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黒炎と白布の異界渡り  作者: みやこけい
第一章:砂に埋もれた手紙
3/109

最愛の人へ。今を大切に。

 街に出掛けたリシュリオル達は、とある本屋にいた。


 その本屋はアルフェルネの馴染みの店で、稀覯本から料理のレシピ本まで様々な本が売っている。店内はかなり狭いが天井の高さまである本棚が並び、すべての棚にぎっしりと大量の本が敷き詰められていた。


「こんにちは、アルフェルネ嬢。今日は何をお探しかな」髭を蓄えた老人が店の奥にあるカウンターテーブルからアルフェルネに話しかける。


「こんにちは、お爺さん。この前、頼んでいた本は手に入りましたか?」

「ああ、私にかかれば朝飯前さ。この通りだ」老人は近くにあった棚から、一冊の本を取り出し、アルフェルネに渡した。


「さっきから気になっていたんだが、そこの女の子はだれかな?」老人の瞳がリシュリオルを見据える。


「ラフーリオンさんを覚えていますか?」

「あの白いボサボサ頭か。よく覚えているよ。異界の本を買い漁っていた」


「彼女はラフーリオンさんの弟子なんです」

「違うぞ、アルフェルネ。私はあいつの弟子なんかじゃない」強めの口調で否定するリシュリオル。

「弟子です」笑顔で語気を強めるアルフェルネ。


「そうか。面倒だからこれ以上は聞かないでおく」老人は諦めるように目を閉じた。アリゼルはリシュリオルの影の中で笑っていた。


「さっきの本とは別にいくつか本が欲しいのですけど」

「どんな本が欲しいんだい?」老人は目を開き直す。


「上手に物を教えるための教本とこの街の歴史書はありませんか? 歴史書はできるだけ子供でも読みやすいものがいいのですが」


「両方共あるよ。探してくるから、少し待っててくれ」老人はアルフェルネが指定した本を探しに行った。


「どうしてそんな本を買うんだ?」リシュリオルが不思議そうな目でアルフェルネを見つめる。


「教本の方はラフーリオンさんに参考にしてもらおうと思って」

「もうひとつの本は?」


「あなたによ、リシュ。この街の景色をよく見ていたから。本を読むのは嫌いだった?」


「いや、好きだぞ。……ありがとう、アルフェルネ」リシュリオルははにかむ顔を隠すためにうつむきながら、感謝の言葉を言った。


「お待たせ。多分、要望通りの本だと思うが」老人は2冊の本をテーブルの上に置いた。


「ありがとうございます。それじゃあ行きましょう、リシュ」アルフェルネは会計を済ませて、リシュリオルの手を引っ張り、本屋を後にした。


「また来てくれよ」老人がテーブルから手を振っているのが見えた。


 本屋で購入した数冊の本を車のトランクに入れた後、アルフェルネがリシュリオルにどこか行きたいところがあるか尋ねる。


「もっと街の景色をよく見てみたい」

「じゃあ、とっておきの場所があるから、そこに行きましょう」


 アルフェルネはエンジンを掛けて、車を走らせた。車は広い道路を道なりに進んでいく。


 そして、赤信号の交差点の前で止まった。止まった車の中、リシュリオルは交差する二つの通りの内の一本を窓越しに見つめる。


「あそこの通りはなんだ? やけに人が多い」リシュリオルは人だかりのできている通りを指差す。


「あの通りは商店街。この区画では一番大きいところかな。あとで寄ってみる?」

「ああ、ちょっと見てみたいな」

「分かったわ」アルフェルネの了承の後、ちょうど信号が変わり、車が動き出した。


「アルフェルネの言う街のとっておきの場所っていうのはどんなところなんだ?」


「街の端の方にとても大きな建物があるの。普通は街の端にある建物は新しく建て始めたばかりでそこまで大きくないんだけど、その建物は急ピッチで建設が進められたから、周りには低い建物しかまだ無いの。そのおかげで街の中心部を遮る物無しに見れるのよ」


「なんだか凄そうだな」

「凄いわよ。あそこからの景色を見る度、私はこんな街に住んでいるんだって考えてしまうわ」




 とりとめのない会話を繰り返しながら、車は砂漠が隣接する街の端の方へと近付いていく。


 すると、巨大な塔のような建造物が現れる。その塔は周囲の建物と比較してもあまりに巨大で、異質な雰囲気を醸し出していた。


「もしかして、とっておきの場所ってあの塔のことか?」リシュリオルは思わず呟いた。


「そう、あの塔よ」

「楽しみだな、どんな景色が見れるんだろう」

「期待していてね」


 しばらくして、車は塔の真下に辿り着く。塔の周辺には観光客らしき人々が溢れていた。


「改めて、見るととてつもない大きさだな」リシュリオルは空に突き刺さりそうな程、高くそびえる塔を見上げる。


「ずっと見上げていると疲れるわよ、リシュ。さあ、上まで行きましょう」アルフェルネが手を差し出す。

「分かった」


 アルフェルネに手を引かれて、リシュリオルはエレベーターに乗り、塔の上部へと向かった。エレベーターに乗り始めて15分ほどの時間が経った。 


「まだ着かないのか?」窓も何もないエレベーターの中で暇そうにするリシュリオル。

「もう少しよ、我慢してね」ポーンとエレベーターのスピーカーから音が鳴り、扉が開く。

「ほら、着いた」エレベーターの扉の先にはガラス窓で覆われた巨大な空間が広がっていた。


「ここは展望室よ」リシュリオルはアルフェルネの言葉も聞かずに、エレベーターから抜け出し、窓の方へと走り出した。


「凄い! この街はあんなに大きな建物ばかりだったのか」窓からは遠方に密集する巨大な建築群が見えた。

 蜃気楼によって、街は巨大な生き物のように揺れ動いて見えた。


「凄いでしょ、ここが私のとっておきの場所なの」

「素晴らしい景色ですねー! 思わず出てきちゃいましたよ」アリゼルが急にリシュリオルの影から現れた。突然、現れたアリゼルに慌てるアルフェルネ。


「アリゼルさん、出てきたら不味いんじゃないですか?」

「大丈夫ですよー。今、この部屋には私達しか居ないようですし」そう言われて、辺りを見回した後、アルフェルネはホッとする。

「確かに今は大丈夫そうですね」


 二人と精霊は暫くの間、展望室から景色を眺めていた。


「この街は成長し続けているのですね。ここからなら分かりますが、地平線の向こうにも建築物が見えます」アリゼルが街の景色を見つめながら言う。


「はい。いつかはこの砂漠も全て街に飲み込まれるのかもしれませんね。それとも街のほうが砂漠に飲み込みれてしまうかも」アルフェルネが思い耽るように窓の向こうの景色を見つめる。


「街が飲み込まれる? どういうことだ?」リシュリオルが不思議そうに聞く。


「まだ街からはかなり離れた場所に巨大な砂の海が見つかったらしいの。その砂の海は日に日に大きくなっていて、街に近づいていると父さんが言っていたわ。砂の海の砂は建材にもならないし、しっかりとした地盤が無いから、建物は建てられないの。砂の海に飲み込まれてしまった建物も実際にあるわ」遠くを見ながら話すアルフェルネ。


「この街が消えるなんて、そんなこと考えられない」


「そうね。でも、どんな物もいつかは消えてしまう。過去を省みること、未来を見据えること。どちらも大事だけど、私達が生きているのは今。今という時間は止まらないから、その一瞬の今を大切にしないとね」


 アルフェルネは真剣な顔で話した後、リシュリオルの頭に手を置いた。


「今を大切に……」リシュリオルは街の景色を見つめ直した。

「この言葉は父さんの受け売りだけどね」アルフェルネの表情が笑顔に戻る。


「そろそろ行きましょうか」二人はエレベーターに戻り、展望室から降りた。




 塔を出た後、二人は車で商店街に向かった。商店街にはまだ沢山の人が溢れていた。


 リシュリオルは店を見る度に、アルフェルネにあれは何だ、これは何だと質問攻めをした。アルフェルネはリシュリオルの好奇心の高さには少しついていけなかった。


 店を見て回るリシュリオルが地図を売っている店の前を通りがかった時、彼女は不思議な感覚を感じ取った。


「前にもあったぞ、この感覚」

「鍵じゃないですか? 異界の扉の鍵です」アリゼルがリシュリオルの影から頭だけをぬっと出していた。


「き、気持ち悪い! お前、あんまり出てこない方がいいんだろ?」リシュリオルが驚きながら、アリゼルの行動を止めようとする。


「鍵の気配を感じたなら、店を覗いてみたほうがいいのでは?」リシュリオルの言葉を無視して、鍵の事を気に掛けるアリゼル。


「そ、そうだな。アルフェルネに伝えてくる」リシュリオルは駆け足でアルフェルネの元に戻る。


「アルフェルネ、あの地図を売っている店に異界の鍵の気配があるんだ。だから、店を少し覗いてみたい」

「地図屋に鍵の気配ですか? 分かりました。行ってみましょう」二人は人混みを掻き分け、地図屋に向かった。


 地図屋の中は背の高い壁で覆われており、壁全体に大小様々な地図が貼り付けてあった。

 

 店の真ん中にはカウンターテーブルがあり、店員らしき女性がそのテーブルの上に座りながら、手に持った地図を眺めていた。


 店内に入ってきたリシュリオル達に気付いたのか、地図を眺めるのをやめて、店の入口にいる二人の方へと視線を向けた。


「いらっしゃーい」店員は雑な挨拶をしたあと、また地図を眺め始めた。店に入ったリシュリオルは早速、自分の感覚を頼りに鍵になるものを探し始めた。

 

 アルフェルネはその間、テーブルに座っている女性と話していた。


(鍵は『人』だけじゃない。『物』の時もある)リシュリオルは店内を歩き回り、鍵の気配が強い場所を見つける。


 鍵の気配は、カウンターの上に置いてある箱から感じ取る事ができた。


「そこに置いてある箱は、何が入ってるんだ?」リシュリオルはテーブルの上に座っている店員に話しかけた。


「地図だよ。地図屋だからね。この区画の大改修前の地図。昨日の工事で見つかったんだってさ。」


「リシュ、もしかしてこの箱から鍵の気配を感じるの?」隣にいたアルフェルネが聞いてくる。


「ああ、多分この箱の中に入っている地図が鍵だと思う」

「その地図なら安く売ってあげるよ」店員がテーブルから降りて、箱を開け始めた。


「この地図、記載された範囲も狭いし、あまり精度の高い地図とは言えない。大改修前の地図だと、コレクターの間でも大した価値は無いから、どうせ高値じゃ売れないし」


「それで、いくらでなら売ってくれますか?」アルフェルネが尋ねる。

「昨日の改修工事で更新されたここの区画の地図を買ってくれたら、おまけでこの地図も付けてあげるよ」


「分かりました。新しい地図はまだ買っていなかったのでちょうど良かったです」アルフェルネは新しい地図を購入し、箱に入った地図と一緒に受け取った。


「毎度ー」店員のゆるい声を聞きながら、二人は地図屋を後にした。


 地図屋を出た二人は商店街のまだ見ていなかった店を一通り見て回り、小さなレストランで昼食をとったあと、ホテルに戻ることにした。


「今日は楽しかった。ありがとうアルフェルネ」リシュリオルは嬉しそうに言った。

「どういたしまして。早く帰って夕食の準備をしないとね」アルフェルネはそう言って、車をホテルまで走らせた。




 ホテルに戻る頃、道路の向こうの地平線に太陽が沈みかけていた。車を駐めている時、食堂の窓から光が差し込んでいるのが見えた。


「ただいま」ホテルに戻った二人は最初に明かりの点いていた食堂に入った。


「うっ、お酒臭い」

 アルフェルネは食堂に漂う強いアルコールの匂いに思わず鼻に手を当てる。食堂の中を見回してみると、窓際の席でラフーリオンとベルフリスが顔を真っ赤にしてテーブルに伏せていた。

 テーブルの上には大量の酒瓶が無造作に置かれている。


「父さん達、もしかして朝から飲んでいたの?」アルフェルネが飲んだくれた二人に呆れてため息をついた。


「ああ、おかえり。ちょっと飲みすぎたかな?」ベルフリスが傾いた眼鏡を掛け直しながら、身体をゆっくりと起こした。


「おかえりなさい。何もなかったですか? 心配したんですよー」ラフーリオンはテーブルに伏せたまま、首だけを動かしてアルフェルネの方を見た。


「おい、ラフーリオン! 鍵を見つけたんだ。異界の扉の鍵だ!」リシュリオルがラフーリオンに大きな声で鍵の発見という成果を報告する。


「鍵? 鍵、うーん……何! 鍵を見つけたのか!」鍵の発見の報告を聞いて、ラフーリオンの酔いが一気に醒める。


「鍵は何だった? 見せてくれ」

「この地図だ。商店街で見つけた」地図を広げて見せるリシュリオル。


「確かに鍵の気配を感じる。だが、次の異界の扉が開いた気配が無いということは、まだやらなきゃいけないことがあるはずだ」


「何をすればいい?」

「地図をよく見せてくれ」ラフーリオンはテーブルの上に置かれた酒の瓶を片付けた。


「分かった」リシュリオルはテーブルの上に地図を広げて置いた。


「地図屋さんは大改修前のこの区画の地図だと言っていました」アリゼルがリシュリオルの影から現れる。

「大改修?」ラフーリオンは首を傾げる。


「大改修というのは、過去にこの区画の建物が老朽化で倒壊する事故があって、その再発防止の為に区画内の建物を調査して、老朽化の進んでいた建物を補強したんだ。それが大改修さ」ベルフリスが赤い顔で説明する。


「僕にも地図を見せてくれ」ベルフリスはふらふらと立ち上がり、地図を見下ろした。


「この地図、僕達が大改修前に暮らしていたアパートの辺りの地図だ」

「ホテルを経営する前に、母さんと暮らしていた時のアパートね。薄っすらと覚えてる」アルフェルネが地図を見ながら話す。

「ああ、そうだよ。アルフェルネはまだ小さいときだったがよく覚えていたな」


「確か、奥さんは……」

「ああ、重い病気でね。倒壊事故やら大改修やらであの時期は慌ただしかった」視線を地図から反らすベルフリス。


「すみません、あまり口にする事ではありませんでした」

「いいんだ、気にしないでくれ」ベルフリスは再び地図に視線を戻す。


「見てくれ、ここに印が打ってある」ベルフリスの指差した場所に黒い線でバツ印がついていた。


「確かに、なんの印だろうか」ラフーリオンが顎に手を当て、考える素振りをする。


「印の意味は分からない。だけど、印の打ってあるこの建物の事は知っている。ショッピングモールだ」

「ショッピングモール? 行ったことがある所ですか?」


「ああ、アパートに住んでいた頃はよく行っていたよ。なかなか変わった構造の建物なんだ」ベルフリスは笑いながら昔の事を懐かしんだ。


「そういえば鍵の事だけど、この印の場所に行けば何か分かるんじゃないかな? 大改修後の地図と比較して、この印のある場所が今どこにあるか探してみよう」


「ありがとうございます。ベルフリスさん。今日はもう遅いから、また明日に現地に行ってみます」


「それじゃあ、今後の予定も決まったようですし、夕食にしましょうか。直ぐに作ってきます」アルフェルネは厨房へと向かった。


 その日の夕食は肉と野菜をふんだんに使ったシチューだった。夕食後に昨日と同じように異界勉強会を開こうとしたが、今度はラフーリオンが酒のせいで眠ってしまい、中止となった。


 ベルフリスは鍵となる地図を調査するために、様々な年代の地図と比較して、印が打たれた場所の特定に勤しんだ。




 次の日、ラフーリオンは早めに眠ってしまった為、早朝、日の出と共に目を覚ました。ベッドに入っていても眠れそうにないので、カフェテラスに出て煙草を吸うことにした。静かな朝に一人、ラフーリオンは昨日の出来事を思い出していた。


(あの地図から鍵の気配を感じたという事はきっと次の異界にもリシュと一緒に行くことになるはずだ。一度、誰かと同じ扉を通ると、次も同じ扉を通ることになりやすいと聞いたことがあるが、どこまで一緒にいることになるだろうか? 俺の目的の場所に着く前に、彼女と別れていることを願おう)


 一本目の煙草を吸い終わったラフーリオンが次の煙草に火を着けようとした時、カフェテラスの扉が開く。


「おはようございます。今朝はお早いですね」アルフェルネがカフェテラスの扉から出てきた。

「おはようございます。アルフェルネさんこそ、まだ日が昇り始めたばかりですよ」ラフーリオンは煙草を懐にしまった。


「今日からお客さんが来ますからね、その準備がありますから」

「そうでしたか。なら、ベルフリスさんはもう起きていますか?」

「そろそろ起きてくる頃だと思いますよ。昨日の地図の印のことですか?」

「ええ、何か分かったことがあるか聞いておきたくて」ラフーリオンの言葉の後、扉が開く音がした。


「おはよう。みんな早いね」ベルフリスが眠たそうにカフェテラスへ出てきた。

「おはよう、父さん。ちょうど良かった、ラフーリオンさんが地図の印のことで聞きたいことがあるって」

「ああ、そのことか。少し待っててくれ」ベルフリスはホテルの中へ戻っていった。


「私は朝食の準備をしておきますね」アルフェルネもホテルの中へと戻った。


 数分後、ベルフリスが数枚の地図と書類を持ってカフェテラスに再び現れた。

「待たせたね」

「何か分かりましたか?」


「この印の場所はかなりの曲者だったよ。印の打ってある場所は昨日言った通り、変わった構造の建物の一部で『可動部屋』と呼ばれている部屋だ。この建物の内部には同じサイズの可動部屋が沢山並んでいて、可動部屋同士を連結させたり、切り離したりすることで、賃貸面積を調整できる特殊な物件なんだ」


「じゃあ印の場所はその可動部屋の一つということですね」

「そういうことだね。だけど今、この建物には印の部屋は無いだろうね」

「どういうことですか?」


「大改修の際に、倒壊事故で破損したり、老朽化が進んでいた可動部屋は廃棄されたみたいなんだ。他の年代の地図と照らし合わせてみたら、印の部屋は大改修で廃棄された可能性が高い。各部屋は固有のナンバーで識別されていて、地図にもそのナンバーが記載されているが、印の部屋のナンバーは大改修後の地図を見てもどこにも記載されていない」


「そんな部屋、どう探せばいいんですか?」

「この建物の管理会社に問い合わせてみたが、廃棄された部屋はある企業の倉庫の一部として利用されているようなんだ。だから、そこの住所を聞いておいたよ」ベルフリスが倉庫の住所が書かれた紙を差し出し、話を続ける。


「ただ、倉庫にはこの建物で廃棄された可動部屋が無差別に大量に集められているみたいで、部屋のナンバーなんかは管理していないと言っていた。特定の部屋を探すのはかなり骨が折れそうだよ」


「そうですか……。虱潰しに探すしかないか」

「あと、もう一つ分かったことがある。地図の裏側に、メッセージが書いてあったんだ」

「メッセージ? 昨日は気付かなかったな」


「『最愛の人へ、思い出の場所に言葉を残しました。あの部屋のあの場所に。貴方にならすぐに見つけられる筈です』」ベルフリスが地図の裏側に書かれたメッセージを読み上げた後、ラフーリオンに地図を渡した。


「『言葉を残しました』ですか。手紙か何かかな? それがどう鍵に繋がるんだろう」地図の裏側のメッセージを見つめ、頭を悩ませるラフーリオン。


「分からない。それは実際に印の部屋に行って確かめるしかないだろうね。本当は僕も手伝いたいんだけど、今日はお客さんがいるからね」


「いえ、そこまではお願いできません。あとはこちらでやってみます。リシュが起きたら、一緒に倉庫に行ってみます」


「分かった、地図と情報をまとめた書類は渡しておく。倉庫の管理人にも後で連絡するから。それじゃあ、健闘を祈ってる」




 その後、ラフーリオンはなかなかベッドから出ようとしないリシュリオルを無理やり叩き起こし、朝食をとった。朝食の間、寝ぼけ眼のリシュリオルに印の場所について説明する。食後は地図や書類の整理などを行い、印の部屋の探索をする為の身支度を整えた。


「じゃあ、いってきます」

「頑張ってくださいね。これ、お昼に食べて下さい。サンドイッチです」


「ありがとうございます」アルフェルネから昼食を受け取った後、ラフーリオンとリシュリオルはホテルを出発した。


 街中を走り回る周遊バスを使い、ベルフリスが教えてくれた住所を頼りに倉庫へと向かった。二人は度々道に迷ったが、なんとか倉庫のある建物に辿り着く。


 建物の外壁には案内板が掲げられており、『御用の方は一階の受付まで』と書いてあった。ラフーリオンは案内板の通りに受付に行き、倉庫の管理人にベルフリスの事を伝えた後、倉庫に入るための手続きを行った。


「この中から、一つの部屋を探すのか?」倉庫の管理人は目を丸くして、手続きをしているラフーリオンに聞く。

「ええ、そうですけど」管理人の様子に少し不安になるラフーリオン。


「まあいいか。倉庫の方に案内するから、付いてきてくれ」

「分かりました」ラフーリオン達は管理人の案内に従って、受付のある部屋から倉庫のある部屋へと向かった。


「ここが倉庫だ。このフロアと同じ大きさの部屋があと三十階ある」


 管理人が倉庫の構造を大雑把に説明した。ラフーリオンは倉庫のある部屋を見渡して、気分が悪くなった。見つけるべき印の部屋と同じタイプの可動部屋がざっと見ても百棟以上は並んでいたからだ。この倉庫はラフーリオンの想像以上に巨大な施設だった。


「連絡用に通信機を渡しておくから、目当ての部屋があったら連絡をくれ。こっちで扉の鍵を解除する。それじゃあ、頑張れよ」管理人は説明を終えた後、直ぐに受付に戻っていった。


「このフロアが三十階もあるのか。全ての可動部屋を見て回るのにどのくらいかかるんだ?」リシュリオルは周囲を見渡しながら言う。


「印の部屋がもし異界の扉に関わっているなら、近付けば目当ての部屋かどうか分かるはずだ」


「印の部屋が異界の扉の鍵じゃなかったらどうするんだ?」

「……そんなこと考えるな。さあ、手分けして部屋探しだ。俺は向こうから、お前はここから探索を始めてくれ」


「もし、何も見つからなかったらお前のボサボサ頭を灰にしてやる」

「……ああ、覚悟しておく」二人は分担して印の部屋を探した。


 探索を開始してから三時間が経過したが、三十階ある倉庫の内、三階までしか探索は完了していなかった。


「聞こえるか、リシュ。そろそろ四階に入るから一旦合流して休憩しよう」通信機に話しかけるラフーリオン。


「分かった。……はあ、私はどうしてこんなことやってるんだ?」リシュリオルがため息をつきながら、愚痴をこぼした。

「案外、異界の扉の鍵探しはこんなもんだ。前にも言ったが、異界渡りの旅は楽しいことだけじゃない」


 二人は四階に向かう階段の手前で合流し、アルフェルネが用意してくれた昼食のサンドイッチを食べた。昼食後、再び二人は印の部屋の探索を続けた。探索開始から更に六時間が経過し、二人は九階にいた。


「変な感じのする部屋を見つけた」ラフーリオンの持つ通信機からノイズ混じりのリシュリオルの声が聞こえた。

「分かった、すぐそっちに向かう」ラフーリオンはリシュリオルのいる場所を聞いて、急いでその場所へと向かう。


「この部屋だ」リシュリオルが部屋の入り口で待機していた。

「確かに、鍵の気配を感じる。識別ナンバーを確認してみよう。ドアに書いてあるはず」ラフーリオンは懐から紙を取り出し、ドアに書かれているナンバーと印の部屋のナンバーの照合をする。

「『No.8253771』、ビンゴだ。管理人に連絡しよう」ラフーリオンは通信機で、管理人に連絡を送った。


「よく一日で見つけられたな。今、部屋のロックを解除する。中の物にはできるだけ触らないでくれよ」数秒後にドアからガチャッとロックが解除される音がした。ラフーリオンはゆっくりと扉を開く。部屋の中には大量の箱が置いてあった。


「当たり前だが、完全に倉庫として利用されているんだな」箱だらけの部屋を見てラフーリオンが呟く。


「地図の裏側のメッセージには、この部屋の何処かに言葉を残してあるって書いてあったんだろ?」リシュリオルが部屋を見渡しながら聞く。

「ああ、鍵の気配を探ればその場所も直ぐに分かるはずだ」ラフーリオンは部屋を歩き回り、メッセージの場所を探した。


「壁だ。向こうの壁から強い気配を感じる」ラフーリオンはそう言うと、壁に沿って歩き始めた。そして、直接壁に触れながら五感を集中させて、入念に観察する。


「何かある! 床の下だ。床に僅かだが段差がある」


「流石ですね、ラフーリオンさん。こんなに簡単に見つけるとは。鍵の見つけ方が上手い」アリゼルがラフーリオンの観察力に感心する。

「そいつは、どうも。さっさとこの床を外して、何があるか見てみよう」


 ラフーリオンは薄い布を床の片方の隙間から床下へと滑り込ませた。床下に滑り込んだ布を異界渡りの力で操り、もう片方の隙間から布を引っ張り出した後、布の両端を輪のように結ぶ。そして、床を外すように手前に引っ張り、段差の部分を抜き取った。床下には小さな空洞があった。


「箱が置いてある。小さい箱だ」ラフーリオンが床下から箱を取り出し、リシュリオルに見せるように片手で持ち上げる。

「何か書いてあるぞ」リシュリオルが箱の表面に文字が書いてあることに気付く。


「本当か? 何が書いてある……」ラフーリオンが箱に書いてある文字を見ながら、黙り込んで、固まってしまった。


「なんなんだ? なんて書いてある?」

「この箱は、俺達より先に開けないといけない人がいる」ラフーリオンは箱の文字が書いてある面をリシュリオルの目の前に突き出す。


「これは……。そうか、ならさっさと帰るぞ」リシュリオルは部屋の出口へ歩き出す。

「そうだな、疲れたしな。帰るか」リシュリオルに続き、ラフーリオンも出口へと向かった。


 二人は受付のある階へと戻り、管理人に挨拶をして、倉庫を後にした。




 倉庫の近くのバス停でバスが来るのを待っている時、ラフーリオンがリシュリオルに急に質問をしてきた。


「昨日、お前がアルフェルネさんと地図を買った場所はどこだ?」

「商店街の地図屋」

「そうか、確認したいことがあるから、寄っていこう」二人は商店街の地図屋に赴いた後、ホテルに戻った。


「おかえりなさい。成果はありましたか?」玄関でアルフェルネが二人の帰りを迎えてくれた。


「はい。ただ、それを説明する前にベルフリスさんに渡しておきたい物があります」

「分かりました。今は書斎の方にいると思います。呼んできましょうか?」

「いえ、こちらから直接行くので大丈夫です。リシュは食堂の方で待っていてくれ」

「分かった。アルフェルネ、夕食はできてるか? お腹が空いた」

「できていますよ」


「なら、リシュと一緒に先に夕食を食べていて下さい」ラフーリオンはそう言って、書斎へと向かった。


 ラフーリオンが書斎の扉を開くと、ベルフリスが椅子に座って地図を眺めていた。


「やあ、おかえり。鍵は見つかったかい?」

「はい、見つかりました。……ですが、これはベルフリスさんに先に見てもらいたくて」ラフーリオンが肩にかけていた鞄から印の部屋で見つけた箱を取り出し、ベルフリスに手渡した。


「なんだい、これは?」箱をまじまじと見つめるベルフリス。

「文字が書いてある筈です。読んでみてください」


「確かに書いてある。……『私の最愛の人、ベルフリスへ』」ベルフリスはその文字を口にした後、言葉を失った。


「倉庫からホテルに戻る前に、印の地図が置いてあった地図屋に行ってきました。地図の出所を詳しく聞くために。昨日の工事はベルフリスさん達が住んでいたアパートの周辺も工事の範囲に入っていた。工事の際に偶然あの箱を見つけて、工員の誰かが地図屋に持ち込んだようです」


「そうだったのか。アパートを引き払ったのは大改修の最中だったから、運び出せなかった物がいくつかあった。その中にあの地図があったんだろう……」


 ベルフリスは再び口を閉じる。ラフーリオンは何も言わずに、書斎のドアへ向かう。扉を開けた後、ベルフリスの方へと振り向き、「失礼します」と一言だけ告げて扉を閉めた。


 ラフーリオンが書斎から出ていった後、ベルフリスは箱を机の上に置き、じっと眺め始める。定期的に箱を眺めるのをやめて、本棚を整理したり、窓越しに外の景色を見たり、眼の前の箱から気をそらそうとした。だが、当たり前のように箱が消えることはなく、そこにそれは存在していた。箱を開けるのを躊躇っていると、書斎の扉が開く音がする。


「父さん、まだ起きてるの?」アルフェルネが心配そうな様子で部屋に入ってきた。

「ああ、もうそんな時間か。ちょっと用事を済ませたら、すぐに寝るよ」ベルフリスが壁に掛けてある時計を見ると、既に日付が変わっていた。


「あんまり夜更かしはしないでね。おやすみなさい」

「ああ、おやすみ」アルフェルネはあくびをしながら、書斎を出ていった。

 ベルフリスは壁に掛けられた時計をじっと見つめ現在の時刻を確認した後、大きく深呼吸をして箱を開けた。箱の中には手紙が入っていた。


『私の最愛の人、ベルフリスへ

 あなたがこの手紙を読んでいる時、私はあなたのそばにはいないと思います。だから、私が何処かに消えてしまう前にゲームを一つ用意してみました。


 手伝ってくれた妹にはこんな時に何をしているんだと怒られてしまいましたが、私の強情さに負けて、妹は快くこのゲームの手伝いをしてくれました。彼女には感謝しなくてはいけませんね。


 この手紙を読んでいるということはゲームはクリアしたということだと思います。あなたには簡単すぎたかもしれません。でもこのゲームは、難しい難問を作ろうとしたわけではなく、あなたの心を元気にしたくて考えたものです。


 私は、私の病が重くなるたびにあなたの顔が暗くなっていくのが辛いです。私のことであなたが苦しむ姿を見るのは辛いです。このゲームであなたの心が少しでも安らいでくれることを願います。


 手紙を隠した部屋の事、あなたは覚えていますか? 私は今でもよく覚えています。私が初めて誰かに食事に誘われた部屋。私が初めてプロポーズされた部屋。私が初めて本当に愛することができる人と出会った部屋。どれもこれもあなたがくれた思い出です。

 

 昔のことを思い出しながら手紙を書いていると、どんどんあなたから離れることを拒む気持ちが強くなります。でも、この体を自由に動かせるようになることはありません。この病が治ることはありません。私がこの世界から消えることは変わらないのでしょう。 


 私が消えた後、私の事で悔やんだりしないで下さい。でも、どうかアルフェルネのことは元気な子に育ててあげて下さい。私のぶんまで幸せにしてあげて下さい。私の最後のわがままです。お願いします。


 誰かに手紙を書くのは初めてで、あなたに私の気持ちが伝わるか心配です。だから、最後に一言、私の心の底から思っていること、伝えたかったことを記しておきます。


あなたに出会えて私は幸せでした。』


 ベルフリスは手紙を読み終えた後、手紙をデスクの引き出しに入れて鍵をかけた。そして、空を見上げるように天井を見つめた後、目を閉じる。彼以外、ホテルに居る人間は皆、既に眠りについている。


 書斎には彼の呼吸の音だけが聞こえるだけだった。




 次の日。太陽は何事もなかったように昇り始めた。早朝に目を覚ましたラフーリオンはカフェテラスに行き、適当な席に座り、煙草に火を着けようとした。だが、扉が開く音がしたので煙草を懐にしまう。音のする方へ振り向くと、ベルフリスが立っていた。


「おはよう。今日も早いね」

「おはようございます。あまり寝付けなかったもので」

「僕も昨晩は全然眠れなかったよ」ベルフリスの目元には隈がついていた。


「そのようですね。……あの箱には何が入っていましたか?」

「彼女からの手紙が入っていた。ラフ君にはお礼を言わないといけないな。君がいなければ、この手紙が私のもとに来ることはなかっただろう」


「いえ、俺もベルフリスさんにはお世話になっていますから。この世界に来た時、無一文の俺を助けてくれたのはあなたです」

「当然のことをしたまでさ。困っている人がいたら、助け合うのが人間だろ?」


「なら、俺も当然のことをしただけですね。今回は鍵を探す異界渡りとしてですが」ラフーリオンがニヤリと笑う。

「そうだな。そういうことにしておこう」ベルフリスもつられて微笑んだ。


「それじゃあ、皆の朝食の準備でもしてくるよ」ベルフリスは宿泊客とラフーリオン達の朝食を作りに厨房へと向かった。


 朝食ができるまで、ラフーリオンはテラスで一服することにした。ラフーリオンが空に向かって煙を吐いていると、遠くに何かの気配を感じとった。


(異界の扉が開いた。もっと長くここにいたかったが、あの場所へ行かなくては。この世界とはこれでお別れだ)ラフーリオン達のこの世界での異界の扉の鍵探しが終わった。


 朝食ができたので、ラフーリオンはリシュリオルを寝室まで起こしに行く。リシュリオルは相変わらず、寝起きが悪くなかなかベッドから降りようとしなかった。寝ぼけているリシュリオルを見て、ラフーリオンは彼女が異界の扉の気配を感じていないのではないかと思い心の中で喜んだが、すぐにその思いは消え失せた。


「次の扉が開いた」彼女もまた、次の異界の扉が開いたことに気付いていた。

「ああ、お前も気付いてたか」ラフーリオンはがっかりした様子でため息をつく。


「…………直ぐにこの世界を出るのか?」その質問をする時のリシュリオルの表情は曇っていた。だが、ラフーリオンは彼女の様子には気にも止めず、即答する。

「ああ、直ぐに次の異界に向かう。多分、お前と同じ扉をまた通ることになるだろうな」


「本当ですか? ラフーリオンさんとまた異界を渡ることができそうで嬉しいです」急に現れたアリゼルがわざとらしく笑った。

「はは、俺も嬉しいよ」アリゼルの笑い声を聞いて、苦笑いするラフーリオン。


「さあ、朝食の準備はできているみたいだ。食堂に行くぞ」

「……ああ」いつもより威勢のないリシュリオルを連れて、ラフーリオンは食堂に向かった。


「おはようございます。他の宿泊客の方はもう食事を終えていますよ」アルフェルネが食堂の扉の前に立っていた。

「おはよう、アルフェルネ。いい匂いだな」


「おはよう、リシュ。さあ、席について」アルフェルネがリシュリオルの為に椅子を引く。


 朝食は数種類のパン、スープ、サラダが並べられていた。ラフーリオンとリシュリオルはそれをさっさと平らげる。二人が食事を終えて、一息ついているとベルフリスが食堂に現れた。ラフーリオンはベルフリスと朝食の片付けをしていたアルフェルネを引き止め、次の異界の扉が現れたことを伝えた。


「そうか、もう次の異界へ出発するんだね」

「はい。今回もお世話になりました」ラフーリオンが会釈をする。

「どういたしまして。それで、扉の場所はどこにあるんだい?」


「多分、塔の方だ」リシュリオルが急に口を開く。

「塔?」首をかしげるラフーリオンとベルフリス。


「一昨日、アルフェルネと一緒に行った砂漠の近くにある塔の方に扉の気配を感じる」塔が立っている方へ指をさすリシュリオル。


「ああ、あそこか。なんなら娘に車で送らせよう。いいかな? アルフェルネ」

「ええ、もちろん」アルフェルネが笑顔で頷く。

「いいんですか? 忙しくはないですか?」


「大丈夫だよ。今日の宿泊客の数なら、僕一人でも対応できるさ」自信満々に笑うベルフリス。

「ほら、父さんもこう言っていますし、早速塔の方へ行ってみましょう。支度をして下さい」


 アルフェルネはラフーリオン達に無理やり出発の準備をさせて、車に乗り込ませた。ベルフリスが助手席に座るラフーリオンに窓越しに声を掛ける。


「久しぶりに君に会えてよかった。またこの世界に来たときは遠慮なくうちに来てくれ。特上の酒を用意して待っているよ」そう言って、手を差し出すベルフリス。

「ありがとうございます。その時を楽しみにしています」ラフーリオンはベルフリスの差し出した手に握手で返した。


「あと、リシュ。君にも昨日のことは感謝しなくてはいけないね。ありがとう」今度は後部座席の窓へと手を伸ばすベルフリス。

「私には特上の料理を用意しておいてくれ」ラフーリオンと同じようにリシュリオルもベルフリスの手を握り返した。


「善処するよ。アリゼルさんにもよろしくと伝えておいてくれ」

「どうもどうも」アリゼルがリシュリオルの影から顔だけをぬっと出して現れた。


 ベルフリスは驚きで、びくっと体を震わせた。その後、無理やり作った笑顔でアリゼルに驚いた事を何事も無かったように誤魔化した。ラフーリオンはベルフリスのそんな様子を見て笑みをこぼす。


「……そ、それじゃあ、アルフェルネ。二人……いや三人をよろしく頼むよ」

「はい」アルフェルネの返事の後、エンジン音が鳴り響く。そして、扉の気配、塔のある方角に向かって、車が動き出した。




 車は三人が天気や街の様子を話題に他愛のない会話を続けているうちに、あっという間に塔の近くまで着いてしまった。塔の前には相変わらず観光客がそこかしこにたむろしていた。


「扉は塔の上にあるみたいです」ラフーリオンが塔を見上げながら言う。

「ああ、ずっと上の方だ」リシュリオルも塔を見上げる。


「それでは、エレベーターを使って上まで行きましょう」アルフェルネが先行してエレベーターの中に入っていった。ラフーリオンとリシュリオルもそれに続く。


 エレベーターの中にはラフーリオン達以外の人は居なかった。エレベーターが動き出してから数分間、誰も口を開かなかった。


「もうすぐお別れですね」アルフェルネが切り出す。彼女の表情はどこか寂しそうだった。


「いつかまた会えますよ」ラフーリオンはそれに対して、少し素っ気なく言う。ラフーリオンが目線をリシュリオルに合わせる。彼女はラフーリオンに怒りの表情を向けていた。


「本当にまた会えるのか? いつかって、いつだよ。同じ世界に何度も行くことなんて、そう多くないんだろ? ラフーリオン、お前がこの前に言っていたんだぞ!」リシュリオルが泣きそうな声で叫んだ。突然のリシュリオルの激昂にラフーリオンとアルフェルネは驚く。


 ラフーリオンはリシュリオルに近付き、彼女の前に屈み込んだ。

「俺みたいに長く異界渡りをやっていれば、今回のように前に来たことのある世界に行き着くこともあるさ」ラフーリオンがリシュリオルを慰めるように話しかける。


「だけど――」すすり泣くリシュリオル。

「リシュ、また会えますよ」リシュリオルの傍に歩み寄るアルフェルネ。

「きっと会えるから」アルフェルネはリシュリオルを抱きしめて、優しく耳元で囁いた。

「…………分かった」リシュリオルはアルフェルネの抱擁によって、少しだけ落ち着きを取り戻した。二人のやり取りを見て、ラフーリオンは心の中で呟く。


(そうだ、また会えるんだよリシュ。俺達の時間は無限だから。永遠に生き続けることができるから……。だけど、俺達以外の時間は……あいつは……)


 ラフーリオンは腕に爪を食い込ませ、肉体的な痛みによって浮かび上がってくる記憶の影を掻き消そうとした。


 いつの間にか、エレベーターは展望室の間近まで階数を上げていた。


「扉の気配がかなり近づいてきたな」ラフーリオンがエレベーターの天井へ視線を向ける。

「お二人に渡しておくものがあります。ここの所バタバタしていて、渡すのを忘れるところでした」アルフェルネが鞄の中を漁り始めた。


「何ですか?」ラフーリオンが尋ねる。


「これです。リシュは知ってると思うけど」アルフェルネは一冊の本を鞄から取り出して、ラフーリオンに見せる。

「『教育者に必要な八百万の秘訣』八百万は多いですね……。普通は十個くらいじゃないですか?」本の題名を読み上げた後、苦笑するラフーリオン。


「私の行きつけの本屋さんを信じて下さい。きっと役に立ちますよ」アルフェルネの笑顔は自身に満ち溢れていた。


「リシュにはこれを」アルフェルネはもう一冊、本を鞄から取り出してリシュリオルに渡した。

「『砂の街ができるまで』。ありがとう、アルフェルネ。本当にありがとう」リシュリオルの目元は真っ赤になっていた。


 ポーン。エレベーターのスピーカーから音が鳴り響く。扉が開き始めると、その先にはこの世界とは別の世界、異界の景色が広がっていた。


「このエレベーターの扉が異界の扉だったのか」ラフーリオンは扉の先を凝視する。

「私、初めて異界の扉を見ました」アルフェルネは突然現れた異界の景色に驚いていた。


「では、これで。ベルフリスさんにもよろしく伝えて下さい」ラフーリオンは扉の先に足を進めた。

「分かりました。どうかお気を付けて」


「リシュ、どうした? 早く来い」ラフーリオンが手を差し出す。

「やっぱり嫌だ。……そうだ! アルフェルネも一緒に行こう!」リシュリオルはアルフェルネの右手を掴んで扉の先へ引っ張る。アルフェルネはリシュリオルの前にしゃがみ込み、左手を彼女の頬に当て、優しく話しかける。


「私は異界の扉を通る事ができないの。扉は人を選ぶから。それに扉を通れたとしても父さんをこの世界に一人で置いては行けないわ。……リシュ、よく聞いて。私はここの展望室で、いつかは砂漠もこの街も消えてしまうと言ったでしょう? 今を大切にって。あなたが今やらなければいけないことは異界渡りとして一人で生きる力を身に付けること。ラフーリオンさんからそれを学ぶの。あなたがいつか一人前の異界渡りになったら、またこの世界に来れるわ」真剣な眼差しでリシュリオルを見つめるアルフェルネ。


「今を大切に……今を」リシュリオルはまた泣きそうになっていた。アルフェルネは先程と同じようにリシュリオルを抱きしめる。

「すぐに一人前になる。そうしたら、すぐこの世界に来るから」リシュリオルはアルフェルネから離れ、ラフーリオンのもとへと歩き出した。


「リシュ、ラフーリオンさん。さようなら、またいつか会いましょう」アルフェルネは手を振って、二人に別れを告げた。

「どうか、お元気で」一礼するラフーリオン。

「さよなら、アルフェルネ」リシュリオルは手を振り返す。そして、エレベーターの扉はゆっくりと閉じていった。


 アルフェルネは閉まりきったエレベーターの扉を開閉ボタンを押して、もう一度開け直した。そこには先程見た異界の景色は無く、ガラス張りの展望室があった。彼女はエレベーターから抜け出して、窓越しに街の様子を眺め始める。


「今を大切に。頑張ってね、リシュ」ふとそんな言葉を呟いた後、アルフェルネはエレベーターに戻り、塔を降りた。



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