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34 白いしっぽと雪の色(後編)


 雪が白く見える理由?

 

 唐突な問いかけに、私は高階君の方を見やる。

 高校でも大学でも文系だったので、科学は得意ではない。雪が白く見える理由を問われても分からなかった。

 高階君は広場の方に視線を向けて言葉を続ける。

 

「雨や氷は透明なのに、雪って白いでしょう?もともと同じ水なのに」


 高階君は身を屈めて、東屋の端の方に積もった雪を掬い取る。

 黒い手袋の上で、白い雪ははらりと溶けていき、縁の方の水の部分は透明になった。そして残った雪の部分を私の方へと差出し、雪の中の細かい小さな粒を示す。


「雪は、小さな結晶がたくさん集まってできています。昔、虫眼鏡とかで結晶を観察しませんでしたか?」

「あ……はい、あの六角形の花みたいなのですよね」


 小学校の授業で習った覚えがある。雪が降った日に皆で外に出て、雪の結晶を観察して一個一個絵を描いたものだ。


「そうです。雪は、小さくて複雑な形をした結晶と空気がたくさん集まっています。そこに光が当たると、光が曲がって反射して、その反射した光が他の結晶の反射した光とぶつかって、乱反射するんです。そうするとすべての波長の光が反射されて、白く見えるんですよ」

「……」


 どうしよう、難しい。

 曖昧に頷く私に、高階君は苦笑する。


「すみません、うまく説明できなくて。……あの、光の三原色って知っていますか?赤と青と緑の光が重なると、白くなるってやつ」

「あ、はい!美術の教科書で見ました」


 赤と青と緑の円が重なった中心が白色に描かれている図を思い出す。色を重ねるごとに暗く黒くなる色の三原色と違って、光は明るく白くなるのが不思議だった。


「人が物を見ることができるのは、物に光が当たって反射した光が目に入るからです。光がなくて真っ暗だと、何も見えませんよね」

「はい」

「光には、色があります。波長ごとに赤、橙、黄……ええと、虹の色です。物の色が違って見えるのは、物に光が当たると、物の色によって反射する波長が違うからで。例えば、赤の波長の光だけが反射して返ってくると赤く見えたり……ああ、すみません、ややこしくなってきました」

「大丈夫です。何となくわかります」


 何だか理科の授業を受けている気分だ。

 話の続きを促せば、高階君は手袋の上の溶けかけの雪を地面へと落とした。

 

「雪は、光が当たったときに乱反射を起こして、光を全て反射します。そうすると、いろんな色の波長の光が重なって…」

「あ…そっか、それで白くなるんですね」

「はい」


 光の三原色の図を思い浮かべて言えば、高階君はほっとしたように頷く。

 突然の雑学の話ではあったが、わかりやすくて興味を惹かれる。雪が白い理由なんて考えたことも無かったので面白かった。

 ふふ、と笑いを零して、私は地面の雪を見つめる


「元々透明なものに光が反射して白く見えるって、何だか不思議ですね」

「……雪尾さんも、きっとそんな存在だと思うんです」

「え?」


 雪尾の話になり、私はもう一度高階君の方へと顔を向けた。

 高階君の目は、広場を駆ける雪尾へと注がれている。


「雪尾さんは、普通の人の目には映らない透明な存在です。俺や、白瀬さんの妹さん達に見えるのは、たまたま俺達が、ちょっと変わった光を見ることができるから」


 首も、顔も、耳も、胴体も、背中も、脚も。

 身体の白い毛並みも、シリウスのような青い目も、私には見えない。


 見えるのは、白いしっぽだけ。


「白瀬さんの目には、その光は見えにくいんだと思います。だけど、雪尾さんのしっぽが見えるようになったのは、白瀬さんがその光を見ようとしたからじゃないですか?」

「……」

「足音も、足跡もきっかけです。白瀬さんが信じて、雪尾さんがそこにいるって思ったから。白瀬さんが雪尾さんを見たいって思ったから、光は反射して白瀬さんの目に届いたんじゃないかって」


 側にいるのに、見えない犬神。

 私が見たいと思った。

 私の犬神に会いたいと思った。


 もし、その思いに――雪尾が、答えてくれたのだとしたら。


 私の思いを反射して、しっぽを見せてくれたのだとしたら。


「だから、白瀬さんが雪尾さんのことを見たいって思っていれば、雪尾さんは見えますよ。雪があってもなくても、雪尾さんは白瀬さんの側にいます。これからも、ずっと」

「……」

 

 私は高階君の横顔を見つめる。


 彼の目に届く光。

 私の目に届く光。


 彼の目に移る景色を私は知らないけれど、雪尾のしっぽは一緒に見ることができる。

 違う光の中で同じものを見ることができたのは、とても幸運で素敵なことだ。


「……そうですね」


 そっと呟いて頷く私に、高階君はやがて両手で顔を覆ってしまう。


「すみません、俺の方が何だか変なこと言ってますね…」


 もごもごと言う高階君の耳は、寒さのせいか、それとも恥ずかしさのせいか真っ赤になっていた。

 いつも落ち着いている高階君が照れるのは珍しい。彼の方をじっと見ていれば、高階君はがたんと勢いよくベンチから立ち上がる。


「……ええと、その……俺、雪尾さんと遊んできますっ!」


 そう言って、高階君は広場の方へと駆け出してしまった。

 十メートルも行かないところで、気づいた雪尾によって、どーんと突撃された高階君は雪の中にばっさりと倒れ込む。その上に白いしっぽが乗っかって、ご機嫌な様子で左右に振られた。

 何とか身を起こす高階君。

 その周りを回る雪尾。


 …ああ、素敵だなあ。


 思わず零した笑み。知らずに浮かんだ涙で、視界は霞む。

 白い世界は輪郭をぼやかせて、見えないはずの白い大きな犬の姿を映した気がした。


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