18.海へ
――情報科学科なのか。
――うん。エンジニアになりてえなって。
――…………そう、なのか。
――ん? なんだよ、どうかした?
――……偶然にしては、出来過ぎだなと思ってな。
――はあ? 何のことだよ。
――気にするな。こっちのことだ。
――言わねえのかよ。……いいけどさ。
――ところで、インターンシップの話は出てないか。
そんな会話をしたのは、十四時だった。
綾人からラインでメッセージが飛んできて、「電話してもいいか」と書かれているからびっくりして、昨日のことを話したいのかとすぐに思い至って、諒は自分からかけていた。
土曜日。
「なんだ、いいのに。俺からかけ直すから、一度切るぞ」
「いいよ、かけ放題にしてるから。気にすんな」
今日は夕方からバイトじゃない用事があって、昼寝でもしようかなと読んでいた雑誌を閉じたところだった。
真木さんは休みの日は何してるのかななんて思って、でもまたこっちから連絡するのはしつこいかと、気が引けた。
「どうしたんだよ、真木さん」
一応尋ねたら、「あれから、何もなかったか」とすぐに言葉が返ってきて、やっぱりなと頷く。
「帰ってからラインしたじゃん。何もねえよ」
軽い口調でそう言ったら、「そうか」となぜか納得したような声が聞こえて、首を傾げた。
「ん?」
「無事ならいい」
素っ気ない声が続いて、それから急に大学のことを尋ねるから、どうしたんだと思いながら学部のことを話した。
情報科学科だと言ったら綾人の驚く様子に自分もびっくりして、「インターン先はいま探しているとこだけど」と答えたら、返事はなかった。
「ん? 何か、おかしいぞ、今日。真木さん」
休みの昼間に電話をかけてくるのも、俺のことについて知りたがるのも。
今までは、俺に気を使うみたいに、触れなかったじゃねえか。
でも、今はそれが出来るくらい近くなったのかと、思った。
「そんなことはない」
顔が見えないから、今どんな気持ちで話しているのか、分からないけれど。
……何とも思ってなかったら、電話なんかしないよな。
だよな?
「……」
――真木さんは何処にいるんだよ。
――部屋だ。俺もちゃんと帰ったぞ。
――俺がいなくて淋しかっただろ、店。
「今は何をしていたんだ、お前は」
――そうだな。
「別に。雑誌見てた」
〇時を過ぎて、終電乗ったかなと二駅先で降りる綾人の姿を想像して、ついメッセージを送ったのは店であまり話せなかった物足りなさのせいで、すぐに既読の文字が浮かぶから胸が熱くなった。
――明日は休み?
――そうだ。
文章だけだと綾人の真意が見えないけど、茶化す訳でも逸らす訳でもなく普通に頷いてくれるのが、嬉しかった。
……冗談とか、言いそうにないしな。堅物だし。
「用事はないのか」
スピーカーから流れてくる綾人の声は落ち着いた響きで、後ろに音がしないから、部屋にいるんだろうな浮かぶ。
「あ、えっと……夜はちょっと、出掛けるんだけど」
そのまま口にするには何となく気が引けて、つい言い淀んだら「そうなのか」と返す綾人の声色が、少し変わる。
……別に、隠すことじゃねえんだけどさ。
「うん。大学の友達と、その」
「……」
俺が何をするかなんて、あんたは気にするのかよ。
黙った綾人の、察しの良さを思い出せば、ばれるかもなと肩をすくめた。
「今は、時間があるんだな」
会話に集中したくてテレビを消した時、スピーカーから静かな声が聞こえた。
「え?」
リモコンをテーブルへ戻したら、
「今から出て来れるか」
と同じ調子で言葉が続いたから、ぱちんと瞬きをした。
諒を連れていったのは、海だった。
アパートまで迎えに行って、厚手のカットソーにチノパンツの格好で出てきた諒はやっぱり今風の若者で、ジャケットを着なくて正解だったなと、シャツ姿の自分を見て綾人は思う。
釣り合わない、と感じるのが嫌だった。
自分より年下で、まだまだ若さが前に出る、諒と。
「あそこがいい。尾根町のさ、何か海の家みたいな建物があるとこ」
「橋の向こうにあるあれだな」
海へ行くぞと言ったら助手席の諒がすぐに答えて、夏はサーファーで溢れる広い海岸を思い出す。
アクセルを踏んで走り出したら、木曜日にも座っていた諒が蘇って、三日連続で会っていることに気が付いた。
そのどれもが、シチュエーションに違いがあるのが、面白かった。
「去年は友達の車で行ったりしたけど」
グレーの雲が広がる空は雨が降り出しそうだけど、窓を開けて外の景色を眺める諒は、機嫌がよかった。
「免許は持っているのか」
「あ、うん。バイト代貯めてさ、一発合格」
ハンドルを握る自分を見て、得意げに唇の端を上げる様子が、無邪気だった。
「……偉いな。時間がかかっただろう」
「おう。だから落ちたくなくてさ。仮免も頑張った」
明るい声で話すのを、「俺は親に出してもらったからな。車は自分でローンを組んだが」と、当時を思い出した。
「そっか。いいんじゃねえの、俺の周りもそういう人、多いぜ」
フロントガラスへ顔を戻しながら続いた声に、そうかと返す。
諒の、そんな身近な話も、新鮮だった。
陽が高い時間に二人で過ごすのは、あのカフェで話した時以来で。
今日は堂々と誘って、すぐに頷いてくれた諒に感謝した。
「休みの日なんかは、やっぱり友達と遊ぶのか、諒は」
夜は出掛ける用事があるのを思い出して尋ねたら、
「うーん、そうでもないけどな。土曜の夜も隔週であの店に入るからさ、日曜日は一人でゆっくりしたい時も多いし」
シートに背中を預けている諒が、軽い調子で答える。
道の向こうに青い波間が光って、まだ梅雨明けの宣言は出ていないのに人の姿があった。
「そうだったな。今日は違うのか」
「うん。今日は他のバイトの子に代わってくれって言われてさ。休みになったから、友達と」
すらすらと答えていたのが、そこで止まる。
「ん?」
信号は赤で、停車してから隣を見たら、視線を避けるようにふいと窓を向いた諒から
「ちょっと、飲んでくる」
わずかに緊張した声が流れて、何も返さなかった。
「……」
別に、隠さなくてもいいんだぞ。
そうやって言ってくれないほうが、淋しいから。
「いいじゃないか。羽目を外さないようにな」
どうして言えないんだ。
「うん」
諒が頷いて、窓ガラスに映った顔は、伏せた瞳が逡巡を抱えているように見えた。
信号が青に変わって再び走り出しながら、俺の反応を気にするのかと、「あいつは、ああ見えて繊細なところがあるから」と口にした大将が蘇った。
「……車が多いな」
建物へ到着して、広い駐車場は半分以上が埋まっていて、遊歩道のある奥まで車を進めると端へ駐めた。
カフェやシャワールームを完備した建物は、ボードを持ったサーファーの姿が目立った。
「まだ雨降るのにさ。来るもんなんだな」
同じ感想を諒が呟いて、そうだなと笑って二人で降りる。
堤防に沿う遊歩道は、ポールを立てて続く途中に東屋があって、そこにもペットを連れた人がベンチに座っているのを、会釈して通り過ぎる。
どうして海を思い付いたのか、あのカフェで話した時の開放感が欲しかったのかもなと、問題のある客について打ち明けてくれた諒の姿が、今も胸に残っていた。
「久しぶりに来た、海って」
揺れる波間を見つめながら隣の諒が呟いて、
「俺もだ。土曜に人と過ごすのも久しぶりだがな」
素直に返したら、そうなんだと頷く。
「……今日は、何かあったの」
歩調を合わせて歩きながら、ちらりと投げられた視線を受け止めた。
「何もない。話したくなっただけだ」
会いたかったと、言えば。
喜んでくれるか。
「なんだ、暇つぶしかよ」
「そうじゃない」
年下の大学生と、二人で海へ行くなんて、休日は。
「知りたくなったんだ」
自分の時間も、気持ちも、差し出してもいいと思える人間じゃないと、無理だろう。
「……」
そうかよと返すかと思った諒は、少し顎を引くと黙って視線を海へ戻した。
並んで歩くのは初めてで、自分より少しだけ背が低いけれど体格はいい諒の、シャツの裾から伸びる日焼けした腕が、目についた。
――真木さん。
「あの店でのアルバイトは、二年になると大将から聞いたが」
肩へもたれた頬と、やわらかく閉じた瞼と、甘えた声で囁く唇を、俺は。
「……うん。それくらい」
忘れることが出来ないんだ。




