第11話 世界は、妹を選んだ
その日は、朝から嫌な静けさがあった。
テレビのニュースはいつも通り流れている。
天気予報も、占いも、何ひとつ変わらない。
それなのに、空気だけが薄く感じた。
――これは、知ってる。
理由のない確信が、喉の奥に引っかかる。
「お兄?」
妹が不思議そうに俺を見る。
箸を持つ手が止まっている。
「あ、ごめん。ぼーっとしてた」
嘘だ。
俺は、妹の未来を見張っている。
この朝が、何度目なのか。
今日が、何日目なのか。
もう正確には分からない。
ただ一つだけ分かっていることがある。
今日は、妹が死ぬ日じゃない。
――少なくとも、今までのループでは。
「今日は寄り道しないで帰ってきな」
できるだけ自然に言ったつもりだった。
「えー、なんで?」
「なんとなく」
理由を与えた瞬間、
世界が動き出す気がして、
それ以上は言えなかった。
妹は笑って、
「わかったよ」と軽く手を振る。
その背中が、やけに遠く見えた。
◆
昼過ぎ、胸の奥が急に冷えた。
理由はない。
スマホが鳴ったわけでもない。
ただ、確信だけが落ちてきた。
――違う。
今までと、何かが違う。
妹は、いつも“事故”で死んだ。
交差点。
階段。
駅のホーム。
原因は違っても、
共通していたのは、
偶然を装った必然だった。
でも今日は、
そのどれにも当てはまらない予感がした。
俺は大学病院に向かっていた。
気づいたら、足が勝手に動いていた。
理由を考える前に、体が選んでいた。
七回目のループで、
医師に会った場所。
世界の“説明役”だった男。
「……まだ、早いか」
そう呟いた瞬間、
スマホが震えた。
知らない番号。
出た瞬間、雑音混じりの声が響く。
『○○高校の方ですか?
妹さんが――』
そこで、音が途切れた。
世界が、音を消した。
◆
病院の廊下は、現実感がなかった。
走っているのに、
床が動いていないみたいだった。
ナースステーション。
救急入口。
ストレッチャー。
見覚えのある光景。
でも、順番が違う。
「意識はありますか!」
医師の声が聞こえる。
妹の名前が呼ばれる。
――生きている。
その事実に、まず安堵してしまった自分がいた。
でも、次の瞬間。
「……おかしい」
誰かが、そう呟いた。
妹の身体には、
目立った外傷がなかった。
転落も、衝突も、出血もない。
なのに、心拍が不安定だった。
「原因不明の急変です」
その言葉が、
ゆっくりと脳を削っていく。
事故ですらない。
世界は、
“理由”を放棄した。
◆
処置室の外で、俺は立ち尽くしていた。
何もできない。
何も変えられない。
今までだって、
俺は直接助けたことなんて一度もない。
ただ、いなかった。
間に合わなかった。
でも今回は違う。
俺は、ここにいる。
それなのに、
世界は妹を奪おうとしている。
「……ああ、そうか」
理解してしまった。
世界は学習した。
事故では、俺が介入しうる。
偶然では、確率が揺らぐ。
だから次は――
内側から壊す。
「お兄……」
微かな声が聞こえた。
処置室の奥。
妹が、俺を見ていた。
点滴に繋がれ、
顔色は悪いのに、
ちゃんと笑おうとしている。
「ごめんね……迷惑かけて」
その瞬間、
胸の奥で何かが切れた。
――違う。
迷惑なのは、
世界のほうだ。
◆
その時だった。
時間が、止まった。
音が消え、
光が滲み、
世界が“編集途中”みたいに歪んだ。
誰も動かない。
妹だけが、こちらを見ている。
いや――
見ていない。
視線は、俺の“後ろ”に向いていた。
「……来た」
背後から、
聞き覚えのある声がした。
「ここまで来るとは思いませんでしたよ」
振り返る。
七回目のループで会った医師。
白衣の男が、そこに立っていた。
「世界はね、あなたを消したい」
淡々と、事実を告げる声。
「でも同時に、確認もしている」
「……何を」
医師は、俺ではなく、
妹を見る。
「あなたが、どこまで踏み込めるかを」
その瞬間、
妹の心拍モニターが、激しく跳ねた。
――選択を迫られている。
守るか。
黙って失うか。
今まで、
俺は“いない”ことで世界をやり過ごしてきた。
でも今回は違う。
世界は、
俺がそこにいる状態で、
妹を殺しに来ている。
「……ふざけるな」
声が、勝手に出た。
次の瞬間、
世界が、軋んだ。
理由は分からない。
理屈もない。
ただ、
妹が死ぬ未来だけを、強く否定した。
心拍音が、安定する。
アラームが止まる。
医師が、初めて目を見開いた。
「……なるほど」
小さく、笑う。
「0.02%を、踏みましたね」
世界が、悲鳴を上げた。
そして俺は知る。
――妹を救うことは、
この世界そのものと敵対する行為なのだと。




