ずっと見ている
県内屈指の高級ホテルの、スイートルームのドアの前で。
俺は、大きく息を吸い込んで、ゆっくり、吐き出した。
一般市民が生涯のうち、一度でも泊まることが果たしてあるか否か、というような、豪勢且つ煌びやかな内装、気品に満ちた洒落た雰囲気。
まあ、往々にして女が喜びそうな場所ではある。
流石は、県でトップを誇る企業の社長。ヤる場所も超一流、ということだろうか。
……酷い気分のままここへ来たせいだろうか。
今正に、俺の同僚がこの向こうで引ん剝かれてるのかと思うと、そいつを撃ち殺してやりたい衝動に駆られる。
命じたのは俺だけど。
……いやいや、落ち着け、俺。
俺は今、ここに違法行為をへらへらやってる男を捕まえに来たのであって、胸の内に燻る苛立ちを悪戯に発散しに来た訳じゃない。
服の上から、そっと、胸元の銃に触れて、もう一度、小さく深呼吸。
そうして俺は、通路の向こう側に潜んでいる刑事達の方に軽く目配せして、一つ頷くと。
銃に触れていた手をそっと下ろして、その手をズボンのポケットへ持って行き、スマホを取り出した。
――作戦開始だ。
しつこいくらいにコールを鳴らすと、十数コール目にして、漸く相手が電話に出た。
『何の用だ!?』
相手の番号も確認せずに出たらしい。
勝手に自分の会社の人間と思ってるようで、第一声は大声でそれだった。
鼻息も荒く、正に真っ最中であったことが容易に窺える。
「お取込み中申し訳ありません。私、RS社の佐藤と申す者ですが」
対する俺は、無機質な調子で淡々と口上を述べる。
RS社というのは、柚希が潜入捜査をしている、売春斡旋容疑が掛かってる会社の名称だった。
つまり、電話の相手は、この豪華なドアの向こう、柚希を組み敷いている最中であろう、彼女の今夜の“客”、だった。
『何だ一体! 今夜はスタッフを一人レンタルしておるんだぞ!』
外道な言い回しに少し怒りを覚える。
夜の相手を一夜借りて、自分、あるいはRS社が用意した場所で存分に快楽を貪る。
故に彼らは、“レンタル”という用語を使っているのだという。
「はい、重々承知の上で御座いましたが、至急、今晩スタッフをレンタルして下さった皆様と、スタッフ自身にもお知らせせねばならぬ事態が発生致しまして。
誠に申し訳御座いません、極秘の、緊急の用件ですので」
『、……それで、何だ? その用件というのは』
「はい。それをお伝え致したく、実は今、武下様方が御休憩なさっているホテルのお部屋の前におります。
盗聴などの万一の事態も御座います。お手数をおかけして大変恐縮なのですが、お部屋から出て来て頂いて、直接お伝えさせて頂けませんか?」
『電話ではいかんのか? 何故だ?』
「それが、あの……皆様の安全に関わる事、で御座いまして。何卒……」
『……分かった。少し待っていろ』
わざと口調を変え、声に焦りと恐怖の色を交ぜれば、武下は一転して大人しく俺の言うことに従った。
電話が切られた瞬間、俺はふ、と不敵な笑みを浮かべる。
……本当に、こういう手合いは単純で助かる。
俺は、両角に待機している刑事達に向かって合図を送ると、すかさず壁際、開け放たれたドアに隠れる位置に身を滑り込ませる。
気配を殺し、息を殺し――……数秒後。
がちゃ、という解錠の音と、ドアノブを回す音が響いて、ドアが開かれて。
「――確保!!」
刹那。
号令と共に、廊下の両側から一斉に警官達が押し寄せた。
「な、何だ!?」
俺の下手な芝居でのこのこ姿を見せた武下は、パンツ一枚という間抜けな格好で警官達に取り押さえられた。
「売春防止法違反で逮捕する!」
「ま、待て! 俺はこのホテルの警備会社の社長だ! 今夜たまたま俺が担当だっただけで……部屋の中の女に無理に誘われたんだ!!」
この期に及んで全く無意味な言い訳を喚き散らす武下に対し、当然、刑事達は耳もくれない。
こういう奴の狡いところはここだ。
売春防止法は、売買者が保護の対象という考えの下に存在している。
売春をした、だけでは、逮捕されない、のだ。
この武下という男は、それを知っている。だから、自分はただそういうことをしていただけ、だと主張しているのだ。
まあ、恐らくはRS社が入れ知恵したんだろうが。
だが。
「――往生際が悪いわよ、武下さん?」
部屋の奥から、勝ち誇った女の声が響き、皆一斉に振り向く。
そこには、バスローブを纏い、USBメモリーを片手で掲げて立つ、柚希の姿があった。
「貴方、RS社と裏で提携してるんだってね? ここだけじゃなくて、他にも自分の会社が警備を担当してるホテルを、売春場所として提供したり、紹介したりしてたんだとか」
「お、お前……何故、それを……!」
「……私が、あんたみたいな下衆いおっさん相手に喜んで腰を振るだけの娼婦だと思ったら、大間違いよ」
敵意と殺意の籠った冷たい眼差しで武下を見下ろして、そう吐き捨てると、柚希は、持っていたUSBをすぐ側に居た刑事に手渡した。
売春をしただけでは逮捕はされない。だが、そのための場所を提供したり、斡旋したりすれば話は別である。
このおっさんは、極上の場所を提供するのを条件に、気に入った女を毎夜のようにとっかえひっかえで買春していた。
――やがて、刑事達に次から次へと連絡が入り、他の場所で売買春をしていたRS社の売春スタッフや客を一斉に確保し、RS社の社長も無事に逮捕、拘束に至り。
柚希の任務は、これで、正真正銘完了したのだった。
□□□
事務所に戻って、書類整理やら何やら、あまり頭を使わない、無心で没頭出来る作業をしていたら、いつの間にか夕方になった。
警察の聴取やら何やらが終わって、漸く解放されたのが明け方四時。
そこから家には帰らずに、事務所に戻った。
柚希は、賢吾達が出社して来る前に報告書を書き上げ、先に帰宅したが、俺は俺で報告書を書き上げなくてはいけなかったし、それでなくとも片付けなくてはいけない仕事もまだあったので、結局この時間まで作業に没頭することとなった。
やっぱりというか、俺達四人の間に流れる空気は微妙だ。
そんな中、崎原が真っ先に定時で帰って行った。
奴にはまだ捜査を割り振っていないから、華月が抜けたことで滞っていた分の仕事と、賢吾からの武道の稽古や銃の訓練が今の主な仕事になっていた。
俺が完膚なきまでに叩きのめしてやったのが効いたのか、思いの外真面目に仕事をこなしている。
そろそろ、あいつにも本格的な捜査の任を与えてやってもいいかもしれない。
御自慢のおつむとハッキングの腕もちゃんと把握しておかなきゃだし。
そんなことを考えているうちに、次に賢吾が席を立ち、帰って行った。
残されたのは、俺と夏鈴のみ。
その夏鈴も、帰り支度を始めているので、あと数分もせずに帰ることだろう。
俺も、そろそろ終わりにして帰るか……。何だかんだで徹夜だし。
そう思いながら、机の上に広げていた書類を、少々乱雑に大雑把に整理して片付けて、足元に転がすように置いていた鞄を取り出して――。
「隊長」
その時、夏鈴が俺の名を呼んだ。
振り向けば、いつの間にやら俺の机の目の前に、彼女は立っている。
近付いて来ていたのを気付かなかった。やはりちょっと疲れているらしい。
「どうした?」
「……あの……」
いつかと同じように歯切れの悪い調子の夏鈴だったけれど、俺は根気良く続きを待った。
「あの」
やがて彼女は、決意を秘めた表情で顔を上げて。
「今回の事、本当に、色々とすみませんでした」
「……、いや。もう気にしていないし、お前も気にするこたねえよ。間違った事は言ってねえしな」
「……私、入隊してからずっと、隊長の事を見ていました」
「……、」
「優しい人だと、思っていました。
こんなに優しい人が、どうして、犯罪なんか犯したんだろう、どんな罪を犯したんだろうって、ずっと、気になっていました」
真摯に詫びた直後に、過去形で、それも聞き様によっては告白みたいな言葉を語る夏鈴に、俺は一瞬面食らう。
とはいえ、表情からも目付きからも明らかにそんな甘ったるい意図は見られないので、曖昧に一つ頷いて先を促した。
「でも今回……私は、隊長の何を見ていたんだろう、って、不安になりました。
崎原君との事も、柚希さんの任務の事も……隊長が、本当に、怖くて……理不尽で怒りさえ感じました」
「………」
前で組まれている彼女の手に、力が込もる。
もしかしてこれって、辞職……っていうか除隊の申し出なんだろうか……。
「だけど隊長は……私達を、守ってくれてた……
それを知って、益々、隊長の事が、分からなくなりました」
彼女が言葉を続ける程に、その可能性が濃厚になって来て、胸のざわめくのを自覚せざるを得なかった。
辞めたいという奴を、無理に引き留めるつもりはない。
隊員が、自ら進んで除隊を希望した場合、勿論刑務所に戻ることにはなるが、短ければ半年程で解放されて、本当にただの“前科者”として一般人になることが許されている。
その後数年は監視は付いたままだが、再犯と“蝙蝠”についての情報漏洩の恐れは一切なし、と判断されれば、その監視も解かれるのだ。
彼女がもう俺の元に居たくない、俺には付いていけないというのなら、それはそれで仕方がない。
俺は、僅かに息を零して、静かに、口を挟んだ。
「分かんねえもんを、無理に理解する必要なんて、ねえよ」
ふ、と諦めたような笑みを、口許に浮かべて。
「人と人ってのは、絶対に、決して、理解し合う事なんて出来ねえ。
理解出来ねえって分かっちまったんなら、とっとと見切りを付けた方が楽さ」
だから、除隊したいなら構わないぞ――と、言い掛けた、時。
「そうかもしれません。でも……それじゃあ困るんです」
何処か、苛立ちさえ微かに滲んだ声で、夏鈴が言い放った。
「困るんです。だって私、分からないからこそ、隊長の事がもっと知りたいんです。
分かりたいって……前にも増して思うようになってしまってるんです」
その時、彼女の瞳の奥で、誠実な輝きが一瞬見えた。
「……言った、でしょう。ずっと、見てた、って」
そうして、そう一言ずつ気持ちを込めるように言い直されて、漸く、気付く。
そんな甘ったるい意図はなかった筈の、言葉の裏の、彼女の熱に。
「――だから」
彼女の声が、切実なまでに懸命で、今にも崩れ落ちてしまいそうな程に震えていることに。
「だから……私は、これからも見ています。隊長の事。
優しい隊長と、冷酷な隊長と、どっちとも付かない隊長と……何が、どれが、本当の、“黒咲大和”なのかを、自分の目で、確かめます」
そして同時にこれが、除隊の申し出でも、ましてやただの“告白”なんかじゃあ、ないってことに。
「……熱烈というより、強烈だな」
女は怖い。
柚希に例の任務を初めて言い渡した時から感じていた事を、ここへ来て夏鈴相手にも思う日が来るなんて、思いも寄らなかった。
ため息と共に苦笑を浮かべて、半ば投げ遣りな口調でそう呟けば、漸く夏鈴も、笑った。
「“蝙蝠”を束ねる方を相手取るんですもの。これくらいじゃないと、でしょ?」
勝ち誇ったように笑う夏鈴に、俺はもう一生、女には勝てる気がしないな、と思わずにいられない。
けれど。
妙に、気分は晴れやかで。同時に、安堵のようなものが胸に広がるのを、自覚せざるを得なかった。
夏鈴は、俺に返答を要求しなかった。
というより、元からそんなつもりで、俺にあんなことを言った訳じゃないんだろう。
本当にただ、伝えるため、伝えたかったが故に。そして、その想いを捨てないことを選んだ自分のために。
どう転んでも俺には応えてやることは出来ない、けれど。
彼女が“蝙蝠”を生きる場所と決めたのなら、俺は、隊長としてやるべきことをやるだけだ。
仲直り、というような無垢な話ではないにしても、とりあえずは蟠りは払拭した、ということで良いのだろう。
妙に軽くなった気持ちを胸に抱えて、俺は、穏やかな気分で車に乗り込んだ。
――けれど。
ピロリン。
タイミングを計ったようにスマホが、メールを知らせる短い着信音を奏でる。
エンジンを掛ける直前に、画面を操作して内容を確かめると。
「――、っ!」
俺は、綴られた文面に、浮かべていた笑みを消し、目を瞠り息を呑んだ。
……送信主は、正にこれから会いに向かおうとしていた、県警本部長。
短く、何処か素っ気ない文面で、ただ、一言。
『七年前の被害者が、先程亡くなった』
そう、綴られていた。
ドクン。ドクン、ドクン……
鼓動が、疼く痛みのように脈を打つ。
七年前の被害者。それが、誰の事を言っているかなんて、詳しく書かれてなくても、俺には、嫌でも分かった。
「……――そう、か……」
……少し、して。
大きく、息を吐き出しながら、俺は、呟いて、シートに、凭れ掛かった。
――そうか。
あれからもう……七年も、経った、のか……。
第二話 終




