表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
19/98

18 白いしっぽと姉と妹(前編)

 膝の上で握った拳。

 スカートの下の足元では、白いしっぽが巻き付くように寄り添っている。時折、しっぽの先が、慰めるように足の甲を撫でてきた。


「――ってば。こら、聞いてるの?注文は何にする?」


 姉の奈緒なおの声に、私ははっと顔を上げる。

 差し出されていたメニュー表も見ずに、反射的に「ミルクティー」と答えると、テーブルの傍らに立っていた店主の男性が穏やかに頷いた。


「はい、いつものですね」

「は、はい…」

「私はウィンナーコーヒーで。それと、ホットミルクもお願い」

「かしこまりました」


 姉が三人分の飲み物を注文しても、店主は不思議そうな顔一つしない。私がいつも雪尾と合わせて二人分頼むからだろう。

 一礼して去る店主の後ろ姿を見やっていた姉が、店内を見回した。


「いい感じのお店ね。静かで、落ち着いているわ」

「うん」

「常連なの?」

「うん」

「……ちょっと。暗いわよ、あんた」


 姉は呆れたように息をつき、お冷やのグラスを手に取った。




 莉緒を追いかける高階君の姿が見えなくなった後、姉は「…で、シリウスってどこ?」と私の腕を掴んで駅前から移動した。

 途中まで促されて道案内していたが、看板が見つかれば姉の方が私を引っ張って店に連れていく。初めて入る店なのに躊躇はなく、むしろ私よりも慣れた様子でテーブル席にさっさとついたものだ。



 

 水を一口飲んだ姉は、私の足元をちらりと一瞥した。


「それにしても…相変わらずあんたにべったりね、雪尾は」


 姉の声に、雪尾はびくっとしっぽを震わせた。

 あからさまな反応に、姉は猫のような目をにんまりと細める。肉感的な唇の端を釣り上げて、嫣然と笑った。


「うふふ、そして相変わらずねぇ、その態度。雪尾ってば、なんでそんなに私を怖がるのかしら?」

「……」


 それはたぶん、まだ小さい頃の雪尾に「もっと犬神らしく堂々としなさい!」だの「霊を怖がってどうすんの!」だのと数々の荒療治をしたうえ、「シット!ダウン!ステイ!」と最終的に鬼トレーナーとなって、雪尾を厳しく躾たからだと思う。

 おかげで雪尾は犬神としての力の使い方を覚えたのだが、スパルタ教官の姉にはすっかり苦手意識を抱いているようだ。

 ぷるぷると怯える白いしっぽが、私の足の後ろに丸まって隠れる。震える柔らかな毛が足に触れてくすぐったい。


 怯える雪尾に、姉はくすりと吹き出して、口に手を当ててころころと笑った。


「あー、おかしい。でかい図体してるのに気が小さいんだから」

「姉さん…」

「あら、本当のことじゃない。そんな顔しないの。それに、ちゃんと雪尾の牛乳も頼んであげたじゃないの」


 おごってあげるわよー、感謝なさーい、と姉は猫撫で声で雪尾に向かって言う。

 もっとも、それで雪尾が絆されるわけもなく、白いしっぽは、きゅうっとますます丸まってしまった。

 姉に怯える雪尾に、私は不謹慎ながらも口元を緩めてしまう。

 それを見て、姉が表情を和らげた。少しは明るくなったかしら、と呟くところを見ると、今の流れは私の気を紛らわせようとしてくれたらしい。

 姉の気遣いに、私はふっと息を零す。雪尾には悪いが、確かに気は紛れた。


「……姉さんは、一人で来たの?」

「ええ。子供達は家で留守番。夏貴なつきに任せてあるわ」


 夏貴さんは、姉の夫である。

 犬神憑きの本家の次男で、繊細で綺麗な顔立ちをした、一見優しそうな人だ。だが、その本質はサド気質の姉に近く、さらりと毒舌をかまし、気に入らない相手には容赦ないそうだ。

 そんな彼も子供には甘いらしく、今年4歳になる娘と2歳になる息子を可愛がっている。


紗織さおりちゃんも瑞貴みずき君も元気?」

「元気よ。元気すぎてこっちの体力が追いつかないくらいだわ。たまに吹雪ふぶきが相手してくれてるから助かってるけど」

「そういえば、吹雪は?」


 私は姉の傍らをじっと見つめる。


 もちろん、見えることはない。

 姉や妹の犬神はおろか、白瀬家で一番強い当主の犬神の姿も、力の無い私の目には映らないのだ。

 見えるのは、自分の犬神である雪尾のしっぽだけ。


 私の探す目線に、姉は軽く手を振って否定した。


「吹雪も留守番よ。私の都合で連れ出すわけにはいかないもの。もう『白瀬』じゃなくて『大神おおがみ本家』の犬神になっているんだし」

「そっか…」


 私は曖昧に呟きながら、結婚して犬神憑きの本家である『大神』の姓になった姉を見やった。


 長いストレートの黒髪を後ろできっちりと結わえ、ぴしりと背筋を伸ばして座る姉の姿は美しい。

 シルクブラウスにシンプルなカーディガン、膝丈のフレアスカート。どれも体に程良くフィットして、姉の肢体をより美しく見せる。身につけたアクセサリーは小粒だが、繊細な意匠で数十万は下らないだろう。

 装いも佇まいも、いつも上品にしている姉。本家に嫁いだことで、さらに気品に溢れた魅力的な女性へとなっていた。


 本来なら、姉はこうして一人で外に出歩くことも難しい立場なのだ。

 自分が兄に連絡したことで、今回の件に巻き込んでしまったことを今更ながら反省する。

 

「……ごめん、姉さん」

「何であんたが謝るのよ」

「だって、来てくれたのに、こんなことになって…」

「あのねぇ…何でもかんでも自分のせいにするなって、前にも言ったでしょうが。謙虚通り越して卑屈よ、それ。大体、兄姉きょうだいに遠慮するなっての」


 呆れたように言う姉の言葉は、さくりと軽く私の心に刺さる。

 内容は厳しいが、口調は私を責めるものではなかった。


「悪いのは莉緒りおに決まってるでしょうが。見合いは抜け出すわ、父さんや母さんやたつ兄に心配かけるわ、あんたの家に押し掛けるわ、人の話は最後まで聞かないわ」


 一息に言い放った姉は、私の方へ目線を寄越してくる。


「……あんた、『莉緒はうちにいるから探さないで、そっとしておいて』って、達兄に頼んだらしいわね」

「……」

「まったく。毎度毎度早合点しちゃうんだから、あの子は。もう少し落ち着きってものを学ぶべきだわ」


 やれやれと姉が溜息をついたところで、視界の端に店主がお盆を持って近づいてくるのが映った。

 注文していた品がテーブルに並び、しばし私も姉もそれぞれの飲み物を堪能する。

 ポットから注いだ熱い紅茶に、砂糖とミルクを落として混ぜる。肌色よりも少し濃い、柔らかな色合いになったミルクティーを一口。いつも通り美味しいのに、いつもみたいにほっとしない。

 ちびちびと遅いペースで口をつける私に、姉がぽつりと言った。


「……莉緒は、あんたに甘えてるのよ。あんたが、あの子を甘やかすから」

「それは……」

「あの子に負い目を感じているから?」

「……」


 姉の言葉に、私は口を噤む。


 図星だったからだ。



*****



 私は犬神憑きの家に生まれながら、例外的に霊を見る力が無い。皆無ではないが、ほとんど見ることができない。


 しかし妹は、姉と同様に能力があり、特に優れた目を持っていた。


 元々、昔から白瀬家の女子は犬神憑きの家に人気があった。その姓の如く、白い犬神を持って生まれる可能性が高いからだ。

 白い犬神は、犬神の中で珍しく、最も美しくて強いと言われている。その為、白瀬家の女子は成人前から見合いを勧められ、将来は本家か分家に嫁ぐことがほぼ決まっていた。

 実際に姉も、二十歳前には本家との見合いを行って婚約し、大学卒業後はすぐに嫁いだものだ。

 そしておそらく、妹もそうなるのだろう。


「……」


 能力の無い私は、本家からも分家からも見合いを強要されることはなく、簡単に家を出ることができた。

 自分の行きたい道に進み、将来を選び、自由になれた。


 だけど、莉緒は自由に選ぶことはできない。


 白瀬の家に生まれた女子として、周囲の期待を背負い、生きなければならない。

 私に能力が無いことがわかったとき、家族を除いた一族の皆が落胆した。その後に生まれた妹には、私の分まで多大な期待がかかっていた。


 莉緒が自由を望んだとしても、私は彼女の力にはなれない。彼女を自由にすることはできず、彼女の助けにはなれない。

 家を出たとしても、私も犬神憑きの、白瀬家の者であることに変わりはないからだ。


 家の繁栄を妨げることは許されず、ましてや能力無しの厄介者である以上、大人しくしているしかない。


 私は、私が背負えなかった分の業を背負う妹を、ただ見守ることだけしかできないのだ。


 それが、私のりおに対する負い目だった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ