プレサントの広げ方とリバーシの状況
## 117話 プレサントの広げ方とリバーシの状況
「他に何があるか?」
バルドさんの低い声で、会議の空気がもう一度きゅっと締まった。
テーブルの上には、さっき試飲したプレサントのグラスが、まだかすかに香りを残している。
今日は――
・プレサントの登録
・新卒採用の相談
・マーケティングの相談
この3本立てだ。
〈よし、最後の項目だな〉
心の中で簡単に整理してから、俺は姿勢を正した。
「はい、あと1つだけ。プレサントのことなんですけど」
3人の視線がこちらに向く。
「味は、みんなからお墨付きをもらってて、自信はあります。でも……まだ誰も、このお酒のことを知らないから、広がり方が思ったほど進んでなくて」
言葉を選びながら続ける。
「ここエステルでも販売したいと思ってるんですけど、どうやって最初の一口に進んでもらえるのか、悩んでいて」
「ふむ」
バルドさんが、グラスの縁を指でなぞりながら短くうなずいた。
「なんだ、そんなことか」
「え?」
拍子抜けするような声音に、思わず聞き返してしまう。
「お前、確かオルドの孫だろう?」
「あ、はい。母――サラの実家がオルド商会です」
ノーラさんが、手元の帳面をぱらりとめくりながら口を開く。
「オルド商会であれば、酒類販売の届出があります。もともとエールやワインも扱っていますし、既存の取引先も多いはずです。まずはそこで相談してみてはどうでしょう」
「え、オルドさんとこって、酒の許可も持ってたんだ……」
〈そんな近いところに、最初の足掛かりがあったのか〉
〈食料品商会のイメージが強すぎて、完全に見落としてた〉
バルドさんが、さっきまで飲んでいたグラスを軽く持ち上げた。
「これは確かに美味い。さっきも言ったが、エールともワインとも違う。しっかりやれば、ここでも受け入れられるだろう」
「ありがとうございます。じゃあ、オルドさんとリーネさんに相談してみます!」
「うむ」
ヘイズさんが、嬉しそうに頷いた。
「いいものは必ず受け入れられる。焦りすぎるんじゃないぞい。ワシは、これなら毎日飲みたいと思ったぞ」
「本当ですか?」
「本当じゃとも」
そう言って笑うので、ノーラさんが小さくため息をついた。
「……ほどほどになさってくださいね、学舎長」
「ありがとう、ヘイズさん」
俺も頭を下げる。
〈こういうふうに言ってもらえると、本当に心強い〉
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「では、以上かな」
バルドさんが手帳をぱたんと閉じる。
「また、面白い報告を待ってるぞ」
「それと――」
ノーラさんが、さらりと話題を切り替えた。
「決算は3月です。必ず3月末に、事業収支の報告に来てください。利益の10%は納める必要がありますので、ご準備を」
〈うわ……完全に忘れてた〉
〈法人化のときに聞いてたのに……〉
「はい。滞りなく進めておきます」
レノが即答する。
声音は落ち着いているけれど、ペンを握る手に少しだけ力が入った。
「レノ、頑張るのよ」
ノーラさんが、ふっと表情を緩める。
「……姉さん。しっかりお仕えします」
いつもの丁寧な言い回しなのに、その一言だけは“弟”の響きが強かった。
〈うん。今のは、完全に家族の会話だな〉
俺は見なかったことにしておく。
こうして、支部長室での会議はひとまず終了した。
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廊下に出ると、さっきまで緊張していた空気が一気にゆるむ。
クララは、いつもの“うまくいったとき”の歩き方――足取りが軽くて、5センチくらい浮いているように見える。
「ねぇねぇ、ライム。あれ、絶対うまくいくよね!」
〈ざっくりしてるな〉
でも、そのくらいの自信があるほうが心強い。
ミナはというと――
緊張が解けた反動なのか、右手と右足が同じタイミングで動いている。
「サラさんが『引率はやりたくない』と言っていた気持ちが、よく分かりましたね……」
テンドーさんが、頭をかきながら苦笑する。
「では、テンドー商会エステル支店へ行きましょう。リバーシの状況を確認したいです」
「はい!」
〈よし、次はリバーシ事業のほうだ〉
〈エステルでどれくらい受け入れられてるか、ちゃんと数字を押さえておきたい〉
俺たちはぞろぞろとついていき、港に近い商業区へ向かった。
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通りは、港町らしく人と荷車で賑わっている。
魚を積んだ荷車、布地を運ぶ若者、樽を転がす男たち。
その一角に、木製の看板が目に入った。
「テンドー商会」
ロンドール店と同じ字体だが、建物は一回り大きい。
「こっちのほうが大きいですね!」
思わずそう漏らすと、テンドーさんがうなずく。
「はい。やはりこちらのほうが市場規模も大きいですからね。では、入りましょうか」
扉を開けると、カランと澄んだ鈴の音が響いた。
ロンドール店よりも天井が高く、棚の列も多い。
狭いながらもぎゅっと詰まっていたロンドール店に比べて、こちらは奥行きがあって通路もゆったりしている。
磨かれたランプや秤、道具類が整然と並んでいて、
〈支店〉というより、ちょっとした〈本店〉のような貫禄すらあった。
「わぁ……」
ミナが、小さく感嘆の声を漏らす。
クララも、面白そうな商品を見つけてはきょろきょろしている。
「こちらが、エステル支店の店長のニンドーです。私の兄でもあります」
テンドーさんが、カウンターの奥に声をかけた。
「ニンドーです。いらっしゃい。かわいらしいお客様たちですね」
柔らかい笑顔を浮かべた男性が、カウンターから出てきて俺たちに頭を下げる。
「こちらが話であった、ライム君ですよ」
テンドーさんが俺を示す。
「え、この子が……!」
ニンドーさんの目が一瞬、まん丸になる。
「は、はじめまして……! いつも弟がお世話になっています」
「こちらこそ。炎の夜明け商会の代表人、ライム=ハースです。リバーシの販売、本当にありがとうございます」
できるだけ落ち着いて名乗ると、ニンドーさんは慌てて姿勢を正した。
「こ、こちらこそ……。代表人さんにご挨拶できて光栄です」
〈毎度のことだけど、ちゃんと驚いてもらえると少しうれしい〉
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「それで、さっそくですが」
テンドーさんが本題に入る。
「リバーシの販売状況はどうですか?」
「ええと……」
ニンドーさんは、控えの帳簿をぱらりとめくった。
「販売からちょうど1週間ほどでしょうか。20セットほど売れていますね」
「20セット……?」
思わず聞き返してしまう。
「オルドさんやゴーンさん、バルド支部長から聞いた、と言って買っていく方が多いです。あとは商会関係の方々ですね」
「……あれ。なんか少ないな」
口に出た。
「ロンドールでは、少ない日でも1日100セットは出ていましたよ?」
「そ、そんなにですか!?」
ニンドーさんが本気で驚いた顔をする。
「知り合い筋の方々は興味を持ってくださるんですが……それ以外の方は、『遊び方が分からないから、また今度』と言って買わないんです」
〈なるほど。そこで止まってしまうのか〉
テンドーさんも腕を組んだ。
「確かに、ロンドールは小さな街ですからね。横のつながりが強いと言いますか……誰かが買うと、周りもすぐ真似をするところはあります」
「街の特性……というのでしょうか」
レノが、静かに言葉を補う。
「エステルは人の数も多い分、同じ商品でも“広がり方”が違うのだと思います」
〈口コミの速度と、広がる方向が違うんだ〉
〈ロンドールは“誰かが買えば、すぐみんな”。エステルは、人が多くてつながりが薄いから、“説明しないと進まない”〉
「強く興味を持つ人は、遊び方を説明すると買ってくれますね」
ニンドーさんが続ける。
「ただ、全員にそこまで時間をかけるのは、少し難しくて……」
「これは困りましたね」
レノが、珍しく露骨に眉をひそめた。
「このままだと、ガラワ組との契約ラインに届かない可能性があります」
「うーん……」
俺が考え込んでいると――
ミナが、そっと手を挙げた。
「わ、私……どうやって遊ぶかとか、楽しいところの絵を描こうか?」
「それいい!!」
クララが、即座に食いつく。
「ミナの絵なら、絶対分かりやすいよ! あのパンフレットも、すごく分かりやすかったもん!」
「た、たしかに」
ニンドーさんも目を見開いた。
「説明しきれない部分を、絵で見せるわけですね。興味を持って眺めている人は多いので、“あと一押し”があれば……もっと広がると思います」
「よし!」
俺は思わず拳を握った。
「じゃあ、ルールブックとPOPを作ろう!」
「る、ルールブックと……ぽっぷ、ですか?」
レノが首をかしげる。
「うん。どうやって遊ぶかを書いた紙を箱に入れて、店頭には“どんな遊びかひと目で分かる絵”を置くんだ」
クララが、すぐさま補足する。
「たとえばさ! おじいちゃんと孫が一緒に遊んでる絵とか、大人同士で真剣勝負してる絵とか! 楽しそうって分かれば、ちょっと遊んでみたくなるよね!」
「わ、私、かわいいやつ作るね!」
ミナが、胸の前で手をぎゅっと握る。
「盤とかコマとか、人が座ってるところとか……分かりやすく描いてみる!」
「お願い!」
〈POPは絵だからいいけど……ルールブックは文字多めになるよな〉
〈いっそ、ここで活版印刷を試してみるのもアリかもしれない〉
「できたら、すぐ届けますね」
俺はテンドーさんとニンドーさんを見る。
「分かりました」
テンドーさんが力強くうなずいた。
「店頭の目立つところに置いておきます。ロンドール店にも送ってもらえれば、同じように展開できますね」
「はい。ルールブックができたら、お店に持っていきます」
こうして――
エステルでリバーシを広げるための具体的な段取りを決めて、
俺たちはテンドー商会エステル支店を後にするのだった。




