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13 見えない犬と苦い初恋


 小学生の頃からの幼なじみが、結婚することになった。相手は同じ小学校の同級生だ。

 会場に着いて受付の列に並べば、懐かしい顔が周囲にちらほらと見かけられる。


「お!木嶋じゃん」

「鈴木か?久しぶりだな」

「うわー、背ぇ伸びたな、お前。いいなぁ」

「お前は…太ったか?」

「何だと?」


 昔なじみと小突きあいながら受付を済ませた。

 受付の奥にあるロビーでは、華やかな装いをした女性陣がドリンク片手にたむろっている。

 その中で、よく見知った顔を見つけた。


 一目で、彼女だと分かった。


 ボブの黒髪に、白い丸顔。すっきりとした造作で、銀縁眼鏡の奥で瞬くのは円らな黒い目だ。

 紺色のシンプルなワンピースドレスに、白いパールとリボンのアクセサリーを付けている。

 髪も緩く巻いて化粧もしているが、派手な感じはしない。周りに着飾った女性達がいればなおさら、地味に見えた。 


 それなのに、自分の目にははっきり映る。


 ああ、あの頃と同じだ。

 教室で女子の中にひっそりと埋もれていた、地味で大人しい、読書が好きな子。

 

 全然変わってない、と懐かしさに口が緩む。

 受付を終えた後、自然と足がそちらに向いた。緊張しながらも、気軽さを装いながら声を掛ける。


「久しぶり」


 傍らに立って手を上げれば、見上げてきた眼鏡の奥の目が見開かれる。


「お前結婚式でも眼鏡かよ。コンタクトにしとけ」


 そういえば眼鏡を外しているところはあまり見たことがないな、と思い出す。

 ふと、目を瞬かせていた彼女の頬がわずかに強ばった。


 ――あのとき、みたいに。


 見覚えのある表情に、胸の奥に仕舞っていた後悔が揺れる。

 あのときの苦い思い出が、じわりと広がった。




**********




 その子は、クラスでは目立たない地味な子だった。

 だからといって性格が暗いわけでもなく、仲の良い女子とは楽しそうに笑って話している。大きな声で騒ぐことはなく、人の話を聞いてはこくこくと頷き、控えめにそっと微笑む。大人しくて、真面目な子だった。

 俺は元々、可愛くて元気な子の方が好みだ。一緒に同じテンションで遊べて、楽しい。

 しかし、5年生で彼女と同じクラスになってからというもの、なぜか目で追うようになっていた。

 違うタイプで物珍しかった、というのがあるのだろう。

 

 観察していれば、いろいろなことが気になってくる。


 例えば、給食のときにこっそり牛乳を残していたり。

 例えば、図書室で席に座るときは必ず隣に一人分の席を空けていたり。

 例えば、廊下を歩いているときに何もないところで立ち止まったり、転び掛けたり。

 例えば、何もない足元を見つめては、眼鏡の奥の目を細めてそっとはにかんだり。


 ちょっと不思議な癖を持つ女の子だ。




「何でお前牛乳残してんの?」


 隣の席になったのをきっかけに、俺はずっと気になっていたことを聞いてみた。

 すると、その子は驚いたようにこちらを見てきた。

 ああ、そういえば、初めてまともに顔を見たような気がする。眼鏡の奥の目は、黒くて円らだ。思っていたよりも可愛い。

 じっと見つめられて、どぎまぎしながらも「牛乳嫌いなのか」と尋ねれば否定する。じゃあ何でと言うと、その子は少し困ったように目を伏せた後、残していた牛乳を飲んだ。

 別に困らせるつもりはなかったから、ちょっとだけ罪悪感が湧いた。


 それからも、ちょくちょく話しかけてみた。

 その子は、話すのが少し苦手なようだ。うん、とか、うんん、とかしか言わない。

 だけど、きちんと答えてくれる。苦手ながらも、ちゃんと考えて答えようとしてくれているのがわかった。

 だから調子に乗って矢継ぎ早に尋ねてしまったりしたけど、次第に彼女も慣れていったようだ。

 返事の一言が二言に増えて、少しずつ会話になっていくのが楽しかった。

 あたしねー、と何でも自分のことを話したがる女子達とは違って、彼女は自分の話をしない。聞かれたら答える、という具合だ。

 それも新鮮で、なんだかもっと知りたくなって、気づけば俺は夢中になっていた。

 たくさんの女子から告白されることよりも、他の男子よりも彼女と仲が良くなっていることが、密かな自慢だった。


 たぶん、俺は彼女のことを好きになっていたのだ。


 控えめだけど、本当に嬉しそうに笑う顔が可愛かった。

 ちょっと困ったように瞬かせる黒い目が綺麗だった。


 だから、初めて彼女が自分から俺に話しかけてきたとき――


 嬉しくて、だからこそ、戸惑ったのだ。




***




「…私も」


 家で飼っている犬の話をしたとき、彼女は俺を見て話しかけてきた。


「私も、犬がいるの」

「へえ、お前ん家も犬飼ってるんだ?」


 思わぬ共通点に、少しテンションが上がる。

 もしかして一緒に散歩とか行けるかも、と内心で期待しながら尋ねれば、彼女はふるふると首を横に振った。


「ううん。私の側にいるの」


 そう言って、彼女が後ろにある窓の方を見る。

 その視線の先を追えば、ただの木のベンチがあるだけだ。

 どういうことだろう、と思わず顔をしかめる。


「……何もいないけど」

「人にはあまり見えないんだけど、ちゃんといるんだよ」


 木のベンチを見つめる彼女の目が、優しく細められる。

 それは、足元を見てはにかむときの表情と同じだった。


 訳が、わからない。

 彼女の目に何が見えているのか、俺にはわからなかった。

 

 共通点を見つけて、嬉しかったのに。

 自分のことを話してくれて、嬉しかったのに。


 はぐらかされたような、からかわれたような。

 ちょっと、嫌な気分になった。


「えーと……お前、何言ってんの?」


 何と言えばいいのか、しばし迷う。

 もしかして、彼女には空想での友達でもいるのだろうか。ちょっと変わった子だと思っていたが、ちょっとどころじゃなかったのか。


「…あ!お前ってさ、実は不思議ちゃんってやつ?もう六年生になるんだからさ、そういうのやめといた方がいいぜ。変に思われるし」


 あまり重くならないように、軽く笑い飛ばすつもりだった。

 冗談だよ、って笑って返してくれることを期待していた。


 だが、その直後、彼女の顔から優しかった表情がすっと消えた。丸い頬が強ばり、唇が引き結ばれる。

 目を伏せて俯いた顔は見えなくなり、彼女は開いていた本を閉じた。

 そのまま席を立った彼女の顔をのぞき込むように見やれば――


 眼鏡の奥の目が赤くなり、潤んでいた。

 頬に濡れた跡があり、その上をまた一滴の涙が落ちていく。


「えっ?お、おい、何で泣いてんだよ」


 一気に狼狽える俺の前を、彼女は無言で通り過ぎる。

 慌てて立ち上がって彼女の後を追いかけ、図書室を出た。


 どうしよう。

 泣かせた。


 そんなつもりじゃ、なかったのに。


「ちょっと!どうしたんだよ、おい!」


 焦って大きな声を掛けても、答えてくれない。

 いつもなら、答えてくれるのに。


 無視されたのは初めてで、胸がずきりと痛む。

 それだけのことをしたのかと、今さらながらに後悔した。


「なあ、怒ったのか?不思議ちゃんって言って悪かったよ、謝るからさ!」


 だけど、彼女は振り向くことはなかった。か細い声が、耳に届く。


「……ついてこないで」

「っ…!」


 拒絶の言葉に、一瞬足が竦む。

 その間にも、彼女は階段をかけ降りて行く。


「っ…なあ!そんな怒ることじゃないだろ!」


 追いかけなきゃ、と何とか足を動かす。

 だけど、返ってきたのはさらに強い拒絶の、涙声だった。


「ついてこないでってば!」


 初めて聞いた彼女の大きな声。

 そんな言葉を、聞きたい訳じゃなかった。

 嫌ってほしくない。


 怖くなって立ち止まろうとする足と、それでも追いかけようとする足が、絡まった。

 

「うわっ」


 足を捻ってバランスを崩す。見えた先には、踊り場に続く階段がある。

 高い。十段くらいはある。


 やばい。落ちる。


 呆然としながら、俺の体は宙に投げ出された。

 


 ――どんっ、と激しい音が身体の下からした。だが、振動はあっても大きな衝撃はない。

 ばたん、という音と共に振動が止まった。

 気づくと、うつ伏せになった身体の下に、何か柔らかくて温かいものがある。ふかふかの毛布のような感触だった。

 くぅん、と小さな鳴き声が聞こえて、柔らかいものの感触が無くなった。

 頬が冷たい床に触れ、呆けていた意識が戻る。


「っ…てて…」


 床に手を突いて起き上がれば、低い視界に誰かの足が見えた。

 足を辿って見上げれば、そこには血の気の引いた顔を強ばらせた彼女が立っていた。




***




 平気だと言ったのに、保健室で治療をされて、さらには病院に行くことになった。

 そのやり取りの間、彼女はずっと俯いていて何も言わなかった。

 血の気の引いた頬は俺よりもずっと具合が悪そうで、「俺は大丈夫、平気だから」と声を掛けたかった。

 だけど、できなかった。


『ついてこないで!』


 頭の中に残る彼女の声が、俺から声を掛ける勇気を奪った。

 また拒絶されるのが怖くて、俺は彼女から逃げるように病院へ向かった。


 病院の診察は早く済んだ。

 頭を打ってはいなかったが、念のため二、三日は気をつけるようにと言われ、捻挫と軽い打ち身の治療だけされて返される。

 保健室の先生は、ほっと胸をなで下ろした。


「まだ油断はできないけど、軽い怪我で済んで本当によかったわ。君、何か武道でも習ってるの?落ちたときにちゃんと受け身が取れたのね」

「…先生」

「何?」

「あの階段って、毛布とか敷いてなかったですよね…?」

「え?ええ、もちろん。それがどうかしたの?」


 首を傾げる先生に、俺は「何でもありません」と話を切った。


 学校から連絡がいったのであろう、慌てて病院まで迎えに来た母親に心配して泣かれ、こっぴどく叱られた後、家に帰った。

 縁側に座り、ぼんやりと外を眺める。



 じゃあ、あれは何だったのだろう。

 

 階段から落ちたときに、身体の下にあった毛布のような柔らかくて温かいもの。

 まるで俺を守るように下敷きになって、助けてくれたようだ。

 

 考えていれば、足元に飼い犬のシロがすり寄ってきた。

 黒い毛並みの背中を撫でて、ふと、あれはもっと毛が長くてふかふかしていた、と思い出す。

 くぅん、と甘えるような鳴き声に、はっとする。はっはっと舌を出しながらシロはちょっと間抜けな顔で俺を見上げていた。


「…犬……」


 階段で聞こえた、小さな鳴き声。


『私も、犬がいるの』

『人にはあまり見えないんだけど、ちゃんといるんだよ』


 見えない、犬。


「……まさか」


 笑い飛ばそうとして、できなかった。

 

 彼女の言っていたことは本当なのだと直感で分かっても、信じることはできなかった。

 

 だって、そんなの、いるはずがない。

 

 自分の常識を越えるものを信じれるほど、彼女のことを信じることが、俺には結局できなかった――。





 翌日、学校で彼女と目が合ったが、気まずくてすぐに逸らしてしまった。

 すると、休み時間にわざわざ彼女は席までやってきて、先に謝ってきた。


 俺は、妙に腹が立った。


 何でだよ。

 俺の方が悪いのに。

 先に謝ろうと思っていたのに。

 ずるい。悔しい。


 理不尽に湧いた怒りと、昨日からのもやもやした気持ちがない交ぜになって、怒鳴り声となって出てきた。

 彼女は再び傷ついたように顔を強ばらせる。

 その顔を見たくなくて、目を逸らした。


 それから、彼女を避けるようになり、高校で別々になればそれきりになってしまって――


 俺の仄かな初恋は己のせいで呆気なく散って、苦い思い出となって心の底にひっそりと隠されていた。




**********




 大人になれば、また前みたいに話せるんじゃないかと、期待していた。

 気軽を装って声を掛けて。前みたいにちゃんと返事が返ってくることを望んだ。


 だけど彼女は、ただ強ばった笑みを見せただけだ。

 まっすぐに見つめることをせずに、目を逸らす。あのとき逃げた俺のように。


 避けられているのだと、すぐに気づいた。

 昔のことを忘れていないのだと。


 ショックを受けながらも、彼女が一人になる時を狙って、披露宴が終わった後にようやく捕まえることができた。

 笑顔を作って、何もなかったように話しかける。

 

「なあ、お前も二次会に行くんだろ?」

「え…ううん、明日仕事があるから、今夜の便で帰らないと」

「……そっか…」


 言葉が続かない。

 なにを話せばいいんだ。


 あのときはごめんと素直に謝ればいいのに、拒絶されるのが急に怖くなった。


 口をついて出たのは、別のことだった。


「……お前の側に、まだ『犬』っているのか…?」


 答えてくれ。

 肯定してくれたら、きっと俺は謝れる。

 あのとき起こったことを、ちゃんとお前に話して、謝るから。

 

 祈るような思いで見つめれば、眼鏡の奥の目がゆっくりと瞬いた。


「……いるよ、って言ったら?」

「え…」


 俺が次の言葉を発する前に、彼女は泣きそうな顔で苦い笑みを浮かべる。


「冗談だよ」

「っ…」


 ――皮肉にも、それは昔の俺が望んでいた返答だった。


「何もいないよ。……何も」

 

 足元を見る彼女は、淋しそうに言ってから顔を上げる。

 その目は俺を見ていない。


「……」


 彼女の腕を掴んでいた手の力が抜けた。

 みんなが呼んでるよ、元気でね、と別れの挨拶が虚しく耳に響く。



 馬鹿だ、俺は。

 何で、自分の決意を彼女に委ねて押しつけてしまったのだろう。

 結局、前みたいに傷つけただけだ。古傷を抉ってどうする。

 俺の言葉は、彼女に届かない。



 気づいたところで、もう遅かった。

 何も言えずに唇を引き結んだ後、ようやく出てきたのは卒の無い別れの言葉だ。


「……お前も、元気でな」


 背を向けて、バスに乗り込む。

 自分の意気地の無さが情けなくて、悔しかった。同級生達の影に隠れて窓の外を見やれば、一人佇む彼女が手を振っている。

 その顔が、ゆっくりと足元に向けられる。

 悲しそうに微笑む顔は俺の目に焼き付いて、消えることはなかった。



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