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天球《暁星(エオス)》の空の下(前)

地下牢での更なる調査に対応するためのメンバーを送り出す、転移魔法が終わった。


クレドさんは、居残り組の隊士たちや魔法使いたちに、引継ぎやシャンゼリンの死体の運搬などの手続きを任せると――わたしを片腕抱っこしたまま、さっさか歩き出したのだった。


――隊士の移動スピード、やっぱり半端ない。クレドさん、わたしよりも夜目が利くみたいだし。


見る見るうちにレンガ焼きの作業小屋を通り過ぎて行き、周囲の光景は城下町に変わった。『茜離宮』直通の大通りに出て、そこで角を曲がる。


行く手の丘の上に――未明の闇を照らす夜間照明に縁取られた、特徴的な建物の影が見えて来た。玉ねぎ屋根を乗せた3つの尖塔と、宮殿を構成する多数の棟だ。



夜の間、城下町の各所の『魔除けの護符セット』から出ていた四色のサーチライトは、今は役目を終えて、消滅している。


幾つかの、石祠タイプになっている『魔除けの護符セット』を通り過ぎる。古すぎて効力が切れ掛かっていた魔除けの魔法陣の方は、強いエーテル魔法の負担に耐えきれなかったみたいだ。魔法陣のパターンが溶けて崩れていて、ボードごと砕けたり焦げ付いたりしている。


――わたしが製作していた『魔除けの魔法陣』、ちゃんと役立ったのかな?


そんな事を考えていると、それがクレドさんに伝わったみたいで、クレドさんが少し歩みを緩めた。不思議そうな顔で、のぞき込んで来る。色々あった後なのに、相変わらずの端正さ。ドキッ。


――イヤイヤ、何でも、ありませんから!


クレドさんは暫し無言で首を傾げていたけど、重要な事じゃ無いと納得したみたい。すぐに歩調が早まり、元通りになった。


夜間照明が復活し始めた城下町の各所には、モンスター死骸の山が出来ている。


下水道を兼ねた溝には、モンスターの血だまりが出来ている。蛍光レッドと毒々しいオレンジと紫色が入り混じっていて、何とも凄まじい色合いの水だ。後で、アーヴ水を流して浄化する予定になっていると言う。


手ぐすね引いていたと思しき民間のモンスター関連業者が、夜明け前から早くも出動している。


モンスター毒に対応している手袋や長靴など、防護セットをまとった大勢の業者たちが、モンスター死骸やモンスター血液を回収し、次々に大きな台車に乗せて運搬していた。


民間のモンスター関連業者が大声で交わし合っている内容が、耳に入って来る。


モンスター残骸が多いので、臨時の『モンスター商品マーケット』が立つのだそうだ。


より大きくて新鮮なモンスター死骸をゲットし放題という黄金の3日間は、このエリアを領土としているウルフ族の業者で、独占しておく。その日程以降は、方々からやって来る、他種族のモンスター関連業者に開放する予定らしい。


行き交う人々の間に見える、極彩色の大小のモンスター死骸の山――


どういう商品になるのかとアレコレと考えていると、不意にクレドさんが声を掛けて来た。


「その切り枝は、まだ手放す気になりませんか?」


――切り枝?


うわ。わたし、ずっと切り枝を抱えたままだったみたい。一晩中。無意識だったから気が付かなかった。


――でも、このままで良いよね?


毛髪の色が不気味な蛍光黄色と蛍光紫のマダラになっちゃったとか、そこに毒々しい程に真っ赤な『花房』付きヘッドドレスを着けてるとか、お化粧が流れて『物凄い顔』になっている事を考えると。


クレドさんの右手が伸びて来て、切り枝の位置を外側に直して来た。


「それだったら、私との間に切り枝を入れるのは、意味が無いでしょう」


――ほぇ?


だって、わたし今、『炭酸スイカ』モドキっていう、お化けもビックリの、物凄い格好ですよ? 間近で見てたら、クレドさん、眠ったら悪夢に見るんじゃ無いですか?


「ルーリーは、いつでも可愛いですよ」


――はぃ?!


何か想定外の事を言われた気がする。


ピシッと固まっている内に、動く彫像なクレドさんは大通りの端にある市井の転移基地に入った。転移魔法陣をセットした、仕切り付きの小間が多数並んでいるから、転移基地と言うよりは、転移ターミナルだけど。


此処から、『茜離宮』外苑の敷地にある転移基地に移動するらしい。わたしとフィリス先生も最初に辿っていた、最も一般的なルートだ。


転移ターミナルの小間のひとつに入ると、クレドさんが転移魔法陣を起動した。クレドさん、《風魔法》使えるんだ。確か《風刃》も上手だったし、《風霊相》生まれだったりするんだろうか。ビックリ。


魔法陣の周囲が白いエーテル列柱に囲まれている間、クレドさんの言葉が耳元で続く。


「例のイヌ族『火のチャンス』は、一発殴っておかないと気が済みません。私より先に、ルーリーの礼装姿を堪能した筈ですから――そのような、ボロボロになる前の礼装姿を」


――クレドさん、内容はともかく、声音が怖いですよ……



わたしが頭をグルグルさせている内に、白いエーテル列柱がバラけ、見覚えのある『茜離宮』外苑の緑地が広がった。


辺りはまだ未明の闇に包まれていて、暗い。『茜離宮』外苑の各所に散在する樹林の辺りは、一層シンとしている。


外苑に設置された、庭園用のあずまやのような転移基地を出る。道脇の提灯さながらに、一定距離ごとの置き石にセットされている夜間照明が、ボウッと光っていた。一方で、東の空には、東雲の兆しが湧き上がり始めている。


――《暁星エオス》の刻が近い。


クレドさんは、わたしを相変わらず片腕抱っこしたまま、丘の上に続く並木道を登り始めた。暫しの沈黙の後、クレドさんが再び口を開く。


「どんな姿であれ、ルーリーが生きていて良かったと思いました。ディーター先生と共に到着した時、あの小屋の周りは既にムカデ型モンスターで一杯で、ヤブの端に水色の薄布の切れ端が掛かっていた。一瞬、ルーリーを失ったかと思いました。ディーター先生が、その方向の奥に、フィリス先生が形成した《防壁》があると気づくまでは」


――あ。ヤブをこいだ時、薄布の方はベリベリに破れちゃってたんだよね。あれ、案外、目印になってたんだ。


クレドさんは疲れたような溜息をつくと、次に見えて来た樹林の傍で、わたしをそっと下ろした。


あ、抱っこしたままだったから、やっぱり疲れちゃったんだ。お手間を掛けてしまって済みません。


今まで緊張で感覚が薄くなっていたから気が付かなかったけど、この切り枝、割とズッシリしてる。いつもより重かった筈だよ。


わたしの指は、強張りは解けていた。ソロソロと切り枝を樹林の根元に転がしておく。本来はレンガ焼きの作業小屋の辺りに戻すべきだったんだろうけど、同じような種類の樹林だから、問題では無いよね。


そして、クレドさんの方に向き直ると――



――クレドさんは、わたしの前にひざまづいていた。古式ゆかしき、あのやり方だ。



「……ゲッ?」


エッと言ったつもりが、声がしゃがれていて、ゲッになってしまった。うわあぁぁ。


今! ひざまづかなくても! と言うより、何やってるんですか、クレドさん!


クレドさんが端正な面を上げて来た。


切れ長の黒い眼差しには、強い光が浮かんでいる。思わず心臓を鷲掴みにされるような、そんな、射抜いて来るような強さだ。


目をそらせないまま――漆黒に見入られたまま、息が止まる。


――低く滑らかな声が、払暁の直前のヒンヤリとした風と共に流れて来た。


「水のルーリエ。我が正式名は、風のクレディド――此処に《盟約》を望む者」


脳みそが動かない。立ち尽くしたまま呆然としていると――


――クレドさんの大きな右手が、わたしの左手を取った。


「正直、この名を使う事は、もう無いだろうと思っていました。何故なのかは分かりませんが、ルーリーは放っておくと、いつの間にか想定外の危機に巻き込まれている。今回は運が良かったのかも知れないが、次は?」


次は――


わたしにも、分からない。わたしは魔法が使えないし、何も無い所でつまづくようなドジだし。


クレドさんは、わたしのそんな無言の呟きも、顔と尻尾から読み取ったみたい。不意に口元に綺麗な笑みを浮かべて来る。


ただでさえ落ち着かなくなった心臓が、更に跳ね上がってしまう。


「ルーリーは未成年ですから、《盟約》と言うよりは《予約》になります。成年になったら《予約》を解除して、また改めて考える事も出来ます――良いですか?」


何に対して『良い』のか分からないけど、思わずコックリ頷いてしまった。訳も分からないまま、自分よりも背の高い立派な男性を目の前にひざまづかせているのは、とても落ち着かない。


この妙な事態が早く終わってくれれば、それだけホッとするような――


クレドさんは恭しく首を垂れ、その右手に取っていたわたしの左手の――薬指の根元に、口づけして来た。


ビックリする余り、身体が震えたところへ――クレドさんの低い声が、重なる。


「天球にしるべせるアストラルシア、我が茜と見初めし《水の宝珠》。その意あらば、《宿命の盟約》をもて連理たらしめたまえ」


知らぬ間に全身が震え出していた。


クレドさんが再び、ゆっくりと面を上げた。


何かを待っているのか――探っているかのように、漆黒の不動の眼差しがジッと見入って来る。

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