大暴走と大脱出(後)
クマ族の2人組は、既に、『人体』の鳴き声を上げていない。
正真正銘の凶獣としての、狂乱の雄たけび。その異様なまでに血を欲する攻撃的な声質からして、完全にバーサーク化したクマ族だ――と理解できる。
熊の頭を乗せた、パワフルで獰猛な巨人であろう事は確実だ。手にも足にも、ゾッとするような鋭い熊の爪が、飛び出しているだろう。
――再び捕まったら大変だ!
ケビン君とユーゴ君は、即座に身軽な『狼体』へと変身し、灰褐色の少年の促しに応えて、先に脱出だ。梁を伝って、見張り塔の縁へと駆け出す。そして、疑問顔で足を止め、振り返って来た。
灰褐色の少年が『魔法の杖』を振り回して、急き立てる。
「急げ! 今、ザリガニ共も闘獣も、クマ族の2人も、混乱してて頭が回ってねぇ! こいつら、より多くの獲物の匂いのある方向へ暴走するぜ、先に、城下町の隊士たちに通報しろよ! オレたちは後から行く!」
『了解!』
金色と黒色の少年『狼体』は、見張り塔の下へと身を躍らせた。
――『狼体』だと、見張り塔の高さも何のその、らしい。
やがて遥か下の、混乱の性質が変わった。
灰褐色の少年の警告通り、巨大ザリガニと、レオ族な『闘獣』と、バーサーク化クマ族の2人組は、『より多くの獲物の匂いのある方向』――つまり、『茜離宮』城下町の方向へと、向きを変え始めたのだ。
更なる混雑と振動で、見張り塔の全体が動揺する。巨大ザリガニの大群の突進。巨大なザリガニ・ハサミの衝突。レオ闘獣の爪と牙による突き崩し。それにバーサーク化クマ族の2人組が起こす、魔法の衝撃波。
ありとあらゆる攻撃を受けて、古びた見張り塔の石積みの壁が、バラバラと崩れ始めた。
メルちゃんが『狼体』に変身し、上部の穴から『ビュンッ』と飛び出す。続いて、わたしだ。
わたしは『狼体』に変身できない。灰褐色の少年と『人体』に戻ったメルちゃんに、両方から手を引っ張られつつ、ヒイヒイ言いながら空中牢屋を這い出て、梁にしがみつく形になった。
そして――そのまま、凍り付いたように動けなくなってしまった。『高所トラウマ』発動だ。
「チクショウ、姉ちゃん、動けよ! この塔、本当に崩れる!」
「ルーリー、動いて!」
――ごめんよぅ! 2人だけでも、先に逃げて~!
「冗談じゃねぇよッ! 姉ちゃんが死んだらオレが斥候に殺されるんだ、面が割れてんだから!」
塔全体が、不吉な『ビキビキ』という重低音を立て始めた。基礎部分に亀裂が入ったと言う事だ。
「あれあれあーッ!」
見張り塔が大きく傾き、メルちゃんが意味不明な悲鳴を上げる。
足を滑らせた瞬間のメルちゃんの腕を、灰褐色の少年の手がつかんだ。わずかながら筋骨が付いていたお蔭か、少年の態勢は大きくグラつきながらも、梁の上で持ちこたえる。
身軽なメルちゃんは、一時は宙ぶらりんになりながらも、すぐさま梁の上で態勢を立て直した。ウルフ族のバランス感覚は優秀だ。
バーサーク化クマ族の2人組が『魔法の杖』で放つ衝撃波が、見張り塔の基底部分から最上部の部分まで達する、幾条もの大きな裂け目を作る。
――ビシ、ビキン、バシィン!
石積みが重力崩壊を始めた。余りにも攻撃を受けすぎて脆くなっていた下層部の石積みが、上層部の重量と動揺を支え切れなくなったのだ。
「高所トラウマ……メル、姉ちゃんの目をふさげ!」
メルちゃんは、少年の指示の意味を一瞬で理解したようだ。
梁にうつ伏せにしがみついたままの、わたしの背中に馬乗りになる。馬乗りになるや否や、メルちゃんは、わたしの目を両手で、ピッチリと塞いできた。
――わッ! 何も見えない!
別の意味で総毛立つ。顔をフルフル振ってみたけど、メルちゃんの手は、シッカリへばりついたまま、取れない。
見張り塔は、いよいよ、決定的な角度に傾き始めたらしい。不吉なまでの轟音が、いつまでも続く。重力を感じる方向が、今までのお腹の下から、横腹に移動した。
――この塔って、横倒しに倒れようとしてるの?!
少年の手が、わたしの腕に掛かるのを感じる。次の瞬間、左右のひじの位置に、順番に強烈な打撃が入った。わたしの腕の感覚が無くなった!
ひじを打った一瞬、腕の全体の感覚が無くなる程にジーンと来て痺れる事があるけど、あの応用らしい。
少年が、わたしの痺れた腕を引っ張ったらしい。「うおぉ」と言う気合と共に、わたしの身体が梁から引き剥がされた。
塔が更に、不吉な『ギギギ』という軋みを立てている。
次の一瞬――足元の感覚が無くなった。空中に放り出されてるって事だ。ひいぃ!
「手ぇ離すなよ!」
少年のわめき声の直後、自由落下しているのであろう、猛烈な空気抵抗が全身に掛かって来た。
「あれあーッ!」
少年が足場の名残を力いっぱい踏み切ったのか、暫し横殴りの風が来る。
メルちゃんは死に物狂いならではのガッツでもって、後ろの方から、わたしの目を両手でふさいだままだ。お腹に、メルちゃんの両足がシッカリ絡みついているのを感じる。
「風の精霊王の名の下に……パラシュート!」
少年の詠唱だ。続いて、有り得ない強風が足元から吹き上げて来た。魔法の風らしい。
――パンッ!
強靭な布のような物が――足元から吹き上げて来る強風を捉えたような音だ。自由落下の速度が、止まった。代わりに聞こえて来るのは、ゴウゴウと言う強風の音だけだ。
ゴウゴウと言う強風の音の他にも、何やらゴロゴロ、ドロドロ……と言う重低音も重なって来てるんだけど、強風の音の方が大きすぎて、良く分からない。
左手首が痛い。少年の左手が、わたしの左手首を強くつかんでいるのを感じる。
わたしの背中にはメルちゃんが取り付いていて、相変わらず両手でわたしの目を塞いでいる所だ。外界の様子が全く分からないけど、足元の感覚がまるで無い。空を飛んでるって事だろうか?
数刻も経ったように思われたけれど――
――実際は、ピンク・キャットのランジェリー・ダンスの、一節の演技タイムにも満たない時間だっただろう。
足元が、何やら、背の高い草と思しきワサワサした物に触れ――ヤブのてっぺんの方を、かすったらしい。ザザッとした感触が来るや否や、強風が息切れしたかのように弱まった。
続いて、身体全身が、ヤブに受け止められたらしい。ペキペキという小枝の折れる音が続き、バサバサという葉擦れが重なる。
そして――少年とメルちゃんと、わたしは、ヤブと思しきカタマリを飛び出し、少しの間、結構な勢いで、ゴロゴロと転がったのだった。荒れ地に散らばっているのであろうゴツゴツの石が、身体を打ちまくって来る。
やがて、いきなり別のヤブに突っ込んだような衝撃が来た。そこで、わたしたちの身体は、転がるのを止めたのだった。
「あたたたた……」
最初に声を上げたのは、メルちゃんだ。力尽きたかのように、わたしの背中でグッタリとなり、わたしの目をふさいでいた両手も外れる。
――ごめんよ、メルちゃん。大丈夫?
視界が戻ってみると。
わたしたち3人は、やはり、地上のヤブの中で転がっていた。灰褐色の少年も、ヤブの中にうつ伏せに埋まったまま、傍でゼェゼェと息をついている。
――息を整え、全身のズキズキとした痛みが鎮まるまでの、沈黙の時間が続いた。
こりゃ間違いなく、全身、すり傷だらけだ。
ヤブに受け止められてショックが弱められたとは言え、ヤブの小枝は鋭いし、此処、荒れ地ならではの、ゴロゴロとした石が転がってるからね。
見張り塔だった堂々たる物体は、ひとつ先の盛り上がりの上で、完膚なきまでに瓦礫の山と化していた。ザリガニ牧場となっていた筈の、グルリと巡る鉄格子も、ホンの名残、という程度しか残っていない。
そして、あれ程に居た『ザリガニ型モンスター』の大群は、今や皆無だ。
5匹は居たと言うレオ闘獣も、2人組のバーサーク化クマ族も、何処かへと行ってしまったのか、影も形も――気配すらも、無い。
その代わりに、四方八方に、石積みの残骸が荒々しく散らばっている。
見張り塔は大きく揺れ動いた後、吹き抜け構造を成していた壁が、裂け目に沿って四方八方に割れて倒れて行ったらしい。あのバーサーク化クマ族が起こした、魔法の衝撃波による爆裂のせいなのだろう。
塔の崩壊の及ばない距離にある――それも、落下の衝撃を緩和してくれるヤブの所まで、灰褐色の少年は、どうやってか飛んでくれたのだ。




