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何者にもなれない蝙蝠達  作者: 和菜
女コウモリ
15/29

隊長として

 

 明る過ぎず暗過ぎない店内に、ジャズ音楽が煩過ぎない程度の音量でかかっている。

 繁華街より少し外れた場所にある、こじんまりとしたバー。そこのカウンター席で、俺は少し強めの酒をちまちまと飲んでいた。

 開店して間もない時間故か、平日故か、客は俺以外には居ない。

 が、マスターも無闇に俺に話し掛けるようなこともなく、黙々と何かしらの作業に勤しんでいる。

 普段あまり酒を飲む方ではないが、バーに来て酒を注文しないというのも何なので、どうせならとアルコール度数の高い酒を注文した。

 陰鬱な気分になっているのは、賢吾や夏鈴と言い争いになってしまったからだけではない。


「――この方と同じものを」


 何度目になるか分からないため息をそっと零した時、隣に一人の女性が座った。

 甘い香水の香りを漂わせ、少し派手なスーツを纏い、普通の会社員の女性より濃い目の化粧を施しているその人物は、俺が呼んだ柚希だった。


「……バレちゃったんだってね。私の任務の事」

「……聞いたのか」

「夏鈴からさっき連絡があったの。それで、ちょっと会って話して来た。賢吾も一緒だったわ」

「……そうか」

「大和、あんた夏鈴達とやり合ったんだって? 夏鈴、凄くショック受けてたわよ」

「……そうか」

「……言わなかったのね、やっぱり。皆に黙ってた、本当の理由」


 そこで沈黙が下りる。

 タイミングを計ったかのように、柚希の目の前に、俺が頼んだ酒と同じものが、そっとマスターによって差し出された。


「私の任務の事を皆に内緒にするのを決めたのは、他ならぬ、大和、あんただってこと」


 それを一口含んだ後紡がれた言葉は、少し、淋し気で。

 俺も、グラスを煽る。

 テーブルの上にグラスを置くと、僅かに中の液体が揺れた。


 柚希が件の任務を専任するようになって暫く経った頃、俺達第七小隊は解散寸前の危機に陥ったことがあった。

 隊員が、俺と柚希以外誰もいなくなってしまったのである。

 元々第七小隊は、全国に散らばる他の“蝙蝠”小隊と比べて、更に少人数で形成されている上、当時は比較的荒くれ者が配属されることが多かったために、再犯などの理由で入れ替わりが激しい部署でもあった。

 まだ先代から隊長の座を引き継いだばかりだった俺は、そんな荒くれ共を束ねるに十分に必要な力を備えてなくて、結果、気付けば隊は瓦解間近というところまで迫っていた。

 そんな時、刑期を終えてスカウトされ、第七小隊に入隊して来たのが、賢吾と夏鈴だった。


『……極秘扱い? 私のあの任務の事を?』


 俺がそう決めたのは、彼らが入隊してすぐの事だった。


『どうして? こういう連中が寄せ集められた組織よ。そういう任務があるってこと、知っておいてもらう必要はあるんじゃない? 特に夏鈴には』


 柚希の言い分は尤もだった。

 だが俺は、それには頑として首を縦に振らなかった。


『……何か、理由があるの?』

『………』

『……あの子がまだ若いから、なんて言うつもりじゃないでしょうね?』


 呆れたような口調に、俺は一瞬唇を噛んで。

 デスクの一番上の引き出しから、一枚紙を取り出して、柚希に見せた。

 ――それは、夏鈴の経歴書、だった。

 本当は、経歴書は仲間内であっても勝手に見せることは許されていないのだが、これに関しては、口で説明するより、こうした方がより分かってもらえると思った。


『、……ちょっと、これって……』


 読み終わった瞬間、柚希は半ば絶句して俺を見上げた。

 経歴書には、簡単なプロフィールと、犯した罪の罪状、判決内容、服役期間等が簡単に記されている。

 当然、夏鈴のそれにも、夏鈴がどんな罪を犯し、どれだけの間刑務所に居たのか、手書きできちんと記されていて。

 正にそれこそが。

 俺が、柚希の任務を、隊内でも極秘扱いにすることを決めた理由、だった。


『……悪いな、柚希。だが俺は、こんな過去を背負った女に、そういう任務もある、なんて、とても言えそうにねえや』


 ごめん、柚希。

 俺はその時、そう言うしかなかった。

 ごめん。こんな隊長で、こんな男が隊長になってしまって、ごめん、と。


「……言ったのか、夏鈴に。その、本当の理由を」

「いいえ。あの時、最終的に夏鈴や他のメンバーに内緒にしておくことに同意したのは私だし、それに。

 あんたが一人悪役になってまで守ろうとしてるものを、あんたを利用してる私が、踏み躙る訳にもいかないでしょう」


 一つ肩を竦めて、柚希はカクテルを一気に煽り、


「ほんと……損な性格し過ぎなのよ、大和は」


 と、少しだけ淋し気に、呟いた。


「……これ、報告書よ。新たに数人の情報を手に入れたわ。多分あともう少しで全てが網羅出来ると思うから、上に摘発の準備を促しておいて」


 そして彼女はそう言いながら、バッグの中から封書を取り出して、テーブルの上に置いた。

 それを俺が受け取るのを確認すると、今度は財布を取り出して、万札を二枚、俺の手に握らせる。


「おい、」

「今日は私が奢ってあげる。好きなだけ飲んで、帰りはちゃんとタクシー拾って帰りなさい」

「……俺の母ちゃんかお前は」

「あんたの母ちゃんなんて願い下げだけどね。でも、今日のあんたのやけ酒の原因は、半分は私にあるし、いつも、迷惑掛けてるからね。せめてものお詫びの気持ちと思って」


 労わるように微笑んで、柚希はショルダーバッグを肩に掛け、身を翻す。


「……今夜はいいのか?」


 彼女の優しさに、思い遣りに、何故だかこの時、俺は何だか酷く胸の辺りがざわざわした。

 お酒を飲んでいるせいだろうか。

 多少なりとも気分が荒んでいるせいだろうか。

 自覚せざるを得ない程に低い声で、立ち去る背中に半ば挑発的に問うた、けれど。


「結構よ。私はまだ、疲れてないから」

「……そうかよ」

「それとも、今夜は大和が私に慰められたくなった?」


 お返しとばかりに、口許に笑みを浮かべて軽やかに言う柚希に、俺は思わずむすっとした顔で睨む。

 が。


「大和。今夜だけは、自分を大事にしてあげなさい」


 それこそ母親みたいにそう言って。

 柚希は、今度こそ颯爽と、店を後にした。



 □□□



 証拠も資料と情報も、十分な程に、手元に揃った。

 柚希を任務に就かせて三ヶ月。

 思いの外時間は掛かったが、その分、売春行為を行っていた下郎共を一人残らず突き止めることができ、言い逃れ出来ない程の証拠を、揃えることが出来た。

 俺は、大きく息を吸い込みながら、デスクの椅子の背凭れに、大きく寄り掛かった。

 これで後は、柚希が届けてくれた報告書を全て上に渡ぜば、彼らはすぐにでも摘発に乗り出せるだろう。

 必要なら、俺や柚希で警察の手引きをしたり、まんまと逃げようとする奴らの足止めといった役割も担うことになるかもしれない。

 何故か分からないけど今回は……妙に、長かった。

 気を取り直して、俺は、デスクの一番上の引き出しに仕舞っておいた報告書を纏めて封筒に入れると、鞄に入れてしっかりチャックを閉め、デスクの上を片付けてから、席を立った。

 勿論、引き出しに鍵を掛け直しておくのも忘れない。


「ちょっと出て来る。戸締り頼んだぞ」


 簡潔にそう伝えると、メンバー達は顔を上げて、「行ってらっしゃい」口々に小さく送り出してくれた。

 夏鈴と賢吾と喧嘩してから、事務所には何となく、冷めた気まずい雰囲気が漂っている。

 夏鈴は俺と目も合わせないどころか、口も利かなくなったし、賢吾は俺を無視するようなことこそしなかったが、口調も態度も明らかに素っ気なくなった。

 崎原はといえば、そうなってから一度、俺に、ここぞとばかりに「あんだけ俺を罵っておいて、ざまあないですね、隊長さん」と嫌味を言って来たので。


「てめえと一緒にすんじゃねえよ、インテリ気取りの陰険強姦魔」


 とドスの効いた声で更に罵ってやったら簡単に萎んで逃げてった。

 傍から見たら完全にパワハラだ。これでもちょっと悪かったと思ってる。

 ……本当だってば。

 とはいえ、それについての謝罪も隊員達との関係の修復も、全部今は後回しだ。

 今は、一刻も早く柚希が手に入れてくれた情報と証拠を県警に渡して、奴らを摘発に誘導する。

 そんで早く、柚希をあそこから連れ戻さないと。

 一切の邪念を振り払いながら、足早に駐車場に向かう。

 車のロックを解除して……


「大和隊長!」


 その時、背後から少々慌てた声で呼び止められた。

 振り返ると、何だか切羽詰まった顔をした、夏鈴が、居て。


「……どうした、夏鈴」

「あ、あの……」


 夏鈴ときちんと面と向かって話をするのは、あの喧嘩以降、初めてだった。

 割と言いたい事ははっきり言う性格の彼女が、気まずそうに視線をキョロキョロさせながら言い淀んでいる。

 まだ俺と話すのは気が進まないのか、はたまた、また何か俺に物申したいことがあるのか。


「……どうしたんだ」


 静かに、けれど少しだけ急かすようにもう一度問えば、夏鈴は一瞬体を強張らせて。

 意を決したように、口を開き、ゆっくりと、頭を深々と下げた。


「……この間は、すみませんでした。つい、感情的になってしまって……」

「、……いや。俺も……悪かったな。手荒い事をして怖がらせた」

「……隊長は、今からどちらに、行かれるんですか?」

「県警だよ。十分な証拠と情報は揃った。摘発を促しに行って、必要なら手を貸して来る」

「それって、柚希さんの……?」

「ああ。心配するな。あいつはちゃんと無事に連れて帰るから」


 俺がそう言うと、夏鈴は唇を引き結んで、僅かに俯いた。

 ――が、次の瞬間。


「私も、連れてって下さい」


 全く予想も想像もしてなかった申し出が、しっかりと顔を上げた彼女の口から紡がれた。


「……連れてけ、って、お前……」


 思わず唖然としつつ呆れたように言えば。


「お願いします」


 と、夏鈴が再び頭を下げる。


「……駄目だ。今回の摘発には警察もかなりの数の人員を動員する。

 俺達がぞろぞろ駆け付けるのは無駄だ」


 敢えて分かるようにため息を零しつつ、突き放すように言った。


「……お願いします! せめて私に……柚希さんを迎えに行かせて下さい!」

「行ってどうする。胸糞悪いもんを見る羽目になるだけだぜ。そんなもん、見ないで済むならそれに越したことはねえだろ」

「そうかもしれません。でも……行きたいんです。せめて、それくらい、したいんです」

「……、」

「……私は未だに、柚希さんの任務の事を極秘にされたのは、納得してません。

 柚希さんが、一人でそんな任務に当たらなきゃいけないことも、理不尽だとしか思えません。

 でも……確かに私には、柚希さんと同じことは、出来ない。

 柚希さんが決めた覚悟を、決めることが出来ない」


 言いながら、夏鈴は悔しそうに拳を握る。

 あいつと同じ覚悟を決められない、なんて、そんなのは当たり前だ。

 元より、たとえ秘密にしていなかったとしても、夏鈴には、あの潜入捜査は絶対にさせられないし、出来ない。

 何故なら。


「……お前は、そんな下郎共から、解放された側の人間だからな。

 幾年かの自由と引き換えの」


 それこそが、俺と柚希が、夏鈴に秘密にしていた理由だから。


「……やっぱり、夏鈴のためだったんですね。

 柚希さんの任務の事を、俺達にも黙っていたのは」


 その瞬間、夏鈴の背後から、賢吾が姿を現した。

 隣には崎原もいる。

 俺も夏鈴も驚愕を隠せなかったが、賢吾はお構いなしに酷く怒った顔をして、大股でこちらに近付いて来る。


「全部、夏鈴のためだったんでしょう? あんな任務が度々、それも、第七小隊専任で指令が下ることがある、なんて。

 ……父親の愛人の子で、認知されずに見捨てられた夏鈴には、とても、言えなかった」

「っ、!」


 その、賢吾の硬い言葉に。夏鈴と崎原が、同時に息を呑み。

 俺は、静かに目を伏せた。




 夏鈴の過去について、俺は、多くを知らない。

 ただ、彼女は、賢吾の言った通り、父親が他所に作った女に出来た子で。

 その女性の妊娠が分かると、あっさりとその人を捨てて、産まれた子を認知せず見捨てた、最低の親父だった、ということと。

 夏鈴が、その父親を刃物で刺して、殺人未遂で捕まった、ということ、だけ。

 俺が知っていることはそれくらいだ。

 だが、夏鈴を、柚希と同じ任務から遠ざけるには、十分な理由だと思った。

 性欲処理のために女を食い物にし、そんな男を悦ばせるために女は己の体を売り。

 やっていることは、夏鈴の父親とそう変わらない。

 父親と同じような事をしている男達の相手を、一斉にとっ捕まえるためとはいえ、任務だからやれ、なんて、俺には、どうしても……どうしても、夏鈴には告げられなかった。

 柚希は、そんな俺の優柔不断で中途半端な気遣いを、それでも、「確かに……ね」と笑って認めてくれたのだ。

 独りで苦渋を舐めてくれと言った俺を、許してくれたのだ。

 だから……。


「だからあんたは、隊長として、悪役に回ることを選んだんでしょう。

 夏鈴が柚希さんの任務を知った時、夏鈴の傷を抉ることで、夏鈴も柚希さんも、両方守れるように」


 駐車場に、賢吾の呆れたような、静かな声が響く。

 夏鈴が困惑したように俺を見つめるけれど、俺は、深いため息と共に目を伏せて、彼らに背を向けた。


「隊長……っ」

「……もう戻れ、夏鈴。この際、俺の思惑がどうであれ、お前には関係ねえことだよ」

「っ、どうして……」

「柚希に任務に就けと言ったのは俺。

 お前達に任務の事を決して告げないことを決めたのも俺。

 俺にどんな思惑があろうが、真意がどうであろうが、事実はそれだけだ。

 それだけで、十分だろう」


 吐き捨てるように、突き放すように言って、俺は、話は終わりとばかりに車に乗り込み、エンジンを掛けた。


「隊長!」


 夏鈴が尚も追い縋って来たのが見えたけれど、構わず俺はアクセルを踏み込んだ。

 所詮、物事は結果と事実だけが全てだ。

 その裏にどんな思惑や願いがあろうとも、事を決めて、やり遂げた先に残った結果が、結果と言う名の事実だけが全てだ。

 “蝙蝠”に限らず、一般社会に於いてもそうだろう。

 物事を決めて、やり通して、先に残った結果と事実。それだけが、全てを左右し判断され評価される。

 そこに行き着くまでにどれ程の苦悩や痛みがあったって、判断し評価する側にとっては、どうでもいいことだ。

 良い結果なら良い、悪い結果なら悪い、それしか、要らないのだ。

 だから俺も、それで、いい。

 あいつらにとって、冷酷で、冷徹な、“蝙蝠”第七小隊長、黒咲大和。

 それだけで、他は、どうでも、いいんだ。


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