11.お前の気持ちは
「予報を見なかったのか。午後から雨だと出ていただろう」
助手席に滑り込んだ諒へ、ハンカチを渡しながら言ったら
「知らねえよ。ちょっとくらいなら飛ばして帰ればいいし」
ぶっきらぼうに答えた諒は、手にした青い生地へ目をやってから濡れた腕に押し当てた。
「頭を拭け。雫が落ちてる」
「……おう」
うるせえな、と返してきそうなのを、素直に髪へ移動させる様子を、綾人は視界の端で捉える。
帰宅する車で混み合う道を走って、初めて向かった大学は、駐車場への乗り入れには手続きが必要だと分かって、仕方なく正門の近くへ停めてから再び諒へ電話をかけた。
ここでいいかと尋ねたら頷く諒に車のナンバーと特徴を伝えて、待つこと五分、門から出てきた諒はリュックを頭の上に上げた格好ですぐこちらへ走ってきた。
「真木さん」
ドアを開けながら大きな声が聞こえて、外の雨音がざあと一緒に流れ込んで、とんとんと胸で跳ね続ける鼓動を隠す。
「うへえ、冷たい」
「タオルとかないのか」
「持ってる訳ねえだろ」
周りは同じように車が並んで、そこに交じる自分が、何だかおかしかった。
降水確率を見て車での出勤を決めた朝は、こうなることなど想像していなかった。
……大学生の知人を、迎えに行く夜なんて。
「……面倒だったんじゃねえの」
肩の雫を押さえた諒が、こちらを見ずにぼそっと呟くのが聞こえた。
「今日は偶然だ。帰る途中だから寄っただけだ」
心配するのは、悪いのか。
「途中って。余計な時間だろ」
「迷惑だったら謝るが」
大雨を言い訳に電話するのは、駄目か。
「……迷惑なんて言ってねえだろ」
ちゃんとアパートに居るか、確かめたかっただけなんだ。
「我慢しろ」
すぐそこにある熱を意識するから、前を向いたまま答えたら、
「だから、我慢とかじゃねえって。何でそっちに取るんだよ」
どんと腕を小突かれて、思わず隣を見た。
「ありがとな、わざわざ」
青い瞳が、懸命に視線を合わせていた。
「……」
ぐっと力を込めた頬と、こめかみを流れる雫が視界に入って、
「……まだ濡れてるぞ」
どうしてこんな提案をしたのか、本当は会う機会を狙っているんだろうと、自分へ問いかける。
カフェへ向かった休日も。今も。
店に居る時と距離はそう変わらないのに、流れてくる諒の匂いが違うからプライベートだといやでも実感させて、スーツ姿の自分は今はどう見えるのかと、気になった。
「ハンカチ、ごめんな。汚れたから洗って返す」
ぱっと顔を前へ戻した諒が言って、「気にするな」と自分もフロントガラスを見たら
「気にするだろ。……どうせ、店で会えるし。明日」
明日、に力の入る声が耳へ届いて、胸で弾ける光を逸らせなくて、「そうだな」とだけ何とか口に出来た。
「……」
ワイパーを止めているから、ばしゃばしゃとガラスを雨粒が流れて、そこに映る諒の姿がよく分からない。
来てくれて嬉しいと、少しでも思ってくれるか。
「何か、車多いな」
気が付いたように言いながら、濡れたリュックをどうするか迷っているのが手の動きで伝わって、
「足元に置いていいぞ。……迎えだろうな。この雨だから」
前の車が発進するのを見て、自分もシフトレバーへ手を掛けた。
「ベルトをしろ」
「あ、うん」
気付いたように慌ててシートベルトを引っ張った諒の腕が、勢いでとんと触れた。
……熱い。
「アパートは何処だ。この近くか」
ひとり暮らしだと、言っていたよな。
自転車で移動しているから遠くはないはずだと思いながら尋ねたら、
「もう帰るのかよ」
ぽつんと声が流れて、レバーを握る指先が揺れた。
隣へ視線を向けたら、フロントガラスを見つめる諒の横顔が、赤くなっていた。
「……」
「腹が、減ったんだけど」
膝に置かれている手がきゅっと握られるのを視界に入れながら、
「何処か食べに行くか」
普通のトーンで言葉が出て、弾かれたように肩を揺らした諒が、自分を見た。
「行く」
持ち上がった頬と、青い瞳にはきらきらと光が浮かんでいた。
「だがこの雨だからな、また外に出るのは」
……諒。
「あれでいいよ、マック。ドライブスルーがあるだろ。あ、真木さんが大丈夫ならだけど」
「俺は構わないぞ。ドライブスルーなら他で弁当も買えるが、どうする」
やっと、動き始めた、会話が。
「ハンバーガーが食いてえ」
「そうか。あまり健康的とは言えないがな」
「おっさんくさいんだよ、あんた。我慢しろよ」
そう言って、シートに背中を倒して笑う、明るい声が。
「……別に、我慢はしてないが」
乗り込んだ時からそうしたかったんだなと、勘違いを連れてくるから。
「俺の部屋でいい?」
「駐車場はあるのか」
「あ」
会いたくてたまらなかった自分を、求めてもいいのだと許したくなる。




