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第十三話 決意


 その日、レヴィエントは王宮に登っていた。前線基地での被害と戦果の報告のためである。それは報告を終えた帰り道、王宮の渡り廊下でのことだった。奇しくも、五年前にフルリエ公爵に呼び止められたのと同じ場所だ。

 

「レヴィエント、帰っていたのか」

「アウレリウス様」


 五年前と違ったのは、レヴィエントが一人で王宮を歩いていたこと、そして、声をかけてきたのがフルリエ公爵ではなく――その息子・アウレリウスだったことだ。

 王宮の渡り廊下には、初夏の陽光がまっすぐ射していた。白い石床に落ちる影は長く、静かな気配が満ちている。


 アウレリウスは、相変わらず隙のない出で立ちだった。洗練された立ち姿はまるで彫刻のようで、彼の碧い瞳と同色のクラヴァットが瀟洒だ。


「前線からの報告か?ご苦労だったな」

「は。大きな被害はありません。討伐も順調に進んでおります」

「そうか。怪我はしていないか?君のことだから、大丈夫だろうとは思うが」

「問題ございません。幸運なことに、この春も無傷で終えることができました。アウレリウス様も、お変わりないようで何よりでございます」


 レヴィエントがそう言うと、アウレリウスは碧い瞳を少しばかりゆるめた。前線に出張ることの多いレヴィエントも大概だが、アウレリウスはそれ以上に多忙だ。滅多に会うこともなくなってしまったが、彼は今でもレヴィエントを気にかけてくれていた。

 アウレリウスは議会帰りのようだった。彼は二十三歳にして下院議会に席を持っている。さすがはフルリエ公爵家の嫡男といったところか。


「実家にはもう帰ったのか?」

「いえ、この後は騎士団の詰所に戻ります。カイエル兄上はお変わりありませんか?」

「ああ、相変わらずだ。君に会いたがっていたよ、たまには実家にも帰ってやれ」

「そうですね。春の前線も落ち着きましたし、次の休暇には必ず」

「その時は私も呼んでくれ。久方ぶりに手合わせでもどうだ?私ではもう相手にならないだろうがね」


 ふ、とアウレリウスが笑う。アウレリウスがレヴィエントと初めて剣を合わせたのは、もう五年も前のことになる。あの時はギリギリの決着になったが、今となってはレヴィエントの圧勝に終わるだろう。アウレリウスもそれなりの鍛錬は続けているが、身技共にあの頃より格段に成長しているレヴィエントを相手に勝てるとは思わなかった。

 少しからかうような表情を見せたアウレリウスに、レヴィエントもまた少し表情をゆるめた。わざとらしい恭しさで礼を取る。


「光栄です。ぜひとも」

「はは、お手柔らかに頼むよ」


 それから、少しばかり他愛もない世間話をした。最近暑くなってきただとか、旬の果物が美味しいだとか、近々王立美術館に隣国の名剣が展示されるだとか、本当に他愛もない話だった。


「そういえば」


 だから、アウレリウスがそう言って切り出した話題について身構えることが、レヴィエントには出来なかった。後から考えれば、それもアウレリウスの術中だったのだろう。

 

「君は、テレシアに婚約を申し込むものだと思っていたよ」


 アウレリウスは、なんでもないような顔でそう言った。

 一瞬言葉を失ってから、しまった、とレヴィエントは思った。


「……そのような話は」

「その顔だ。図星だろう?」


 あまりに不意を突かれてしまった。こちらの内心を気取られぬよう冷静を装うことも、とっさに冗談と流すことも、レヴィエントには出来なかった。アウレリウスがレヴィエントの本心を確信するには、それで十分だっただろう。

 

「なぜだ?」

「……」

「君は、あの子を想っている。違うか」


 やはり、確信したような声音だった。それは質問の体を取った確認だった。アウレリウスの碧い瞳がレヴィエントをまっすぐに見つめる。取り繕おうとは思わなかった。アウレリウスの社交能力を考えれば、きっと無駄であろうから。

 

「想っております」


 レヴィエントは静かに告げた。アウレリウスは、表情一つも変えずにレヴィエントを見つめている。ではなぜ、と、彼の碧い瞳が言外に告げているのを察した。

 

「ですが――」

「なんだ?」

「私は騎士です。常に命の危険と隣り合わせの身、いつ帰らぬ者となるかも知れません。……そのような男より、ずっと彼女を幸せにしてくれる方がいるでしょう」


 自分は、テレシアには相応しくない。レヴィエントにとって、それは静かな確信だった。レヴィエントにとって、テレシアは一種の聖域ですらあった。彼女のためにすべてを――剣を捨てられない自分は、彼女の隣に立つ栄誉を得るに相応しくないと。

 

「自分で言うのもおかしな話ですが――フルリエ公爵閣下は、私を気に入っておられる。申し出れば、通る可能性は高いでしょう。……ですが、それは」

「それは?」

「テレシア嬢の意志とは関係なく、決まるかもしれない。私は、彼女の選択を奪ってまで……彼女の意志を無視してまであの方を手に入れたいとは思いません」


 それが、愛による高潔なのか、臆病による逃げなのか、レヴィエントには分からなかった。ただ、テレシアに幸せになってほしいという願いだけは確かだった。


「テレシア嬢を愛しています。……だからこそ、彼女の意志を尊重したい」


 言い切った瞬間、わずかに胸の奥がひりつく。

 アウレリウスは何も言わなかった。その表情からは、何を考えているのかなど少しも読み取れない。重苦しい沈黙が数秒、降りる。

 

「……ふむ。レヴィエント、君の懸念はもっともだ。父は君を高く買っている。婚約を申し込めば、君をフルリエ家に繋いでおくためにテレシアを使うことも辞さないだろうね」


 アウレリウスがあっさりと告げた言葉は、レヴィエントの考えを裏付けるものだった。レヴィエントは、ほとんど無意識のうちに拳を強く握りしめる。

 

「だが――フルリエ家の人間を舐めてもらっては困る。テレシアが君とどうしても結婚したくないというなら、あの子は父を納得させるだけの婚約を自分で引っ張ってくるだろうよ」


 アウレリウスは、レヴィエントを静かに見つめていた。その碧い瞳は、いっそ冷たく思えるほど冷静な光を宿している。

 

「テレシアの意志を尊重したい、と言ったな?……それは便利な言い訳だ」


 周囲の気温が、グッと下がったような錯覚を覚えた。アウレリウスは淡々と言葉を続ける。彼の碧い瞳は、こちらのすべてを見透かしているかのような不思議な色をしている。


「君の言葉に嘘はないだろう。だが、それだけではないはずだ。君が本当に恐れているのは――テレシアに、選ばれなかった時だろう?」


 その言葉は、レヴィエントの胸を深く刺した。レヴィエント本人すら自覚していなかった弱さを、アウレリウスは的確に見抜いていたのだ。レヴィエントは、どこかぼんやりとしていた頭が、急速に冷えていくのを感じた。冷静になると、自分の臆病がよく分かる。


(――そうか、俺は、怖かったのか)


 レヴィエントは、今まで幾度となくテレシアに求婚を断られてきた。何を今さら、と思うかもしれない。だが、これまでのプロポーズと、これからのプロポーズでは、大きく意味が異なる。

 今までのレヴィエントのプロポーズは、叶うはずのないそれだった。家の利を考えた時、一顧だに値しないような、当然のように断られる申し出でしかなかった。相応しい立場を持たないレヴィエントのプロポーズは、テレシアを困らせることのない安全な無謀であると同時に――レヴィエントにとっても、()()()()()だったのだ。

 だが、今は違う。今のフルリエ公爵家にとって、テレシアとレヴィエントの婚約は現実的な選択肢になってしまった。次のプロポーズを断られるとするなら、その時は――。


(テレシア嬢が、本心から俺を拒んだということ……)


 レヴィエントは、自分の弱さに愕然としていた。


 なんだかんだと理屈を並べてみたところで、結局、一番恐れていたのはそれだった。もはや何も言い訳は出来ない。


(……なんて愚かで、浅ましい)


 本気の恋だった。テレシアを愛している。その気持ちに嘘はない。彼女の幸せを願う思いも、彼女の意志を尊重したいという思いも、すべて本当だった。

 だが、だからこそ――彼女からの拒絶が、怖い。家格がどうとか、家の利がどうとか、釣り合いがどうとか、そうした一切の言い訳がきかない状態で、ただ『あなたではない』と告げられることが――これほどまでに恐ろしい。


 その現実から、ずっと目を逸らしていた。


 拳が、わずかに震える。


(……俺は)


 テレシアのためと言いながら、その実、自分を守っていたのだ。情けない、とすら思えなかった。

 

 アウレリウスは何も言わない。ただ、静かに見ている。

 その沈黙が、何より雄弁だった。


 レヴィエントはゆっくりと息を吐いた。胸の奥に溜まっていたものが、静かにほどけていく。


(ならば――)


 答えは、単純だった。


 恐ろしいものを自覚した時、レヴィエントがすることは決まっている。


(――向き合うだけだ)


 選ばれないことが怖いのなら、選ばれるかどうかを、確かめるしかない。それだけのことだ。

 逃げる理由は、すべて失われた。あとは、ただ一つ。


「……ありがとうございます、アウレリウス様」


 レヴィエントは顔を上げる。その黒曜の瞳に、迷いはなかった。静かな声の、その奥には確かな決意があった。


「礼を言われるようなことはしていないがね。追いかける価値があると思うなら追えばいい。ただし、選ぶのはテレシアだ。振られる度胸すらない男には、いずれにせよ妹は渡せないな」


 アウレリウスは肩をすくめた。その表情はどこかからかうような色を帯びるが、碧い瞳の奥は真剣だった。


 レヴィエントは深く一礼した。アウレリウスは少し笑って、「では、次の休暇にでも」と言い残してその場を去った。アウレリウスの足音が聞こえなくなるまで、レヴィエントは頭を下げ続けた。


 再び顔を上げ、姿勢を正した時。レヴィエントの表情はこれまでになく晴れ晴れとして美しかった。初夏の陽光が、白い石床を照らしている。


 もう、立ち止まる理由はない。


 レヴィエントは歩き出した。――再び、あの人を追いかけるために。

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