41 犬神と主(前編)
おっと。
いきなり飛び掛かるとは、案外気の荒いものよ。
挨拶の一つくらい、させてはくれぬものか。
……ああ、すまぬ。
そなたがあんまり綺麗だから、見惚れてしまったのだ。
ふふ、まるで真白な雪みたいだ。
さて、遅ればせながら…お初に御目にかかる。
私は白瀬の長を務める者。
そなたがこの山の主殿か?
*****
「目を、喰われた…?」
意味が解らずに眉根を寄せる俺に、お兄さんは軽く顎を引いた。
「正確には、霊力と言うべきかな。妹が本来持つはずだった霊を見る力は、生まれるときに雪尾にほとんど喰われて…奪われてしまったんだよ」
「そんな……」
「……ごく稀に、あるらしい。犬神に霊力を喰われて、力の無い、見えない者が生まれることが」
「……」
淡々としたお兄さんの説明に俺はしばし言葉を失い、膝の上で強く拳を握った。
「……それじゃあ、白瀬さんが見えないのは――」
雪の積もった広場。
決して合うことのない目線で、それでも見ようとして、互いを見つめ合うふたり。
揺れる白いしっぽを追う、眼鏡の奥の遠い眼差し。
何度も何度も振り返る、青い眼差し。
雪の日に見た光景を思い出せば、胸が詰まって苦しくなる。
直接言葉にするのを幾度も躊躇い、やがて出た声は掠れていた。
「……雪尾さんの、せいなんですか?」
「結果的にそうなった、と言えるな」
「……このこと、白瀬さん達は知っているんですか…?」
「いや。少なくとも、妹には話していない」
「……」
思いもよらぬ事実を知らされ、唇を引き結ぶ。
何も言うことができずに目を伏せる俺に気を使ったのか、お兄さんも口を噤んだ。
膝の上で固く握られた拳に、ふと柔らかなものが触れる。見れば、白い尾がそっと手の甲を撫ぜていた。
『そう気に病むでない。……あの仔も好きで喰らったわけではないのだ。我らと主は双子のようなもの。この世に生まれ落ちる際に、たまたま力をうまく分けることができなかっただけのことだ。それがあの仔らの運命であって、誰が悪いわけでもない。どうにもならぬことはあるものよ』
静かな声は諭すように頭に響き、力の入った左肩に白姫がすりと顔を寄せてくる。顔を覗きこんでくる青い目には、慈愛の色が浮かんでいるように見えた。
大きな犬神に慰められ、俺は一度目を閉じた後、顔を上げた。お兄さんの目を見てから、ぺこりと頭を下げる。
「すみません、話の途中で。……続きを聞かせて下さい」
「ああ。……己の主の力を喰らった犬神は、強い力を持っている。もともと白瀬の犬神は他の犬神筋より強い方だが、特に雪尾はこの百年の間に生まれた犬神の中でも群を抜いている。純粋な力なら、白姫と同等かそれ以上だ」
「……あの、俺には、白姫さんの方が強く見えます」
『おや、本当に目が良いこと』
白姫さんは感心したように呟き、お兄さんも軽く目を瞠る。
「君の言う通り、今の力は白姫の方が強い。白瀬の当主と正式に契約を交わし、長い年月を生きているからな」
『あの仔は力の使い方を知らぬのよ』
例えるなら、とお兄さんは簡単に説明してくれる。
雪尾さんは磨かれる前の原石で、白姫さんは綺麗に磨かれて加工された宝石のようなものらしい。石が同じ大きさでも、磨き方と加工で見栄えも価値も変わる。
どれだけ力を持っていても、力の使い方を知らなければ強くなれない。だが、その力の使い方さえ教えれば、さらに強い犬神が手に入る。
お兄さんの説明に納得し、俺は頷く。
「だから雪尾さんを欲しがる人がいるんですね」
「それだけなら、まだいい。価値があるのは、力を喰らった犬神だけじゃない。…力を喰われた主もだ」
「…どうしてですか?」
お兄さんの声に不穏な響きが混じり、俺はわずかに構えながら続きを促した。
*****
やあ、主殿。いい天気だな。
ん?そんなに嫌そうな顔をするな。
遊びに来るくらいいいだろう。
ああ、そういえば主殿。
そなたの名前を聞いてもいいか?
……なんだ、名前は無いのか。
ふむ。では、私が付けてもいいか?
ふふ、別に名で縛るわけではないさ。
呼ぶ時に「主殿」だと味気なくてな。
ようし、決まりだ。
とびきり良い名を考えてやろう。
そうだな、では――
次話まで説明が続きます。
最近、雪尾さんの出番がなくてモフモフ(癒し)が足りません…




