第一話 僕が女装することになった理由
たくさんの小説の中から選んでいただきありがとうございます。
こちらの作品は、拙作
✭チェンジ!〜婚約者の代役は双子の弟。半年たっても婚約者だけが気づきません〜
…の弟くん視点のお話になります。
前作を見なくても、わかるようには作っているつもりですが、よりお楽しみいただくために、お時間があれば前作も見ていただければ幸いです。
初夏の風が、王都の街路樹を心地よく揺らしていた。
空は高く澄み、庭園では色鮮やかな花々が陽光を浴びて咲き誇っている。
そんな穏やかな昼下がり。
侯爵家の庭園に設えられたオープンテラスでは、一人の少女が優雅に紅茶を口へ運んでいた。
長い金髪を美しく結い上げ、涼しげな青い瞳をまっすぐ前へ向ける。
姿勢も所作も申し分なく、遠目には誰も疑わない。
……もっとも。
その少女は、少女ではない。
僕の名前は、ノア・アルヴィン。
「僕」と自称するいわゆるボクっ娘ではないよ。
侯爵家の嫡男であり、生物学的にも戸籍上でも、過去も未来も男である。
その僕が、どうして女性の服を着せられ、化粧まで施され、男と向かい合って紅茶を飲んでいるのか。
理由はちゃんとある――
あるのだが、説明するには少し時間が必要だ。
「今日も相変わらず愛想がないな」
向かいに座る青年が、紅茶を飲みながらため息をついた。
「私ほどの男がわざわざ時間を割いて来ているというのに、その態度は感心しない」
僕は黙って紅茶を飲む。反論する気も起きない。
「公爵家に連なる婚約者としての自覚を持ちたまえ」
……また、苦行の時間が始まった。
酒を飲んでるわけでもないのに目の前でくだを巻いているこの男は、公爵家三男レオンハルト・ヴァルディス。
外面だけは完璧で、眉目秀麗、礼儀正しい好青年として世間では知られている。
そして、僕の姉の婚約者でもある。
今この場に、姉の代わりに僕が座っていることとは露ほども疑っていない。
いや、それ以前の問題かもしれない。
この男、僕の顔など見ていやしない。
「もう少し華やかな笑顔はできないのか」
「返事くらいしたらどうだ」
「貴族令嬢たるもの、その程度の愛想は身につけるべきだ」
似たような説教は、その後も途切れることなく続いた。
十分ほど聞いていて分かった。
これは会話ではない。
全く面白くもない、むしろ不快指数百パーセントの独演会だ。
格下の相手だったら、誰であろうと成立する。
それなら庭に立っている植木にでも話しかけていたら、お互い害はないのではないだろうか。
そんな益体もないことを考えながら、僕は静かに紅茶へ口をつけた。
……いや、本当にどうしてこうなったんだ。
――話は少し前にさかのぼる。
◇
僕には双子の姉がいる。
名前はクラリス・アルヴィン。
僕と同じ日に生まれ、同じ屋敷で育った姉だ。
もっとも、性格はまるで正反対と言ってもいいだろう。
母の話によると、赤ん坊の頃から幼児期に至るまでの僕は、姉が見えなくなるたびに姿を求めて泣いていたらしい。
乳母が抱いても泣き、母が抱いても泣く。父が抱こうものなら、この世の終わりかと思わせるほど泣き叫んだという。
ところが、姉を連れてきた瞬間、ぴたりと泣き止んでいたそうだ。
あまりに度が過ぎており、ぼちぼち姉をトイレにも連れていけないので、ある日、姿見の前へ僕を座らせてみたという。
すると僕は鏡の中の僕を姉と思い込んで、満面の笑みを浮かべ、ご機嫌で何やら話しかけていたらしい。
その話を聞くたびに、姉は決まって笑う。
「小さい頃からノアは、少〜しおバカさんだったのね」
「お願いだから、その話は忘れて」
「無理ね」
一瞬のためらいもない即答だった。
それ以来、我が家では事あるごとに鏡の話を蒸し返される。
できれば墓場まで持っていってほしい黒歴史である。
一方の姉はというと、幼い頃から活発だった。
木登りを覚えた日には、一番高い枝まで登ろうとする。池を見つければ靴を脱いで入り、カエルを見つけては大喜びだった。
庭師が止める間もなく花壇を飛び越えようとしては失敗し、踏んでしまった花へ「ごめんね」と頭を下げている。そんな子だった。
父や母は何度頭を抱えたことか。
もちろん、そのたびに僕も巻き込まれる。
「ノアも行くわよ」
「え、なんで僕まで?」
「だって、一人じゃ怒られるじゃない」
「二人だって怒られるんじゃないの?」
そう言って抵抗しても、結局は連れて行かれる。
姉は昔からそうだった。 思い立ったら一直線。そして僕は、その後ろをついていく役だった。
年齢を重ねても、その役回りだけは、驚くほど変わっていない。
もっとも、不思議と嫌ではない。
姉は自分がやりたい放題に見えて、最後にはちゃんと僕のことも気にかけてくれる。
転びそうになれば手を引き、勉強で困れば根気よく教えてくれる。
僕が落ち込んでいる時には、理由も聞かずに隣へ座り、気が済むまで付き合ってくれた。
だから僕も、姉が困っているなら助けたいと思う。
……まさか、その「助ける」が女装をして侯爵令嬢らしい微笑みを張り付けて、姉の代わりに男とお茶することになるとは夢にも思わなかった。
◇
僕たちが十三歳になった頃、姉に婚約者が決まった。
相手は、公爵家三男レオンハルト・ヴァルディス。
父同士が学生時代から親しい友人で、その縁からまとまった婚約だった。
正直、少し意外だった。
祖母は王族の出身で、姉自身も淑女として申し分ない。だから僕は、いずれ王太子殿下との縁談が進むものと勝手に思い込んでいたのである。
もちろん、公爵家との婚約も十分すぎるほど良縁である。
この時の僕は、深くは考えずそう思っていた。
……少なくとも、交流を重ねるごとに、姉の表情が無くなっていくまでは。
◇
初顔合わせを終えた姉は、特に何も言わなかった。
その後は月に一度、侯爵家と公爵家を交互に訪れ、将来夫婦となる二人が親睦を深めるための交流会が開かれるようになった。
二度目も同じだった。何も言わなかった。
けれど三度目の交流会を終えた夜、珍しく食卓でため息をついた。
「どうしたの、姉様?」
「……何でもないわ」
その答えに納得はできなかった。
別に双子だからというわけではない。長年一緒に暮らしていれば、それくらいは分かる。
姉は、何かを我慢している。それだけは確信できた。
交流を重ねるたびに表情は曇り、やがて父へ婚約の解消を願い出るようになった。
理由を尋ねられても、「性格が合わない」の一点張りで、それ以上は何も語ろうとしない。
父も強くは問い詰めなかった。
学生時代からの親友同士で結んだ婚約である。そう簡単に白紙へ戻したくはなかったのだろう。
僕は、ただ姉の笑顔が少しずつ減っていくのを見ていることしかできなかった。
そして、この頃の僕はまだ知らなかった。
その婚約者と向かい合い、姉以上に頭を抱える日が来ることを。
◇
翌年、僕たちは王立学園へ入学した。
姉は淑女科へ進み、将来の伯爵夫人として必要な教養や社交を学ぶことになる。
僕は侯爵家の嫡男として家督を継ぐため、経営科を選んだ。
一方、レオンハルトが進んだのは一般科だった。
卒業後は公爵家から伯爵位を与えられ、家を興すことが決まっている。そう考えれば経営科へ進むものとばかり思っていた僕は、少し意外に感じたのを覚えている。
「本人の希望らしい」と聞かされたけれど、正直なところ首を傾げるしかなかった。
学科が違えば、当然顔を合わせる機会も少ない。
けれど、噂だけは嫌でも耳へ入ってきた。
「レオンハルト様、今日も男爵令嬢と一緒でしたわ」
「今日はまた別の令嬢をご案内して差し上げていたそうよ」
「お優しい方ですもの。一部の女性には頼られるのでしょうね」
昼休み。
廊下でも食堂でも、似たような話が聞こえてくる。
名目は、貴族社会に慣れない下位貴族の令嬢へ助言をしているというものだった。
建前としては立派だ。
けれど、一人二人ならともかく、相手が毎回違えば、それを額面どおり受け取る者は少ない
姉も当然、その噂を耳にしていた。それでも相手を悪く言うことは一度もなかった。
一方のレオンハルトは、女性関係の噂こそ絶えなかったが、学業の方は決して悪くはなかった。良くもなかったけれど…
試験では中位の上を維持しているので、努力していないわけではないのだろう。
だが、卒業後に伯爵家を興すことが決まっている者として考えれば、物足りなさは否めなかった。
少なくとも、常に上位へ名を連ねる姉や僕と比べれば、その差は明らかだった。
もっとも、それだけなら誰も問題にはしない。
成績は人格を決めるものではない。
僕もそう思っていた。
けれど、その頃には姉の「婚約を解消したい」という言葉も、以前より切実なものへ変わっていた。
その理由を知ることになるのは、さらに数週間後――
祖母から突然呼び出された日のことだった。
◇
祖母から呼び出しを受けた時、僕はてっきり勉強の話だと思っていた。
実際、祖母は成績には厳しい。毎回首席とまでは望まないけど、せめて常時トップスリーにはいなさいといつも言われている。
ところが通されたのは化粧部屋だった。
部屋には祖母、母、そして姉の三人が揃っている。
どうにも嫌な予感しかしなかった。
姉と目が合った瞬間、僕は反射的に口を開いた。
「嫌です」
「……まだ何も言っていませんわよ」
呆れたように姉が言ってくる。
理由は分からない。 それでも本能が「断れ」と警鐘を鳴らしていた。
長年、姉の可愛らしい横暴に振り回されてきた。
双子の弟として培われた防衛本能が、「逃げろ」と全力で警告しているに違いない。
「大したことじゃないわ。私の代わりに交流会へ出て、お茶を飲んで帰ってくるだけの簡単なお仕事よ」
僕は姉が何を企んでいるのか直ぐに悟った。
祖母も母も、さすがに無理だと思っていたようだ。口々に否定的意見を述べる。
「絶対ばれるって」
ここぞとばかりに僕も追随するが、
「まずは一度試してみたいの。 も
しすぐに気付かれるなら、 その場
で終わりにしましょう」
姉は引くどころか、自信満々に頷いた。
「絶対に気付かれないわ」
なぜそんな確信があるのか――僕はまったく理解できなかった。
けれど、祖母と母まで姉の味方についた三対一では、僕に勝ち目などあるはずもない。
「…………はあっ、一回だけですよ」
僕が観念してそう答えると、三人は顔を見合わせ、揃って満足そうに微笑んだ。
今思えば、あの「一回だけ」が、半年以上続くことになる甘い判断だったのである。
◇
それからの一時間は、僕の人生で最もいたたまれない時間だった。
まず、ドレスを着せられる。
次に髪を整えられる。
さらに付け髪を固定され、細部までこだわった化粧を施された。
鏡の前に座らされて侍女たちに楽しそうにアレコレされている間、祖母と母と姉は妙に楽しそうだった。
「この色のリボンが合うわね」
「頬を少しだけ明るくしましょう」
「ほら、やっぱり似合う」
似合うと言われても困る。僕は男なのだ。
ようやく全ての作業が終わり、鏡の前へ立たされる。
そこに映っていたのは――
金の髪を肩まで揺らし、淡い空色のドレスを身にまとった侯爵令嬢だった。 すらりと伸びた立ち姿は上品そのもので、化粧によって柔らかく整えられた顔立ちは、普段の僕の面影をほとんど残していない。
青い瞳だけが、どこか困り果てたように鏡の向こうからこちらを見返していた。
正確には、姉にそっくりな誰か――いや、知らない人が僕の姿を借りて立っているようにしか見えなかった。
思わず鏡へ近づき、まじまじと見つめる。
「......僕……なんだよね?」
「ええ、ノアよ。ほら、言ったとおりでしょ」
姉が満足そうに頷いた。祖母も感心したように目を細める。
「年の割に小柄で華奢なのが幸いしましたね」
それは常々気にしている男としては複雑な評価だった――全くうれしくない。
母は楽しそうに手を叩きながら言った。
「これなら誰も気付きませんわね。まるで娘が二人になったようだわ」
僕は鏡の中の自分を見つめた。
確かに、一目見ただけなら姉だと思われても不思議ではない。
だが、婚約者なら分かるはずだ。
声も立ち方も違うし、何より僕は男である。婚約者なのだから、何度か顔を合わせれば見分けがつかないはずがない。
そう考えて少し安心する一方、露見した時に何と言い訳するかを考える。
しかし、その安心はものの見事に裏切られることになる
第二話〜第四話まで、一時間置きにアップしてまいります。




