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何者にもなれない蝙蝠達  作者: 和菜
コウモリの長
19/29

叫び

 

 会いたい、と、たった一言、LINEでメッセージを送った。

 夕方三時頃、桜花はきっと仕事中だろうとは思ったけれど、返事はすぐに来た。

 今週は遅番だから、夜遅くしか時間がない。残業になったら何時になるか分からない、と。

 遅番ということは、今がちょうど休憩時間なのだろうか。

 至極尤もな断り文句だったが、俺は、どうしても、次の土曜まで待てなかった。待ちたくなかった。

 今日、全てを、知ったから。

 全てを、思い出してしまったから。

 迷惑を承知で言うなら、今すぐにでも彼女の職場に乗り込んで、攫いに行きたいくらいの気分だった。

 ああ、何て酷い気分なんだろう。

 まだ混乱と困惑から抜け切れない。

 分かってしまった。

 分かってしまったんだ。

 何故俺が……あの浜辺で、彼女を一目見た瞬間から、彼女の事が酷く気になっていたのか。

 ……もどかしく叫び出してしまいたいような衝動を懸命に耐えて、俺は、「それでもいいから、どうしても、桜花に会いたい」と、返信を送った。

 俺ってば、すげえ我が儘で迷惑な奴……。

 分かっているのに欲求に抗えなくて、益々気分が悪くなる。

 自己嫌悪の渦に呑み込まれ掛ける中、再び桜花からLINEが来る。


『何かあったんですか?

 今日は少し忙しくて、本当に何時になるか分かりませんが、それで良ければ』


 構わない、と返信。更に、近くまで迎えに行く、とも追記する。


『分かりました。では、仕事が終わったらまたLINEします。

 私の職場、繁華街の近くなので、繁華街の何処かで待ち合わせでどうですか?』


 すぐさまオーケーの返事を送り、最後に「ごめんね」と送った。

 すると、「気にするな」という可愛らしい字体のコメント付きの、何かのキャラクターのスタンプが送られて来た。

 深く息を零し、シートに凭れ掛かり、目を閉じる。


『――頼む。お願いだ、大和』


 耳奥に響き出す、七年前の、あの男の声。

 瞼の裏にぼんやり蘇る、床に両膝と両手を着き、必死に、ひたすら、頼むと懇願した、無様な姿。

 そう……七年も、経った。

 七年も、経った、のに。


「……ふざけんじゃねえよ」


 所詮、人の本質は、決して変わらない、ということ、なんだろうか。

 どれ程の年月が経とうとも、どれ程の経験をしようとも。

 どれ程の傷を付け、傷を付けられようとも。




 仕事を終えてすぐに、俺は車で繁華街に向かった。

 時間的にはまだ桜花は仕事をしている時間ではあったが、こんな気分で自宅に一旦戻っても、余計な事ばかり考えて気が滅入ると思ったので、適当にぶらついて時間を潰すことにしたのだ。

 彼女からLINEが来たのは、二十一時半を少し過ぎた頃。

 すぐに向かうから、と待ち合わせの希望する場所も書かれたメールに、了解、と返事すると、俺は雑誌の立ち読みをしていた書店を急ぎ足で退店した。

 彼女が指定した場所は、繁華街で一番大きな複合施設である店舗の前だった。

 普段から県民の待ち合わせ場所としては王道の場所であり、週末の夕方ともなれば、学生や会社員などで賑わうことが多い。

 これが、ただのデートの待ち合わせや逢瀬なら、どんなにいいだろう。

 足を進めていく程に、気分が沈んでいくのが分かる。

 これから俺は、あの子に、告げなくちゃいけない。

 本当は、告げずにいたかった、俺の――俺と、夏目優一朗の、“真実”を。


 怖気付いて止めてしまいそうになる足を、半ば必死に動かして歩き続けて、角を曲がる。その先に、待ち合わせの店は、あった。

 桜花は普段と同じ、地味でラフな格好で俺を待っていた。

 髪が少しだけ乱れているのは仕事の後だからか、急いで来てくれたからなのか。


「……桜花」


 驚かせてしまわないように、少し大きな声で呼び掛けながら近付くと、彼女は小さく笑って挨拶をしてくれた。


「こんばんは」

「こんばんは。ごめん、急に時間を貰って」

「いえ、気にしないで下さい」


 緩く首を振る彼女に、罪悪感が僅かに募る。

 このまま、何も告げずに、ただ、本当に、「ただ逢いたくて堪らなかったんだ」なんて、歯の浮くような台詞一つで誤魔化せるのなら、こんなに楽なことはないのに。

 そんな、この期に及んで往生際の悪いことを思いながら、俺は、桜花の手を、そっと、取った。


「、……黒咲さん?」

「一緒に、来て」

「え……?」

「二人っきりで、話したい事があるんだ。とても……とっても、大事な話。

 誰にも聞かれたくない、大事な話」

「……、」


 いつも浜辺で話をする時とは違う雰囲気を、感じ取ったのかもしれない。

 桜花は戸惑いを隠せない様子で、至極困った顔で俺を見上げている。

 けれどやがて、桜花は「……分かりました」と頷いてくれた。


 話をする場所に選んだのは、俺の車の中。

 流石に、ただの友達とはいえ女性を狭い車中に引き込むというのは、男として気が引ける部分もあったが、誰にも絶対聞かれない場所が、他に思い付かなかった。

 桜花も少し緊張した面持ちで、僅かな警戒心すら窺わせていたけれど、俺を信用してくれてるのか、すぐに助手席に乗り込んでくれた。


「それで……お話というのは?」

「うん……」


 何処か心配そうな瞳が、俺を見据える。

 ついにこの時が来た。

 もうじたばたしても仕方ない。言わずにいたかったのにと悔やんでも仕方ない。

 だから、せめて。

 きちんと、話そう。

 “蝙蝠”に関することだけは絶対に明かせないけれど、せめて、嘘だけは吐かずに。

 俺は、そう、覚悟を決めて、口を、開いた。


「一番最初に、桜花が俺に訊いた事、憶えてるか?」

「え……あ……はい。何処かでお会いしたことがありますか、って」

「俺はその時、君とは初対面だと答えた。実際あの時、俺には、君と会った記憶がなかったから。

 でも……どうやらそれ、間違いだったみたいなんだ」

「、……それって」

「俺も、ついさっき思い出した。昔、俺と君は間違いなく、会ったことがある。それも、一度や二度だけじゃなくて、何度も」


 桜花が驚きの余り、目を丸くした。

 困惑しながら俺から視線を外して、それがいつだったのかを懸命に思い出そうとするような素振りを見せる。

 運命の、再会。

 そんな風に言うととても素敵な響きに聞こえるけれど。

 俺達のこれは、そんな甘いもんじゃない。


「憶えてないかな? まだ君が小学生くらいだった頃、よく君の家に遊びに来てたんだけど。

 ……夏目先輩に、会いに」

「――……、っ!!」


 夏目、の名を口にした瞬間、桜花の顔から血の気が引いたのが、分かった。

 言葉を紡げば紡ぐ程、俺は、桜花を動揺させ、傷付ける。

 それでも……言わなくちゃ、いけない。


「本当は最初、引っ掛かってはいたんだ。七海、という苗字に聞き覚えがあったし……でも、その苗字自体は言う程珍しいものじゃないし、仕事柄、色んな名前の人と会うから、それ以上大して気にしてはいなかった。

 七海っていうのは、君の、お母さんの旧姓、だったよね?」

「……、……」

「名前を変えたのは……先輩の、事件があったせい?」


 そこまで口にすると、桜花が、怯えたように体を強張らせ、身を後ろに引いた。

 座席のドアに背中がぶつかると、弾かれたようにドアノブに手を伸ばして、車から降りて逃げようとする。

 けれど俺はすかさず、桜花の手首を掴んでそれを阻止した。


()、……っ」

「桜花、」

「私、知りません。兄が何処に居るかとか、何故あんなことを仕出かしたのとか、何も……知りたくもないもの……!」

「、……」

「黒咲さん、探偵さんなんですよね? 探偵さんは、ドラマや漫画みたいに、警察に協力して犯人を捜したり捕まえたりはしないものだって聞きました。

 でも、誰かに依頼されて、人を探し出したり、素性を調べたりはするんですよね。

 真緒さんのお母さんにでも、頼まれたんですか……!?」

「落ち着いて、桜花。俺は……」

「皆して、妹なんだからとか妹のくせにとか、そんな勝手なことばかり……!

 好きであんな奴の妹に生まれた訳じゃない……! 妹だから何なの!? 妹ってだけで、犯罪の共犯者みたいに扱われる覚えなんてない!

 家に押し掛けて来られたり、追い回されたり……顔をSNSで晒される筋合いない!

 知らないものは知らないの! 妹だからって、私を巻き込まないで!!」


 ――それは。

 少なくともこの一年の間、ずっと、桜花が心の内に押し込んで、秘め続けていたのだろう、叫び、に違いなかった。

 妹だから、妹のくせに、妹なのに。

 そんな声に晒され続けた彼女の、悲鳴、だった。

 それを聞いた瞬間、俺は……掴んでいた桜花の手首を引き寄せて、彼女の体を、強引に、抱き寄せた。




「――落ち着け、桜花。ごめん……怖がらせるつもりじゃなかったんだ」


 今まで、何度も、何度も……何百という“被害者”の声を聞いて来た。

 何百という“加害者”の声を聞いて来た。

 “蝙蝠”の隊長として、俺は、それらに耳を傾けることはあっても、深入りだけは絶対にしないと決めていた。

 だけど……今回だけは、駄目、だった。

 苦しくて、痛くて……切なくて、堪らない。

 今まで桜花はずっと、あの悲鳴を独りで抱えて生きていたんだろう。

 誰にぶつけることも出来ず、逆にずっと、怒りと憎しみを、兄の代わりにぶつけられ続けて。

 誰も、桜花の悲しみにも苦しみにも、目を向けようとしなかった。

 独りぼっちで、それでも頑張って生きてたんだ。


「……私の事、調べてるの……?」


 震える彼女の体を、より力を込めて抱き締めれば、胸元で、怯えたような声で問われた。

 俺は、「違うよ」と努めて柔らかい口調で答える。


「俺が今日君を呼んだのは、君を尋問しようとか、警察に突き出そうとか、そういうつもりじゃない」

「じゃあ、どうして……」

「言ったろ? どうしても……桜花に会いたかったんだ。

 桜花に、伝えなきゃいけないことが、あったから。

 ……このまま聞いてくれるか?」


 幾分か落ち着いたのか、桜花は、俺の言葉に一つ、小さく頷いてくれた。

 あんなやり切れない思いを抱え続けていたからこそ、俺は、ちゃんと、桜花に話をしないといけないのだと、改めて強く思う。

 本当はそのために、今日、無理を言って桜花の時間を貰った。

 夏目優一朗と、俺、黒咲大和の間に何があったのか。

 “七年前”の、真実を。


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