血みどろの点と線・後
その瞬間――横から入った邪魔によって、チャンスさんの目論見は潰れたのだった。
「(ドゴォン!)オホォッ!」
――わお。チャンスさん、一瞬で地面に沈んだよ!
背丈が縮んだ……というか、文字通り、お腹まで地面に埋まってる!
「私の弟子は仕事中なのだ」
横から入った邪魔は――ディーター先生だった。
いつ移動していたんですか? そして、どうやって、チャンスさんを地面に沈めたんですか? クレドさん並に、得体の知れない、一瞬の動きでしたよね?!
――多分、《地霊相》生まれゆえの、最も得意な《地魔法》でもって、一瞬で石畳に覆われた地面を掘って、チャンスさんの身体をお腹まで埋めたんだろうけど……!
ディーター先生は、『上から目線』で、むしろ穏やかな眼差しでチャンスさんを見下ろした。
チャンスさんの方は、地面にお腹まで埋まったために、見かけ上、ディーター先生の半分の背丈になっている状態だ。
「業務外の話は、中央病棟の総合エントランスの受付で、改めて申請のうえ、続けてくれたまえ」
ディーター先生の口調や態度は、いつものように穏やかな感じなんだけど……真っ正面で向かい合っているチャンスさんの顔色が、むしろ悪くなってるのは、何故でしょう?
――そこへ、明らかにシニア世代の男性の、渋い声音が掛かって来た。
「ディーター殿、私と部下が、中央病棟の総合エントランスに目撃証言者を送ろう。ついでに順番に聴取をする予定もある。ディーター殿には、あの死体の致命傷の分析を、引き続きお願いしたく」
新しく声を掛けて来ていたのは、黄色の結界ラインを踏み越えて来た文官姿の――シニア世代の高位役人さん。
見るからに四角四面な雰囲気。黒狼種。年配ゆえの白髪が混ざって来ていて、それがいっそう厳格さを際立たせている。ディーター先生やマーロウさん、チャンスさんとは正反対な、ユーモアの欠片も無さそうな人物だ。
後ろには、文官姿の、若手ベテランと思しき金狼種の部下が付き従っている。部下の方は、緊張の余りなのか、口を引きつらせていた。
見れば、黄色の結界ラインの内側では、紺色マントの武官姿の衛兵たちが、何故かちょっと青ざめた顔色になって、コソコソと何かを耳打ちし合っている。一体、何が、そんなにショックだったんだろう?
*****
――と言う訳で。
お腹まで地面に埋まったチャンスさんの救出を、居残り組の衛兵たちにお任せして、わたしたちは中央病棟の総合エントランスに戻ったのだった。
無残に喉を噛み切られた哀れな衛兵の死体の方は、ディーター先生の管理の下、別の衛兵たちが担架に乗せて、更なる検死のための取調室に運び込まれているところだ。
フィリス先生の付き添いで、私とメルちゃんは、取り急ぎ泥だらけになった身体を洗い、着替えて、再び総合エントランスの所定のテーブルに着いた。病棟には患者服なスモックしか着替えが無いので、わたしもメルちゃん(人体)も、当座の服は、おそろいの生成り色のスモックだ。
所定のテーブルでは、四角四面な雰囲気のシニア世代の高位文官とその部下の若手の文官が、同じテーブルに着いた目撃証言者たち――ヒルダさん、チェルシーさん、マーロウさん――の3人を事情聴取しているところだった。
わたしたちが到着した後、程なくして、3人の事情聴取が済んだ。フィリス先生とメルちゃんとわたしとで、2人の文官から繰り出される質問に、順番に回答していく。
死体が発見された時の状況は、当然ながら、ヒルダさん、チェルシーさん、マーロウさんから聞き取った内容と、ほぼ一致していたのだった。
「協力に感謝する」
あらかた聴取が済んだところで、堅苦しいシニア世代の文官さんは、やはり四角四面な締めくくりをして来た。
マーロウさんが、『フーッ』と溜息をつく。こうして見ると、マーロウさんの立ち居振る舞いは洗練されていて、いかにも貴族育ちの貴公子って感じ。
「相変わらず堅苦しい対応だな、グイード君。ところで、ヒルダ君やチャンス君が言っていたんだが、どうやら、あの死体、いわゆる『狼男』――バーサーク化したウルフ族の男――に、やられた物らしいな。グイ―ド君は、この事件、どう見ている?」
――四角四面なシニア世代の高位文官さんは、マーロウさんの知り合いみたい。グイードさんと言う名前なんだ。白髪混ざりの黒いウルフ耳も、黒いウルフ尾も、徹底的に演技が入っていて、無表情で、なかなか内心が読めない。
グイードさんは暫し不動の状態だったけど、チェルシーさんが、いつものようにオットリと、「そう言えば」と語り出すと、黒い眼差しをピクリと動かしたのだった。
「私、朝一番で此処に来てたのよね、通院の予約順番の都合で。昨夜のニュースで、あんなショッキングなボウガン襲撃事件があったと言うでしょう。あの回廊のすぐ下の倉庫群が、私が若い頃、良く行き来していた倉庫群だったものだから――裏道も抜け道も良く知っているし、どうしても気になって――宮殿の近くに来たついでで、受付の待ち時間の間に、ちょっとそっちに、行ってみていたの」
――チェルシーさん! 何という行動力! いや、それ、危なすぎるッ!!
チェルシーさんの発言は、まさに爆弾だった。
余りにも想定外の内容だったのか、マーロウさんと若い文官さんが、アングリと口を開けた。一方、ヒルダさんはチェルシーさんの豪胆なまでの行動力を承知していたのか、『それで?』という風だ。
ガタンと椅子を立ち、テーブルの上にバシッと拳を打って身を乗り出したのが――驚くべき事に――今まで無関心そうな四角四面を保っていた、シニア世代の高位文官だった。
さっきまでの無表情は何処へやら、スッカリ顔色が変わっている。ぎらつく眼差しは、怒髪天そのものの具現化だ。今まさに白刃を抜き放ったとしか思えない程の、ヒリヒリするような濃厚な殺気。
――な、何だろうッ?!
「……火のチェルシー、何故、もっと早く言わん」
わお。本気で怖い! 元が渋い声音だけに、いっそう地獄の底から響いて来るような恐ろしい重低音だよッ!
メルちゃんも動転の余り、パッと子狼になって、『ビュン!』とフィリス先生の膝の上へ避難だ。
「あの、グイード様、テーブルにヒビが入りました……」
部下の若手文官さんが、ビビりながらも御注進だ。
マーロウさんが「と、とにかく分かったから、落ち着け、グイード君」などと、ワタワタと手を振り回している。
殺気に当てられて、彫像みたいに真っ白になって固まったヒルダさんの隣で――豪胆すぎるチェルシーさんは、オットリと返答を寄越してのけた。
「あら、だって、たった今、要点を思い出したんですもの、グイード。ともかく、お座りになって」
すると――怒れる鬼神そのものだった、シニア世代の高位文官は、気難しげに首を振り振り、ブツブツと何かを呟いた。そして、『フーッ』と深く溜息をついた後、それまでの大魔王な雰囲気が嘘であったかのように、再びの無表情となって着座したのだった。
――どういう事?
ポカンとしていると、フィリス先生が訳知り顔で解説してくれた。
「あのね、『地のグイード』殿が、チェルシーさんの御夫君なのよ……」
――な、な、何ですと~ッ?!
そして。
チェルシーさんの『要点』は、まさに、血みどろの点と線をつなぐ、決定的な内容だった。
「今、思い出したんだけど。――私、あの衛兵さんの生前の姿を見たような気がするの、『茜離宮』の倉庫群の方で。遠目にチラリと見ただけだし、お互いに端の方を横切っただけだから、自信は無いんだけど。私の感じた印象が正しかったとすれば、私、あの衛兵さんの生きてる最後の姿を、見かけていたのかも知れない」
――とんでもない『要点』だ。もし、それが事実だったとすると。
あの衛兵は、今朝までは――生きていた。
そして、チェルシーさんが予約通りに受診を終えて、治療室を出て来て、わたしたちと行き逢って。
昼下がりになった頃には、その衛兵は既に、喉笛を噛み切られた、無残な死体になっていた。
バーサーク化したウルフ族の男――真犯人たる『狼男』――が、誰なのかは知らないけど。真犯人は間違いなく、『茜離宮』や、中央病棟の敷地を、誰にも怪しまれずに行き来できる立場の人という事だ。
真犯人がチェルシーさんに気付いたかどうかは、分からない。
でも、『都合の悪いことをチェルシーさんに目撃された』と真犯人が感じたのなら、次に無残な死体になるのは、チェルシーさんだ。タイストさんみたいにボウガンの的になるのか、今日の衛兵みたいに喉笛を噛み切られるのかは、分からないけど。
再び大魔王化したグイードさんの、キツイ申し渡しで。
チェルシーさんには、常時、身辺ガードが付く事になったのだった。




