第4章・第7話:砂塵のオアシスと、琥珀色の晩餐
アクア・ラビリンスの喧騒から遠く離れ、砂漠の町『アイアン・サント』にたどり着いた二人。強烈な日差しを避けるための色鮮やかな布幕が町中に張り巡らされ、夕暮れ時になると、ここでは時間がどこまでもゆっくりと流れていくようだった。
「ふぅ……ようやく落ち着いたわね」
シエルは借りた宿屋のバルコニーで、黄金色から深い藍色へと沈んでいく砂漠の地平線をぼんやりと眺めていた。水上都市での騒動や、水の守護像との激しい攻防。張り詰めていた心が、この町特有のゆるやかな空気のおかげで少しずつ解けていく。
「お嬢、お待ちかねの夕飯だ。市場の屋台で一番美味そうなやつを見繕ってきたぜ」
背後の木の扉が開き、バルドが両手に大きな盆を抱えて部屋に入ってきた。その瞬間、バルコニーの空気が一変する。香ばしく焦げた殻の匂いと、食欲を暴力的なまでに刺激する強烈なスパイスの香りが広がった。
盆の上に山盛りにされていたのは、大ぶりの『砂漠海老』の直火焼きだった。
過酷な砂漠の地中深く、地下水脈の岩影にのみ生息するというこの幻の海老は、分厚い殻の中に驚くほど濃厚な旨味を秘めている。粗塩と、この町特産の赤い香辛料、それにすりおろした香味野菜をたっぷりとまぶし、強い炭火で一気に焼き上げられたそれは、見事な琥珀色に輝いていた。
「うわぁ……! なにこれ、すっごくいい匂い……!」
シエルはアメジストの瞳を輝かせ、思わず身を乗り出した。
「熱いから気をつけな」
バルドは器用に真鍮の義手を動かし、海老の硬い頭の殻をパキリと小気味よい音を立てて外して見せた。そこから、黄金色の濃厚な海老味噌がとろりと顔を出す。
シエルも火傷しないように指先でそっと海老を掴み、殻を剥いてガブリと食らいついた。
――瞬間、弾けるような極上の食感が歯を押し返す。
「……っ! 美味しい!!」
分厚くプリプリとした身から、閉じ込められていた熱い肉汁がジュワッと溢れ出す。海老そのものの強烈な甘みに、ピリッと舌を刺すスパイスの辛味、そして炭火の香ばしさが絶妙に絡み合い、噛むほどに旨味の奔流が押し寄せてくる。シエルは指先についたスパイスと肉汁をペロリと舐めとると、ふかふかの平焼きパンをちぎり、残った海老味噌をたっぷりと拭い取って口へ運んだ。
「ハッ、いい食べっぷりだ。喉が渇いたらこれだ、お嬢」
バルドは笑いながら、甘い香りのする「砂漠の果実ジュース」の栓を、義手の親指でポンッと開けて差し出した。
「……んぐっ、ぷはぁ! スパナだけじゃなくて栓抜きにもなるなんて、本当に便利な相棒ね」
シエルがクスリと笑ったその時だった。
彼女の懐で、微かに眠っていたはずの『魔導鍵』が、突如として奇妙なリズムで発光し始めた。
……ピピ、ピピッ。
「……これ、通信?」
シエルがトランクを開けると、鍵の光が空中で重なり合い、小さなホログラム映像を映し出した。そこに浮かび上がったのは、時計台の書館2階――あの懐かしいセーフティエリアのソファーで、山積みの資料に囲まれて苦笑いをしている相棒・レインの姿だった。
「……レイン!?」
『――シエル? おっ、本当に繋がったのか。……って、やけに美味そうな匂いがここまで伝わってきそうだな。口の端、スパイスがついてるぞ』
少しノイズが混じる中、レインの懐かしい声が響く。シエルは慌てて口元を手の甲で拭い、居住まいを正した。
「レイン、学園にいるのね。私、もう鍵を二つも見つけたわよ! ――あ、そうそう、紹介するわ。こっちの無骨な巨漢が、今の私の新しい相棒、バルドよ」
「おう。あんたがお嬢の言ってた相棒さんか。初めましてだな」
バルドが照れ隠しに頭を掻きながら、ホログラムに向かって無骨に手を挙げた。
レインは一瞬目を丸くした後、フッと口元を綻ばせ、どこかホッとしたような優しい眼差しを向けた。
『……そうか。シエルが自分以外の人間を「相棒」と呼ぶなんてな。バルド、彼女は天才的なプロウォーカーだが、足元がお留守になってよく転ぶし、徹夜するとすぐ機嫌が悪くなる。これからも頼んだよ』
「ちょっと、レイン! 私はもう二十歳の立派なプロウォーカーなのよ! ドジっ子扱いしないで!」
シエルが頬を膨らませると、バルドが腹を抱えて笑った。
『ははっ、悪かった。……さて、元気そうな顔が見れて安心したところで、本題だ』
レインの表情が、スッと真剣なものに切り替わる。学園の図書室でいくつもの修羅場を共に潜り抜けてきた、あの「戦術家」の顔だった。
『イグノタフの動きが活発化している。奴の策略だ。カイルの反逆の一件をわざと自派閥の権限拡大に利用して、王都の特務部隊を完全に私物化した。今、奴は水面下で俺やカイルを追い、各国にある書館の鍵を横取りしようと部隊を放っている』
「イグノタフ家が……。やっぱり、ただじゃ転ばないわね」
『ああ。こっちから学園のネットワーク越しにダミーの座標データを大量に流し込んで、奴らの情報網を撹乱しているが、そちらの国にも来るだろう。……それと、カイルのことだ』
「カイル? 彼、どうなったの?」
『統括府とイグノタフ(実家)から退学と召喚を受けているが、あの性格だ。大人しく従うはずがない。奴は独自の権限を使って「独立遊撃隊」を編成し、学園を出た。これから先、お前たちの前に現れるかもしれない。敵になるか味方になるかは分からないが……奴なりの正義で動いている。頭の片隅に入れておいてくれ』
レインが淡々と、しかし的確に現状の盤面を整理して伝えていく。
その言葉を黙って聞いていたバルドが、ふいにニヤリと不敵な笑みを浮かべた。
「……へえ。ただの机にかじりついてる秀才かと思ったら、腹の据わった策士じゃねえか。王都の中枢を相手に、たった一人で情報戦を仕掛けてるってわけか」
バルドはジュースの瓶をホログラムのレインに向けて、コツンと乾杯の仕草をした。
「前衛のお嬢に、後衛のあんた。最高のチームだ。……おい秀才、あんたのこと、俺は気に入ったぜ。お嬢の背中と美味しい飯の世話は、このバルド様がっちり引き受けてやる。あんたは存分に、王都のタヌキ共を引っ掻き回してやりな」
レインは少し驚いたように目を見開いた後、心底嬉しそうに笑った。
『……最高の相棒だな。光栄だよ、バルド。お前がいれば、シエルの背中と胃袋は安泰だ。――頼んだぞ、二人とも。また連絡する』
通信が途切れ、ホログラムがふっと空気に溶けて消えた。
あとに残ったのは、ベランダを吹き抜ける砂漠の温かい風と、スパイスの残り香だけだった。
「いい男じゃねえか、レイン。アタマが切れるだけじゃなく、肚も決まってる。お嬢があれだけ信頼する理由がわかったぜ」
バルドが残っていた海老を一つ放り投げて口で受け止める。
「フン、当然よ。私の相棒なんだから」
シエルは少し照れくさそうにジュースで喉を潤してから、キリッとした表情を作った。
「さて、状況はわかったわね。イグノタフの追っ手やカイルが来る前に、次の鍵を見つけ出さないと。明日はまず情報収集よ。市場や酒場を回って、町民たちからこの辺りの遺跡や、おかしな伝承がないか聞き込みをするわ。二十歳のプロウォーカーの華麗な交渉術、見せてあげるから期待してなさい」
「おうおう、頼もしいこって。足元滑らせて屋台に突っ込まないようにだけ祈っとくぜ」
「だから、うるさいっ!」
王都を出てからの旅路。離れていても、かつての相棒は盤面を操り、道を切り拓いてくれている。そして今、隣には背中を預け、一緒に笑い合える新しい相棒がいる。
砂漠の夜は静かで、とても温かい。
明日は町を歩いて、新しい手がかりを探そう。きっと、ワクワクするような謎が待っているはずだ。
満腹感と、頼もしい仲間たちとの絆の温もりに包まれて、少女は久しぶりに、心からの深い眠りの中に落ちていくのだった。
砂漠海老って絶対美味しいよね




