾よりもはるかに軽いその足取りに、ふと疑問を抱いた時だ。


 みー。


 耳に届いたのは、高くて細い、猫の声。


「……猫?」


 どうして猫の声が、と目を開いて身を起こせば、「みっ」と小さい声がまた聞こえた。しかし、布団を見回しても猫は見当たらない。


「あれ…?」


 首を傾げる私の足元では、ぷすーと呑気に寝息を立てる雪尾の丸まったしっぽがあった。




 猫の声は、それからも度々聞こえた。

 また、声だけでは済まず、雪尾のカフェオレボウルの周りに牛乳が点々と零れていたり(雪尾は器用に飲むので零すことはまずない)、フローリングの廊下でかりかりと小さな爪音が聞こえたりするようになった。何より、雪尾が時折そわそわとしている様子が気にかかった。


 何かが、側にいる。

 おそらく、猫の霊か何かだろう。

 しかし気配を感じ取ることはできても、やはり見ることはできない。

 雪尾も霊を祓うわけでもなく、ちょっと困ったようにしっぽを振るだけなので、私には対処できない。

 今の所これといった害は無いのだが、放ったままでいるのも少し心配だ。

 どうしようかと悩んだが、とりあえず霊の存在を確認した方がいいだろう。そう決めて私が向かった先は、霊を見ることができる青年――高階君のいる喫茶店、シリウスだった。




*****




「いらっしゃいませ」


 黒い木の扉を開けば、白シャツに黒エプロンの高階君が笑顔を向けてきて、私の足元へと視線を落とした。


「……」


 茶色の目がぱちりと瞬き、開かれる。

 しばし無言で雪尾を凝視した後、高階君は「かっ…」と言いかけた口元を慌てて引き結んだ。平静を装って席へ案内してくれながらも、高階君は何かを堪えているような表情を浮かべている。


 その表情に、はっとする。

 霊が見える彼は影響を受けやすいということを、今さら思い出した。

 雪尾が側にいるから大丈夫かと思っていたのだが、霊の影響が出ているのかもしれない。軽い気持ちで確認してもらおうと、高階君の所へ霊を連れてきてしまったことを後悔する。迂闊だった。


 まだ注文していないし、帰った方がいいだろう。急いで席を立とうとしたが、高階君が小声で話しかけてくる。


「あの、白瀬さん」

「ごめんなさい、大丈夫ですか?すぐに帰り…」

「え?いや、別に、大丈夫ですけど」


 高階君は不思議そうに瞬きして、首を横に振る。そして視線を再び私の足元へと向けた後、さっと口元を押さえてしまう。気分が悪いのだろうか。


「やっぱり体調悪いんじゃ…」

「あ……いえ、そういうわけじゃなくて……」


 高階君は口元を押さえたまま、困ったように視線を彷徨わせた。

 耳がわずかに赤くなっているのは、なぜなのだろう。まさか影響を受け過ぎて熱が出たのではと焦る私の耳に、高階君の弱り切った声が届く。


「その、雪尾さん、なんですけど……背中に、ですね」

「は、はい」

「……子猫が二匹、しがみついてます」

「え?」

「すみません。すっごい可愛くて、顔緩みそうです。ていうか緩んでます」


 だから顔押さえてます、気分が悪いんじゃありません、と高階君は恥ずかしそうに白状した。

 きょとんとする私の足元で、白いしっぽが困ったように揺れて、呼応するように「みー」「みー」と小さな猫の声が聞こえた気がした。


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