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42 犬神と主(後編)


 すまぬ。

 力が及ばず、山を守ることができなかった。

 本当にすまなんだ。


 ……案ずるな。獣たちは他の山に移した。

 そのような顔をするな。


 ……ああ、そっちか。

 なに、気にするな。

 治めるべき山を失えば、そなたも力を失い、消えてしまうのだろう。

 私はそちらの方が嫌でな。


 …大丈夫、別に死ぬわけでもない。

 ただ、見えなくなるだけさ。

 だから――


 私の『目』を、喰らうがよい。





*****




「ここからは少し話が難しくなる。……そうだな。まずは、犬神は不滅の存在ではないと知っておいてくれ」


 犬神にも命はあり、永遠に続くわけではない。肉体を持たない分、人間よりはるかに長く生きることはできるが、力を失えばあっさりと消滅するのだ。また、魂にも限りがあり、どれだけ力を保っても五、六百年程度で消滅するという。

 女子の誕生と共に増える犬神は、一方で自然に減っていくようになっていた。


「白瀬の家でも犬神は代替わりしていて、白姫は次代の筆頭犬神になる予定だ」


 白瀬家では現在、白姫を含む三匹の犬神が当主と契約を結んでいた。


「力を保つための方法の一つとして、犬神は人間と契約を結ぶ。契約した人間から力を分けてもらうためにな。他にも雑霊を餌にしたり…犬神同士で共喰いさせたりする場合もある」

「共喰い?」

「弱い犬神は強い犬神に喰われる、まさに蠱毒こどくの方法だ。…まあ、喰われると言うよりは同化すると言った方が正しいな。その家で一番強い犬神を残すために、犬神筋の家で度々行われていることだ。強い犬神を持つ娘を嫁入れさせたいのも、そこからきている」


 犬神の力が保たれなくなれば、犬神は消滅し、その家は滅びる。

 そうやって犬神筋から名前を除外された家は、過去に幾つもあるらしい。とくに近世に入ってからは、人為的に犬神を作る邪法が禁止されたことで、除外される家が多くなっているそうだ。


「だが、犬神を失った家の者が、新たに犬神筋に名を連ねた例がある」

「…犬神筋の家の女性が嫁いだから、ですか?」

「いや。それだけでは、女性の家の分家と見なされるだけだ」


 首を振ったお兄さんは、一つ息を付いてから語り始める。


「……白瀬の犬神の話を、先ほどしただろう。山犬が白瀬の長と契約して『コン』を授け、その後に犬神が生まれたと」

「はい」

「実は、白瀬の長は山犬と契約する前に、その力を全て喰われていたんだ」

「え…?」


 力を喰われた、という台詞。

 それじゃ、まるで――


 白瀬さんと、雪尾さんみたいだ。


 ざわりと背筋を嫌なものが走る。顔を強張らせる俺に構わず、お兄さんは話を続けた。


「犬神が主の力を全て喰らうことで、新しい犬神の核となる魂が生まれるんだ。だから、白瀬の長が力を全て与えた代わりに、山犬は魂を授けた」


 生まれた魂は主に授けられ、主が女子を宿して生めば、魂は新たな犬神として生まれ変わる。

 それは普通に女子の誕生と共に増える犬神と違い、始祖と同等の力を持つと言われていた。

 犬神筋として新たに名を連ねた者は、知ってか知らずか、犬神を持ちながら見ることができない娘を嫁に取ったのだ。そうして生まれた犬神は娘の家の犬神よりも強く、新しい犬神筋として認められた。


「つまり、あの子を嫁にして子を産ませれば、白瀬の始祖の犬神と同等の犬神を手に入れられるんだよ。始祖に近いものとなれば、もはや白瀬の分家としてではなく、新たな犬神筋として名を連ねることができる。妹と雪尾には、その価値があるんだ」

「そんなの…」


 価値があるなんて、思いたくない。

 犬神筋になるためだけの、道具のような扱いじゃないか。

 そこに白瀬さんと雪尾さんの意志はない。


 それに――


「力を全部喰われたら、白瀬さんは……雪尾さんのこと、見えなくなってしまうんですよね…?」

「……ああ」


 唯一白瀬さんが見ることができる『白いしっぽ』が、ふたりを繋ぐ糸なのに。

 家のために、その糸さえ断ち切ってしまうのか。


「……駄目です。そんなのは、絶対に。あのふたりを引き離さないで下さい」


 お兄さんをまっすぐ見つめて言った後、頭を下げる。

 やがて下げた頭に、ふっと空気が揺れたのが伝わる。お兄さんは口元に手を当てながら、柔らかな苦笑を浮かべていた。


「何というか、君は……本当に、ふたりのことが好きなんだな」

「え……えっ!?いや、それは、そのっ…」


 唐突に指摘されて狼狽える俺に、お兄さんは笑みを深めた。


「最初はてっきり高階の家の復興を企んでるんじゃないかって思っていたけど、邪推もいいところだ。白姫の言う通りだったな。……あー、どうしよう。いいヤツ過ぎて、ちょっと逆に腹立ってきた。疑いたくなる」

『なんぞ、まだ疑っておるのか。この愚か者め』

「はいはい。わかってるよ、白姫」


 軽いやり取りを白姫さんと交わした後、お兄さんは笑顔のまま、力強い眼差しでこちらを見てくる。


「君に言われなくても、最初からそのつもりだ。私達だって、妹と雪尾のことを可愛く思っているからね。さっきの話は犬神筋でもごく一部しか知られていない。妹を家から出したのも、犬神筋と関わらなくていいようにするためだ。見合い話は全部ぶっ潰してきたし、妹の事を探ろうとする奴らには相応の制裁もこっそりしているから。大神おおがみ本家の方にも根回しは十分だから、何か手出しする輩は逆に家を取り潰されるだろうね」

「は、はあ…」


 笑顔で目を冷たく光らせながらさらさらと告げられる少々過激な内容に、呆気に取られる。

 やがてお兄さんは笑みを消して真剣な表情になると、俺を正面から見てきた。


「心配しなくても…と言いたいところだが、私達も妹の側にいつもいてやれるわけじゃない。だから、もし妹と雪尾に何かあったら……どうか、助けてやってくれないだろうか」

「……」

「勝手な頼みだとはわかっている。命を張って守れという訳じゃない。ただ、側にいる間だけでも、妹と雪尾を支えてくれたら、嬉しい」


 向けられるお兄さんの真摯な眼差しを、俺は静かに見返す。


 守れる自信があるとは言い切れない。自分が彼女達のために何ができるかはわからない。

 だけど。

 側にいたいと、支えることができたらと、自分も願っているのだ。


「……はい、わかりました」


 しっかりと頷いた俺に、お兄さんはそっと嬉しそうに微笑んだ。




*****





 …そこにいるのか?


 やれ……見えないというのは、少し淋しいものだな。

 最後にもう一度、そなたの雪のように美しい姿を見てみたかったものだ。


 だが…見えなくとも、そなたはずっと私の側にいてくれたのだな。

 私の子供達に犬神を与えてくれただけで十分であったのに。


 ああ…

 いつか来世で、そなたに会うことができたら。


 そなたの姿を見ることができたら。

 そなたの声を聞くことができたら。

 そなたの白き尾を撫でることができたら。

 

 そうなったら、嬉しいなぁ。


 なあ、雪王ゆきおうよ――


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