36 白いしっぽと読めない手紙
一筆申し上げます。
――様、お元気ですか?
桃の節句も過ぎ、近頃ようやく春めいてきましたね。
気が早いですが、桃色の便箋を使ってみました。
桃の花が咲くのが待ち遠しいです。
まだまだ寒さが続きますので、お体を大切になさって下さい。
かしこ
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返却ボックスに返された本を仕分けしているときだった。
国語の教科書にも載ったことがある、純文学の単行本がふと目に留まる。
何度か新しい装丁になって、幾度も重版されているような本であり、私が勤める図書館にも単行本と文庫本が数冊置いてある。
時折借りられているので珍しくは無いのだが、なぜか目に留まったのだ。
重くて少々かさ張ってしまう単行本よりも、文庫本の方を借りる人が多いからだろうか。とはいえ、薄く持ち運びのしやすい文庫本よりも、頑丈なハードカバーで紙も厚い単行本を好む人も多いのは確かだ。
色の褪せた装丁に、カバーの端は角が潰れ、紙はやや黄ばんでいた。ぱらりと開いてみれば、古い本の匂いがする。
この本の薫りは嫌いではない。製本されて何十年という、長い歴史を感じさせる古い薫り。ふ、と口元を緩めて開けば。
「…ん?」
かさ、と軽い音がしたような気がした。
頁をめくっていけば、五十三頁のところに、細長く薄い便箋がすっぽりと挟まっていた。
淡い桃色の和紙で、薄茶色の線が縦に五本引かれている。普通の物よりも小さいそれは、一筆箋というものだろう。
だが、一筆も書かれることなく真っ新で綺麗なままである。
借りた人が、栞代わりにでも挟んだのだろうか。
手に取って見てみるが、持ち主の手掛かりとなるような文字は無く、指にしっとりとした和紙の手触りを伝えてくる。
さて、どうしようか。
時折、自前の栞を挟んだまま返却する利用者はいる。薄い金属やプラスチック、厚紙でできた栞だ。そういうときは、カウンターの忘れ物ボックスに入れておくことになっているのだが――
ありふれた和紙、しかも何も書いていない便箋となれば、忘れ物として取りに来てもらえるだろうか。一か月程置いて誰も取りに来なかったら破棄されてしまうのだ。
取りに来てほっとする表情の利用者の顔や、破棄されていった栞や紙を思い浮かべる。
綺麗な和紙の一筆箋。
淡い桃色は、まるで春の訪れを告げるようであった。
妙に気にかかってしまうのはなぜだろう。
首を傾げながらも、便箋を取って本を閉じようとしたときだった。
ぱしり、と脚を叩くものがいる。
白い毛並みの、長いしっぽ。
私が見下ろせば、数度繰り返して足を叩かれる。
まるで、私の行為を咎めるように。
私が便箋を元のページに戻せば、白いしっぽがぱたぱたと揺れる。叩かなかったところをみると、『それでよし』と肯定の意を示しているのだろう。
原則として本に挟んであるものは取り出すのだが……
私は便箋を挟んだまま、こっそりと本を閉じた。
そのまま残りの本も仕分けてから、台車に乗せて配架作業へと移る。
日本文学の棚で、私は便箋の挟まれた本を棚に戻した。白いしっぽは足元で揺れて見届けると、次の棚へと促すように足の甲をさらりと撫でた。
本の背表紙を見つめた後、背を向ける。数歩歩けば、何かの気配を感じ取った。
ぱらりと紙の音がする。何か花のような甘い香りが鼻を掠めたような気がしたが、私は振り向かずに台車を押して立ち去ったのだった。
――数週間後、道を歩いていた折にふと甘い匂いがして、ああ、あれは桃の花の香りだったのか、と思い当たった。
あの便箋には何が書いてあったのだろうか。
高階君に見せたら、もしかすると読めたかもしれないが、人の手紙を読むのはいけないと思い留まる。
桃色の便箋。
見えない文字に、花の香り。
読めない手紙を思い浮かべ、私はあの便箋が相手に届いているようにと思いを馳せた。




