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かなしみ、慣れ

 理由もわからない涙は、午前一時を越えるまで止みはしなかった。朝になると何事もなく、まるで昨日の事が嘘だったかのようにシャワーを浴びて登校した。

 あれは何だったのか。そう考えても答えは出ず、授業を迎える。

 サリーは今日休みだと先生から知らせられた。わざわざ王女である、リリーから朝一番に聞いたらしい。

「なんか違和感を感じないか?」

 昼食時間に、何時ものメンバーが集まり、レイスがカツ丼を片手に言った。

「レイス、言葉がおかしいの」

「いや、言葉の綾みたいなもんだろうに。それより、サリーだよ」

「確かにそうだけど、昨日の夜は至って普通だったぞ? 敷地内に入ったのは俺も校長も確認してる」

 昨日を思い出しながら言葉にした。巡は食事が喉を通らないので、飲み物で済ませる事にする。

「でもまぁ、あのビッチが知らせるなんて、明日は矢の雨でも降るんじゃね?」

 刃が不吉な事を明るく予測する。しかし、その疑いも尤もだ、と巡は肯定する。

 サリーはリリーを庇うが、リリーは神谷と同じ人間である。サリーを酷く嫌っているのに、先生に伝えに来るだろうか、そう考えると、リリーが怪しいのだ。

「昨日風強かったし、案外風邪だったりしてな」

 ツヴァイが快活に笑った。

「強かったか?」

 疑問を感じたので、ツヴァイを含めた皆に聞く。すると、ツヴァイ以外が首を横に振った。勿論、その中に巡の否定がある。

「え、嘘だろ!? あんだけガンガン窓を風が叩いてたんだぜ?」

 ツヴァイが強く立ち上がると、椅子が床を叩いた。食堂内に声と音が響き、注目を集めてしまった事に詫びてから着席し、今度は必要以上に声を小さくして続ける。

「だって風がうるさいのに嫌気がさして窓開けて見たしさ……! その時……あ、風が無かったんだ。そう、さっきのが嘘だったみたいに風が止んでた!」

 手を叩いて興奮しながら話すツヴァイを見て、皆が嘘話だと声を上げて笑う。巡は、どうしても嘘に聞こえなかった。確かに、巡が外にいた時は、一切の風がなかった。しかし、ツヴァイはつまらない嘘は言わない。それを知っているだけに、巡は笑えなかった。

「ミツ、良ければツヴァイとファラもだが、放課後サリーの部屋に行って、様子を見てきてくれないか? なんか、凄く嫌な予感がするんだ」

「良いわよ。心配だったし」

 ミツの次に、ツヴァイとファラが了解の声を上げた。

「久しぶりだね、刃、ファラ。あれ、サリーちゃんは?」

「……勇、俺達のそばに来るなって言っただろ?」

 ミラーとリリーを侍らした神谷が通りかかり際に話し掛けてきた。サリーを探す神谷を、リリーは止め、さっさと教室に戻るよう促している。

「僕達親友だろ? なんでいつも突っぱねるのさ」

「だから、お前はそうでも、俺は違うんだよ。その無駄に大きい役立たずの脳みそじゃわからないか?」

 怒を孕んだ声色で言った。リリーとミラーが刃に突っかかる。

「ここは食堂だ。それに、王女もボルトも、神谷だって決闘の事を忘れた訳ではないよな?」

「僕は君を諦めた訳じゃないぞ。君だってまだ更生出来るんだ。僕が君を救ってみせるよ、巡」

 思わず「は?」という間抜けな声が出た。人殺しと罵られ、敵として見られた後は、どうやら神谷に更生させられるらしい。

「今でも間に合うよ、サリーちゃん、刃や皆の洗脳を解くんだ。そしたら法が罪を消してくれるよ」

 神妙な顔つきで説得してくる神谷にやってないことを再度伝えると、溜め息を吐いた。

「そうか、どうしても認めないんだね。わかった。それなら僕も長い付き合いを考えるよ。セラフィムが言ってたからね。僕なら君を更生させられるってさ」

 どういう心境の変化かと思えば、セラフィムの入れ知恵だったのか。巡は納得した。

「更生もなにも、やってないのに言われてもな……」

 強く突っぱねることは出来ない。神谷とミラーだけならいざ知らず、リリーも居る状態で、下手な事は言えない。

「まぁ今はいいさ。授業があるからまたね」

 三人が歩みを始める。

「もう勘弁してほしい。あ、王女、サリーはどうしたのでしょうか?」

 三人が止まり、リリー以外が振り向いた。

「なにか知ってるの?」

「……知りませんわ。あのような下賎な者の事なんて、この私が気にすると思いで?」

「先生が王女から休みだと聞いた、と言っていたので、王女ならなにかをご存知かと思いまして」

「何度言わせますの? 私は知りませんわ! 勇様、行きますわよ」

 神谷を引っ張って、逃げるように食堂から消えた。

 リリーはサリーに嫌悪を抱いているにも関わらず、朝一番に先生に伝え、聞いてもはぐらかすばかりという対応では、疑念を抱くのは当然であった。

「まぁ、明日まで様子を見よう。それ以外に手はない」

 食べ終わった事を確認して、皆で教室に戻った。


 ――えっと、今日もサリーちゃんは休みみたいです。なんでも、仕事の事でなにか問題があったらしいです。

 授業の前の、先生の心配げな顔が脳裏を過った。

 三人から話を聞くと、どうも一昨日の夜――つまり、一緒に帰った時間、女性寮の管理者はサリーを確認していないらしい。

 不審に思った校長に、巡は呼び出されていた。

「確かにサリーくんは寮に帰ってきた。私も見たから間違いはない。だが、管理者は確認していない。帰ってきた生徒が書かれた履歴書にも名前は無かった。ついでに、女生徒にも話を聞いたが、サリーくんを見た者はいない」

「寮や学校の警備があった。なのに、サリーは忽然と姿を消した、と?」

「その通りだ。昨日から捜索を頼んでいる。一応、誘拐としてみているが、どう思う?」

 頬杖をする校長。その目はいつもより鋭い。生徒を愛しているはずの校長からすると、気が気ではないだろう。それは勿論、巡だって同じだった。いや、巡はそれ以上だ。

「どうもありませんよ。今日は授業を休みます。一日もあれば、どこにいてもサリーを見つけ出し、救出できる。俺が行きますよ」

 腰を上げると、ソファーが音を立てる。

「そうだな、よろしく頼む、“武神”」

「やめてください。これはなにより、自分の為に動くんです。俺がなにをしようと、俺以外に責任はありません」

 心には、静かな炎が揺らいでるようだった。

 校長がふっと笑う。

「それでも、結局は私にもサリーくんが帰ってくるという得があるんだ、よろしく頼むよ」

「わかりました。レイス達に言っておいて下さい。待ってろと」

「ああ」

 転移した。

 街の真ん中は、公園がある。噴水の前には、多数の待ち合わせする男女が居て、一昨日の事を巡に思い出させる。太陽は真上にある。

 噴水の前に立ち、サリーの反応を探知する。意外にも早く探知できた。ただ、場所が問題だった。街を出た、王国と帝国の中心の草原に反応があるのだ。

 急いで転移すると、所々に魔物が歩く草原へと視界が変わった。

「居ない?」

 サリーは居ない。探知では、確かにここを差している。今も、レーダーには目印がある。

 サリーの名を叫び、目を右往左往させるが、やはり人の姿すらない。

 もしかして、最悪の予感がした。地面を掘っていく。慎重に、尚且つ素早く。

 やがて、巡は崩れ落ち、現実を否定した。

「うそだろ、サリー……?」

 土の付着した長く、美しい茶髪。学校の制服を身に着け、地中に眠るサリー。胸には、夥しい程の黒い出血あとと、銃痕。

 まるで、自分が幻覚をみているかのように、視界が揺らぐ。

「え、え?」

 自分の口からかわいた声が漏れたのがわかった。

 サリーを抱き起こす。白く、冷たい肌と銃痕以外は生きてる時と変わらない。死後硬直が解けていたらしく、腕が垂れた。

 この状況を、未だに受け入れずに居る。理解はしているものの、頭がついていけていない。

 理解、しているのに。

「サリー、恋人になってまだ短いのに、まだ……くそ……!」

 顔の土を、落ちる涙が洗い流す。

 死んだ直後ならまだしも、二日は経っている為、禁忌さえ手遅れだと悟ってしまう。本当は安らかに眠らしてあげたい。しかし、まだ眠るには早すぎるだろう、と巡は思ってしまう。

 二日前、寮の中まで送っていれば、せめて、校長に気を付けるよう言っていれば。今更後悔しても遅いとわかっていても、せずにはいられなかった。

 あの日の涙は、サリーが死んだ事を意味しているのだと理解してしまうと、どうしてもなぜあの時深く考えなかったのかを自己嫌悪してしまう。

 嫌な考えを振り払い、涙を拭い、自宅の庭に転移する。

「巡様?」

 花の手入れをするツキが、サリーを見て、顔色を変える。

「ツキ、サリーが……死んだ」

 口にすることで、ようやく実感がわいた。要らない実感だと思えた。

「そんな……どうして……」

「わからない。二日前に死んだようだ。サリーはこのまま埋める。綺麗な所を掘ってくれ。知り合いを集めてくる」

 声が淡々としていた。

「……かしこまりました。早急に」

 サリーの遺体をツキに抱かせ、巡は校長室に転移した。

「いきなりだね、まあ良いさ。どう……」

 視線を書類から巡に移した。すると、察したのか頭を抱えた。

「質問をしよう。その死臭と血は犯人のものか? それとも、サリーくんのものか?」

 鋭い目。嘘は許されない雰囲気に巡は臆せず、「サリーが殺された。葬儀に来るなら、待っていてくれ」と発言してから、教室に向かった。

 授業中の静かな、担任の声だけが聞こえる廊下で、巡はFグラスの扉を開けた。

「レイス、ツヴァイ、ミツ、来てくれ」

「ちょっと、困るですよ巡君!」

 唖然とする教室。先生の言葉を、片手で制する。その手にはギルドカード。

「武神として命令だ。黙れ」

 ざわざわとした。武神だと興奮する者、嘘だと騒ぐ者。先生は冷静にカードに目を通すと、ぱちくりと瞬きをして、大袈裟にのけ反った。

「あわわ!? 確かに武神様のカードです……! ごめんなさいです、三人は直ちに武神様の指示に従って下さいですよ!」

「ごめんな、先生」

「えへへ、滅相もないです」

 怪訝に問い掛ける三人を連れて、Sクラスに赴いた。

「刃、ファラ、着いて来てくれ」

「二人とも座れ。おいおい、慌ただしいじゃねぇかよー。いま授業中なんだけど?」

 二人を座らせる。喧しい神谷組を黙らせてから、怠そうに首を回し、死んだ魚のような目で射ぬいてきた。

「佐藤先生、これでも俺は焦ってるんだ。すまないな。武神として命令する。二人を授業から抜けさせてくれ」

 カードを目にすると、尚も怠そうに「連れていけ」とだけ言った。感謝をしつつ、五人を引き連れて校長室まで戻ってきた。

「皆、落ち着いて聞け。二日前、サリーが何者かに殺されたのを、今日知った。それもついさっきだ」

 皆、似たような反応をした。巡は構わず続ける。

「胸には銃痕。それも、寮の敷地内に入れる程の手練れか、怪しまれないような奴だ」

 皆が静かに聞く中、刃だけがツヴァイを見た。

「私じゃないぞ。サリーを殺すとどうなるかなんて、分かりきってるし、サリーの事は友達だと思ってる」

「ツヴァイを疑ってる訳じゃないんだ。皆俺の家に来てくれないか。サリーを形式上だけでもいいから安らかにさせてやりたいんだ」

 何故か、悲しみを感じなくなっていた。

 校長を含めた皆で集団転移する。

 ガーデンの奥の庭園につくられた穴は、随分深く掘られていた。周りには多種多様のツキが育てた花が植えられ、中心に大きい穴がある。

 小さい葬儀のような行為は、しめやかに始まり、心底の悲しみと啜り泣きで終わる。

 遺体を見ると、ミツとファラが涙を流した。説明も程ほどだったので、半信半疑だったのだろうと察した。校長と先生も、唇を噛み締めていた。

「なぁ、巡。お前はいま、悲しいのか?」

「……わからない。ただ、凄い悲しかった。でも今は、慣れてしまった。なんだろうな……気持ち的には楽だけど、それがあまりにも人間として、恋人として悲しいんだ」

 出来るならもっと悲しみたかった。悲しみに暮れ、一生分の涙を流したかった。

 犯人に対しては、煮え繰り返るような殺意ではなく、静かな怒りでもない。ただただ、虚無感に苛まれている。そんな自分が悲しく、許せなかった。

 サリーならきっと、悲しむな、復讐するな、仇を討とうとしないで、新しく好きな人を見つけて幸せに生きろ、と自分の気持ちを疎かにするような事を言うに違いない。

 それは残された者にとって、あまりにも残酷だと巡は思った。

 これが適応力のお陰なのだとすれば、こんなもの要らないとまで思えた。

「……巡、俺達は今まで、多くの死に際を見て、死体を見てきた。この手を赤くしたことなんて数えきれない。なぁ、巡。このままじゃ、俺達全員が納得出来ない。俺は友達であるサリーの仇をとりたいと思ってる。それはサリーが嫌がってもだ」

「俺に犯人を探して、殺せってことか?」

「俺がお前の立場なら、必ずそうする。世界を敵にまわしても、俺は一生をかけて探し出す。もしミツが――なんてそんなことは考えたくないけど」

 黒い瞳は、悲しみで肩を震わすミツに向かっている。

 巡は、ふっと笑みの息を漏らす。

「暫く一人にしてくれ。じっくり考えたい」

「遅すぎれば、俺が済ませるからな。その時は怒るなよ」

「さぁな。なるべく早くするよ」

 巡はレイスから離れて、サリーの名が彫られた墓の前に立つ。そして一輪の花を土にさして、手を合わせる。

 いつまでも想うのはサリー。もう会えないだろうという『諦め』と、きっとまた『再会』出来るという思いが渦巻いていると、口が勝手に動いていた。

「また会う日を楽しみにしてるからな、サリー」

 一輪の彼岸花が返事をするように揺れた。

遅くなりましたが、これから更新が不定期になります。ご了承頂ければ幸いです。

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