↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
12/26

第12話 踏み込んだ代償

妹は、助かった。


医師たちは原因不明と言い、

検査結果はすべて「異常なし」だった。


心拍は安定し、

意識もはっきりしている。


――生きている。


その事実だけが、

現実から切り取られたみたいに浮かんでいた。


「ほんと大げさだよね」


ベッドの上で、妹は笑った。


「ちょっと気分悪くなっただけなのに」


その言葉に、返事ができなかった。


気分が悪いだけで、

世界が止まるわけがない。


俺は、世界をねじ曲げた。


◆


病室を出た瞬間、

膝が笑った。


立っていられない。

力が抜ける。


さっきまで、

確かに“何か”が俺の中を通った。


熱でも、電流でもない。

もっと不快で、

もっと生々しい感覚。


自分の一部が、削り取られた感じ。


「……代償、か」


誰にともなく呟いた。


返事はない。

でも、確信だけが残っていた。


助けた。

踏み込んだ。

否定した。


だから――

帳尻を合わせに来る。


◆


その日の夜、

妙な違和感に気づいた。


スマホのロックを解除しようとして、

パスコードが思い出せない。


何度か試して、

ようやく開いた。


「……俺、こんな数字だっけ」


些細なこと。

疲れているだけ。


そう思おうとした。


でも次は、

妹の誕生日が、

一日ずれて思い出された。


次は、

高校の入学式の日付。


記憶が、

微妙に、噛み合わない。


「はは……」


乾いた笑いが出た。


あの医師の言葉が、

遅れて効いてくる。


――世界は、あなたを消したい。


直接じゃない。

今すぐじゃない。


存在の輪郭を、薄くする。


◆


翌朝、

妹は元気に学校へ行った。


昨日までと変わらない笑顔。

変わらない声。


なのに、違和感があった。


「……あれ?」


玄関で靴を履く妹を見て、

胸がざわつく。


何かが違う。

でも、それが何か分からない。


「どうしたの?」


「いや……なんでもない」


言葉にできなかった。


理由は単純だった。


妹の声が、少しだけ遠い。


聞こえているのに、

届いていないみたいな感覚。


まるで、

世界に薄い膜が張られたみたいに。


◆


昼過ぎ、

大学病院に呼び出された。


例の医師からだ。


断る理由はなかった。

むしろ、行かない選択肢がなかった。


古い診察室。


前と同じはずなのに、

椅子の位置が違う。


時計の秒針が、

逆回りしている。


「おめでとうございます」


医師は、淡々と言った。


「世界の修正を、初めて止めましたね」


「……代償は、これですか」


記憶の違和感。

感覚のズレ。


医師は、軽く頷いた。


「あなたは“そこにいすぎた”」


「本来、あなたは観測者だ」


「でも昨日、あなたは――

 原因になった」


胸が、ひどく重くなる。


「代償は、あなた自身です」


「正確には、

 世界にとって不要になった情報」


「……つまり」


「あなたが、あなたである理由が

 少しずつ削られていく」


逃げ道は、なかった。


◆


帰り道、

自分の名前をフルネームで言えなくなった。


途中までしか、思い出せない。


代わりに、

妹の笑顔だけが、

やけに鮮明に浮かぶ。


――ああ。


世界は、うまくできている。


妹を救えば、

俺が削れる。


俺を保てば、

妹が死ぬ。


どちらかしか、

存在を許されない。


「……それでも」


声に出すと、

喉がひりついた。


それでも、

選択は一つしかなかった。


俺が薄れても、

記憶が壊れても、

名前を失っても。


妹が生きているなら、

それでいい。


◆


その夜、

日記を書こうとして、

ペンが止まった。


何を書けばいいか、

分からなかった。


昨日の出来事を、

言葉にできない。


代わりに、

一行だけ書いた。


「俺は、まだ選んでいる」


インクが滲んだ。


それが、

俺が“俺”でいられる、

最後の証明になる気がした。


――踏み込んだ代償は、

もう始まっている。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。