Chapter 52 約束の地へ
雲の要塞が見えてきたのは2日後。日が傾き始めた頃だった。
遥か遠く見える、海面から天の果てまで貫くような雲の塊。人々がこれを雲の要塞と名付けたのがよくわかる。
その円筒状の形だけを見れば塔と呼ぶ方が相応しいが、来るものを威圧するようなその姿を目の当たりにすれば、直感的にこれはなにかを守っているものだとわかるからだ。
レイラの話では雲の要塞に近づけばスフィアが使えなくなり、船は立ち所に墜落するのだという。瑠璃色の天使に無の力を与えた神が守っている場所だから、そういうこともできるのだろう。
瑠璃は船の丸窓から、その蒼い目で雲の要塞を見つめていた。船は確かに進んでいるはずなのに少しも雲の要塞に近づいているという感覚がない。それだけこの雲が巨大だということだろう。
雲の要塞に近づくにつれ、船内の緊張が高まっていくのがわかった。自分に力を与えた神が守っている場所なのだから、この船が落とされることはないと、瑠璃だけは確信できた。しかし、他の船員たちは違う。
「なぁ、嬢ちゃん。ほんとに大丈夫なんだろうな?
船が落ちたらみんな仲良く海の藻屑だ。」
「大丈夫です。絶対に。」
瑠璃は確信を持って答えるが、船員は呆れた顔を見せる。
「おいおい、あのなぁ…」
船員がその先を口にする前に別の船員が声を上げた。
「おっ、おい見ろよ!雲がっ!」
船員の指差す方向を見て瞬いた。雲の要塞に変化が起きている。
とぐろを巻くように動き出した雲がさあっと二つに割れた。まるで招き入れるかのように雲の間に道ができる。船が通り抜けるには十分すぎる大きさだった。
瑠璃達が乗っている船がその隙間を通り過ぎると、後ろからまた雲の壁が作られていく。意思を持つような雲の動きに驚かされた。
雲の要塞を抜けると、空に浮かぶ巨大な島、アトランティスが見えた。瑠璃達が乗った船がアトランティスの側に止まる。
瑠璃はレイラとバルツと共に船員に礼を言ってから、船を降りた。同時に何かあったら自分の命を最優先で動いてほしいとも伝えた。
✴︎✴︎✴︎
瑠璃はレイラとバルツと共にアトランティスに降り立った。空を見上げると、目に飛び込んできたのはいつか見たあの夢のような星空と気高い光を放つ月。
そして確かに感じる銀色の天使、シルフの気配。
気配でわかる。シルフも間も無くアトランティスに到着する。
本当はもう少し早くアトランティスに着きたかったけれど、シルフに先を越されるという最悪の事態は避けられた。瑠璃はひとまず胸を撫で下ろした。
アトランティスには全く動物の姿がなかった。
恐らくシルフが瑠璃達が来ることを見越してあらかじめ避難させておいたのだろう。
「レイラ、あの神殿まで連れて行って。」
「あそこが審判の場なのね?」
レイラの問いかけに瑠璃は黙ったまま頷く。
「わかった。行きましょう。」
レイラのテレポートのスフィアで、瑠璃達はアトランティスの中央にある神殿にたどり着いた。
二つの天使像に挟まれた扉は固く閉ざされていた。瑠璃色の球と銀色の球。二つの球を揃えた天使のみがこの扉を通り、審判を始めることができる。
もう間もなくシルフもここに来る。瑠璃は扉の前に立ってシルフを待った。
想像していたよりもずっと静かな気持ちでいられたのは、恐らく迷いがなくなったからだろう。今の瑠璃は自分がどうしたいのか、はっきりとした答えを持っていた。
程なくしてシルフも、テレポートでこの場所に現れた。
「シルフ。」
「瑠璃。」
思えばこの世界に来てからずっと、シルフの背中を追いかけてきた。シルフは目的のため、守りたいもののため、どこまでも真っ直ぐに進んでいく。その背中を必死で追いかけて、やっとここまで辿り着いた。
全てはきっと今日、彼を止めるため。
月明かりを受けて輝く神殿の前。2人の天使が佇むこの空間は呼吸の音が聞こえるほど静かだった。
瑠璃とシルフはしばらくの間何も言わずに見つめあっていた。先に口を開いたのはシルフの方だった。
「……できるなら君が来る前に全てを終わらせたかった。君を傷つけたくないと思っていたから。
この審判はこの世界の問題で、君には関係がないことだ。違う世界から無理矢理連れてこられた君には。」
「それは違うよ。シルフ。私はもう無関係じゃない。
私はこの世界に守りたい人ができた。出会ったことがなくてもきっと関われば愛しいと思える人が沢山いる。
私のことも傷つければいい。あなたがこれまで動物達を守るためにたくさんの人々を傷つけてきたように。
私はあなたの望みに賛同できないのだから。」
シルフは微笑んだ。少しだけ寂しそうに。
「…考えの相違か。争うには十分すぎる理由だね。」
シルフの金の髪が夜風になびく。ここだけ世界中の時から切り離されたように、ゆっくりと時間が進んでいるような気がした。
「俺には、なぜ君がそうまでして人を守りたいのかわからない。この世界には数え切れないほどの種類の動物達がいる。人なんてこの世界全体で見ればそのうちの一つの種に過ぎない。
教えてくれないか。なぜ君は人を守る?人は君に何をくれた?」
瑠璃は隣に立つチェリアとバルツの顔を見つめた。二人とも瑠璃が目を合わすと微笑んで頷いてくれた。
この旅で出会った沢山の人たちが瑠璃を助け、勇気づけここまで導いてくれた。この旅が始まる以前にも家族が友人が支えてくれたから、守ってくれたから、瑠璃は今ここに立っている。
「…私は居場所を、愛情を、人にもらった。だから私は人が愛しい。
けれど人以外の生き物も救われて欲しいと思う。人と動物。きっと共生の道があると信じている。
貴方の力と私の力があれば。
ねぇ、シルフ。きっと私たちは分かり合える。」
シルフは相変わらず寂しげに微笑んだまま、固く首を振る。
「何かを生かすということは何かを壊すということ。それがこの世界の摂理だよ。生き物は生きている限り、他の生き物を殺し続ける。
だから、君の人を生かすという願いは、結局は人がいなければ生き延びられたはずの命を犠牲にするということだよ。
共生と言えば聞こえはいいけれど、その実の姿はただの見殺しだ。」
シルフの言葉には逃れられない重みがある。この世界に来るまでは考えもしなかった世界の真実を容赦なく突きつけてくる。
「…そうだね。わかってるよ。あなたが教えてくれたことだから。何かを守ることは何かを捨てること。だから私の唱える共生という道は、あなたから見れば動物達の見殺し以外の何でもないんだよね。
…けれど、そうと知っても私は人を守りたい。ううん、私は人も守りたい。」
「そうか。よくわかったよ。これ以上の議論は無駄そうだね。」
銀色の瞳に強い光が宿る。
「俺は全ての人間を消す。」
「シルフの願いは叶わないよ。私が叶えさせない。」
瑠璃の心に一切の迷いはなかった。天はただ静かに二人の天使を見守っていた。
5年半ぶりの更新となりました。
細かいところを忘れていたので話を改めて読み直しましたが、ここの文章もう少しいい表現があったんじゃないかな、いやこの流れでこの展開にはならないでしょ、などとツッコミを入れながら読んでいました。
自分で創ったキャラクターですが、シルフが好きですね。推せます。
絶バラも更新したいなと思いながら、とりあえず5年も寝かせた作品を完結させようと思います。
アクセス解析を見ていると今でも時々読んでくださっている方がいるみたいで驚いてます。読んでくださる方には感謝しかありません。ありがとうございます。