04 白いしっぽと小さな影
今回の話はややホラー風味です。
苦手な方はご注意ください。
ねえ、だれか。
あそぼうよ。
ひとりで、さみしいよ。
小さな黒い影に、私は足を止めた。
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犬神憑きの家系なのに『能力無し』と言われている私だが、霊が全く見えないわけではない。
姿をはっきり見ることは叶わないが、ぼんやりとした影を捉えることはできる。
横断歩道の真ん中に佇む影。
部屋の片隅にうずくまる影。
公園のブランコの上に乗る小さな影。
それらが不用意に関わってはいけないものだと知ったのは、私が小学1年生の時だった。
それは蒸し暑い夏の日のことだった。
強い日差しが翳り、黒い濃い影を落とし始める夕方。私は一人で公園にいた。
本当なら兄や姉妹達と遊ぶ予定だったのだが、家に来た従兄弟達のせいでそれがおじゃんになってしまった。
従兄弟達は意地悪で、霊が見えない『能力無し』の私のことを会う度にからかう。
その日も、からかわれて喧嘩になって、私は一人家を飛び出した。
いつも遊んでいる公園よりも遠い、隣の地区の公園に辿り着き、私は木陰のベンチに座った。
「……見えないわけじゃないもん」
ねぇ、と隣で揺れる白いしっぽを見やる。
昨年の冬からいつも側にあるしっぽの正体は、私の犬神の雪尾だ。
雪のように綺麗な白い毛のしっぽは、ふさりと私の頬を撫でてきた。とても気持ちの良いもふもふの毛並みで、冬場は撫で回し抱き着いたりするのだが、いかんせん夏場は少々――
「……暑い」
文句を言うと、鼻先をぱしりと軽く叩かれた。
白いしっぽは拗ねたように私から離れて、砂場の方へと行ってしまう。
遊びたいのかな、と私がベンチから立ち上がったときだ。
きぃ、と高い音が聞こえた。
金属が擦れる、耳障りになる寸前の高い音だ。
音の方へと目をやれば、ブランコが揺れている。
辺りには誰もいない。風で揺れたのだろうか。しかし、風はほんのそよぐ程度しか吹いておらず、ブランコが揺れるほどの力は無いように思えた。
興味を引かれ、私がじっとブランコを見つめた時だ。
ぼんやりと揺らぐ影が、ブランコの上に見えた。
あ、と思い当たる。
時折見る黒い影と、それは類似していた。
霊だ、と直感的にわかって、私は少し喜びを覚えた。
ほら、見える。
私にだって、見えるもん。
たぶん、そのときの私は従兄弟達にからかわれた悔しさもあって、ムキになっていたのだろう。
もっとよく見えないかと目を凝らして、熱心に無人のブランコを見つめる私の頭からは、両親や兄姉から聞かされていた忠告が忘れ去られていた。
『あいつらと目を合わせてはいけないよ。
見つかってしまうからね――』
ゆらり、と影が、こちらを向いた。
顔が見えたわけじゃない。そもそも影の輪郭しか見えていないから、それの目鼻の位置などまったくわからない。
なのに、こちらを向いて私を見ていることがわかった。
見られていると、わかった。
「っ!」
ねえ、あそぼう。
いっしょに、いこう。
幼い声が聞こえた気がして、ぞわりと背中に悪寒が走る。
立ち竦む私の目線の先で、きっ、と不自然にブランコの揺れが止まった。
黒い小さな影が、ブランコの上から地面へと降りる。ざり、ざり、と土と砂利を掻く音が耳に届くが、動けなかった。
逃げたいと思いながらも、目は逸らせずに黒い影を追うことしかできない。
金縛りにあったかのように動けずにいれば、ふいに視界の端を白いものが掠めた。
ぐうぅ、と低く唸る音が聞こえたかと思えば、黒い影がびくりと大きく揺れる。
きぃんと耳を震わせたのは、悲鳴のような音だ。私は弾かれたように小さな手で耳を塞ぎ、目を固く閉じた。
「……」
目を閉じていた時間は、一分にも満たなかったのだろう。
サンダルを履いた足をさらりと柔らかな毛が撫でてきて、私はそっと目を開いた。
耳を押さえていた手を外せば、うるさいほどのヒグラシの鳴き声が鼓膜を震わせる。いつから蝉が鳴いていたのだろう、と今さらながら不思議に思った。
ブランコの方を見るのは怖くて、ただただ、足元に寄り添うしっぽを見つめる。
「雪尾……」
名を呼べば、ぐいぐいとしっぽが押し付けられてくる。
私はその場にへたり込み、鳥肌の立った腕で雪尾のしっぽにぎゅっと抱きついた。暑さなどすっかり吹き飛んでしまっている。
探しに来てくれた兄に声を掛けられるまで、私はそのまま白いしっぽを抱きしめていたのだった。
**********
立ち止まったのは、交差点の一角だった。
信号を待つ人達の中、私は信号機の横の植え込みを見やった。飾られた花束とジュースやお菓子を見て、ここで交通事故か何かがあったのだと思い当たる。
亡くなったのは、おそらく子供なのだろう。
植込みの側に佇む、小さな黒い影。
私はわずかに視界に入れただけで、そのまま前を向いた。
しかし、一度視界に入れてしまったのが悪かったのか、囁くような声や気配が近づいてくる。
「……雪尾」
口の中で小さく言えば、足元の白いしっぽが揺れた。
誇示するように力強く振られたしっぽに、囁き声も気配もぴたりと無くなった。
しかし、虚ろな視線は感じる。私は縋るような視線を無視して、青に変わった横断歩道に足を進めた。
――ずっと、『能力無し』と言われていた。
幼い頃は悔しかったり悲しかったりしたが、大人になった今は見えなくてよかったと思うときもある。
正直に言うと、私は見えないものが怖い。
害を加えられたことはないが、あのときの背筋が凍り鳥肌が立つ感覚は、あまり味わいたくないものだ。
不用意に関わるな。
見えないものを、無理に見るな。
身に染みた教訓のせいだろうか。
今でも、私は雪尾の全身の姿を見たことが無い。
しっぽだけ、というわけではなく、ちゃんと犬の姿をしていると兄妹達からは聞いている。
どんな姿だろうと想像するけれども、白いしっぽだけを見続けているせいか、ちらとも浮かんでこない。
いつかは見ることができたらいいと思うが、見られなくても構わないとも思う。
だって、見えなくともそこにいるというのは、よく知っているから。
――あの、影達のように。
背中に残る仄暗い視線を振り払い、私は雪尾の温かな白いしっぽに足を触れさせた。