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剣劇魔王の竜祭儀(ドラマツルギ)  作者: LOVE坂 ひむな
望まれた神々の終末
61/61

詭弁について

 多くの冒険者は、国家など一つも存在すべきでない、と素朴に当たり前に信じている。


「俺たちを縛る法は全部族憲章と部族法と冒険者ギルド法と聖女勅令だけだぜ」


 冒険者だからといって無法者(アウトロー)とは限らないことをフィオナ・エクラフィオンは知った。驚くべきことに、部族法やギルド法だけでなく国家の法律を、現地住民よりも律儀に守ることも多いらしい。彼らは言う。

「国家の存在が悪だからといって、法律を破ったらダメだ」「世話になった代言の先生に顔向けできねえだろ」「土地の慣習とだいたい合う法をせっかく成文化してくれているのだから、従っておくのが処世術というものだ」


 幹部候補生研修へ向かう旅の途中での発見であった。


〈アザナエルの使徒たち同盟公社〉で幹部となる前には研修がある。研修地への旅は、すでに試練の一環だ。道中には危険な地域がいくつもあった。といっても、どれも紛争地帯や内戦地帯や無国家地帯にしては、治安がよい方だった。

 出くわす武装組織の類は、みんな素性が明確だった。旅人や客人に対する不正義を厳しく取り締まってくれていた。かれらには守るべき社会的信用があるのだ。


「あっちには最近よく〈犯罪者集団〉の奴らが出る。迂回した方が身のためだぜ」


 冒険者たちも、アウトローな同業者の情報を教えてくれた。〈犯罪者集団〉というのは冒険者の大規模擬制血縁共同体(クラン)で、誇り高き犯罪者をもって自ら任じ、金持ちや企業役員を敵視しているらしい。〈アザナエル〉の幹部候補生が通りかかれば、きっと身ぐるみ剥がされるだろう、とのことだった。


 大した危険もなく道を進み、フィオナは〈アザナエル〉の研修地へたどり着き、仲間たちまたはライバルたちと合流した。


 研修は刺激的だった。

 主に身につけるのは、経営に必要な読み書きのわざ(リテラシー)だ。

 それを、退役後または現役の最高幹部たちが教えてくれた。

 雲の上の住人とも言うべき人々だった。最高幹部たちの名前や噂は、末端の部署でも会話にのぼる。方針決定や人間関係がゴシップの種となる。かれらが、現に動いて喋る生身の人間として、目の前にいた。


「その判断を私がくだした。君たちが今まさに学んでいる技能を使って、判断したのだ」


 それまで、幹部たちの意思決定は、上から降ってくるものだった。

 フィオナたち候補生は、社での既知のできごとについて、新しい解釈を知った。

 方針や戦略を与えられる側ではなく、与える側の視点で、今までの経験が再解釈されてゆく。自分がいかなるルールの中にいたのか、急速に理解が進んでゆく。

 そしてフィオナは、幹部の精神を宿した。




「お姉さん、だれですか?」


「お前は、わたしを誰だと思う?」


 少年の問いに、問いが返った。

 かすかな木漏れ日が注ぐ。ここは庭である。

 屋敷の庭に妖精がいた。ふわふわの髪を左右で結った女の子の姿だった。

 少年は警戒していた。妖精の好む悪戯というのは人の命を軽々に奪いかねないため、油断してはならない。


「お前は魔王を知っているか」


「僕は魔王様を知っています。じいさまやひいじいさまの代、アルカドの地を富ませた王、最も偉大な帝王です。

 魔王ハシュペフチャの生まれる前、貴族たちは、王への服従を誓っておきながら自由勝手をしていました。魔王様はみんなの役割を決め、アルカドへの奉仕を求めました。

 理不尽な税もなくなり、食べる物にも不自由しなくなりました」


「お前は物知りな子だね」


 貴族たちはそれぞれの縄張りで税金や通行料を課し、一族郎党を富ませていた。

 ハシュペフチャ王はそれを止めさせ、王を頂点として制度を整えた。

 やがて逆恨みした貴族たち、恩を忘れた臣下たちが反乱を起こし、ハシュペフチャを追い払った。

 結果的に改革は、ほとんど国王の権力を切り売りしただけに終わった。


 アルカドの人々は再び、諸侯の争いに巻きこまれた。よき王のもとでなら死なずに済んだはずの人々が凍え死に、飢え死にした。

 ハシュペフチャ亡きあとに伝説が残った。帝王は教主に背き、古の女王を尊び、神秘的な剣を帯びた。どこか山奥に潜んでいて、いつかアルカドの嘆きに応じ、また現われてくれるのだ、と語り伝えた。あらゆる偉大な王について語るのと同じである。


「お前は妖婦メーエカを知っているか」


「僕はそれを知っています。冥界の主人の配下です。人は死んだあと、丸裸にされて、冥界の主人カクリウスの前へと呼び出されます。

 死んだ人は、生前の行ないを一つ一つ挙げられて、善行を褒められ、悪行を叱られます。

 記録と列挙を、その名前の魔女が担当しています」


「お前は物知りな子だね」


 古い冥界の信仰が、天教の中に吸収されていた。幽世のカクリウスは天の神から委託を受けて冥界を管理している。魔女メーエカはその書記とされる。

 また、魔女は、地上世界に出てきて人を脅かすと語られている。少年は語るのが怖くて、魔女が地上世界に出ることに言及しなかった。魔女メーエカが化けて出たと語る行為は、当人を招き寄せてしまう、と信じられたからだ。


「お前は賢女メアレアを知っているか」


「僕は賢女メアレア様を知っています。天教よりも古い昔のお姫様で、皇帝の迫害に立ち向かった人です。

 不思議な知恵の力を持っていて、多くの人に愛されました。

 立派な角を生やしており、死にそうな人の薬にするため、自ら切って施されました」


「ふうん」


 賢女メアレアの功徳は、巻いた角の模様で表される。そのことから土地によっては、渦巻き模様のことをメアレア模様と呼ぶ習慣がある。

 天教の学者や行者たちよりも古い神秘が、渦巻きや同心円や迷宮図の模様には宿るのだそうだ。

 識者の間では、滅びた異教の名残りかもしれないと語られている。


 妖精は少年に、知恵や歌い方を教えてくれた。

 戦士の心構えも教えてくれた。


「宮廷と森には共通点がある。訓練を経ない者が、考えてから動くには、情報が多すぎるのだ。

 だから、安全に振る舞う作法を思考抜きに実行することができて初めて、人並みの速さで動くことができる」


 停滞した時間の中で行動する技も教えてくれた。加速を可能にするのは、注意を払う対象の取捨選択なのだ、と。

 少年は別のことを考えた。


「きれいだ」


 この時間がいつまでも続けばいい、と。




「それは、ハシュペフチャ王の!?」


 生垣の小径を木漏れ日が照らす。ここは迷宮、無形魔王城である。

 探索者は天威剣を振るった。

 その剣を、アルカドの帝王が担った剣として、熊騎士は理解していた。帝王は教主に背き、古の女王を尊び、神秘的な剣を帯びた。


 その剣が振られる間、熊騎士は、自身を騎士と知った最初の時期を思い出していた。



 あるとき少年は妖精に問うた。時間停止の奥義について異なる解釈を提示した。永続を願えばこそ止まった時間の中を動けるのではないのか。

 記憶の中の妖精が、ずっと同じ姿をしているのと同じだ、と回想者は思った。

 妖精は訂正した。季節が巡ること、人が死を運命づけられていることを説いた。忘れられた季節の神々について語ってくれた。


「じつはわたしは、千年も二千年も前とは、だいぶ違った姿かたちをしている。永遠などないよ」


 妖精は少年に向かって言葉をかけ、未来の時点にいる回想者に向かって言葉をかけた。


「また、可憐で生意気なちびっ子騎士も、下品で傲慢な中年も、わたしにとって異なるものではない。わたしはお前をわたしの元に迎え入れよう。

 時は動き出す」




 剣が振るわれた。

 熊騎士は光の粒となって消えた。


「やったか」


「いやあ、おみごと」


 魔女が手を叩いた。終演への拍手だ。


「では、男がどうした女がどうしたという話を続けようか」


「嫌ですけど」


 探索者は、魔女への態度を決めかねていた。会ったことがあると魔女は言い、探索者ヴィクロムには覚えがなかった。

 魔女は構わず語った。


「都市生活は人を自由にし、自由は人を無礼にする。特に、自由は男をメス化させる。都市生活者の男女の振る舞いは基本的にこれで説明できる」


「詭弁だ。典型的な男禍女禍論の過誤ですよ」


 探索者は即座に応じた。


「詭弁か。詭弁とはレッテル貼りだな。何がどう悪いのかを、詭弁との指摘は何も伝えない。男禍女禍論なる便利な言葉を、君は何だと思って使っているんだい?」


 魔女は楽しげに返した。やり取りを面白がっていた。


「レッテル貼りを主旨とするのはあなたの論の方ですよ。あるべき振る舞いでない、男らしい振る舞いでない、と言ったならば何の説明にもならない。否定によるレッテル貼りに、そうでない装いを与えたんだ。

 別の例を挙げましょうか。この迷宮を支配する魔王様がなすことは、生前にやったことの延長という側面と、生前やれなかったことを今やるという側面で完全に説明がつきます。とか、たとえばそんな感じだ。

 二項対立を利用してまっとうな議論の見せかけをまとう論法、この技は〈無尽二刀流〉と呼ばれています」


 探索者も、内容のある議論という危険な領域に踏み込まない範囲で、やり取りを楽しむ気になっていた。

 無尽二刀流の例として伝統的によく挙げられるのは、「それは善神の業ですね」「それは悪神の業ですね」の二つを自在に使い分けてすべてを説明するというものである。何でも説明できるがゆえに何の説明にもならない無敵の論法とされる。

 昔から論理学者たちが複雑な議論を積み重ねており、セルメニック・ウミランデラ博士は有名な論考『二刀流論法の三六類型について』の中で四一種類に類型化している。


「そう言っても、探索者君、二項対立で説明するしかない事柄はあるだろう? 性役割は代表例だ」


 多くの詭弁について、正当な議論との線引きに困難が生じることがある。単に暇な学者が弄ぶ論にとどまらず、現実的な問題である。公正で学識あるジャッジがいない状態で議論をすると、片方が詭弁を使ったかどうかをめぐって争いが複雑化するといった事態がしばしば起こった。

 イァマーク・イェルシュレンギンの『詭弁の破壊の獅子吼』は詭弁と正当な議論の線引きを論じた論書のうち最も古いものである。イェルシュレンギンは線引きが可能であると証明するために神の恩寵を持ち出すはめになった。後世の学者は、神の恩寵による証明を詭弁の一種に数えている。


「二項対立で説明するしかないなら、緻密な論証が必要となりますよ、魔女様。問題はそこです。男ってこうだよね、女ってこうだよね、という経験に基づく感覚から説得力を密輸入することができてしまう。

 論証コストを、身体にしみついた感覚に訴えかけることで踏み倒すことができてしまうんです。この技は〈苦肉計〉と呼ばれています」


 より由緒正しい用法において苦肉計とは、スパイが、自分の身体を痛めつけたうえで敵方に偽装降伏して信用を得るといった術策である。よく史話に描かれる。少なくとも痛い思いをしているのは事実だと信じさせることで、降伏が本物かどうかの検証をも緩めやすくなるとされる。

 身体にしみついた感覚に訴えかけることで論証コストを踏み倒す論法の害は、さまざまな分野で論じられた。救誤哲学を背景とする近世の刑罰改革三提言のうち『拷問廃止の提言』『身体刑廃止の提言』は、苦肉計の議論を下敷きにしているとされる。さらに時代が下ると文化論の名著『幻想の身体と真実の見世試合』にも影響が指摘されている。当世でもなお議論が交わされる話題といえる。


「魔女様。男女の二項を立てて無尽二刀流と苦肉計の複合魔術を行使するのが、典型的な男禍女禍論です。そう言いたかったんですよ」


「よくできました。うん、うん。論証コストねえ。こういう傾向があるよ。

 都市の男はメス化しているので社会規範などをくよくよ考えて、女はああしろとか命じる。男なら死ね、女子供は働け、こういうときの振る舞いはこうあれ、と人に指図することは本来、女の仕事だった」


「それも詭弁じゃあないですか。反駁に対して、現にいま社会規範のこと考えましたね、と返せるんだ。

 反駁行為そのものが却って論を強めることになる。この技は〈反駁自己成就〉と呼ばれています。男禍女禍論とはいかにも相性のいい技ですね」


 亜竜人ヴィクロム・インヴィットはかなり楽しくなっていた。楽しくなっていただけに、切り上げざるを得ないのが残念だった。


「別の話をしませんか。近古代の女と男の話は、もっと魔術戦に関わりのない場面で楽しみたい」


「止めるなどとんでもない。近古代の女の苛烈さを語ってあげよう」


 魔女は、相手が楽しくなっているのを把握していた。切り上げる気はなかった。


「ぜんぜん興味ありませんね。

 当世と異なる社会を前提に語れば、いくらでも話の盛りようがある。何しろ俺には正確な知識がないのですから」


「いい自己認識だ。たとえば君は当時の女性の社会的地位を低く見積もる傾向にあると思う。

 夫から妻、というか嫁かな、への暴力が推奨された時代という認識はあるかな?

 そう。仰る通り。戒律に反してまで、だね。


 それは事実だよ。武家の女は義務として男を戦地に遣り、武家の男は義務として女を叩いてしつけた。

 おそらく君が思うのと違って、武家の男たちは妻への暴力を嫌った。女の方で、よき家父長の義務を果たすことを求めたのだ」


「は。何の話ですか? 武家以外でもですか?」


 当時を生きた人々の大半は、武家以外の生まれである。武家の振る舞いのみをもって当時を代表させるのは正当といえない。


「武家以外だと、嫌がる女を叩く場合が多かった」


「野蛮じゃん」


「制度や慣習を疑うという発想はなかった。つらい目に遭わされれば、夫がよき家父長の義務を果たしていないのでつらい目に遭ったと考えた。

 嫌なら世俗社会を離れて、戒律を尊ぶ聖堂組織か修行団に入るって選択もあった。逃げ場があったからこそ苛烈になったのかもね」


「それは詭弁だ。リーラエシア論法ですよ」


 リーラエシア論法は、秩序から外れて見える例外に、秩序を強化する作用を見出す。典型的には、社会不安要因らしいものを取り上げて、じつは逆に社会の安定化に寄与していると論じる。


「こう機能しそうなものが順当に機能している、こう機能しそうなものが逆の機能を果たしている、という二つを使い分ければ、何でも説明できて当たり前だ。二刀流だ。

 順を論じる部分は当たり前だから言わずに済ませることができる。逆を論じる部分だけを見せれば、社会制度は逆の機能を果たすのです、とかいった嘘の一般原則をぶち上げて、二刀流を隠蔽することができる」


 語っているうちに探索者は、目の前の相手が笑みを深めたのを見た。


「リーラエシア論法、って言ったね?」


「え? 言いましたよ。別に、幻影二刀流と呼んでも、だからこそ論法と呼んでも同じですけどね」


「さっき、久しぶりと言ったろう。以前に君と会ったことがあったからだ。じつは君にとっては、この時点が初対面だったらしいね。君は会話の相手の名前を知らないんだ。

 そこで問題だ。魔女の名を当ててみるといい。チャンスを三度やる」


「うわっ。そういうことか。そういうことか。一度で十分ですよ」


 亜竜人ヴィクロムは自身の失敗を知った。


「あなたは、〈賭場の魔女〉リーラエシア・オッズ・シルヴァードラゴンさん」


「正解」


〈賭場の魔女〉リーラエシア・オッズ・シルヴァードラゴンは、上古代の経営者・著述家である。

 賭場の経営について、また国家衰退の原因について論じている。時代がくだると、彼女の儀礼論がさかんに読まれた。

 詭弁の一種をリーラエシア論法と呼ぶのは、彼女に由来する。


「というわけで、リーラエシア論法の詭弁だとする君の指摘は無効だ。君の目の前にいるのが他ならぬリーラエシアなのだから」


「そんなルールあんの!? 権威論証か?」


 権威論証とは、偉い人や尊い伝統がそう言うから正しい、とする詭弁である。


「権威論証か。それは、権威を主張への反駁に使うのが正当でないというに過ぎない。

 この場合、退けることはできないよ。〈却下〉への反撃に権威を持ち出すのは近古代のルール上正当だ」


 第一次祭祀改革を経た、近古代の神学には、複雑な手続きがある。

 基本ルールとして、対論者は、主張に対して〈論駁〉か〈却下〉かの二通りの攻撃手段をとりえた。

 主張が誤りだとするのが〈論駁〉、正誤に関係なく主張行為が不正当だとするのが〈却下〉である。詭弁を使ったとの指摘は後者にあたる。


 近古代のルールで、「お前の話は聞くまでもない」との攻撃を受けた論者は、「権威ある論だから、聞くに値する」と反撃することができた。


「無敵論法なのに!? ルールの穴だろ。なんで反論不可能なことが分かっている論が通るんだよ」


「その通りだ。天教神学の議論プロトコルは権威ある無敵論法の却下を許していない。なぜだろうね。分かるかい?」


 亜竜人ヴィクロムは理解した。魔女の問いに対する答えが分かった。


「俺は誘導されたのか。ここまで掌の上で踊らされていたんだ。すごく綺麗に技が決まったみたいだ。何なんだろうな。俺が、変わった女の人に弄ばれたいという卑しい欲望を抱いているせいかな?」


「いいね。すると君は自身の欲望を満たすことができたから、負けていないことになる。

 で、踊ってはくれないのかな? 貴婦人に誘いを受けたのなら、恥をかかせるものじゃあないよ?」


 探索者はしぶしぶ答えた。


「天教神学そのものが、権威ある無敵論法だから」


 第一次祭祀改革後、神学は栄えた。聖堂がすべての地の典礼とすべての信仰実践を監督し、地上で天教の理想の実現を目指した。

 神学は近古代を通して、聖典に関係なく出したい結論を何でも出せる装置としての性格を強めていった。


「これで魔女リーラエシアの倒し方もおのずと分かってくるはずだ」


「近古代の天教神学からすると、自身のほかに権威ある無敵論法を認めはしない。リーラエシアは異端、というところですか」


 すると、第三の声がした。


「その通りですよ」


「誰だ!?」


 一人の人物が立っていた。

 ゆるい衣服に頭巾をかぶり、眉を剃っていた。身体のラインも毛髪も隠れ、髭もなく、中性的な印象を与える風貌だった。


「誰?」


「拙僧のことは、いち神学者とお見知りおきいただきたく存じます」


「名無しの神学者ね。法廷で判事が名前を明かさない習慣と似た感じかな。

 ウァコル先生とキャラ被ってんじゃん」


 神学者の喋り方は、上古代マリニアの祭祀者を探索者に想起させた。それを聞いて魔女リーラエシアが言った。


「あはは。ウァコル君と似ている? 考えたことなかったなあ」


「同時代人なんでしたっけ。賭場の魔女からするとそうなんだ」


「ウァコル君は、なんか後世だと儀礼論が広く読まれたらしいよね。近古代の神学者もよく読んだって聞くよ。なんでウケたんだか。あんなの当時のマリニアの状況知らないと何も面白くないでしょ」


「賭場の魔女からするとそうなんだ。というか近古代でも儀礼論って読まれたんですね。上古代の学問が忘れられていた時代という印象なので、意外です」


 中近世から近世にかけて数度、魔王の下の学者ウァコルは世界市民・祭祀改革者・放浪作家として脚光を浴びた。第二次祭祀改革の前、つまり近古代には忘れられていた、というのが探索者の認識だった。


「拙僧も上古代の儀礼論を読んだ覚えがあります。ウァコルなる人物のだったかは存じ上げません」


 神学者が言った。


「それで、リーラエシア派の魔女ですか? 君、そんな異端とは口を利かないことをお勧めしますよ」


「リーラエシア派っていうのか。先生、それはどういう異端なんですか?」


「いい神と悪い神がいて、地上世界では悪い神の方が強い、と説く異端です。

 よろしいですか。よかれと思っての選択が裏目に出ることが、ふつうに生きていれば、誰にでもあります。その程度の話を異端は、理屈を捏ねて、宇宙原理をなす神が二つなどと吹聴するのです。こんな屁理屈に耳を傾けてはなりません」


「宇宙的二元論として整理されたんだ。もともとリーラエシアさんってそんなこと言ってなさそう」


 探索者の念頭には、帝国崩壊期の思潮があった。帝国崩壊期には、上古代東方の哲学が何でもかんでも壮大な宇宙観の中で神秘的に再解釈された。


「言ったよ。いい神と悪い神がいて地上世界では悪い神の方が強い、ということをこの賭場の魔女リーラエシア様は論じた」


「あ。言ったんですね。失礼しました」


「詳しくは『胴元の優位性について』という論考に書いてある」


「だったら宇宙的二元論と違うんじゃあないかなあ。『胴元の優位性について』という論考は宇宙的二元論というより、胴元の優位性を論じていそうに思える。

 さて誘導に乗って、神学者の話を聞いてリーラエシアさんを倒すか。気が進まないけど」


 話を聞くとは魔術的な干渉を受けるということである。神学者と魔術をめぐって対決しなければならないことになる。




 昔むかし、巫女クレースナは誤った信仰にあった。

 神の言葉の力を、自分の力と錯覚し、誰でも自分に従って当然だと思いあがった。


 あるときクレースナは、村のある男を人気のない所へ呼び出し、自身の夫とすることを宣言した。

 男は返答した。巫女様はあまりにも尊い。巫女様の前に一人の男として在ろうなどとは畏れ多く、とても考えられません。

 巫女が予想してもいない返答だった。この言葉は彼女の心に怒りを呼び起こした。


「お前は巫女を侮辱するのだな。神を侮辱するのだな!」


 巫女は、髪を逆立てて、男を非難した。

 村では、巫女が神の力をふるうと思って、ふだんから畏怖してきた。面と向かって叱られれば、全身から汗が吹き出し、手足の力が抜け、歯の根が合わなくなる。

 村の男は、恐怖で縮み上がってしまった。とんでもない、そんなつもりは毛頭ない、とつっかえつっかえ弁解した。


「とんでもないと申したか! お前にとって神の言葉は、とんでもないのだな。巫女を拒んでおいて、侮辱したつもりがなかったと、そう申すのだな!?」


 男の弁解は、巫女の怒りの火をより燃え立たせた。彼女は、誤った信仰に突き動かされ、男を呪詛した。


「すべての聖者の祝福は、お前の上より失せよ! ラージウの祝福はお前の上より失せよ。テンボルの祝福はお前の上より失せよ。イェルガンの祝福はお前の上より失せよ」


 巫女は村で信じられた聖者たちの名前を挙げ、男に与えられていた庇護を次々に取り消した。

 男は目の前が暗くなるのを覚えた。

 もう、聖者様たちは守ってくれない。暗い森の中で迷ったときもラージウ様は応えてくれない。お腹が痛いとき、兄弟たちに意地悪したことを悔いても、テンボル様は聞いてくれない。

 ずっと前のイェルガン様のお祭りのとき、好きな子と手を繋いだ。聖者様が勇気をくれて祝福してくれるのだと感じた。もうその聖者様は、男のことを忘れてしまうのだ。


 気づけば男はうずくまって震えていた。助けてください。もう巫女様に逆らいません。神様への信仰を忘れません。典礼に誰よりも早く参ります。毎日お祈りを捧げます。巫女様の言うことを全部聞きます。悪いことをして手に入れたものは全て手放して、二倍の財産を貧しい人に贈ります。助けてください。お願いします。できることは何でもします。


 巫女は、自分の力の効果が現れたと思って心地よく思った。そして男に対して言った。


「お前は神に背いたのだ。神はお前を見放さない!」


 違う。これは、巫女が言おうとしたのと違う言葉だった。神はお前を見放した、と言おうとしたのだ。もう一回試みた。


「神はお前を見放さない!」


 出た声は、逆の内容だった。どうしても、神はお前を見放した、と言うことができない。

 巫女は恐怖した。

 初めて、神の言葉の力を知った。毎日、異教の人々が無意味な文言を唱えるのと同じに、彼女は聖句を唱えてきた。巫女は聖句に意味があることに気づいた。じつに、神は見放さないという文言は聖句にあっても、神は見放したなどと唱えられたためしはないのだ。

 今や、正しい教えの聖なる言葉が、正しいことを語っていると知った。


「そうだ。正しい神はお前を、すべての人々を、けして見放さない」


 淫らで邪な巫女がのちに聖クレースナとなるための、第一歩であった。

 神の言葉をよく唱える者は、正しい信仰から逸れるとしても、必ず引き戻されるのだと、語り伝えたということだ。

 この聖クレースナの物語を、記者はザハロンのゴネブ市で聞き取った。市には旅の巡礼者ウルメックが伝えた。巡礼者ウルメックはエレンボロド寺院の言い伝えで知った。エレンボロド寺院には、村の男がうずくまっていた地面の一部が、ゆかりの品として祀られている。




「受けてみなさい」


 生垣の小径を木漏れ日が照らす。ここは迷宮、無形魔王城である。

 神学者は、木片を放り投げた。木片には神の威光をあらわす文言が書かれている。書かれた文字は聖句の発話を模っている。


「うわ。受け取って大丈夫なやつかな」


「死ぬよ、まともに受けたら」


 亜竜人ヴィクロムは木片を肘で弾き飛ばした。木片を魔女リーラエシアが手でつかみ取った。

 賭場の魔女が手の中で弄ぶと、木片はばらばらの小さな棒に分かれた。


「魔女様は素手で触ってんじゃん」


「同じ性質の力を使えるからさ。上古代によくある政体では、巫女が神の声を受け、男の執政官が現実に合わせた政治をやる。賭場の魔女ってのは祭儀場の巫女の一種だからね」


「急に何の話ですか? 上古代の神託政治なら聞いたことがあります」


「おいおい。神託政治を知っていて、なんで近古代の武家の性役割を知らないんだよ!」


「そっちの方が有名なんですか!?」


 魔女が探索者に語ったことには、近古代において、武家の名誉を女が担い、武家の実益を男が担った。探索者にとって、先ほど魔女から初めて聞いた性役割だった。


「てか、もしかして、上古代の神託政治と近古代の名実の分担っていうのは、魔女様の見立てでは地続きなのか」


「そういうこと」




 昔むかし、呪術師ハジュルールは聖者エルトージウに挑戦した。

 私は焼けた石の上を歩くことができるぞ。お前たち天教徒がありがたがる教えは、ただの詩人が作った言葉で、何の力もありはしない。

 聖者エルトージウは相手にしなかった。


 ハジュルールは呪術を見せびらかし、珍しいものに集まる人々の支持するところとなった。

 人々は煽動され、聖者エルトージウを嘲った。

 天教徒がありがたがる教えは、ただの詩人が作った言葉で、何の力もありはしない。できるものなら、ハジュルール様を呪術で破ってみせよ。


 聖者エルトージウは相手にしなかった。すると、正しく聖者を敬う人々が訴えた。

 聖者様は不当な侮りを受けています。ああして嘲る人々が絶えないので、私どもは苦しい。呪術師を懲らしめてやることはできないのですか。


 聖者は仰った。

 では、お前たちが望むようだから、ハジュルールと呪術で対決することとしよう。


 多くの人々が見守る中、二人は焼けた石の前に立った。

 まずハジュルールが焼けた石の上を素足で歩いてみせた。

 どうだ、エルトージウ。お前に同じことができるのか。


 すると聖者は仰った。

 もちろん、できる。そればかりでなく、私を敬う人々も、焼けた石の上を素足で歩くことができるのだ。


 呪術師ハジュルールは驚いて言った。

 何を言い出すのか。呪術の技は誰でも簡単にやってよいものではない。エルトージウは、自分を慕う人々を危険にさらそうとしている。正気の沙汰ではないぞ。


 聖者エルトージウを敬う人々は興奮して叫んだ。詐欺師ハジュルールがやった程度のこと、自分たちもできて当然だ。見ているがいい。

 そして、かれらは、焼けた石の上を素足で歩いた。


 これにはハジュルールも、支持者たちも、畏怖を覚えた。聖者エルトージウの力は本物なのだ。

 ただ呪術の珍しさについてきたハジュルールの支持者と違って、聖者を敬う人々は、本物の力を本当に信じていた。


 ハジュルールは悔しがりながらも、正しい教えの力を認めたと、語り伝えたということだ。


 この聖エルトージウの物語を、記者はガリルス王国のヤーリルボル市で聞き取った。市では古い寺院に伝承されていた。寺院には旅の巡礼者ペルウルフが伝えた。巡礼者ペルウルフはネールボロド中央寺院の言い伝えで知った。ネールボロド中央寺院には、聖エルトージウのものとされる足跡が残っている。




「うわうわうわ何だ何だ何だ!? 透明な人の団体?」


 神学者から探索者の方に、無数の足跡の列が伸びてきた。歩く人の形はなく、足跡だけが残った。

 熱を帯びているらしく、踏まれた草に焦げ目がつく。


「見るからにヤバそう、これもう怪奇現象だろ」


 かつて神学者たちは、怪奇現象が起きたとき、天教の枠組みで説明することを求められたものだった。

 探索者ヴィクロムは飛びのいた。


「近古代の霊験譚が元ネタってことだよな。厄介だ。社会ぐるみで天教を篤く信仰したフィールドを舞台に、神学者を相手になんかしたくないな」




 昔むかし、神学者パラッススはアラン王に仕えた。ミラッススは皇帝側の征討軍に従った。

 ミラッススはパラッススの学友だった。

 ミラッススは天教のもとの大義を説き、学友に勧めた。僭主アランは正当な権力を持たない。かれに従ってはならない、と。

 賊軍の軍師となったパラッススは言った。


「君の言う通り、神の権威を正当に帯びるのでない王を崇めれば、正しい教えに背く。かといって君臣の信頼を損ねることもまた、天意に従うところではあるまい」


 確かにその通りだった。正しくない僭主に従って正しい皇帝を攻撃するのは正しい教えに反する。かといって、いちど決めた主従の義理を破るのも正しい教えに反する。


「我々は神学者だ。ということは、伝承学者だ。よい振る舞いが将来にわたり伝承されてゆくことを、我々は信じている。そうだろう。

 私がアラン王を捨てれば、正しい教えの実践として伝えられるかもしれない。つまり、正しい人でありかつ変節漢だったと歴史に語られることになる。私はそれを望まない」


 ミラッススは引き下がった。

 その後アラン王は敗れ、パラッススは処刑された。

 ミラッススはパラッススの死を止められなかったので、己の無力を悔いた。


 アラン王とパラッススの美徳は語り継がれた。ミラッススが書き記したのだ。直筆の写本が、ネールボロド中央寺院に収められている。

 この聖パラッススの物語を、記者はゼハラニアで旅の巡礼者ボミールスから聞き取った。巡礼者ボミールスはネールボロド中央寺院で物語を聞いて実物を拝んだのだという。




「また木片か」


 生垣の小径を木漏れ日が照らす。ここは迷宮、無形魔王城である。

 神学者は、木片を投げつけた。木片には神の威光をあらわす文言が書かれている。書かれた文字は聖句の発話を模っている。

 探索者は危なげなく弾き飛ばした。

 そして地面に落ちようとする木片を、腕で掬い上げて傍らの生垣に置いた。


「お。粗雑に扱うのを厭うのですね」


 神学者の問いに、探索者は無言で応じた。


「これでは、どうでしょう」




 昔むかし、アラの村にカーダという者がいた。カーダは文字を読めず、そして、敬虔な天教徒だった。

 カーダは教養を身につけようと切望し、教典一そろいを手に入れた。

 毎日、たくさんの教典を背負って長い石の階段を昇降した。苦しい修練を積めばいつか教養が身について、文字も読めるようになるだろうかと、かれは願っていた。


 学ある人の間で笑い種となった。

 カーダは一つの文字さえ読み上げることができない。ペンを持つこともできない。教典を単に呪具として崇めているのだ。


 あるとき、村の寺院が燃えた。人々は水を運び、延焼を防ぎ、人を避難させた。


 カーダも、寺院の書庫が燃えるのを見た。

 運命のしからしむるところ、カーダは、書庫に飛び込み、種々の本を火の外に運び出した。


「これは、ありがたいものなんだ。失われてはいけないんだ」


 カーダは、中身が分かりもしないのに、身を挺して蔵書を守ったのだ。寺院の人々は、蔵書が焼けたかと思いきや、無事だったので驚いた。

 人々が嘲笑したのは、じつに不当なことだった。

 その後カーダは一命をとりとめ、後遺症を患った。そして寺院で聖句を習い、書写して一生を過ごしたのだという。空理空論をもてあそぶ学者よりも、千倍も尊い功徳を積んだと、このように語り伝えたということだ。




「ぐえぇあぁーっ!?」


 刺さった。


「どうやら分かってきましたね。あなたに何が効くのか」


 生垣の小径を木漏れ日が照らす。ここは迷宮、無形魔王城である。

 ヴィクロム・インヴィットは神学者の技にかかった。身体にペンが刺さり、熱を発していた。

 かれは喘ぎながら言った。


「ああ! そうだな。もうその技はいっさい効かねえぞ!」


 ペンを掴み、抜き取る。

 神学者が訝しげに見、ヴィクロムは睨み返した。


「どうやら分かってきた。神学者さん。あんたが振るう力の正体はもう見えている」


 探索者ヴィクロムは言った。


「あんたは、聖者様にまつわる呪具の力を信じていない」

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