2章 7話 餌
「……鬼狩りか?」
僕と伊吹が同時にそちらを見る。
近くの牢の中で、痩せた男が鉄格子を掴んでいた。
伸びきった髪の隙間から、伊吹の腰にある刀を見つめている。
「鬼狩り……だよな?」
伊吹はすぐには答えなかった。
けれど、それだけで十分だったらしい。
「鬼狩りだ!」
男が叫んだ。
その声に反応して、あちこちの牢から人が顔を出す。
「助けてくれ!」
「ここから出してくれ!」
「もう何日もまともに食べてないんだ!」
伊吹が声を落としながら言う。
「騒がないでください! 鬼に気づかれます!」
叫び声が少しずつ収まっていった。
僕は一番近くの牢へ駆け寄る。
扉には錠前がついていた。
「伊吹、これ壊そう」
伊吹が僕の手を止めた。
「桃矢、待て」
「なんで? 刀なら壊せるだろ」
伊吹は錠前を一度確かめる。
「たぶんな」
「じゃあ――」
「この人達を出して、そのあとどうする?」
「外まで逃がすんだよ」
「全員を?」
言われて周囲を見た。
牢は目の前だけじゃない。
上にも、下にも、奥にも続いている。
老人。
怪我人。
床に横たわったままの人もいる。
「出口がどこにあるかも分からない。これだけの人間を捕まえてるなら、鬼だって相当いるはずだ」
僕は何も言えなかった。
「牢を開けた瞬間から、俺たちが全員を守らなきゃいけなくなる」
「じゃあ、このまま閉じ込めておくの?」
「違う」
伊吹はすぐに答え、牢の中の人たちへ向き直った。
「今は助けられません。でも、必ず仲間を連れて戻ります」
男が鉄格子を強く握った。
「……本当に戻るんだな?」
「戻ります」
伊吹は迷わず答えた。
その横顔を見ていたら、僕もそれ以上は言えなかった。
※
ここについて知る必要があった。
伊吹は近くの牢にいた男から話を聞き始めた。
「鬼は何匹います?」
「分からない」
男は首を振る。
「何匹もいる。毎日見る奴もいれば、初めて見る奴もいる」
別の牢にいた女は、ここへ連れてこられて二か月近く経つと言った。
「二か月?」
思わず聞き返した。
僕らが調べ始めるより、ずっと前から人間をここへ連れてきていたんだ。
「出口は?」
伊吹が聞いた。
誰も知らなかった。
連れてこられたときの記憶が曖昧な人が多い。
死んだ人間について歩いてきて、気づいたらこの牢だったらしい。
僕は空洞の下を見た。
さっきから気になっている。
鬼の赤子の声。
「あのさ」
近くにいた老人へ声をかける。
「あの鳴き声って、いつも聞こえる?」
老人の肩がびくりと揺れた。
「あれか……あれが始まると、しばらくして鬼がここへ来る」
「何しに?」
「誰かを連れていく。……連れていかれた人は戻ってこない」
また下から鳴き声が聞こえた。
オギャアアア――。
牢の人たちが一斉に身を縮める。
この人たちは、あれが何か知らない。
でも僕には分かる。
鬼の赤子だ。
そして、鳴き声がすると人間が連れていかれる。
胸の奥に嫌な予感が広がっていく。
「桃矢?」
伊吹に呼ばれ、我に返った。
「どうした?」
「……なんでもない」
まだ決まったわけじゃない。
「十一歳くらいの男の子は?」
僕は牢の人たちに聞いた。
「三日前くらいに連れてこられたはずなんだけど」
美緒の家で見た写真を思い出しながら、髪型や背丈を伝える。
すぐに答えは返ってこなかった。
「……似た子なら見たよ」
少し離れた牢から女が言った。
僕はすぐにそちらへ寄る。
「本当?」
「ずっと『父さん』って呼んでる子だった」
胸が跳ねた。
「今どこにいる?」
女は首を振った。
「分からない。ここは時々、人を別の牢へ移すから」
「まだ生きてる?」
返事はなかった。
僕はそれ以上聞けなかった。
伊吹はしばらく牢の人に話を聞き、やがて空洞の下へ目を向けた。
さっきから、あの鳴き声が何度も聞こえている。
「少しだけ下を確認する」
「下まで行くの?」
「ああ。何があるのかだけ見ておきたい」
「出口を探さなくていいの?」
「探す」
伊吹は下へ続く暗がりを見た。
「ただ、救出隊を連れてくるなら、鬼がどれくらいいるかは見ておきたい。それに――」
また鳴き声が響いた。
オギャアアア――。
「人がどこへ連れていかれてるのかもな」
伊吹が先に歩き出した。
「行くぞ」
※
牢の並ぶ空洞の端に、さらに下へ続く細い道があった。
岩壁を削った道に、ところどころ木の板が継ぎ足されている。
下を覗いても底が見えない。
「落ちるなよ」
「子ども扱いするなよ」
声を抑えながら、伊吹のあとを進む。
下りるたびに、鳴き声が近くなっていった。
泣いている声。
怒っているような声。
甲高く笑っているような声まで混じっている。
さらに進むと、空気が変わった。
生ぬるい。
血の臭いも濃くなっている。
腐った肉と排泄物の臭いまで混じっていた。
思わず鼻を押さえる。
「ひどい臭い……」
伊吹が急に足を止めた。
通路の先で岩が大きく張り出していた。
その陰から、下の広間を見下ろせる。
伊吹が先にしゃがみ込み、僕も隣に寄る。
最初に見えたのは、小さな角だった。
鬼の子どもがいる。
地面を這っている赤子から、僕の腰ほどの幼い鬼まで、そこらじゅうにいる。
でも、普通じゃなかった。
岩壁に何度も頭を打ちつけている鬼。
自分の腕を噛んでいる鬼。
幼いのに身体だけ異様に大きく、涎を垂らしている奴もいる。
「……なんだ、こいつら」
伊吹が呟いた。
僕も、こんな鬼の子どもは見たことがなかった。
奥から大鬼が二匹出てきた。
その間に一人の男がいる。
両腕を掴まれ、引きずられていた。
「離せ! 頼む!」
男が暴れる。
「やめてくれ! 何でもするから!」
鬼は男を地面へ押し倒した。
「やめろ!」
男が叫んだ。
近くにいた鬼の赤子が、四つん這いで近づいていく。
嫌な予感がした。
赤子が男の腕に噛みついた。
「ぎゃあああっ!」
悲鳴が響く。
血の匂いに反応したのか、周りの鬼の子たちまで集まり始めた。
「助けてくれ!」
男の声が、鬼たちの鳴き声にかき消されていく。
「……人間を食わせてるのか」
伊吹が息を呑んだ。
僕は答えられなかった。
僕らの里では、十四歳になるまで人間を食べることは禁止されていた。
理由も知っている。
人間を食べれば、鬼は強くなる。
でも幼い鬼は、その力に耐えられない。
凶暴になり、やがて理性まで失う。
目の前では、赤子が人間の肉を口いっぱいに頬張っている。
「……狂ってる」
声が漏れた。
伊吹が僕を見る。
「何が?」
「あんな小さい鬼に、人間を食わせたら駄目なんだ」
伊吹が僕を見る。
「鬼界で聞いた。小さいうちに食わせると、力に負けておかしくなるって」
岩壁に頭を打ちつける鬼。
自分の腕を噛む鬼。
そのとき、甲高い叫び声がした。
二匹の幼い鬼が、肉を奪い合っている。
一匹がもう一匹を押し倒した。
その肩へ噛みつく。
「……共食い」
伊吹の声がかすれた。
近くに大鬼は止めようともしない。
「また始めたぞ」
「好きにさせろ」
「また数が減る」
「構わねえ。使えるのが残ればそれでいい」
胃の奥が気持ち悪くなる。
僕は鬼が嫌いだ。
でも、こんなのは、僕が知っている鬼とも違った。
「戻るぞ」
伊吹が言った。
「ここは俺たち二人でどうにかできる場所じゃない」
「……うん」
僕らは来た道を戻った。
※
上へ戻る途中、岩壁に細長い亀裂が入っている場所を通った。
そのとき、伊吹の腰から音がした。
ザザッ。
伊吹が足を止める。
「ん?」
通信器を取り出す。
ザザザッ――。
『……ぶ……』
「門倉さん?」
伊吹が亀裂へ近づいた。
『伊……聞こ……るか』
「門倉さん! 聞こえます!」
僕も伊吹の横へ寄る。
伊吹が亀裂から離れると、また雑音が強くなる。
この亀裂の近くだけ、電波が通じるのかもしれない。
『状況を報告しろ』
門倉の声。
伊吹はすぐに答えた。
「捕虜を見つけました。数十人……いや、もっといると思います」
『鬼は?』
「多数です。正確な数は分かりません。それと、下層に幼い鬼が大量にいます」
『幼い鬼だと?』
「人間を食わせてます。かなりおかしくなってる奴もいる。鬼同士で食い合ってる個体までいました」
少し間があった。
『分かった。こちらも入口を見つけた』
伊吹が顔を上げる。
『すでに増援と合流している。もうすぐ突入する』
「じゃあ――」
『救出はこっちでやる。お前たちは脱出を優先しろ』
僕は通信器へ近づいた。
「また誰か連れていかれたら?」
『何もするな。こちらで対処する』
門倉の声は変わらない。
『桃矢。俺の命令を覚えているな』
――俺の命令には必ず従え。勝手な行動はするな。
もう助けは来る。
僕らだけで動く必要はない。
「……分かった」
その直後。
オギャアアアア――!
下から鬼の赤子の声が響いた。
『どうした?』
答えるより先に、下の通路から足音がした。
僕と伊吹は岩陰へ身を寄せる。
大人の鬼が子供を引きずっていた。
「離せ!」
心臓が跳ねた。
泥だらけで、痩せている。
それでも分かった。
美緒の家で見た写真。
妹の隣で笑っていた少年。
「……美緒のお兄ちゃんだ」
『確認できたのか?』
「うん。間違いない」
僕は通信器に向かって言った。
「門倉。あの子、食われる」
一瞬だけ沈黙した。
それでも返ってきた言葉は同じだった。
『手を出すな』
「でも今助けなきゃ死ぬ!」
『二人で行けば、お前たちまで死ぬ』
門倉の声が強くなる。
『伊吹。桃矢を止めろ』
伊吹はすぐには返事をしなかった。
腰の刀を強く握る。
「……くそ」
小さく吐き捨ててから、
「……はい」
伊吹が僕の腕を掴んだ。
「離して」
「俺だって助けたい」
伊吹の声が苦しそうに低くなる。
「でも、今出たら俺たちまで死ぬ」
下では少年が地面へ押さえつけられていた。
鬼の子が這って近づいていく。
「嫌だ……助けて……」
その声に美緒の声が重なった。
――お兄ちゃん、連れて帰ってきて。
僕は答えた。
――約束する。
たぶん、間違っているのは僕だ。
それでも、僕は伊吹の手を振りほどいた。
「ごめん。僕、行く」
そして走り出した。




