第四話 僕が女装した先に待っていたもの
これにて一巻の終わりです。
たくさんの小説の中から選んでいただきありがとうございます。
半年は、思っていたよりも早く過ぎた。
約束の日は、静かに訪れた。
事前にエスコートの連絡もなかったため、僕は家族とともに会場入りし、いつもどおりクラリス姉さんとして夜会に出席した。
やがて、レオンハルトが姿を現した。その腕には、マリアが親しげに寄り添っている。
二人は周囲の視線を気にする様子もなく大広間へ入ってくると、レオンハルトは突然、婚約破棄を宣言した。
会場は大きくざわめいた。
その騒ぎを制するように、王太子アレクシスが前へ進み出た。
静かな声で両家の言い争いを諫めると、広間は一斉に静まり返った。
レオンハルトは慌てて礼を取り、これは両家の問題で王家には関係ないと主張した。
だが、アレクシスはそれを退け、アルヴィン侯爵家と王家の縁を示したうえで、クラリスは自分にとって幼い頃から知る大切な親族だと告げた。
そして、レオンハルトの視線を遮るようにクラリスの前へ立ち、彼女が不当な扱いを受けているのなら、事情を聞く権利があると静かに言い渡した。
レオンハルトは返す言葉を失う。
アレクシスの判断により、僕たちは詳しい話をするため、別室へ移ることになった。
会場を後にし、応接室へ続く廊下へ足を踏み出した、その時だった。
「クラリス様……」
聞き慣れた声に振り返る。
アイリスが少し息を弾ませながら駆け寄ってきた。
アイリスは僕の目をまっすぐ見つめる。
会場で何が起きたのかは見ていたのだろう。
それでも、詮索するような言葉は口にしなかった。
「……今日で終わりなのですね」
まるで、僕が何を終わらせに行くのか、分かっているかのような言い方だった。
事情を知っているはずはない。それなのに、アイリスの目には、僕の言葉を待つような静かな確信が感じられた。
もしかして――
胸の奥に小さな疑問が浮かぶ。けれど、今ここで確かめることはできなかった。
僕は小さく微笑む。
「ええ――終わらせてきます」
アイリスも静かに頷いた。
「行ってらっしゃいませ」
その言葉に、僕はもう一度、軽く一礼した。
アイリスはそれ以上何も尋ねず、ただ僕を見送ってくれた。
僕は応接室へ向かって歩き出した。
◇
ほどなくして話し合いは終わり、レオンハルトとの婚約は王家立ち会いのもと、正式に解消された。
半年間にわたって積み重ねられた証拠と証言に、反論の余地はなかった。
話し合いを終えた僕は、別室で急いで女装を解いた。
付け髪を外し、口紅をぬぐう。ドレスから男物の制服へ着替えると、鏡にはようやく見慣れた本来の自分の姿が映っていた。
「終わったね」
隣でクラリス姉さんが小さく息を吐く。
「うん」
婚約解消が決まってからの半年間――
長かったような、短かったような時間だった。
姉さんと並び、再び夜会の会場へ向かう。
すでに騒ぎは収まり、貴族たちは思い思いに話をしていた。
「戻りましょうか」
姉さんと並び、再び夜会の会場へ向かう。
すでに騒ぎは収まり、貴族たちは思い思いに話をしている。
そんな中、一人の令嬢と目が合った。
アイリスだった――
一瞬だけ足が止まる。
さっきまでクラリスとして話していた相手だ。
先ほどの言葉が頭をよぎり、今さら何と声を掛ければいいのか分からない。
すると、アイリスは姉さんではなく、まっすぐ僕の方へ歩み寄ってきた。
「終わったの?」
その言葉に、僕は思わず目を瞬かせた。
やっぱり、アイリスは……?
確かめる間もなく、後ろからクラリス姉さんが僕の背中を軽く押した。
「こんな所で突っ立っていないで、少し話してきなさい」
「え、いや……」
「行きなさい」
有無を言わせない口調だった。
僕は観念して、アイリスと並んで歩き出した。
◇
二人で人気のないバルコニーへ出ると、夜風が火照った頬を心地よく冷ましてくれた。
しばらく沈黙が続いた。先に口を開いたのは僕だった。
「……変に思いませんでしたか?」
「何のことです?」
「僕……と、姉さんが入れ替わっていたことです」
危うく「僕が女装していて」と言いかけ、なんとか踏みとどまった。
「夜会でノア様のお姿を見た時は、さすがに驚きましたわ」
アイリスは素直に頷いた。
「それで、声をおかけしたのです」
「……え?」
思わず聞き返す。
「夜会で話した時には、もう気づいていたのですか?」
「クラリス様ではない、と分かっていたわけではありませんの」
アイリスは穏やかな笑みを浮かべ、僕を見つめた。
「ノア様、あなただと思ったのです」
言葉を失った。
「入学してしばらく経った頃、クラリス様から一度、お引き合わせいただいたでしょう?」
その時、アイリスは少しうつむき加減になり、上目遣いで僕に話しかけてきた。
……可愛すぎる。反則だ!
「あの時、クラリス様を見守るノア様の視線から、ご家族をとても大切にしていらっしゃる方なのだと感じました」
アイリスはそう言って、まっすぐ僕に視線を向けた。
「ですから、お二人が理由もなく入れ替わるようなことをしているとは思えませんでした。
それからヴァルディス公爵家令息との交流の様子をそれとなく拝見しているうちに、なんとなく事情が見えてきたのです」
「……それで、レオンハルトとの交流会で、話が長引くたびに割って入ってくれていたんですね」
「少し図々しいかしら、とは思いましたけれど……放っておけませんでしたから」
僕は、もう何も言えなかった。
半年間、姉さんの代わりを務めても、誰一人として僕を見抜けなかった。
婚約者であるレオンハルトも、公爵家の使用人も、学園で何度も顔を合わせた生徒たちも同じだった。
それなのに、アイリスだけは違った。
彼女は、最初から僕を一人の人間として見てくれていた。
夜空を見上げると、月明かりが庭園を淡く照らしていた。
「ありがとう」
自然と言葉がこぼれた。
「え?」
「おかげで今日まで、姉さんを守ることができました」
僕はアイリスに手を差し伸べた。
「それだけじゃありません。
あなたと話せたこの半年間、とても楽しかった」
アイリスは小さく笑い、僕の手を取ってくれた。
「それなら、私も同じです」
二人の間を、穏やかな風が吹き抜けていった。
エピローグ
帰りの馬車の中――
向かいに座るクラリス姉さんが、楽しそうに笑っていた。
「良かったじゃない」
「……何が」
「とぼけなくても分かってるわよ。
アイリス様と、ずいぶん楽しそうに話していたじゃない」
「何だよ。覗いてたの?」
「見えるところにいたもの。
それに、戻ってきたあなた、なんだか嬉しそうだったし」
「……気のせいだよ」
「あれだけニヤけてて、ごまかせるとでも思ってるの」
姉さんは口元を押さえて笑った。
「今度はちゃんと、ノアとして会いにいきなさいよ」
「……そうするよ」
「ふふ。アイリス様も、きっと待ちわびているわね」
「姉さん!」
思わず声を上げると、姉さんはますます楽しそうに笑った。
僕は窓の外へ視線を向ける。
王宮の灯りが、少しずつ遠ざかっていった。
半年間、姉さんの代わりに女装をしてレオンハルトと向き合い、理不尽な暴言を浴び続けた。
正直に言えば、二度とやりたいとは思わない。
それでも、無駄ではなかったと思える。
姉さんを守ることができた。そして、アイリスと出会えた。
馬車が静かに夜道を進んでいく。
その先には、もう誰かの身代わりではない、僕自身の未来が待っていた。
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