2.それぞれの日常
大学生活は、三回生になると急に就職活動がメインになって、友人たちは一斉にインターンシップの参加先を探し始めた。
「五十里はどうするんだよ、お前はシステムエンジニア希望だろ」
もうすぐ始まる夏休みをどう過ごすか、既に参加する会社の決まった一人が諒へ話題を振った。
「そうだけど」
「インターンはどうすんの」
「一応、会社の情報は見てるけどさ。出来たらこっちで行きたいなって」
講義が終わった夕方、大学の敷地内に幾つも据えられたベンチの一つは、木陰になっているから涼しくて何となく皆で集まる時の目印になっていた。
「ここで就職する気かよ」
別の友人が声を上げて、頷いたら
「お前なら、もっとでかいとこで探せるんじゃねえの」
と首を傾げるから、「でかいとか、興味がねえな」と諒は肩をすくめた。
将来は地元で働きたいと話していたそいつは、夏休みで訪れるインターン先を無事に決めることが出来て、よかったなと皆で言い合ったところだった。
「エンジニアなんてさ、どこも人手不足だろ。いいとこがあると思うんだけど」
「そうかもな。でも五十里、じゃあここを出るつもりはないってことか」
話を振った友人が尋ねて、そのつもりだとまた顎を引く。
「そっか。俺なら、一度は大きな会社で力試しがしたいって思うけどな」
ペットボトルを傾けた友人がそう続けるのを、
「親孝行だよな、五十里って」
また別の友人が言葉を挟んで、皆が諒へ視線を向けた。
「別に、普通だろ」
苦手な方向へ話が進んで、やべえと思いながらポケットに突っ込んでいたスマートフォンを取り出す。
「地元の国立大に進んで、就職もここか。親は嬉しいだろうな」
成績もいいし、と肩を小突かれて「うるせえな」と返す。
……当たり前だろ。行かせてもらってんだからよ。
「バイトもしてるし」
「バイトはお前らもしてるじゃねえか。俺だけ特別にするなよ」
「まあな。でも、車の免許も自分で稼いだ金で取ったじゃん、五十里は」
「自分のことだろ、何でも親に頼るかよ」
スマートフォンの画面を見たら、アルバイトの開始まであと二時間に迫っていた。
「俺はバイトして貯めるって親に言ったら、学業に専念しろって」
「安くないからな。試験に落ちたらまたいくらか要るだろ。こいつは器用だから一発で合格してたけど」
勝手に話を進めている友人たちの言葉を耳に入れながら、今日も来るかなと、あの人の顔が浮かんだ。
……来てくれたらいいな。
「親孝行とか、適当なこと言ってんじゃねえぞ。そろそろバイトだから、もう行く」
リュックを背負い直したら、「せっかくの金曜日に居酒屋でバイトとか、真面目なんだか阿呆なんだか」と友人が返して、皆が笑った。
「うるせえ。これでも頼りにされてんだ」
あの店でアルバイトを始めてもう二年、病気以外で休んだことはないことは、皆知っている。
「なあ、またカラオケ行こうぜ。しばらく遊べなくなるんだからさ」
気軽な声を掛ける友人たちに手を上げて、ベンチを離れた。
自転車置き場まで歩きながら、アパートへ戻ってカップラーメンでも食ってから店へ行こうと、オレンジ色の夕暮れが広がる空を見た。
「今日も多いだろうな、お客さん」
接客は体力を使うけど、後で賄いが出るから、それまで腹がもてばいい。
「……」
――まあ、入ってくれるなら俺も助かるが。
静かな声が蘇って、心がとんと揺れる。
険の取れた穏やかな目元が、じっとこちらを見つめていた。
あの人の注文を自分が独占するから、固定の客を贔屓するんじゃねえと大将には怒られたけど、それでも接客を禁止されないのは、あの人がマナーを守って気持ちよく過ごしてくれるからで。
「名前、知らねえんだよなあ。俺のことは諒って呼ぶのに」
数台が突っ込まれた中からどうにか自分のものを引きずり出して、鍵を外しながら呟く。
――いい名前だな。お前に似合う。
あんな人が上司だったら、なんて思うのは、インターンシップの話題のせいだと、ため息をついた。
……客が皆、あんたみたいな人ならいいのに。
「……くそ」
思い出したくないことが瞼をよぎって、思わず眉を寄せた。
今日は、大変な一日だった。
大変と言ってもいつものことで、急な変更を申し出た顧客のもとへ朝一番で向かって、事情を聞いたら販売するソフトの吟味からやり直しだと分かって、帰社したら次は見込みの会社へアポ取りをして、資料を作った。朝の会社の事情を整理して、自社で扱っているソフトをチェックしてリストアップし、担当者へ資料を添付したメールを送る。
「真木係長、すみません」
営業一課で押し出し中の二六歳、柏木が契約でつまずいたと報告を入れて、昼から一緒に取引先へ向かい、頭を下げた。
「気にするな。こういう失敗を糧にして進むもんだ、営業なんて」
帰りの車で力なくハンドルを握る柏木へそう言って、俺もこうだったなと数年前を思い出して、会社へ着いたら感謝のメールの指示を出す。
一課で係長を務める自分は、課長や課長への報告も欠かせないから、すぐに幾つかの連絡を済ませてから決済待ちの書類へ目を通す。
「処理が早くて助かるよ。本当に優秀だな、真木くんは。頼もしい」
にやけた顔で肩を叩いてくる課長を無視して、今期のインターンシップについて人数の確認をすると、地元の国立大学からも数名を募集すると返ってきた。
「情報科学科ですか」
「そうだ。営業はインターンは入れないが、エンジニア職だから無関係でもないからな」
「はい」
毎年、業務のお試しを目的に受け入れるインターン生は、地元以外の大学からも打診はあって、キャパシティに応じて優秀な学生を招くのが通例だった。
「真木くんは人を見る目があるだろう。部下からも慕われているしな。今年も様子を見てやってくれ」
「……」
古狸の考えはすぐに分かる。
「エンジニア職にこだわらなくても、インターン生に適した部署があるなら提案を」
本来なら上役である自分たちがある程度は現場に来ないといけないのを、面倒だからこうやって成績のいい自分へ押し付けるのだ。
後の処理も全部、こちらへやらせるために。
「分かりました」
昼間、一緒に頭を下げにいった一課のエース柏木も、インターン生としてここへやってきた時はエンジニアが希望で、新卒で入社して二年でこの営業へ移ったのは、技術にプラス出来るスキルが欲しいと零していたのを、自分が拾ったからだった。
視野の広い考え方と真面目な性格はここでも発揮出来るだろうと推薦して引き入れたら、思惑通りに顧客から信用される営業となって、今は自分の仕事を手伝えるほどに成長していた。
「真木係長、来週の予定ですが」
「ボードに書いた通りだ。インターンシップのことで会議への参加もあるが、何かあったらラインで報告しろ」
「はい。……相変わらず、頼られてますよね、係長」
柏木は、最初こそ自分を憧れの眼差しで見つめていたが、多忙を極める有り様を幾度も目の当たりにして、今はそれを支える方向へシフトしつつあった。
「シルバー社の、新しい提案の件ですが、後は引き継ぎます。いずれは俺に任せるつもりだったやつですよね」
「そうだ。規模としては大きくないから、お前一人でも大丈夫だろう。リストアップしたものは送ったから、返答次第で開発の連中に声を掛けろ」
「はい」
力強い返事に頷いて、デスクで残りの書類に目を通していたら、あっという間に退社の時間になった。
お疲れさまです、と飛んでくる声に応えながら処理を進めて、ふと顔を上げると視界に入った壁の時計が二〇時を指していた。
「……金曜は残業はしないと、言ってあったな」
首を回しながら呟いて、諒の顔が脳裏に浮かぶ。
早く行かないと。
そう思っても、置いておけない業務ならどうしてもこっちを優先しないといけない事情が、歯痒かった。
「……」
――週末くらい、健康的に過ごせよ。あんた、いつも難しい顔してここへ来るからさ。仕事のし過ぎじゃねえの。
眉を下げた笑顔で言われた時は、思わず息が詰まった。
大学生のアルバイトにそんな心配をされるなんて、社会人の先輩としてどうなんだと、自分の見え方を意識した。
そんな言葉を掛けられるのも、初めてだった。
それを、嬉しいと思う、心も。
生ビールのジョッキをテーブルへ置いてからおすすめを教えてくれる諒の、仕事のストレスをその時は忘れさせてくれる明るさが、自分は好きだった。
「……好……?」
胸に浮かんだ感慨へふと思考が止まって、瞬きをしたら諒の声が蘇る。
――あんたが来てくれたら、俺も嬉しいけど。
照れたように瞳を細くして小声でそう言った諒が、自分の注文のほとんどを引き受けようとしているのは、見ていれば分かった。
そんな贔屓のような接客は大将に怒られるんじゃないかと思ったけれど、今もそのままなのは、自分が問題を起こすような客ではないからかも、しれないけれど。
――常連さんだけだからな。
「俺だけじゃないだろう、大事にしないといけない客は」
そう思っても、諒へ伝えるのは気持ちに水を差すようで、出来なかった。
「……九重大学、だったな。そういえば」
ふと、昼間の課長との会話が蘇って、諒の学部は何だろうと思った。
もし情報科学科だったらなんて浮かぶのは、相当に自分も諒に入れ込んでいるってことか。
「……」
男だぞ、相手は。俺も。
いや、友達としてなら、別に。あるだろう、こういうことも。
「…………ある、のか?」
――今日は遅かったんだな。残業?
無邪気な笑顔は、いつからか食事ではなくそれを目当てに店へ向かう自分の心を、ゆっくりと突き付ける。




