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01 白いしっぽとミルクティー


 ぱたり、ぱたり。

 今日も、私の足元で白いしっぽが揺れる。




「いらっしゃいませー」


 帰宅途中に立ち寄った喫茶店。一人用の席に座った私の元へ、若い女性店員が注文を取りにやってくる。その笑顔の中には、やや困惑した色があった。


「申し訳ありません、お客様。当店はペットの入店をお断りしておりまして……あら?」

「どうしました?」

「あっ、いえっ、す、すみません、勘違いでした。……申し訳ありません」


 店員は謝りながら、水を置いて注文を取ると気まずそうに離れていった。首を傾げながら去って行く彼女の様子に、私はぽつりと口を開く。


「あの人には見えたみたいだね。一瞬だけど」


 他人から見れば独り言だと思われる呟きだったが、声に呼応するように足元で空気が動いた。


 ぱたり。


 ローヒールのパンプスからのぞく素足部分を、柔らかな毛がさらりと撫でていった。






 私の側には、『犬らしきもの』がいる。


 『犬らしきもの』というのは、私が『彼』もしくは『彼女』の姿をちゃんと見たことが無いからだ。見えるのは、『しっぽ』の部分だけ。

 白い綺麗なふさふさの毛に覆われた、長く大きな尻尾。80センチ程もあるそれは、緩やかに曲線を描き、ゆらゆら、ぱたぱたと動く。

 まるでそこに大きな犬が歩いているかのように、宙からひょこりと生えた白いしっぽは、幼い頃から側にあった。私はよくしっぽを撫でて、もふもふの毛を楽しんでいる。


 さて、その『犬らしきもの』だが、正体は『犬神いぬがみ』だ。


 私の家は、『犬神筋いぬがみすじ』と呼ばれるものだった。

 『犬神』は人に憑く犬の霊で、『犬神筋』は犬神を代々に渡って受け継いでいく家系のことである。

 犬神筋の中で一番大きい、いわゆる主人格の家は『大神おおがみ本家』と呼ばれている。私の家は本家ではないが、数ある分家の中でも地位は高い方らしい。


 犬神筋の家では、女子が生まれることを望まれる。女子の誕生と共に、新たな犬神が増えるからだ。

 しかし例外もある。

 私のように、犬神の姿を見ることができない霊力の低い女子は、微妙な立場になってしまう。強い霊力を持つ姉妹がいればなおさらだ。三つ上の姉はすでに大神本家に嫁いでおり、三つ下の妹も他の名のある分家から縁談の話が度々持ち上がっている。

 犬神は持っていても見ることができない、『能力無し』。

 そのレッテルを貼られた私に見合い話が出るわけも無く、大学進学を機に家を出ることにした。

 県外の大学で司書の資格を取った私は、大学近くの公立図書館に採用され、24歳になった今、気ままな一人暮らしを続けている。







「――お待たせしました、ミルクティーです」


 店員が、机の上に紅茶のカップと小さなミルクピッチャー、角砂糖の乗った小皿を置いていく。

 伝票を置いた店員が去った後、私は紅茶に何も入れずに口をつけた。漂う香りと苦味の残る味。熱い紅茶をストレートで飲んでいれば、かたん、と音が鳴った。

 見れば、ミルクピッチャーの中身が少し減り、辺りに二、三滴飛び散っている。


「……もしかして、コーヒーフレッシュだった?」


 こふっ、しゅんっ。

 咳込み、くしゃみをするような音が足元から聞こえた。

 次いで、長い尾がばしばしと私の脚に当たってくる。八つ当たりだろうか。力が強くてけっこう痛い。


「ごめんね、雪尾ゆきお。今度は別の店にしようか」


 牛乳好きな私の犬神――『雪尾』に、私は苦笑して謝った。





*****





 その店を見つけたのは、雪尾だった。

 いつものように職場から家までの道のりを歩いていれば、急に雪尾が白いしっぽをぱしりと私の足に当てた。


「どうしたの?」


 立ち止まってから、ふと気づく。

 歩いていた道の横、建物の間に細い道があった。

 入り口には、小さな看板があり、『喫茶 シリウス』と書かれている。

 こんな店あったっけ、と首を傾げながら看板を見ていれば、足をしっぽが撫でた。私を置いて小道に進んでいく。


「ちょっと待って」


 珍しいこともあるものだ、と私は雪尾の後を追いかける。いつもは足元にまとわりついて離れないのに、よほど興味があるのだろうか。


 十メートルほど進んだ頃、目の前が開けた。

 狭い小道の先には、緑が広がっていた。自然庭園というのか、綺麗に整えられてはいないラフな感じのする植物が植えられた前庭の奥に、焦げ茶色のウッドデッキと黒い木の扉が見える。

 ウッドデッキを軽やかに白いしっぽが上がっていく。すると、私が雪尾に追いつく前に、店の扉が開いた。

 出てきたのは、白いシャツに黒いエプロンを着けた若い青年だった。

 茶色がかった柔らかそうな黒髪に、アーモンド形の綺麗な茶色の目をした、背の高いハンサムな青年だ。幼さを残した顔立ちからすると、私よりも年下だろう。大学生くらいだろうか。

 店員と思われる青年が現れたことで、私は躊躇って足を止める。その間に、雪尾の白いしっぽはくるりと青年の周りを一周した後、店の中へと入ってしまった。


「あ…」

「いらっしゃいませ」


 青年は私を見てから、にこりと親しげな笑みを浮かべる。


「どうぞ。開いてますよ」

「え、と…はい」


 青年の笑顔に断ることもできず、私は店の中へと足を踏み入れた。






 ミルクティーを頼み、カウンター席で私はきょろきょろと店の中を見回した。

 六人掛けのカウンター席に、二人掛けのテーブル席が四つの、十数名ほどしか入れないような小さな店だ。

 内装は木と漆喰で、黒く艶のある木が白壁に映える。適度に落とされた照明が落ち着きを与え、窓枠やテーブルの上に飾られた緑や花が心を癒す。店内に流れるのは、静かなアコースティックのギターの音色が心地良いボサノバだ。

 お客は、私以外に老夫婦が一組と、40代くらいの本を読む男性が一人。どちらもゆったりとくつろいで過ごしている。

 静かで素敵なお店だな、と見回す私の足元に、馴染みのある感触が戻ってきた。ミモレ丈のスカートから出た足元に、さらりと柔らかな毛並みがすり寄ってくる。


「もう、いきなり走り出してびっくりしたよ」


 小声で言っても、白いしっぽは懲りることなく、ふりふりと小刻みに左右に揺れる。喜んでいるとすぐにわかるほど、雪尾は上機嫌だ。

 

「そんなに気に入ったの?珍しいね」


 思わず笑みを零した矢先、カウンター越しに声が掛けられる。


「お待たせしました」


 カウンターの奥にいるのは、50代くらいの眼鏡をかけた男性だ。店主だろうか。穏やかな笑みは、先ほどの青年と似通っている。


 いや、それよりも、さっきの呟きを聞かれていなかっただろうか。

 少し焦ったものの、店主の男性は気に留めていないようで、にこやかに「ミルクティーです」とカウンターの上に陶器を並べていく。

 出されたのは、ティーポットとカップ、それに大きめのミルクピッチャーに角砂糖の入ったポットだった。優に二杯分はありそうな量のティーポットからは、濃い香りが漂ってくる。


「アッサムです。濃い目に入れていますから、薄めたいときはお湯を足して下さい」


 カウンターに置かれたお湯の入ったポットを指して説明してくれる店主に、私は礼を言って紅茶をカップに注ぐ。

 たしかに色が濃く、そのまま飲むと渋いかもしれない。

 ミルクを淹れようか、だけど雪尾の分が、と迷っていれば、ふと先ほどの青年が近づいてきた。


「ミルクのお代わりはあるから、大丈夫ですよ」


 そして、ことりともう一つ器を置く。

 ミルクの入ったカフェオレボウルに、私は目を瞠った。


「……」

「これは、おまけです」


 そう言って、悪戯っぽく青年は微笑んでみせた。

 彼の目が、私の顔から足元に向けられる。

 ね、と青年が笑うと、白いしっぽがぶんぶんと嬉しそうに揺れた。


 ……もしかして。


 しかし、問う前に他のお客が店の中に入ってきて、青年はそちらに行ってしまう。聞くタイミングを逃がしてしまい、拍子抜けしながらも私はどこかほっとする。


 今はまだ、聞かなくてもいい。

 聞いてしまったら、きっと、このふわふわどきどきとした期待感は終わってしまう。

 また今度でも、聞けばいい。


 そう思いながら、私は砂糖を入れた紅茶に遠慮なくミルクを注いだ。

 茶色の透明な紅茶に、白いしっぽのように牛乳が広がっていった。かき混ぜて、甘いミルクティーを飲む。柔らかな甘さの中に、紅茶の香りが広がった。

 お店で飲む久しぶりのミルクティーに、私はほっと息を付く。


「……私も、ここが気にいっちゃった」


 横目で見やれば、ミルクの入ったボウルはすでに空になっていた。

 くぅん、と満足げに息を吐く音が聞こえて、私はふふっと笑いを零した。



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