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21 白い子犬と姉と妹(後編)

 妹さんはすぐに見つかった。

 駅前の広場を抜け、大通りから路地に入る。細い道を数度曲がった先にあるコインパーキングの柵に腰掛け、所在無げに俯く姿を発見した。

 気配を感じたのか、俯かせていた顔をはっと上げた彼女は、俺を見て目を見張る。


「あなた、さっきの…」

「高階です。さっきはどうも」


 軽く会釈すれば、妹さんはばつが悪そうに目を逸らす。


「……何であなたがここに?」

「あなたを連れ戻しにきました」

「……お姉ちゃんに頼まれたの?」

「いえ、俺が追いかけると言ったんです。白瀬さん達には待っててもらってます」

「……」

「ああ、でも、頼まれはしましたよ。……その子に」


 俺は彼女の足元を指した。

 時折振り返って先導してくれた白い子犬が、妹さんの足に小さな身体を擦り寄せる。

 心配そうに見上げる子犬の姿に、妹さんはきゅっと唇を噛みしめた。泣くのを堪えるような彼女の表情に、気を紛らわせようと軽い話題を振ってみる。


「……その子、ショコラっていうんですね」

「…なんで、名前…」

「ああ、白瀬さんから聞いて…」


 少しは和むかと思いきや。


「ぅっ…」


 妹さんの目に、ぶわりと涙が浮いた。


「え……え?」

「ひっ、…うぇっ……ぅくっ…」


 大きな目から、大きな滴がぼたぼたとこぼれ落ちる。


 ちょっと待て。なんでそこで泣くんだ。

 犬神の名前を言っただけなのに。


「え、ちょっ…」

「おっ…」

「お?」

「お姉ちゃんのばかぁ~、待雪まつゆきって言ったのにぃ~…」


 幼さを残す涙声で言った後、妹さんはわぁんと泣き出し始める。

 今の話の流れでなぜ泣き出すのか、検討も付かずに狼狽える俺に、白い子犬は呆れたような視線を向けたのだった。





*****





「どうぞ」

「……どうも」


 鼻をぐすぐすと言わせる妹さんに、ポケットティッシュを差し出す。友人達と遊びに行った繁華街でたまたまもらっていたものだ。鼻もかめるし、ハンカチよりはいいだろう。

 妹さんは躊躇したものの、受け取って涙を拭き、控えめに鼻をかんだ。

 メイクが落ちてしまった顔は、はっきりした目鼻立ちの中にも幼さが現れる。白瀬さんよりも年下に見え、やはり妹なんだなと思いながら、近くの自販機で買った水を差し出した。


「よかったらこれも」

「……どうも」


 妹さんは素直に受け取り、水を飲んで息を付く。泣くのを見られたのが気恥ずかしいのか、居心地悪そうに手の中のペットボトルを数度行き来させた。やがて赤さの残った目で俺を見上げ、ぺこりと頭を下げた。

 

「ありがとう。……ごめんなさい」

「いいえ、どういたしまして」


 妹さんの座る柵に自分も腰掛ければ、足元に白い子犬が近寄ってくる。よくやった、と労うように靴先に前脚を乗せてくる様子が可愛らしく、思わず笑みが零れた。

 妹さんは俺が笑うのを見て、確信するように呟く。


「…やっぱり見えてるんだ」

「はい」

「ゆっきーのことも?」

「雪尾さんのことですか?はい、見えます。すごく可愛いですよね」

「……ゆっきーをそんな風に言う人、珍しいわ」


 妹さんはふっと口元に笑みを浮かべると、屈んで足元の子犬を抱え上げる。


「あなた、どれくらい見えているの?」

「……あそこのビルの角にいる半袖ワンピースの女性とか、駐車場の奥にしゃがんでいる作業着の男性とか」 


 本来なら、薄暗い影が差したその場には誰もいないのだろう。

 しかし、自分の目にははっきりと見えている。肩までの髪を垂らした女性のワンピースに赤黒い染みが広がっているのも、作業着の男性の頭が半分無くなっていることも。二人とも虚ろな表情で生気がなく、ぼんやりとした視線を宙に彷徨わせている。

 妹さんも同じように見えているのか、俺が示した方に悼むような眼差しを向けた。


「『目』がいいのね」

「それなりに大変でしたけど」


 人には見えないモノが見えるせいで、幼い頃からだいぶ苦労してきたものだ。

 ああでも、見えなかったら雪尾さんと白瀬さんに知り合えなかっただろうから、その点は有り難いと思う。

 そう言えば、と気になったことを妹さんに尋ねてみる。


「犬神って話せるんですね。雪尾さんが話しているのを聞いたことがないから、少し驚きました」


 雑踏の中で聞こえた小さな『声』。

 若く澄んだ少年のような声に導かれて、妹さんを捜し当てた。


 ふと視線を感じて横を見ると、妹さんは驚いたようにこちらを凝視している。


「あなた、声を聞いたの?」

「あ、はい、聞こえましたけど…」 

「驚いた。…あなた、もしかして『犬神筋』の人?」 

「いいえ。たぶん違います」


 祖父から聞いた話だと、犬神を遣っていた者が遠い親戚にいたらしいが、今の自分の家族に霊感のある者は祖父以外にいない。ごく普通の一般家庭だ。

 妹さんはまじまじと俺を見上げて、はあ、と感心の溜息を吐いた。


「声が聞こえるなんて、本当に力があるのね。……普通は契約した人以外は聞こえないのに」

「そうなんですか。ああ、だから雪尾さんの声は聞こえないのかな」


 納得して独りごちれば、妹さんはふっと視線を落とす。


「……ゆっきーは、違う」

「え?」

「ゆっきーは、『声』を出せないように育てられたの。誰とも契約できないように」

「…どういうことですか?」


 思わず聞き返すと、妹さんはそれには答えずに逆に尋ねてくる。


「あなた、お姉ちゃんとどんな関係なの?」

「……」


 真剣な眼差しと声に、俺は一瞬戸惑いながら、正直に答える。


「白瀬さんとは、雪尾さんを通じて知り合いました。二年前に、俺、雪尾さんに助けてもらったことがあって。……って言っても、実際に白瀬さんと話せるようになったのは三ヶ月くらい前からですけどね」

「…お姉ちゃんのこと、どこまで知ってるの?」

「どこまでって……趣味や好きな本や…家族のことは話しました。あと、雪尾さんのことや、しっぽだけしか見えないってこととか…」

「そっか……お姉ちゃん、見えないことも話したんだ。本当に、珍しい」


 どこか寂しげに言いながら、妹さんは腕の中に納まった白い子犬を撫でる。「ショコラ」と彼女が呼びかければ、わふっ、と犬神が嬉しげに鳴いた。


「ショコラって、可愛い名前ですね。あなたが付けたんですか?」

「うん……」

「……さっき、なんで泣いたのか、聞いてもいいですか?」

「……」


 俺の質問に妹さんはしばらく黙っていたが、やがてゆっくりと口を開く。


「ショコラは、私が勝手に付けた名前よ。ちゃんとした名前は、『待雪』なの。お姉ちゃんにも、そう伝えたのに……」


 じわり、と再び妹さんの目が潤む。

 ああ、やってしまった。会話が気晴らしになって落ち着いたと思っていたが、どうやら犬神の名前が鬼門だったらしい。


 妹さんは犬神をぎゅうっと抱きしめ、顔を伏せて唸る。


「もぉ~っ!お姉ちゃんの馬鹿!バカバカ大馬鹿!」


 突然の罵声に、俺は戸惑いながらも尋ねる。


「ええと……白瀬さんのこと、嫌いなんですか?」

「嫌いなわけないじゃない!」

「…え?」

「大好きよ!急に押し掛けたのに叱らないで家に泊めてくれるし、話聞いて慰めてくれるし、すっごく優しいし!……ちゃんと、ショコラって、呼んでくれるし……」

「……」

「なのにお姉ちゃん、お兄ちゃんに勝手に連絡しちゃうし、奈緒姉ちゃんまで来ちゃうし……私のお姉ちゃんなのに…」


 なるほど。

 それで拗ねて八つ当たりして、あの場を逃げ出したという訳か。

 それはまた、我儘なことだ。


 俺は脱力して溜息をつき、隣を見やる。

 

「……白瀬さん、心配してますよ」

「……」

「あなた、白瀬さんに悪いことしてるってわかっているんでしょう?」


 泣くのを堪えられなかったのは、白瀬さんに罪悪感があるからだ。白瀬さんの優しさが彼女の涙腺の堤防を決壊させた。

 妹さんは伏せていた顔を上げた。思っていたよりも静かな表情で、遠くを見る眼差しのまま、ぽつりと呟く。


「……わかってるわ。……ずっと、お姉ちゃんが、私に気を遣ってるってこと」

「……」

「馬鹿なの、お姉ちゃん。能力ちからが無いからって、私に気兼ねして。我儘も、何でも聞いてくれて。一度も怒ったことなんて、ないの。私の方が悪いのに、いつも謝ってきて…」


 睨むように前を見据える彼女の声は、かすかに震えていた。


「私の方が優遇されてきた分、しらせの義務は負わなくちゃいけないのに。見合いだって覚悟してたのに、逃げ出した私が悪いの。お姉ちゃんは怒っていいの。怒っていいのに……」


 なんで、お姉ちゃんが謝るの。

 私が、謝っても意味ないじゃない。


 吐露された声は、小さくて頼りない。

 瞼を閉じた彼女の眦から一筋の涙が落ちるのを見ながら、俺は口を開いた。


「だったら、怒られに戻りましょう」

「……」

「まずは白瀬さんのところに戻らないと、怒られることも、謝ることもできませんから」

「……うん」


 俺の言葉に、妹さんはこくりと頷く。

 ごし、と力強く涙を拭いた彼女が立ちあがるのを待ってから、白瀬さんを待たせているシリウスまで先導した。





*****





 シリウスに到着すれば、心配顔の白瀬さんとそのお姉さんがすぐにこちらに顔を向けた。妹さんはすぐに駆け寄り、先手必勝と言わんばかりに白瀬さんに向かって頭を下げる。


「ごめんなさい!ひどいこと言って…」

「莉緒…」

 

 私の方こそ、と言いかけた白瀬さんをお姉さんがじろりと見やれば、その口が閉じた。

 やがて、少し困ったような顔で右手を上げると、妹さんの額に向かってなぜかデコピンをした。ぺち、とさほど痛くなさそうな音がする。

 目を丸くする妹さんに対し、白瀬さんは真面目な顔で言う。


「心配したよ、莉緒。もう逃げないでね」

「お姉ちゃん…」

「それに、ショコラのカップも割れちゃったし。……明日、帰る前にもう一度買いに行くからね。いい?」


 怒ると言う程の迫力は無かったが、それでも謝られることなく叱られ、そして許されたことにほっとしたのか、妹さんは泣き笑いのような表情で、再び「うん、ごめんなさい」と謝った。


 無事に仲直りをする姉妹を見ていて、ふと気づく。

 姉妹の足元では、大きな白い犬と小さな白い犬が寄り添って、それぞれの主を見上げていた。


 仲良く揺れる白いしっぽに、俺はほっと安堵の息を零した。


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