第13章 最終決戦(後編)
1.
少し走って沙耶に追いつこう。そう思って動き出したブラックを、琴音が止めた。
「ニコラさんがどういった攻撃をしてくるか、分かりません。みんなで1ヵ所に固まるのは危険です」
「そだね」
とアクアが受けて、全員に指示を出した。散開して接近し、ニコラを半円状に囲むようにと。
ブラックは幸か不幸か、真っ直ぐ進めばニコラのふもとまでたどり着く。沙耶と同じコースである。さっそくその背中を琴音とともに追うと、ニコラの遠雷のような割れた声が降ってくるところだった。
「タカトリ・サヤ! 今頃何をしに来たのかね?」
その大音声に少しだけ顔をしかめる沙耶。やがて、彼女は振り向いた。
「琴音ちゃん」
「はい?」
「やっぱり、おうちに2年も籠もってると、世の中の進歩に取り残されるものなのね」
(おうちに2年? 引きこもり? それとも病気か?)
沙耶と琴音の表情を見比べるが、両者ともにそれらしき影は見当たらない。いや、琴音が小首を傾げたぞ?
「今のこの場に、何か進歩のあとが見受けられますか?」
「だって――」
今度は昨夜と違って、人差し指。沙耶はニコラを指した。
「パンチングポールがしゃべってるじゃない」
「貴様ッ! たわごとをッ!」
ブラックの背丈の4倍、いや5倍は優にあるニコラが繰り出す右拳が、風を巻きながら打ち下ろされてきた!
「あ! 沙耶さん!」
ブラックが思わず上げた警告の叫びに、沙耶は反応しなかった。その豪拳を、またも左手の裏拳で振り払うように殴り返したのだ!
あの紅い光の壁と巨大な拳が激突する轟音に、思わず耳を塞ぐ。打ち合いに勝ったのは沙耶であり、負けたニコラは右手を大きく後ろに払われてバランスを崩――さない。
「ほら」と平然とした表情の沙耶が解説を始める。
「打撃の衝撃を、跳んだり転倒したりして逃がせないでしょ? で、戻ってくる。そういうのを――」
解説どおりに、地面に埋まった足を支点にして大きくのけぞっていたニコラが、反動に大きく振られて戻ってくる。そこへ、今度は突光――人間大という恐るべきサイズの――が打ち込まれて、ニコラは絶叫しながら大きくのけぞった。
「パンチングポールって言うのよ」
(ブレないな、この人は……)
ニコラを半包囲する仲間たちの息を飲む気配、あるいは乾いた笑いを耳で拾いながら、ブラックは思う。言い終えて、袖からタブレットを取り出す沙耶の表情も所作も、微塵も乱れがないのだ。
(敵は全部雑魚、いや、周り全てが、なのかな?)
沙耶はタブレットをしばらく操作していたが、やがてお目当ての画面にたどり着いたと見える。怒りで顔を歪ませたニコラに向かって画面を突き出した。
「日仏両政府の協議結果をお伝えします」
それは、
アンヌ主従も含む伯爵家人員の、日本国領土からの48時間以内の退去。
伯爵家が日本国内に所有する動産・不動産の鷹取家への売却。
その売却代金は全額、今回のテロ被害の賠償として日本政府が徴収する。
以上の措置が完全に履行された場合、日仏両政府は伯爵家に対して罪を問わない。ただし、当主たる伯爵とその摂政たるニコラには隠居してもらう。
というものであった。
怨嗟の声が、聞こえる。
「ここを破壊する時に殺された人たちは、どうなるんですか?」
「わたしたちの仲間だって、あいつらに、あいつらに殺されたんですよ!」
アスールとトゥオーノが沙耶に詰め寄ろうとして、ロートとグリーンに制止されている。
(そういえば、アスールはこの辺にバイト先があったのにとか言ってたな……)
気持ちは分かる。でも。ブラックは敢えて声を出した。
「沙耶さんを責めてもしようがないだろ? 決めたのは沙耶さんでも、鷹取家の人たちでもないんだ」
沙耶が、意外な表情をした。振り向いて、少し驚いたようにブラックを見つめてきたのだ。
そこに、ニコラの哄笑がかぶさってきて、ブラックの神経は逆なでされた。
「48時間だと? それだけあれば十分だ」
大きく両腕を天に突き上げて、また笑う。
「こんなちっぽけな島国、48時間もあれば制圧できる。この――」
と足下を指差し、
「地脈の中でも特優たる、龍脈の力をこの身に取り込んでいるのだからな!」
龍脈? 地脈に、特別な種類があるというのか。説明を求めて頭を巡らしたブラックは、信じがたい光景を目の当たりにする。沙耶が、愕然とした表情をしているではないか。
「龍脈……そんな……」
消え入りそうな語尾に、ブラックの危機感は増幅されて、仲間たちの動揺し始めた囁きの交し合いも段々増えてきたところで、
「龍脈使ってその程度なの? ねえ何かやり方間違えてるんじゃないの?」
「そっちかよ!!」
思わずタメ口でツッコんでしまったブラックであった。が、意に介さないご様子で左手首を指差して「時間あげるからやり直しなさいよ」とまで放たれた沙耶の言葉に、
「もぅ、沙耶様ったら」
琴音や美玖、霧乃は笑い出し、エンデュミオールたちの戸惑いとイライラは増した。
ルージュが鈴香と交わす会話が聞こえてくる。
「ねぇ、今の、どこが面白いの?」
「気にしちゃダメです。あそこん家の人の冗談は、基本的に笑えないのばっかりですから」
笑い声にイライラを募らせたのは、敵も同じ。ニコラの、いや、バルディオール・ガントレットの黒水晶が輝いた! 電撃が来る!
考えることもなく、ダッシュする。光壁を張って、そして沙耶の身体を突き飛ばしたとたん、バリバリと光壁が破壊される音を聞いた。そしてすぐに、電撃が体を走り抜ける!
苦痛の声を上げそうになって、でも歯を食いしばって。そんなものを吐き出すために、俺の口はついていない。出すべきは、そう、
「沙耶さん……大丈夫ですか……?」
抱きかかえず突き飛ばしたのが功を奏して、電撃が伝わらずにすんだようだ。尻餅をついたまま黙ってうなずく沙耶の瞳が上に向けられた途端、頭上からガントレットの嗤い声が降って来た。
「はッ! 男に護ってもらえるとは、いいご身分だな! ついでにそいつを潰して、愚者の石をいただくぞ!」
振り向くまでもなく、ニコラの右手のひらがブラックを押し潰そうと降りてくるのが分かった。黒い圧迫が、徐々にブラックの視界に拡がっていく……
「ブラック逃げて!」
仲間たちが、ある者は叫び、ある者はニコラを攻撃して時間を稼ごうと白水晶を輝かせる。だが、ブラックは動けない。電撃の余波で、まだ体が痺れているのだ。
跳ね起きた沙耶の表情が、激変した。超然とした面持ちは影を潜め、総身から発する闘気が、まるでガントレットに呼応したかのように膨らむ! それをそのまま充填したかのような突光が、先に放ったのとは規模も速度も段違いの光球がガントレットの右手を襲った!
「ぐわあああああああ!!」
横合いから大光球に衝突された右手は、ほどなく抵抗を諦めたかのように後ろに押された。それはガントレットの腰の捻れを生み、それでも威力を逃しきれず、骨が砕ける大きな音とそれに負けない苦痛の大音声をさらに生み出した。
「ううう腕が! 腕がぁぁぁぁ!」
「大丈夫? ブラック」
意外と近くから聞こえた声で、地に膝を突いていたブラックは我に帰った。沙耶がかがみこみ、手を差し出している。
その手につかまって、ようやく立ち上がることができた。まだフラフラするが、
「! あの、その……ありがとう、た、助けてくれて」
立ち上がったところで手を取り合っていることに気づいたらしく、ぱっと離されてしまった。それでもなぜか挙動不審ながらの上目づかいに、助けた甲斐があったと笑う。
『あおぞら隊は攻撃開始! 今のうちに畳み掛けて!』
支部長の声がやけにかすれている。そのことが、沙耶を現実に引き戻したようだ。またいつものお澄まし顔にすっと戻ると、
「じゃ、確かにお伝えしましたから」
そうガントレットに告げて、立ち去ろうとする。
「沙耶さん、ついでに一緒に戦っていただけませんか?」
ダメ元で言ってみた。遠くのほうで白い人が舌打ちしたような気がしたが、気にしない気にしない。
「あら、ちゃんと援護はしたじゃない。あとはよろしくね」
「いやそりゃ確かに腕は1本――「それに、足元もよ」
指差す箇所を凝視すると、ガントレットの足元がひび割れているのが分かった。
「ぶっ飛ばしてあの穴からニコラさんを引っこ抜けば、それでクリアーよ。がんばってね」
「ぶっ飛ばして引っこ抜く……?」
そんなの、あなた以外に誰ができるんですか。そう問いかけようとしたが、片手を上げて去って行ってしまった。
まあいいや。なんとかなるさ。
ブラックはガントレット討伐に参戦するべく、白水晶を輝かせた。
2.
『敵の右側から攻めて! でも固まらないように。電撃が来るわよ!』
支部長の指示は、戦場上空を周回する無人機からの映像を見てのもの。ゆえに現場とタイムラグが出るのは否めない。
バルディオール・ガントレットは自己治癒しつつあったのだから。
盛大な唸り声を上げたのち気合一発。だらりと垂れ下がっていた右腕が、みるみる回復してゆくではないか。
「うわお、きりがないな」
「いや、そうでもないで?」
慨嘆するグリーンに首を振って、イエローがかの巨体を指差した。
「なるほど、随分息が荒いですね。ならば」
と琴音が光弾を間一髪避けると大月輪を飛ばし、ガントレットの左耳を切り飛ばした。そこへ、
「傷が焼けて塞がっちゃうかもしれないけど!」
ロートがボルテックス・フラムを発動! もともと単独の敵の回避を封じて仕留めるためのスキルだが、移動の自由が無いガントレットには逃げようが無い。
紅蓮の炎に焼かれ、絶叫する摂政閣下。それも全身くまなくというわけではなく、頭部のみが炎に巻かれているというのに奇妙なおかしみを覚えた。
そして、またしても気合とともに炎は弾き飛ばされ、むき出しの火傷はバリバリと皮膚がはがれた。左耳もムニュムニュと蠢きながら生えてきているではないか。
主任参謀がアクアに現状の報告を求めてきた。
『現在標的と交戦中。思っていたよりも攻撃が鈍いです。ただし、あの巨大な手に捕まると厄介なので、その範囲内には近づけていません。また、こちらの攻撃をその手や腕で防いだり払ったりしています。そのため、質量操作系の投擲攻撃が現状では届いていません。それと――』
アクアは自身に飛んできた光弾を避けて、報告を再開している。
『その身に損傷が加えられた場合、自己修復を優先しています。攻撃が鈍いのは、そのせいもあると推察します』
『結構』とあの艶のある声が聞こえてきた。
『5分後にまた通信するわ。その時までに攻撃プラン、考えておいてね』
(なかなか厳しいな)
あるいは、アクアを試しているのだろうか。その当人がヒソヒソ声で、通信機越しに話しかけてきた。
『ブラック、気づいてる?』
「ごめん、なにが?」
接近し過ぎたトゥオーノとアスールを横薙ぎに吹き飛ばそうとした手をラ・プラス フォールトで遮って、ブラックは一旦下がった。元の位置では敵に丸聞こえだ。
『電撃、撃ってこないでしょ? 最初のあれ以降』
「……体力が残り少ないってことか?」
たぶんね、とアクアはささやく。あの身体再生には、体力が必要なのか。
『もしくは、大事な一瞬のためにとってあるのかも』
「大事な一瞬?」
『キミだよ、ブラック』
ロートが通信に割り込んできた。見れば彼女も下がって、またスキル発動のためのエネルギーを溜めている最中だ。
『キミが持ってるあの石を、キミを倒して奪いたいんだとしたら?』
だとしたら、
「俺が敢えて奴にスキルを使わせれば――」
『ほら、来たよ!』
ガントレットの電撃スキルではなく、光弾が降ってくる!
大火力ではなく散弾――というか、まるでつばを吐き散らすかのように細かいのが飛んでくる。そのあまりの多さにもう何人も被弾しているこの優雅には程遠い攻撃は、ガントレットの余裕の無さを物語っているとも取れた。
『なんていうか、シューティングゲームのラスボスっぽいですね』
トゥオーノのつぶやきが聞こえ、
『へえ祐希さん、ゲームやるんですか?』
『あ、いや、わたしじゃなくて弟が』
鈴香の反応に律儀に応えているのがおかしい。
その時、無線が危急を告げた。
『鳥人がそちらへ行ったわ! 対応して!』
鷹取勢の追撃を振り切った鳥人、合計3体がこちらへ向かっているとの情報に、焦りを覚える。
「早く奴を倒さないと、援軍が――「来ないよ」
ゼフテロスにたしなめられて、そういえば伯爵家は孤立無援だったと思い出した。
「このまま囲んで兵糧攻めにしたっていいんだぜ? ボクたち」
「そうそう」
とプロテスも賛同してきた。アスールの警告が聞こえる。鳥人の姿が見えたようだ。
『逆に考えよう』
鳥人への迎撃を指示したあと、アクアが真面目な口調に変わった。またガントレットの前に光が溜まりつつある。
『兵糧攻めは困るあいつは、どういう手段を取ってくるか』
『そりゃあ、速攻だろうね』とロートの声。
ガントレットが光弾を撒き散らしてきたため、その対処にしばらく忙殺される。
「となると、やっぱ――」
「そう! お前だ!!」
ガントレットの大声が響き、黒水晶が輝く。その指差す先は、彼女から一番近い位置にいるプロテスだった。指先にみるみる溜まる電流を呆然と見つめ、完全に虚を突かれている。
「させねぇ!」『バカ! 止めろ!』
ルージュの制止も聞こえず、ブラックはプロテスの前に飛び込んで、またプリズム・ウォールを展開しようとした。が、
「間に合わない……」
ゼフテロスが遅れてダッシュし、プロテスとブラックを突き飛ばそうと両手を上げる。
ほかの仲間は、鳥人たちへの対処で手が回らない。
ルージュもダッシュした。ブラックを弾き飛ばして、あるいはさらにその前に立ち塞がって身代わりになるためだろうか。だが、やはり間に合わない距離だ。
そんなこと、させない。護るのは、俺の仕事だ。
ブラックはむしろ、電撃に向かって前に出た。いや、前に出ようとしたのだが。
「ミラー」
聞き覚えのある声に続いて目の前に氷壁が出現! ブラックは思わず顔をぶつけてしまった。
「いてて――って、これは……?」
氷壁の向こうで絶叫が聞こえ、横へ飛び出したブラックが見たもの。それは、身をうねらせるガントレットだった。
「ふう、久しぶりにやってみたが、軽度の電撃でよかったな」
その声!
「鴻池さん……!」
ブラックたちの背後に、いつの間にやら現れた黒装束。バルディオール・ミラーと、
「さあ、くらえ化け物!」
黒水晶を輝かせて人間大のがれきを持ち上げてガントレットに投げつけたのは、バルディオール・アルテだった。
「おっすエンちゃん! 元気?」
「あ、バルちゃん!」
よく分からない挨拶を交わしているのは、ブラックが見たことの無いバルディオールとアクア。こちらは氷のバットを構えて、
「うら、エンちゃん、トスバッティングだ! いっちょ来いや!」
「だから、アクアそれ分かんないって!」
と叫んだアクアを押しのけて、アスールが進み出た。
「ボール上げればいいんすよね? 先輩」
そう言いながらしゃがんで水の球を放り上げ、
「っしゃあ!」
バルディオールが打った瞬間氷結した球が、ガントレットを直撃! ようやく電撃の痺れから脱しつつあったガントレットの巨大な腹にめり込み、アルテの投擲物とあわせてもんどりうたせた。
今までグリーンたち質量操作系も同様の攻撃を仕掛けていたのだが、光弾や手で迎撃されてその身まで届かなかったのだ。俄然勢いづいて、アルテに倣い始めた。
満面の笑みでがれきを次々と投げ続けているアルテの姿に苦笑しながら、ブラックはミラーに頭を下げた。
「助かりました。ありがとうございました」
「ああ……まったく、お前を助ける展開になるとはな……」
そういえば俺、この人の姉の仇だったな。ブラックとしては黙ってもう一度頭を下げるしかない。
向こうで鳥人たちが騒いでいるのを横目に、プロテスが問うた。なぜ変身できたのかを。答えはアルテから飛んできた。
「黒水晶を返してくれればニコラ討伐手伝うからって交渉したんだよ! 偉いでしょ?」
「交渉したのは私だろうが!」
ミラーに怒鳴られても意に介さないで投擲を止めないアルテを見て、ルージュが笑う。
「やっぱ、アクアに似てるなこの人」
『だからアクアはそんなんじゃなーい!』
アクアの絶叫に、ガントレットの咆哮がかぶった。がくりとうなだれて、息も荒い。
今だ。今しかない。
「イエロー、アンバー、トゥオーノ。頼みがあるんだ」
ブラックは3人に無線で呼びかけた。
「奴を電撃で麻痺させてくれ。迎撃もされない今のうちに」
同じ電撃系ゆえに攻撃は通らないだろう。でも、3人同時攻撃なら、一時的に麻痺させることはできるのではないか。そう説明を追加する。トゥオーノが何か言いかけたが、ほかの2人の承った声に従って白水晶を輝かせる。
『ほかの子は3人の援護! ブラック、何か策があるのね?』
支部長の声に答える。この戦いを終わらせるための方法があるのだと。
鳥人たちの妨害は遮られ、3人の電撃系による同時攻撃が発動した! 龍脈の力で再生しつつあったガントレットだったが防ぐのが遅れ、その攻撃に盛大に痙攣して動きが止まる。
よし!
「行くぜ、千早、圭!」
虚を突かれて目を見張った2人は、だがさすが幼馴染、分かってくれた。にこりとうなずくと、ガントレットに向かって疾走を開始する。
それを見送る暇も無く、ブラックはやや腰だめに身構え、念じた。
高く、高く跳ぶんだと。
すぐに足の裏から光が吹き出し、周囲に砂塵を吹き上げる。5秒ほど溜めたうえで、ブラックは光の力を噴射して斜め前に飛び上がった。
放物線の頂点で、ブラックは自分の少し下にプロテスとゼフテロスが同じく頂点を過ぎたのを見た。彼女たちの動きに倣って前転し、3人揃いの飛び蹴りで狙うは巨大バルディオール・ガントレット!
「ううりゃああああああ!!」
攻撃ポイントは見事に揃い、胸に対して3人の飛び蹴りを叩きつけられたガントレットは、地面からメリメリと音を立てて蹴り剥がされた!
ここでくるりと空中でバク転して華麗に着地……なんてできるわけない。自らの質量を操作できる2人はともかく。このままでは腰から、いや背中から地面に墜落する……!
誰かが何か叫んでいるが聞こえやしない。横を通り過ぎるプロテスの顔が、驚愕で歪むのを見送って――墜落の寸前で駆けつけてきたのは2体の鳥人だった。彼らに腕を1本ずつつかまれて、腕の付け根が悲鳴を上げながらも軟着陸することができた。
安堵と勝利の歓声を遠くに、鳥人の1体が刀を抜いた。その抜き身を、龍脈を失って縮んだガントレットの首にぴたりと据える。
「ニコラ・ド・ヴァイユー。お前を我が家に対する反逆の罪で拘束する」
その声は、アンヌだった。純白と言うにふさわしい羽根を夜風になぶらせながら、眼もニコラに据えたままだ。
向こうから人々が近づいてきた。その中に、投降した鳥人たちがいる。彼らは一斉に口を開いた。
「アンヌ様! あなたにそのような資格はないはずだ!」
それを受けて、アンヌは口を開いた。まるでその非難を予期していたかのように、よどみなく。
「そうだ。いずれ裁決は、ミレーヌ様が下すだろう」
「ミレーヌ様……?」
アンヌはうなずくと、初めて臣下たちを見た。厳かな口調に、わずかながら無念が混じっているように聞こえるのはブラックの邪推だろうか。
「私は爵位を継がぬ」
臣下たちにその言葉が沁みるのを待って、言葉を継ぐ。
「このニコラに陥れられた結果の緊急避難とはいえ、敵のもとに身を投じ、援助を求めた私が爵位を継ぐべきではない。既に、ミレーヌ様には電話でその旨お伝えしてある。さらに、そなたたちには寛大な処置を賜るよう、ミレーヌ様にはお願いしておいた」
アンヌには妹がいると執事から聞いたことがある。その妹を"様"付けで呼ばねばならないのは、誇り高い彼女の自尊心からすればやりきれないはずだが、つとめて気丈に振る舞っているように見える。
傍らに控えるソフィーは、うつむいていた。事前に決意を聞かされていたのだろう、決意を語るアンヌに異を唱えることはなかった。
グリーンたちが近づいてきた。お互いにお疲れさまと声を掛けあう。
「ついにやったね、ライバートリプルキック」
「いや、ブラックさんのはレーヴェキックだからトリプルじゃありません」
琴音が訂正し、鈴香に細かいと叩かれているのに笑い合う。
「それにしても……」
地に長々と伸びているニコラを見下ろす。先ほどからピクリとも動かないのだ。
「もしかして、死んでる?」
ブラックのつぶやきに応じたかのように、口元がなにやら動いたような気がして、思わず近づいたその時。
「近づいちゃダメ!」
アクアの警告は遅く、ニコラの上着ポケットから飛び出した漆黒の物体が、ブラックの額に貼り付いた!
「! 愚者の石!」
一同があっけに取られている間すらなく、甲高い音を立てながら飛来した白い愚者の石が今度は後頭部に取り付いた! そしてまるで頭を囲うかのようにお互いの突起を伸ばし合い、それが触れた途端。
ブラックは忘れていたあの激痛に絶叫した。
3.
「沙耶様! 早く!」
琴音の叫びに、ルージュは我に返った。振り返ると、沙耶を先頭に、年配の女性が2人こちらに向かって走ってくるのが見える。
沙耶たちが何をするつもりなのか知らないが、そんなことに構っていられない。眼前のブラックは、激痛に身をよじりながらも何かに操られているかのように倒れることを許されず、不気味に身をよじっているのだから。
ルージュはブラックに向かって駆け寄ると、その頭部に取り付いた愚者の石を引き剥がそうと試みた。遅れて、プロテスやゼフテロスも。
「くそ、なんだよこれ!?」
以前に見たときにはこんな形じゃなかったはず。なのに今はブラックの頭の形状にぴったりフィットして、爪の先すら入らないし、上に引っ張ってもピクリともしない。強力のゼフテロスをもってしても。
「邪魔をするな!!」
突然、ブラックが吼えた。ブラックの声でも、隼人のそれでもない、荒んだ男の声で。続いて両腕が振り回され、エンデュミオールたちは皆弾き飛ばされてしまった。
「みんな! どいて! 浄化の儀をするから!」
沙耶の顔に浮かぶ表情は真剣そのもので、ルージュたちは急いで注連縄が張られ始めたブラックの周囲から離脱した。
「うぬ! 鷹取! また我を陥れにきたか!」
ブラックが鷹取家の人々に詰め寄ろうとして、すぐに足が止まる。
「……動くな……黙って浄化されろよ」
「ブラック……!」
「黙れぃ!」
男の声とともに再び激痛が走ったのか、ブラックの絶叫がルージュの耳をつんざく。思わずしゃがみこんで耳を押さえたルージュの脇で、琴音や鈴香、美玖と霧乃まで参加した浄化の儀が始まった。
祝詞を唱えるのは、年配の女性。髪の色からすると鷹取の人だろう。よく見ると、沙耶に似ている。
「ぐ……邪魔を、するな!」
祝詞が始まると同時にその身から淡い光を発し始めていたブラックは、またあの荒んだ男声で叫ぶと、両手を天に突き上げた! すると、なすすべもなく浄化の儀を見つめていたルージュに突然不可視の壁がぶち当たる!
悲鳴を上げて後ろへ転がったのはルージュだけではなかった。エンデュミオールたちだけでなく、小学生コンビも盛大に悲鳴を上げて仰向けに転倒してる。
「大丈夫?」
急いで駆け寄って、頭を打っていないか確認した。どうやら大丈夫なようだが、念のためイエローを呼んで治癒を依頼する。
その時、荒んだ男の声が聞こえてきた。ひとしきり哄笑したあと、楽しげな口調に変わる。
「やっと若い男の身体を手に入れたぞ! これで、これで現世に舞い戻れる。これで、これであの時中断させられた生を再開できる!」
プロテスが怒声を発した。
「あんた、そんなことで隼人を使うな! 返せ! 返してよ!」
「黙れ小娘! この男の力と、我のこの800年溜めた力を合わせれば、この世を我が物に――」
「そうはいきません。あなたには、ここで消えていただきます」
よく聞けば悪党の物言いをさらり。沙耶が印を結んだまま男に向かって宣告した。その口調とは裏腹に、顔には脂汗がにじんでいるのが見て取れる。
小学生コンビもイエローに礼を言うやいなや、浄化の儀に立ち戻って印を結び始めた。
「……ぬ、ぬぐぅ……も、もう遅い、この男は――「勝手なこと抜かすな……」
「! ブラック!」
男と隼人が内面でせめぎあっているのだろう、表情をクルクル変えながら、身悶えしている。だが、男が押し勝ったのか、まさに鬼の形相で突如駆け出した! 祝詞を唱え続けている年配の女性に詰め寄ろうとする!
「総領様! 危ない!」
総領様とは何か。そんなことを考える暇も無く、ルージュは男に向かって突進し、タックルをかました!
「隼人! 隼人! 目を覚まして!」
ずるずると押されても止めないルージュの涙声に奮起したのか、仲間たちが次々に駆けつけてきて、ある者は羽交い絞めに、ある者はルージュとともに隼人の身体に抱きついて必死に押しとどめようとし始めた。
「隼人君お願い戻ってきて!」
「そんな奴に負けないでください!」
「この馬鹿野郎が……! 出て来いよ!」
「ほんとに、ほんとに人類の敵になる気ですか!」
口々に言い立てる仲間たち。だが、それが逆に男の癇に障ってしまった。
「うっとおしい!!」
またあの不可視の壁が発動し、ルージュたちは皆吹き飛ばされて注連縄の外に押し出されてしまった。跳ね起きて見れば、また隼人が男と争い始めたのか身悶えしているが、鷹取の人々もじりじりと押されているではないか。沙耶の苦しげな声が聞こえる。
「くっ……これほど、なんて……このままでは……」
「隼人よ、そのまま押さえていろ」
アンヌが、一度は納めた刀を抜いてかざした。
「私が楽にしてやる」
「同じく、参る」
ソフィーまで……!
隼人か、アンヌたちか。どちらを押さえるべきか迷い、立ちすくんだルージュの脇を一陣の風が駆け抜けたのは、その刹那だった。
「葛麻呂様、もうお止めください!!」
「会長……!」
どこに隠れていたのか、会長が注連縄の内に飛び込んで来た! 急進の勢いのまま男の胸に飛び込んで、泣き始める。
「あなたを巻き込んだ罪への報いは、来世で必ず受けます! だから、もう止めてください……!」
「な、なにを……お前……しかし、もうこの男は……」
男の口調から、荒んだ感じが消えた。それは女を気遣う優しげで儚げなものに変わったのだ。会長の涙顔を見下ろすその表情も戸惑いに変わり、眼からは鬼気が消えてしまった。
「お願いです……もう止めて……わたしの、わたしたちの隼人せんせーを連れて行かないで!」
会長の放った一言を受け止めて目を閉じ、うつむいた男。その身を包んでいた淡い光が次第に強まり、正視できないほどのまばゆさとなるのに、そう時間はかからなかった。
光がようやく収まったのを感じて視線を注連縄の内に戻したルージュは、誰も一言も発しないことに気づいた。
それは当然である。彼女だって呆然と立ち尽くしているのだから。
エンデュミオール・ブラックは普段の姿に、隼人に戻っている。先ほどの光のせいか、変身が解除されてしまったようだ。へたりこんで目を見開いている。
ならば彼の前に同じく地に膝を突いているのは、彼と同様に変身を解除された会長のはず。でも、あの子は……
「……坂本さん?」
隼人の問いかけに痙攣したのは、ルージュにも見覚えのある、あの女子高校生。何も答えず立ち上がると、来た時と同じように脱兎のごとく駆け去ろうとしたのだが。
「お待ちください!」
赤黒いツインテールをひるがえして、エンデュミオールたちの輪をあっという間に抜けたところで、年配の女性――総領様とかいう人から制止の声が飛んだ。またびくりと震えた女子高校生は一瞬迷ったのち、ルージュの予想に反して走るのを止めて立ち止まった。こちらに向けたその背中はなぜか、次に来る言葉を拒絶するかのように厳しい雰囲気を漂わせている。
その雰囲気の理由は、次の総領様の言葉ですぐに分かった。女子高校生のほうに歩み寄りながら放った、思いがけず優しげで気遣いの籠もった言葉で。
「鷹取……沙良様ですね?」
「たかとり……?」
隼人の驚愕は、ルージュたちにとっても同じ。隼人から聞いていた彼女の姓は、『坂本』だったのだから。
総領の声音に、さらに気遣いが乗る。
「あなたをお捜ししておりました」
「この身を――」
女子高校生――沙良は、その時初めて言葉を発した。相変わらずこちらに向けていた厳しい背中をよじって、総領様のほうを向きながら。
「鷹取を追い放たれたこの身を捜して、どうするつもりなの?」
その疑念まみれの言葉は、エンデュミオールと鳥人に困惑を生んだ。そして鷹取家の人々には、別種の戸惑いを。
「やはり……届いていなかったのですね」
顔を見合わせ囁きあう一族の中から、琴音が声を発した。その眼は悲しげで、どうにもやるせないといった風情だ。
発言に眉根を寄せる沙良に、琴音は言葉を重ねる。
「あなたは、5代前の総領、貴玖様によって赦免され、追放も解除されているんです」
鷹取家にお戻りいただけませんか? 総領様からの問いかけは変わらず、優しげなもの。
急展開に立ちすくむ沙良を、夜風がなぶる。その様を、ルージュたちはこちらも茫然自失で見つめていた。