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33 白いしっぽと雪の色(前編)


 啓蟄けいちつ

 陽気に誘われて土の中の虫が動き出す三月の初めの頃。


 まだ去っていなかった冬将軍が猛威を振るったのは昨晩のことだった。夜中の冷え込みは激しく、フリース素材の敷布団カバーを外していなくてよかったと思ったものだ。

 朝になってカーテンを開ければ、いつぞやの冬の日のように白い世界が広がっていた。窓の外を見やる白いしっぽは、久しぶりの積雪に嬉しさを隠しきれずに、ぶんぶんと揺れている。

 今日は一日、雪尾がはしゃぎそうだ。窓を開けた途端、勢いよく外へ飛び出していく白いしっぽを見ながら、私は苦笑した。




*****




 日中は曇りが続き、昼になっても気温は上がらずに時折綿雪がちらついていた。

 積もった雪は消えることなく、図書館前の広場を白い色に染めている。まるで真冬の頃に戻ったようだ。

 寒いせいだろう。昼の時間に外で休憩を取る人達がちらほら集まる東屋には、今日は誰もいない。おにぎり二個という簡単な昼食を終えていそいそと外に出ようとする私に、先輩や同僚は「寒いのに物好きだなぁ」「本当に雪が好きよね」と笑っていたものだ。

 フード付のダウンコートをしっかりと着込み、マフラーと手袋で完全装備した私は、東屋のベンチに落ちた雪の破片を軽く払って座った。

 隣のコーヒーショップで買ったばかりのホットカフェオレを両手で持ちながら、ふうと白い息で吹き冷ます。寒い外気にさらされた頬に、温かい湯気が当たった。

 唇に伝わる熱を感じながら、砂糖とミルクを多めに入れたカフェオレを飲む。ほっとした温かさに息を付けば、ふいに声を掛けられた。


「白瀬さん?」

「…高階君?」


 振り返ると、灰色のダッフルコートに黒いマフラーをし、ショルダーバッグを下げた高階君が立っていた。こちらの顔を見ると「やっぱり白瀬さんだ」と柔らかな笑みを見せる。


「寒いのに外に人がいるから、気になって。それに…」


 そう言った高階君が、視線を広場の方へと移した。彼の目が追う先を、私も見やる。


 雪原の上で楽しそうに跳ねる白いしっぽ。

 散らされた雪が宙を舞う。


「雪尾さんがいたから、たぶん白瀬さんだと思って」


 普通の人には見えない雪尾の姿を見ることのできる高階君は、内緒話をするようにこそりと言い、悪戯っぽく笑んだ。

 高階君は、雪をブーツの底で踏み分けて東屋へと入ってくる。隣いいですか、と尋ねてきた高階君に、私は頷いて返した。

 間を開けて座った高階君は、「うー、寒い」と言いながら手を擦る。


「急に冷え込みましたね」

「はい。最近暖かかったのに、冬に戻ったみたいです」

「雪も降りましたし」

「これだけ雪が積もるのも久しぶりですよね」


 ぽつりぽつりと、東屋の下で高階君と静かに会話を交わす。

 その間にも、雪尾の白いしっぽは猛ダッシュで広場を駆け抜けたり、宙高く跳ね回ったり、ごろごろと雪の上に転がったりと、動きは忙しない。

 あちらこちらに動くしっぽを目で追う私の隣で、同じように雪尾の姿を見ていた高階君はふふっと笑う。


「雪尾さん、ものすごくはしゃいでますね」

「朝からそわそわっしっぱなしだったんです。雪尾は、雪が好きだから」

「ああ…だから名前に『雪』が付くんですね。雪のしっぽ」

「はい」

「白瀬さんも、雪が好きですか?」

「え?」

「いつもより楽しそうだし、嬉しそうに見えるから」


 高階君に言われて、私は少し考えた後、頷いた。


「そうですね、好きです。……雪のおかげで、初めて雪尾に気付けたから」


 初めて雪尾を見ることができた日を思い出す。


「……私、最初は全然雪尾を見ることができなかったんです。しっぽすら、見えてなかったの」


 見えない犬神。

 側にいるのだと言われても、見えないのならいないのと一緒だと、不貞腐れていた幼い頃。


「だけど、雪が積もった日に、雪を踏む足音が聞こえて。私の周りに、足跡があって」


 気づくことができた。

 犬神が、そこにいるのだと。


「そうしたら、しっぽだけ、見えるようになったんです。……まあ、しっぽだけしか見えないんですけどね」


 苦笑して、雪の広場を駆けまわる雪尾を見つめる。

 本物の犬が付けるよりも浅い、でも大きな足跡が、きっとそこら一面に広がっているのだろう。


 雪尾がいる証が、私の見えない目にもはっきりと映る。


「……不思議ですね。雪が降ると、ほっとするんです。雪尾がそこにいるんだって、いつもよりも実感できて。だから、嬉しいのかもしれません。雪が私と雪尾を会わせてくれたから、雪尾が側にいることを教えてくれるから、雪が好きです」


 そこまで言ってから、高階君が無言でこちらを見ていることに気づいた。

 綺麗なアーモンド形の茶色の目が、静かに私を見つめている。

 その視線に、私ははたと我に返った。じわじわと冷えていた頬に血が集まり、熱くなってくる。

 しまった。高階君の前で、何だか恥ずかしいことをべらべらと言ってしまった。


「ご、ごめんなさい、変なことを言いました……」


 赤くなる顔を俯きかけた私だったが、高階君が不意に口を開いた。


「…白瀬さんは、雪が白く見える理由を知っていますか?」


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