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過ぎ去りし日の面影・後

レオ大貴族『風のサーベル』は、威風堂々とした立派な男性だった。


貫禄のある金茶色のタテガミ。混ざっている金髪成分は、貴種レオ族の証。『金獅子大帝』の血を受け継ぐ、高貴なる者としての証でもある。平均以上に整っている容貌。レオ族ならではの剛毅な造作のうえに、凛々しさと色気、それに知的な雰囲気が加わっていた。


だが、しかし。その人力車の荷台には――妙に酒瓶が多いような気がする。


ラミアとチェルシーは、何故か訳も無く直感が働き、物陰に隠れた。


風のサーベルと4人の正妻は、ラミアとチェルシーに気付く事なく、邸宅に入って行った。4人の正妻が、奥殿の方に収まったと思しきタイミングで――


風のサーベルと思しき、男盛りのレオ族の男の声が、微かに響いて来た。


「2匹のウルフ女ぁ、何処だ! 居る筈だぞ、特に引き留めるように『接待』を命令しておいたんだからな!」

「も……申し訳ありません、恐ろしきサーベル卿! お2人は帰っているみたいで……応接室はもぬけの殻で……」

「役立たずめが! この後すぐに、ステンスが来るんだぞ! 商談が台無しだ……チクショウ!」


風のサーベルが、御注進した誰かを殴ったような音が続く。直後、新たに怒鳴り声が続いた。


「貴様か! おい、何してるんだ、このアバズレ!」


――何故だか、これから殴られるのは、あの紫金(しこん)の髪をしたウルフ女だとハッキリと分かる。


ラミアとチェルシーは『狼体』に身を変え、全力で走った。


とにかく、これは、誰かに知らせるべき事態だ――


レオ帝都の一角にある、ウルフ王国大使館。大使館という位置づけにも関わらず、実際は『レオ帝都におけるウルフ王宮・本殿』であり、国交行事の際にはウルフ国王夫妻も滞在する事が出来るほどの格式を備えている。


駆け込めたのは良かったが、上司マーロウは上級スタッフと共に、別のレオ大貴族の元を訪れていて不在だった。


ラミアは、魔法の風で放り出された際に痛めた腰がひどくなって遂に歩行困難になり、治療のため医務室に運び込まれた。チェルシーは、この問題に対応できる役人を、血眼になって探した。


ほぼ半狂乱だったチェルシーに対応して来たのが、若手の中級役人グイードだ。


だが、レオ帝都の中で、ウルフ王国の名のもとに出来る事は、非常に限られている。まして、ほとんど意味不明かつ確証の無い証言をもとに、貴種の血を引くレオ大貴族の邸宅に緊急に立ち入る――という事など、ほぼ不可能に近い。


ともあれ、グイードは『2人の我がウルフ王国国民が不当に襲撃されて負傷した現場を確認し、まだ犯人が居れば身柄拘束する』という名目で、中級役人の権限で動かせる限りの隊士を動かした。見習いを済ませたばかりの、まだ少年と言って良い新人隊士たちばかりでは、あったけれども。


ちなみに、このタイミングで上司マーロウが大使館に戻って来て、『外交トラブルにならなければ良いが』と眉をひそめた。


マーロウは外交アドバイスを加えつつ、グイードを制止したけれども。『不法な事をしている訳では無いし、調査と言う名目だ』という大義名分があったから、グイードは、そのまま高速で動く事を決断した。


早い行動は、思わぬ副産物をもたらした。


ウルフ王国が急に軍事行動に近い行動を起こしたことで、レオ族の戦闘隊士の一団が急遽、付き添って来た。ウルフ王国大使館の周辺警備のために、レオ帝国の名前でもって、派遣されていた者たちだ。



そして到着した、レオ大貴族『風のサーベル』の邸宅の前。


無数の《風刃》が飛び交い、まるで戦場だった。


指名手配中だったレオ族の『奴隷商人・地のステンス』が、まさに訪問している最中だったのだろう門前に横付けされていた人力車の中で、無数の《風刃》によって、こと切れていた。奴隷商人ステンスの配下も同様、血の海の中で既に息が無かったり、瀕死でもがいていたり。


レオ族の戦闘隊士たちが仰天し、魔法の防壁で《風刃》の嵐を防ぎつつ、豪壮な邸宅に踏み込んだ。


前庭の真ん中で、真っ赤になって荒れ狂っていたのが、誰あろう『風のサーベル』。


――風のサーベルは、重度のアルコール中毒を起こしていた。既に正気では無く、全方位にアルコール臭のする《風刃》を撒き散らしている。


レオ大貴族『風のサーベル』は、『隠れ酒乱』体質だったのだ。落ち着いている時はそれ程でも無いけれど、感情が高ぶれば高ぶるほど、酒乱もひどくなる傾向。


その『風のサーベル』が集中攻撃しているのが、あの紫金(しこん)のウルフ女だった。


紫金(しこん)のウルフ女は――『魔法の杖』を握り締めつつも、瀕死の重傷。『魔法の杖』で防壁を合成して防衛していなければ、原形も残さぬ細切れの死体となっていただろう。


無数の《風刃》は邸宅の中を縦横に荒れ狂い、4人の正妻の命をすら奪っていた。流血を防ごうと間に入った、ハーレム監視役の老いた戦闘隊士4人も、同様に、既に死んでいた。『接待役のハーレム妻』3人と、侍女を務めるレオ族少女たち4人は、皆怖がって地下室に潜っていたため、無事だった。


風のサーベルは、レオ帝国の戦闘隊士たちとウルフ王国の衛兵たちの共闘によって、身柄拘束された。


まだ酒乱の残っている状態で、風のサーベルは、『紫金(しこん)のウルフ女に闇討ちされた。酩酊作用を持つドラッグ入りの酒を飲まされて、ああなったのだ』と泣きながら主張したけれど。


普通なら有り得ない状況だとも言える。第一、彼女が『風のサーベル』にアルコールを飲ませる時間など、無かった。


状況証拠を見れば。


紫金(しこん)のウルフ女には、古代さながらの奴隷の烙印が押されており、虐待の痕跡が全身に残っている。そして、『風のサーベル』の邸宅の門前には、指名手配中の『奴隷商人・地のステンス』が、死体とは言え存在している。非合法な奴隷取引が行なわれていた事は明らかだ。


レオ帝都を揺るがす、流血と汚職のスキャンダルである。当然、レオ帝国の側としては隠密裏に済ませたい。


この出来事は、現場の判断で伏せられる事になった。紫金(しこん)のウルフ女を、グイード側――ウルフ王国側に引き渡すと言う、破格の条件付きで。


*****


「でもねぇ」


立て板に水で滑らかに語っていたラミアさんは、そこで、『ハーッ』と長い溜息をついた。


「たまたま上級魔法使いが大使館に詰めてて、《宿命図》判読の結果、紫金(しこん)の髪をした彼女が『風のキーラ』という名前だった事は分かったんだけど。闇ギルドの出身でね、ウルフ王国の通常の国民データには無かったそうなの」



――あの頃、ウルフ王国大使館での、臨時の適性診断の結果。


闇ギルドの出身にしては、風のキーラは、倫理のセンスや善悪の判断能力は、意外にまともな方だと診断された。


正規の教育を受けておらず『正字』スキルはまるで無かったから、町の職業に就くのは難しいけれど。職業訓練の結果次第では、牧場、農園、狩猟場といったジャンルの肉体労働系アシスタントとしてなら、充分に適応できると見られた。


だが、闇ギルドの出身ゆえに、カタギの空気は合わなかったようなのだ――



チェルシーさんが、ラミアさんの続きを引き取って、ポツリと口を開いた。


「――大使館で治療して、記録を取って、国籍を作って、新しい『魔法の杖』もセットして提供したところで。回復するが早いか、キーラは行方をくらましてしまったの」


――せっかく助かったのに? オカルトでミステリーな行動すぎる。


ラミアさんは「そうなのよね」と頷いて来た。チェルシーさんも、複雑な顔をしている。


「ただ、後日、闇マーケットの方で噂があったわ。奴隷商人ステンスが死んだ事で、闇の奴隷商人のパワーバランスが崩れて、ヤクザ抗争が続いてたそうなの。ウルフ族の奴隷商人がクマ族の奴隷商人に対して放った闇討ち――バーサーク軍団を含む殺し屋のリストの中に、1度、キーラの名前が出たわ。その後の行方は、全く分からない。噂もそれきり」


――ウルフ族・金狼種、風のキーラ。数多の犯罪に手を染めて来たのであろう、闇ギルドの悪女。


キーラという人が、何故ラミアさんとチェルシーさんを助けるような行動に出たのかは、結局は分からない。慈悲心を出したのか――それとも、ただ、単に、商売敵だったであろうレオ族の奴隷商人に、『ウルフ族女性』という目玉商品をやりたくなかっただけかも知れない。


それでも――


「その時、助かって良かったですね」

「そうなのよねぇ。そう思う事にしてるわ」


*****


微妙に後味の悪い結果には、なったのだけれど。


この一連の出来事がきっかけで、チェルシーさんとグイードさんの距離が、急に縮まったそうだ。


グイードさんの方は、元・深窓の令嬢で同年代のマドンナさんなチェルシーさんに、以前からガチで惚れていたと言う。マーロウさんとチェルシーさんが『名門の出身同士で結婚するかも』という噂になっていたから、大人しく身を潜めていただけで。


――そりゃあ、チェルシーさんが巻き込まれたトラブルが何なのか、グイードさん自身に分かる限りで、一生懸命、調べようとする筈だよ。


チェルシーさんは、今でも、時々考えるのだそうだ。


もし、あの時。


レオ帝都出張の役人一行に混ざって、大使館にグイードさんが詰めていなかったら。


つまり、半狂乱になったチェルシーさんに対応したのが、上司マーロウさんだったのなら。


グイードさんは、最初から最後まで四角四面で不器用なやり方ではあったけれども、半狂乱になったチェルシーさんを落ち着けた。そして、真摯に対応してくれた。必要情報を取得するが早いか、権限の及ぶ限り隊士たちを動かして、みずからも身を運んで、現場近くまで調べに行ってくれたのだ。


もし、この件を主導したのが、マーロウさんだったのなら。事態は、どう変化していたのだろう。


まかり間違えば、ウルフ王国側が非を問われかねない案件だった。


優れた外交感覚のあったマーロウさんだ。後々の外交トラブルを見越して、『我関せず』を貫くように、チェルシーさんをスマートに説得していたのかも知れない。


――可能性と選択肢。


運命は時に、こういう仕掛けをして来るらしい。決定的なタイミングで複数の可能性を並べて来て、取り返しの付かないような、宿命的な、ひとつの選択を迫って来る。


人間は悩むように出来ている。


チェルシーさんは悩み、そして、熟考の末、ひとつの決断を下したのだ。しなやかな、見事な決断だった――


――改めて、3人でお茶を一服したところで、ジリアンさんの結婚式が始まったのだった。

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