過ぎ去りし日の面影・前
チェルシーさんは、左薬指をさすりつつ、複雑な笑みを浮かべていた。
「時々ね、ほんの時々なんだけど。マーロウさんは、どちらかと言うと皮肉の利いた……エスプリと言うのかしら、他人をチクッと刺すような……或る意味、笑えないくらいの鋭いコメントをする方だったの。王族として振る舞う時とか、揚げ足を取り合う外交面では、必要な才覚だったかも知れないけど」
――ふむふむ。
そう言えば、マーロウさんって、闇オークション用の仮名として、『逆恨みのプリンスたち』という、いわくのあり過ぎる名乗りを上げてたんだよね。訳知りの人が聞くと『うわあぁ』ってなるような。激辛レベルのエスプリ感覚の発露。
チェルシーさんは、シミジミとした様子で、左薬指の茜ラインを眺め始めた。クルリと一巡する、その茜色の幅の中に、複雑な曲線や紋様が詰め込まれている。
今まさに気付いたけど、満開のバラみたいな花模様が、その茜ラインの中に幾つかある。真紅……《火》の赤って感じ。
フィリス先生やジリアンさんの茜ラインには無かった物だ。こういうのは、年数を経て愛情が成熟して行った時に、出て来る物なのかも知れない。
「マーロウさんと人生の半分を分かち合うかも知れない――という事を真剣に考えた時に、あの鋭すぎるエスプリ感覚に付いて行けるかどうか、改めて悩んでしまってね。そんな時に、たまに大食堂で、挨拶や時事の噂を交わすだけの関係だったグイードと、シッカリ関わる機会があって。あの頃の気持ちの変化は、自分でも不思議だったわ」
ラミアさんが白髪混ざりの黒髪をフワフワさせて、相づちを打っている。
「そうなのよねえ。よりによって、下町出身の、ユーモアの欠片も無さそうな四角四面グイードと電撃《盟約》して、出て来た茜ラインが《宝珠》なんだもの、私もビックリしたわよ」
――驚きだ。チェルシーさんとグイードさん、《宝珠》同士だったんだ!
ラミアさんの話は続いた。
「それ程になると『宝珠メリット』もハッキリして来るのよね。貴種でも何でも無い、ただの不愛想な文官の青年が、並み居るツワモノの武官を押しのけて、剣技武闘会8位の戦闘力を示すまでになるなんて……高い適合率の《宝珠》、恐るべしだわ」
そう言うモノなんだ。『宝珠メリット』、ビックリだ。男性側の《宿命図》に共鳴と増幅を起こすとか言ってたけど。
しかも、確か、他種族との間ではそれ程の効果が無いにしても、一定の上乗せ効果は普遍的に期待できるという話だった。
《宝珠》は《宿命図》内部構造の、それも核としてあるから、それだけ影響も大きいのだろう。
チェルシーさんとグイードさんは、色々な意味で、相性が良かったという事なんだろうな。
――レオ族が投資商品として欲しがる筈だ。イヌ族の、ナンチャッテ愛の放浪者な『火のチャンス』さんも、『真実の愛(?)』の箔付けとか、そんな感じで。
感心していると――
――不意にラミアさんが、わたしの顔をしげしげとのぞき込んで来た。気になる事があるのだろうか、盛んに小首を傾げている。
「ねぇ、チェルシー。私の目に狂いが無ければ、この子の顔立ちって……レオ帝都で見た、あのウルフ族のすれっからし……金髪のヤクザ女の面影も、無きにしも非ずじゃ無い? このチャコールグレーの毛も、うっすら紫を帯びてるタイプの色合いだし」
――ほぇ?! 金髪ヤクザ……?!
ラミアさんが目をパチクリさせて「あら、言い方が不適切だったわね」と謝罪して来た。
「20年以上も前になるんだけどね、チェルシーと私は王宮付きのアンティーク部門の中級侍女として、レオ帝都のアンティーク取引所に行ってた事があるの。レオ帝都に居る数名の大富豪が、大型モンスターの腹の中から出て来たウルフ族のアンティーク宝飾品を幾つか、偶然にも入手したと言う情報があって、買い取り交渉をするためにね。役人の一団でね」
――ふむふむ。と言う事は、国家的なプロジェクトだったみたいですね。
「そうなの。玉座の間の荘厳に相応しい国宝級の品だったから、私たちも張り切ってたわ。私とチェルシーが担当する事になって訪問した大富豪ってのが、レオ大貴族『風のサーベル』って人なんだけど――」
――な、何ですと?!
いきなり尻尾が『ビョン!』と跳ねちゃったよ。それ、聞き覚えのある名前ッ!
「あら? 知ってる人?」
そこで、チェルシーさんがタイミング良く解説してくれた。
「最近の獣王国ニュースで、そのレオ族『風のサーベル』が、ビックリするような再登場をしてたのよ。あの日は他にも色々あったから話すのを忘れてたわ、ごめんなさいね。あの人、性懲りも無く、裏で非合法の奴隷商人を続けていたみたいなの。悪辣が過ぎたみたいで、『タテガミ完全刈り込み』の刑を受けたと言う内容になってたわ」
ラミアさんが口をアングリしている。
「まぁ、まぁ、何てこと……かつての、レオ帝宮にも出入りする程の、貴種の血統の大貴族が、落ちぶれた物だわねえ。私、その時は忙しくてニュースを見てなかったのよ。これはレオ帝都の同業者に聞いてみないと」
しばらくの間ラミアさんは、ウルフ耳をシャカシャカとやって首を振り振りした後、昔話を再開した。
「おほん、話が途切れたわね。『風のサーベル』は典型的なレオ大貴族の大富豪。当時、彼は、レオ族の4人の正妻と、他種族から引き抜いた側室たちから成るハーレムを築いていたわ」
――成る程。そう言うハーレム構成が、レオ帝都の大貴族とか大富豪ではスタンダードなんですね。
ラミアさんの話は続いた。チェルシーさんは相づちを打っている。だいたい、正確らしい。
「イヌ族、ウサギ族、ネコ族といった典型的な『接待役のハーレム妻』の他に、珍しくもウルフ族のハーレム妻が1人居ると言う耳寄りな情報をキャッチしてね。『現物を確認したい』と言う説得も、ウルフ族同士なら上手く行くかもって事で、『風のサーベル』の繁忙期のタイミング――正直に言えば留守のタイミング――を狙って、業務訪問の連絡を入れてたの」
*****
――狙いは当たった。
風のサーベルと4人の正妻は、レオ帝宮の社交行事で留守にしていた。
レオ大貴族ならではの豪壮な邸宅の中には、『接待役のハーレム妻』たちと、門番を務めるレオ族の老いた戦闘隊士4名――ハーレム妻の監視担当でもある――と、侍女を務めるレオ族の少女が4名居るのみだった。
業務訪問して来た客が女性2人。『接待役のハーレム妻』たちの特別な出番は無い。男性客の場合は、『接待役のハーレム妻』たちによる『特別な接待』サービスが付くけれど。
贅沢に黄金を施した応接室に通されて、女性グループの茶会でお馴染みの、常識的な話題が続いた。
やがて話題が尽き、『アンティーク宝飾品』の話題で対応に詰まった『接待ハーレム妻』のイヌ族、ネコ族、ウサギ族が、「同じウルフ族なら、茶会の話題も続くわ」と言う事で、監視の目を盗んで、ウルフ族のハーレム妻をコッソリと連れて来てくれたのだ。
思えば、この時点で、ラミアとチェルシーは違和感に――或いは『罠』に――気付くべきだったのだ。
レオ族の男性が、4人の正妻もが、『宝珠メリット』付きのハーレム妻を、レオ社会の社交行事に連行せず、留守番役として自宅に置いている。これは、なかなか有り得ない事。
――応接室の中、戸棚を装っていた隠し扉が、勢いよく開かれた。
ラミアとチェルシーは驚きの余り、声を上げる事も忘れて、新しく入って来たウルフ族の美女を眺めるのみだった。
――腰まで届く見事な金髪。頭頂から流れる一筋の茜メッシュ。ゆるやかなウェーブ。その毛髪の色は、アンティーク部門の2人にとっては印象深い色合いだ。
チェルシーの柔らかな色合いの金髪とは違う。
妖しく紫を帯びた黄金――まさに紫金。『紫磨黄金』と言う称号を受ける程の、最上級の品質の黄金にも似て。
栄養状態が良いのか、ウルフ族にしては少し背が高い。古傷だらけではあるが、貴種を思わせる美貌。キリッと立つウルフ耳に、毛並みの良いウルフ尾。スラリとバランスの良い身体。香水か何かなのか、ホワイトフローラル系の香りをまとっている。
髪型は意外に、無造作なポニーテールだ。《風霊相》生まれなのか、白いリボン。何故か夜着といった感じの、紫色のランジェリー風ガウン。レオ族女性ほどでは無いものの、胸の大きさも充分。
しかし――態度は最悪だった。紫金の髪をしたウルフ女は、険しく眉根を寄せた。
「あんたたち、ボヤボヤしてるんじゃ無いよ。とっとと帰れ。特にそっちの若いの、未婚じゃねえか」
貴種を思わせる美貌から吐き出されたのは、水晶の鈴の鳴るような透明な美声なのに、ヤクザもビックリの乱暴な言葉遣いだ。
名指されたのはチェルシーだった。ラミアとチェルシーの2人で口をパクパクしていると、紫金の女は『チッ』と下品な舌打ちをして来た。
「風のサーベルは上っ面は良いけど、最低の下劣野郎さ。捕まったら最後、こうなるからね。お宝の事はオレも知らねぇし、あんたら、騙されておびき寄せられたクチだろうが」
紫金の女は、いささかのためらいもなくガウンをはだけ、全裸を剥いて来た。
――焼きごてで焼き付けられた奴隷の印が、胸の真ん中にある。癒えているとは言え、無残な傷痕。まるで野蛮な古代が再現されたかのようだ。胴体に広がっているのは、痛々しいまでの打撲痕。各所に見える赤い筋は、ムチで打たれて出来た物だろうか。
そして。
紫金の女は《風霊相》生まれゆえか、素晴らしい『風使い』だった。
女は素早くチェルシーに駆け寄った。『魔法の杖』を奪うが早いか、全裸の状態のまま、ラミアとチェルシーを不可視の突風で小突きまくった。
そして、老いたレオ族の戦闘隊士たち――監視の目――が気付く前に、風のサーベルの邸宅から放り出したのだ。
文字通り、乱暴に放り出されたに等しかった。紫金の女が起こした、ちょっとした竜巻さながらの魔法の風は、ラミアとチェルシーの身体を宙に浮かべ、邸宅の庭を仕切っていた高い防壁も生け垣も、難なく飛び越えさせていたのだ。
余りにも不意打ちの所業。外側の街路に乱暴に落とされたラミアは腰を打ち、チェルシーは腕や膝を擦りむいた。
そこへ――風のサーベルと4人の正妻が、大柄な戦闘隊士8名が牽引する贅沢な大きな人力車に乗って、帰宅して来たのだった。




