第6章・第21話:熱砂の咆哮と、跳ね回る猟犬(ハウンド)
「――す・と・ー・っ・ぷ! バルドおじちゃん、そこでストップ!」
薄暗い石造りの回廊に、ティオの元気な声が響く。
俺は踏み出そうとした右足をピタリと止め、ギシッと真鍮の義手を鳴らした。
「なんだい、お姫様。また罠か?」
「だからお姫様じゃないってば!」
ティオはぷくっと頬を膨らませた後、ピーンと立てた獣耳をピクピクと動かし、床に顔を近づけてフンス、フンスと匂いを嗅ぐ。
「……うん。そこの石畳、ほんのちょっとだけ鉄の匂いがする。踏むと致死量の毒ガスが噴き出る感圧板だよ。アタシに任せて!」
ティオは軽快な動作で腰のポーチから細い工具を取り出し、床の隙間に滑り込ませた。カチャカチャと器用な手つきで中の魔導回路をいじると、すぐに「ふぅーっ」と額の汗を拭う。
「はい、解除完了! ちょちょいのチョイだよ!」
「お、おう。上出来だ。ほら、ご褒美の干し肉だ」
「わぁい! むぐむぐ……んふふーっ!」
受け取った干し肉を両手で持ってリスのように頬張りながら、嬉しそうにふさふさの尻尾をパタパタと振るティオ。
その小さな頭をガシガシと撫で回しながら、俺は油断なく周囲へ視線を配った。
東の『嘆きの谷』に位置する、熱砂の移動迷宮。
太陽光すら届かない地下は、壁から飛び出す硫酸の矢や流砂の落とし穴など、初見殺しのオンパレードだった。だが、獣人特有の鋭い感覚と天性の身軽さを持つティオの前では、どんな陰湿な罠も児戯に等しい。
(……やれやれ。あの真面目な騎士様を連れてこなくて大正解だったぜ)
もしあいつがいたら、自慢の白銀の甲冑ごと酸の池に沈められていただろう。泥臭い迷宮探索は、俺たち傭兵の仕事だ。
「あれ? 行き止まりになっちゃったよ。匂いもないし、魔力反応もない。ただの壁みたい」
「なら、そいつは俺の担当だな」
俺はニヤリと笑い、右腕の真鍮の義手に魔力を流し込んだ。
俺は銃器の類や、気の利いた剣なんてものは持っていない。俺の武器は、この義手に内蔵された一点突破の『パイルバンカー』のみだ。
キュイィィン! と内部の歯車が高速回転し、排気口から高熱の蒸気が吹き出す。
「下がってな。――オラァッ!!」
ドゴォォォォンッ!!
渾身の力で叩き込んだ鋼鉄の杭が、分厚い石壁を粉々に粉砕した。
「けほっ、けほっ……もう、おじちゃん乱暴すぎ! びっくりして尻尾の毛が逆立っちゃったよ!」
「ハッ、傭兵流のスマートな解錠術ってやつだ。……それより見ろ、ティオ」
舞い上がる土煙が晴れた先。
ドーム状に開けた巨大な空間の中央に、豪奢な台座がポツンと置かれ、その上で黄金に輝くアーティファクトが浮遊していた。
「あれが……二つ目の『金の鍵』!」
「おいティオ、罠はないか?」
ティオは鼻をヒクヒクさせながら台座の周りをぐるぐると回り、パァッと顔を輝かせた。
「安全だよ! 台座の周りには何にも仕掛けられてない!」
「よし。お嬢たちを待たせるわけにはいかねえ。さっさと回収して、ズラかるぞ」
俺は台座へ手を伸ばし、黄金の鍵を掴み取った。
――その瞬間だった。
ゴゴゴゴゴゴゴゴ……ッ!!
迷宮全体を揺るがすような、凄まじい地鳴りが響き渡った。
「な、なんだ!?」
「おじちゃん、上! 上を見て!!」
ティオの悲鳴に上を見上げた俺は、思わず息を呑んだ。
ドーム状だと思っていた高い天井が、まるで巨大な歯車のように回転しながら「開いて」いく。頭上には赤茶けた砂漠の空が覗き、そして周囲の壁面すらもが、生き物のように蠢き始めたのだ。
「罠はないんじゃなかったのか!?」
「だ、だって『台座の周り』にはなかったもん! 罠が仕掛けられていたのは……『迷宮そのもの』だよ!!」
『熱砂の移動迷宮』。
その名前の真意は、「通路が動く」ことではない。「迷宮自体が、超巨大な防衛ゴーレム」だったのだ。
隆起した岩盤が人型を形成し、全高数十メートルの巨岩のバケモノがゆっくりとその巨体を起こす。
「グルルォォォォ……ッ!!」
空気を震わせる咆哮と共に、巨人が隕石のような右腕を振り下ろしてきた。
俺は舌打ちをし、咄嗟にティオの細い腰を抱え寄せて大きく跳躍した。
ズドゴォォォォンッ!!
先ほどまで俺たちが立っていた場所が、クレーターのように粉砕される。
腕の中にいるティオは、見た目通りに羽のように軽かった。こんな小さな体で迷宮に挑んでいるのかと思うと、歴戦の傭兵としての庇護欲が自然と湧き上がる。
「ティオ、お前は瓦礫の陰に――」
「隠れてるなんて無理! アタシも猟兵だもん!」
俺が下ろすより早く、ティオは腕の中からバネのように弾け飛んだ。
四つん這いで着地したかと思えば、タタタッ! と崩れ落ちてくる瓦礫の雨を軽やかに蹴り渡り、まるで重力が存在しないかのような圧倒的な身軽さでゴーレムの懐へと飛び込んでいく。
「おい、無茶しやがって! 援護する、落ちるなよお姫様!」
飛び道具を持たない俺は、彼女にヘイト(敵視)が向かないよう真っ向から距離を詰めるしかない。
俺はゴーレムの巨大な足元へ肉薄し、装甲の薄い関節部分めがけて義手のパイルバンカーを連続で打ち込んだ。
ガキィィンッ! ガガガッ!!
「こっちだデカブツ! 足元がお留守だぜ!」
盛大な火花と打撃音で巨人の意識を引いている隙に、ティオはゴムボールのように跳ね回りながら、ゴーレムの巨大な右腕を駆け上がっていた。
風を切り裂きながら、彼女は金色の瞳を鋭く細める。
「見つけた! おじちゃん、このゴーレムの関節、『魔力の糸』で繋がってるだけだよ! アタシが装甲を引っ剥がすから、そこを撃ち抜いて!」
ティオは叫ぶや否や、腰のポーチから小型の起爆札を取り出し、ゴーレムの右肘の隙間にねじ込んだ。
そのまま「えいっ!」と後方へ大きく宙返りをして離脱する。
「今だよ!」
「オラァッ!!」
起爆札の小規模な爆発が岩の装甲を吹き飛ばし、内部で発光する青白い魔力回路が剥き出しになる。
俺は瓦礫を蹴って高く跳躍し、その一点にパイルバンカーの強烈な一撃を叩き込んだ。
ガォォォンッ!!
魔力回路をズタズタに引き裂かれた右腕が、轟音を立てて崩れ落ちる。
空中に投げ出されたティオが降ってくるのを、俺はダッシュしてしっかりと両腕で受け止めた。
「えへへ、おじちゃんナイスキャッチ!」
「おう、怪我はねえな! さすがのコンビネーションだぜ!」
俺はニヤリと笑い返し、ティオを安全な場所へ下ろした。
「うん! っ……でも油断しないで、まだ来るよ!」
右腕を失ったゴーレムは、残った左腕で地面を強打し、無数の鋭い岩の槍を隆起させてきた。
「アタシについてきて!」
ティオが地を蹴り、迫り来る岩の槍の隙間を縫うようにジグザグに駆け出す。
右に左に、ひらりひらりと舞うようなその動きは、まさに躍動する猟犬そのもの。
俺は彼女の小さな背中を追いかけ、障害となる岩をパイルバンカーで粉砕しながら、最短距離でゴーレムの足元へと肉薄した。
「ティオ、心臓部の位置は分かるか!?」
「胸の奥深く! でも分厚い岩で守られてる!」
「なら、俺がこじ開けてやる!」
俺は真鍮の義手にありったけの魔力を流し込んだ。
リミッターを解除した最大出力。高熱を帯びて赤く発光する義手を構え、瓦礫の斜面を駆け上がる。
「ティオ、目眩ましを頼む!」
「了解! そーれっ!」
ティオが投げた閃光玉がゴーレムの顔面で炸裂した。
巨人が一瞬たじろぎ、胸の装甲を無防備に晒す。
「――消し飛びな、旧時代の遺物!!」
ドゴォォォォォォォォンッ!!!
極限まで圧縮された蒸気と魔力の爆発が、鋼鉄の杭と共に分厚い岩の装甲を粉微塵に吹き飛ばす。
その奥に隠されていた、巨大な魔石が露わになった。
「いっけええええええ!!」
ティオが、俺の頑丈な肩を跳び箱のように蹴ってさらに高く空を舞った。
太陽を背負い、きらきらと光る汗を散らしながら――彼女は両手に構えた短剣を、剥き出しになった魔石の中心へと一直線に突き立てた。
ピキッ……パァァンッ!!
澄んだ音と共に魔石が砕け散る。
魔力供給を絶たれたゴーレムは、糸の切れた操り人形のように動きを止め、ガラガラと音を立ててただの巨大な瓦礫の山へと崩れ落ちていった。
もうもうと立ち込める砂埃の中。
俺は義手からプシューッと冷却用の蒸気を吐き出しながら、ドスリとその場に座り込んだ。
「……はぁっ、はぁっ。やりやがったな、お転婆娘」
「やったぁーっ!! 大勝利っ!」
ティオは瓦礫の山からピョンと飛び降りると、「ふにゃぁ〜」と満面の笑みを浮かべて俺の胸に勢いよくダイブしてきた。
「こらこら、痛えっての。勢い余って頭突きになってるぞ」
「えへへー、勝った勝った!」
苦笑する俺の胸元で、ティオは嬉しそうにグリグリと頬を擦り寄せてくる。
その全く男への警戒心がない無邪気なスキンシップに、俺はやれやれとため息をつきつつも、大きな手でその頭をポンポンと優しく叩いた。
まったく、この立体的な機動力とコンビネーションは、俺とこのじゃじゃ馬にしかできない芸当だ。
瓦礫の山の頂上には、夕日を浴びてキラキラと輝く「金の鍵」が転がっていた。
「さ、さて……! 鍵も無事に手に入れたことだし、お嬢たちのところへ帰るか。あっちの『ドタバタ潜入劇』も、無事に終わってりゃいいがな」
俺は立ち上がり、黄金の鍵を回収してティオと小さな拳を合わせた。
熱砂の死闘を制した俺たちは、相棒たちの待つ王都への帰路へ、意気揚々と足を踏み出したのだった。




