2章 11話 刀
美緒の兄を背負い、上へ続く道を進んだ。
牢の並ぶ空洞まで戻ると、救出隊が捕まっていた人たちを次々と外へ連れ出していた。
その中で、紅羽さんが僕に気づいた。
「桃矢君!」
すぐに駆け寄ってきて、僕の両腕を掴む。
「よかった! 本当に心配したんだから。怪我は?」
「僕は平気。それより、この子を」
背中の少年を見て、紅羽さんは近くの鬼狩りを呼んだ。
「この子をお願い。かなり弱ってる」
少年を預けようとすると、首に回された腕が強くなる。
「大丈夫。僕も一緒に行くから」
それを聞いて、ようやく離れてくれた。
紅羽さんが僕の破れた服に気づく。
「平気って言ったけど、肩も怪我してるじゃない」
「これくらい大丈夫だって。それより――」
そこへ門倉がやってきた。
僕のそばに伊吹がいないことに気づき、足を止める。
「伊吹はどうした」
「……僕らを逃がすために、下に残った」
紅羽さんの動きが止まった。
少し離れたところで牢を開けていた燈子も、こちらへ振り向く。
門倉だけは表情を変えなかった。
「場所は?」
「この先を下りたところに大きな鉄格子がある。伊吹がそれを落として、追ってきた鬼を向こう側に止めた」
「開ける仕掛けは?」
「こっち側に巻き上げるやつがある。でも僕一人じゃ動かせなかった」
門倉は近くの鬼狩りを呼び寄せる。
「下層へ行く。紅羽、燈子、お前らも来い」
「分かりました」
紅羽さんがすぐに答えた。
燈子も僕のそばまで来る。
「桃矢、鉄格子までは迷わず行ける?」
「牢の一番奥から下へ続く道を進めば着く。途中に分かれ道はなかった」
説明を終え、僕も三人についていこうとした。
けれど、門倉に止められる。
「お前は行くな。その子を外まで連れていけ」
さっき預けた少年を見る。
鬼狩りに支えられているものの、まだ自分だけではまともに歩けそうにない。
「でも、伊吹を置いていけない」
「伊吹は何のために残った」
――お前が助けたんだろ。
――だったら最後まで連れてけ。
伊吹の声が蘇る。
「やるべきことを間違えるな」
また勝手なことをすれば、今度は紅羽さんたちまで危険にさらすかもしれない。
「……分かった」
紅羽さんが僕の前まで来る。
「伊吹君は私が探す。桃矢君は、その子をお願い」
それだけ言うと、門倉のあとを追った。
燈子も僕の横を通り過ぎる。
「戻ったら、何があったのか全部聞かせてもらうわ」
いつものからかうような笑い方ではなかった。
三人が暗い道へ消えていく。
僕はしばらくその先を見てから、美緒の兄のところへ戻った。
※
山を下りるころには、空が赤くなり始めていた。
救出された人たちは順番に手当てを受け、家族が分かる者には連絡が入れられている。
美緒の兄も水を飲み、少し食べ物を口にすると、さっきより顔色が戻った。
しばらくすると、人の間を縫うように小さな女の子が走ってきた。
美緒だった。
その後ろから母親も追いかけてくる。
少年が顔を上げた。
「美緒」
美緒は立ち止まらなかった。
兄のところまで走り、そのまま抱きつく。
「お兄ちゃん!」
少年は勢いを受け止めきれず、少しよろめいた。
それでも、自分から妹の背中に腕を回す。
「ごめんな、美緒」
「ずっと待ってたんだから!」
泣きながら怒っている。
兄も泣いていた。
母親が二人をまとめて抱き寄せる。
三人の声が入り混じり、何を言っているのか途中から分からなくなった。
少し離れたところで、その様子を眺める。
――お兄ちゃん、連れて帰ってきて。
美緒と交わした約束を思い出した。
「桃矢!」
涙でぐしゃぐしゃになった顔がこちらを向く。
「お兄ちゃん、本当に連れて帰ってきてくれた!」
「約束したから」
そう答えると、美緒は何度も頷いた。
母親も二人を抱いたまま、僕へ頭を下げる。
「本当に……ありがとうございました」
少し戸惑った。
誰かにこんなふうに礼を言われるのは初めてだった。
嬉しかった。
でも、ここまで来られたのは伊吹がいたからだ。
その伊吹が戻ってこないままでは、素直に喜ぶことができなかった。
そのまましばらく、美緒たちのそばにいた。
空はほとんど赤く染まり、山の向こうへ日が沈みかけている。
巣へ続く道から、何人もの鬼狩りが下りてきた。
先頭に門倉。
少し後ろに紅羽さんと燈子がいる。
僕はその中を探した。
でも、どこにも伊吹はいない。
代わりに門倉の手には、一本の刀があった。
見間違えるはずがない。
初めて鬼を斬ったとき、僕が握った刀だ。
気づけば、門倉たちの方へ歩いていた。
紅羽さんが僕を見つける。
何か言おうとして、口を閉じた。
それだけで、聞くのが怖くなる。
それでも、門倉の前まで行った。
「……伊吹は?」
門倉は手にした刀へ一度目を落とした。
「死んだ」
分かっていたはずだった。
鉄格子の向こうから音が消えたときから、もう戻ってこないことくらい。
それでも、はっきり聞いた瞬間、腹の奥に重いものが落ちた。
「……僕のせいだ」
そのまま言葉がこぼれる。
「僕が命令を破らなかったら、伊吹は追ってこなかった。美緒のお兄ちゃんを助けに行かなかったら、あんな怪我もしなかった」
門倉は否定しなかった。
「お前の判断が、伊吹の死につながった。それは事実だ」
何も返せなかった。
門倉は伊吹の刀を握ったまま続ける。
「あいつを任務に出したのは俺だ」
声はいつもと変わらない。
それでも、柄を握る指には力が入っていた。
「追うなと命じた。それでも伊吹は、お前を追うことを選んだ」
「だからって、僕が悪くないことにはならないだろ」
「ならん」
門倉はすぐに答えた。
「だが、伊吹の死を全部お前一人のせいにするな」
僕は黙った。
「あいつは、自分で選んだことを人のせいにするようなやつじゃない」
門倉がまっすぐ僕を見る。
「伊吹は最後に、お前へ何か残したんじゃないのか」
鉄格子の向こうで聞いた言葉が浮かんだ。
――鬼狩りになれよ。
――一人でも多く、助けられる鬼狩りに。
「……鬼狩りになれって言われた」
門倉はしばらく黙っていた。
「なら、それを忘れるな」
手にした刀へ目を落とす。
「あいつが残したものまで、死なせるな」
それだけ言って、門倉は歩き出した。
美緒たちの方を見る。
兄を取り戻して泣いている家族がいる。
その少し向こうでは、伊吹の刀を持った門倉が遠ざかっていく。
助けられた人がいる。
助けられなかった人もいる。
僕は初めて、その両方を知った。
※
伊吹が死んでから五日が経った。
肩の傷はまだ残っていたけれど、刀を振れないほどではない。
朝から庭へ出て木刀を握っていると、縁側から紅羽さんに止められた。
「今日は軽くにしてね。傷が開いたら、また休ませるよ」
「五日も休んだんだから大丈夫だって」
紅羽さんが立ち上がり、木刀を取り上げようとする。
取られる前に背中へ隠した。
「子どもじゃないんだから、自分で加減できるよ」
「桃矢君がそれを言っても説得力ないなあ」
言い返そうとしたとき、門の向こうから足音がした。
門倉と燈子が入ってくる。
燈子は僕の姿を見るなり、手にした木刀へ目をやった。
「もう稽古してるの? 思っていたより元気なのね」
「大した怪我じゃなかったから」
「そう。無理にでも元気にしていたいときもあるものね」
人のことを分かったような言い方だ。
門倉が持っていたのは、細長い布包みだった。
縁側に置き、布をほどく。
中から現れたものを見て、すぐに分かった。
伊吹の刀だった。
「お前に渡す」
「……受け取れない」
門倉が僕を見る。
「僕が持っていいわけないだろ」
「伊吹の刀だ」
「だから受け取れないんだよ」
刀から一歩離れた。
「僕のせいで死んだのに、それを僕が使うなんておかしいだろ」
「だからだ」
門倉は刀を持ち上げ、僕へ差し出した。
「伊吹がお前に残したものを、言葉だけにするな。この刀もお前が使え」
すぐには手を伸ばせなかった。
数日前まで、伊吹が腰に差していた刀だ。
しばらく見つめたあと、柄を握った。
巻かれた紐は擦れて毛羽立ち、鞘にも細かな傷がいくつも残っている。
使い込まれた刀の重さが、手に伝わった。
――刀が振れることと、鬼狩りになれることは違うよ。
ふと、一年前に紅羽さんから言われた言葉を思い出した。
あのころは、強くなって鬼を殺せるようになれば、それで鬼狩りになれると思っていた。
でも、今は少し違う。
美緒のお兄ちゃんは助けられた。
伊吹は助けられなかった。
どれだけ強くなっても、全部を助けられるわけじゃないのかもしれない。
それでも、助けられなかったことを忘れずに、次の誰かを助けに行く。
たぶん、紅羽さんが言っていたのは、そういうことなんだ。
門倉が僕に聞いた。
「その刀でどうする」
「鬼を斬る」
迷わず答えた。
姉さんを殺した鬼も、伊吹を殺した鬼も許せない。
もっと強くなって、これからも鬼を倒す。
でも、それだけじゃ足りない。
伊吹の刀を腰に差した。
少し長くて、まだ僕のものとは思えなかった。
それでも、この刀を返すつもりはない。
――一人でも多く、助けられる鬼狩りに。
伊吹の最後の言葉を思い出す。
「僕は鬼狩りになる」
柄を握り直した。
「一人でも多く、助けられる鬼狩りに」




