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妖精猫の森の家

 目をさますと、自分がどこにいるのかわからなかった。

 木製でつくられた家らしきところのベッドで寝かされていて、部屋のなかはふわふわと浮かんだシャボン玉でいっぱいだった。

 猫耳をつけた少女がひとり、浴槽の準備をはじめていた。ベッドの横に、浴槽があったのだ。熱そうな湯のなかに少女は片腕を突っこんでゆっくりと掻き混ぜている。

「あの」

 ユキは声を発した。

 天井の高い部屋だったようで少年の声は遠くまで響いた。

「あ、おきた!」

 少女はユキが目覚めたことに気づくと近づいてきてキスをしてきた。ほっぺに。

 ユキは恥ずかしさで顔が熱くなった。

「ちょっと待ってね、湯の温度がまだぬるいの!」

「湯舟に浸かるつもりはないけど……」

 ユキは気をうしなっていたのかもしれない、と思った。それから気をうしなう直前のことを思いかえした。マンションのエンテランスでアンバーとイリアのふたりが眠ってしまった。そのあとで見知らぬ人間がふたり入ってきて、ユキも眠りについてしまったのかもしれない。

「あのときだ……」

「あのとき?」

「ここはどこなの?」

 ユキは少女に聞いた。

「ここはあたしたちの家だよ!」

「きみの家か……。どうしてぼくはきみの家にいるの?」

「プレゼントしてもらったから?」

「プレゼント?」

 部屋の扉を開けてひとりの少女が入ってくる。そのショートカットの少女も猫耳をつけていた。今日はコスプレの記念日かなにかなのだろうか。しかし肌はおなじ白色なのに(元の地球で言うところの白人の肌のような色だ)耳が尖っていなかった。ふたりはエルファド人ではなかった。だとするといったい何人なのだろうか。

 まさかこの人たちがアンバーの話していたフェアリーキャット人だろうか。

 その猫耳が本物だとすれば、そう納得できなくもない。

「かわいい」

 ショートカットの少女はユキの顔に顔を近づけてきてそうつぶやいた。

「いいの連れてきたね、キキ」

「あたしじゃないよ!?」

「そうなんだ」

「うん! クロエ好き!?」

「好き」

 とクロエと呼ばれた少女はユキの目を見つめながらそう言う。

 それはユキのことが好きだという意味でいいのだろうか……。

 だがユキは少女たちの言葉があまりに唐突なので嬉しさよりも怪しさのほうが勝って聞こえた。

「じゃあ、これからきっと毎日、たのしくなるね!?」

「うん」

 クロエは、ユキの頬にみずからの頬を押しあててきて、すりすりしてきた。それはまるで猫の頬ずりだった。

 クロエの髪のいい匂いがユキの鼻をついた。クロエのおおきな胸がユキの胸にこすれながらあたってくる。

 女性の胸なんて、ユキは初めて当てられている。こんなにも柔らかいものだったのか……。

 いやいや、そんなことは考えちゃいけない。ユキは首をぶんぶん振る。

 クロエは、頬ずりに飽きると、こんどはユキの首に腕を回してきてユキにそっと抱きついてきた。

 なにが起こっているのかわからず、ユキは声をあげることもできない。ただ目をぎゅっと閉じて耐えている。

「気持ちいい……」

 クロエは、ぼそっとつぶやいた。

「あたしもやりたい!」

「いいよ」

 キキというちいさな少女がクロエとおなじようにユキに頬ずりしてくる。クロエはすこしポジションをズレて、ユキの胸あたりに頭を置いた。

 いったいどうなっているのか。

 これは夢でも見ているのだろうか。

 このふたりは現実に存在する人たちなのだろうか。

 ユキはなにもかもわからない。

 たとえば夢ならこのまま続いてくれても良かったが、ユキはあのマンションに帰らなければならないという気持ちをずっと持ち続けていた。

「すごいエネルギーを持ってるの?」

「たぶん。だから、こんなに高揚してるのかも」

「なるほど! なんだかぼうっとしてきちゃう……」

「ずっといっしょにいたい……」

「離れられない……!」

「婚約してるのかな」

「あ、そういうのって大事なの?」

「うん、大事」

 クロエは必死に目を閉じているユキの頬を両手でつかんできて聞いてくる。

「婚約してるの?」

「婚約なんてしてないよ……」

 しかし妙な感情が湧きあがることはなかった。これもすべて神との契約のせいだろう。

「やった!」

 クロエはちいさくガッツポーズした。

 あまり感情を表に出さないタイプのように見られるが、いまはとてもうれしそうにしていた。

「あ、あの……」

 ユキはクロエが股関節あたりに座りこんでいることを気にしながら(ユキが話しはじめようとしている間、クロエはずっとユキの股関節の上でぐりぐりと動き続けていた)、ユキはクロエに頼んだ。

「トイレに行ってもいい……?」

「あ、うん。ごめん」


 小便を済まし、トイレの個室を出ると、キッチンのようなところで女性が三人で話していた。

 その三人がユキに気づいて振りかえってくる。それからまた話しこむ。

「魔法はかけたの?」

「まだかけてない」

「逃げられちゃうかもよ!?」

「あ、そうかも」

 クロエがゆっくり走ってきた。クロエがキスしてくるのがわかり、ユキはそれを手でガードした。

「な、なんなのさっきから!」

「なんなの、って……」

 クロエは悲しそうな顔をした。

「あ、ごめん……」

「ううん、だいじょうぶ。これはあれなの、わたしたちの愛情……? 愛情だと、思うの」

「あ、愛情……」

 ユキは、なんとも言えない気持ちになった。女性経験のないユキにとってはそれはとてつもなく強力な二文字だったからだ。

「ふたりはまだ男性経験がないからよくわかっていないの、ごめんなさいね」

 豊満な身体の女性がやってきて言った。その後ろを小さなキキが走ってついてくる。

「わたしもまざっていいかしら?」

「もちろん、おかあさんもまざっていいよ」

「三人の彼氏だね!」

(え!?)

 ユキはだんだん状況が読めてきたが、話を聞くたびによくわからなくなっていった。

「わたしが魔法をかけちゃうわ」

 母といってもその女性はまだとても若いように見えた。ユキはその女性から唇と唇のキスをされた。ユキはキスにおどろいて、固まってしまった。

 それから、クロエとキキもユキの唇にキスしてきた。ふたりはとても恥ずかしそうに、キスした。

 ユキは、三人にキスされ、ますます頭がぼうっとなった。

 魔力のようなものを感じた。

 三人のキスには魔性のちからがあった。

 もっとキスしたいとユキは思った。

 だが決して三人を女性として好きになることはなかった。

 ユキはそれから三人と長いあいだ、ともに暮らすこととなった。

 魔力によって、逃げられなかったのである。

 帰らなくてはならない場所があるというのに。

 ユキはこのフェアリーキャットの森の家から脱出することができなかったのである。


 だが、三人と妙な関係を築くことはなかった。

 三人とは決して、一線を越えることはなかった。

 けれどもユキは毎日、三人にキスを要求された。

 ユキとキスすることがなによりも大事なのよ、とララは言った。ララとはふたりの母のことだ。

「キスすることで、ユキから魔力を吸い取ってるのよ?」

 さも当たり前のようにララはそう言ったが、それはまるでヴァンパイアの吸血とおなじなのではないだろうか。

 はじめの数日間はあまり感じなかったが、ユキはだんだんと身体が重たくなっていくような気がしていた。

 それは、ララの言ったキスすることで相手の魔力を吸い取るのと関係しているのではないだろうか。

 しかし、ユキは魔法使いではない。

 だれにでも魔力というものは秘められているものなのかもしれないが、ユキは魔力で生きているわけではない。それなのに身体は重くなっていった。ユキはずっと疲れていた。

 疲れた身体を三人は一生懸命、癒してくれた。三人にとってはそれが仕事かのように、本当に一生懸命に。

「おいしいものもたくさん作るし、ユキがやりたいこともたくさんやらせてあげたいの」

 クロエは言った。

「ユキはエルファド人なの?」

「ぼくはそれともちょっと違うんだ……」

 三人のキスは長いときもあるけれど、いつもほとんど一瞬だった。だから、キスはそこまで気にすることはなくなっていったのだ。三人のキスを気にしなくなっていくと、ユキはまともな会話ができるように変わっていった。まるで三人とのキスに麻痺してしまった感じではあったが、三人がそうしたいと思うのならそうさせてあげるしかなかった。本当はキスは拒否しなくてはならない立場のような気がするけれど、ユキはそれを拒否することができなくなっていった。これは本当に単純な麻痺なのか? いやあるいはそれも魔力で操作されているだけなのかもしれない。

 だが、ユキにはなにもわからなかった。ただユキは永遠と三人とキスを繰りかえした。

「ユキがセックスしたいと思うのなら、それもやってあげてもいいかも……」

 クロエは爆弾発言した。

 ユキは大声で拒否した。

「そんなことやっちゃ駄目だって!」

「そうかな?」

「そうだよ! や、やっぱりそういうのってちゃんとした関係を築いてからじゃないと……!」

「これはちゃんとした関係じゃないの?」

「こ、これもちゃんとした関係かもしれないけど……」

「だったら、べつに」

「駄目だよ! それだけはぜったい……!」

「そっか、わかった」

 クロエは納得してくれたようだった。

 ユキはホッと肩を落とした。

「わたしたちはエルファド人たちよりも寿命が長いからあまり子供をつくらないの」

「そうなんだ」

「うん。おおくの子供をつくってしまうと、育てきれなくなってしまうからっておかあさんが言ってた」

「なるほどね。それでララさんはいまも若いわけだ……」

「うん。だから、おかあさんなら、ユキとセックスできるかも」

「しないけどね!」

「しなくていいの?」

「し、しないよ……!」

 それを全否定できないユキも心のどこかに潜んでいたけれど。

「でも、そのうち三人と子供をつくらないといけない」

「え、なんで……?」

「だって、ユキは、この世界でもっとも綺麗な魔力を持っているから」

「ぼくが、魔力を……?」

 それは本当なのだろうか。

 ユキは魔法使いではないというのに。

 クロエたちとのキス関係は長いあいだ、続いた。ユキはまるで骨抜き状態にされてしまい、帰る気力が湧いてこなかった。マンションへ帰らなくてはいけないのにぜんぜんその気持ちが湧いてこないのだ。

 これは、非常にまずかった。このままではシャルナの護衛につくことができないし、もちろんダラン王のことを守ることさえできない。

 あのマンションのエンテランスで出会ったふたりの存在がまぼろしでないのだとしたら、本当はこのままではいけないのだ。

 早く帰らなくてはいけない。

 だが、その気持ちが湧いてこない。

 三人のキスのせいだということは、なんとなくわかっていた。だが、いまのユキには三人のキスを回避する手段がなかった。はじめのうちは回避できた。けれど、それも次第に回避できなくなっていった。三人のキスにはユキを引きつける魔力があった。ユキはずっと三人とキスしたいと思うようになっていた。

「行かなくちゃ……」

 湯舟に浸かりながらユキはぼそりとつぶやいた。

「どこに行くの?」

 クロエが聞いてきた。クロエは裸だった。その姿でユキとともに湯に浸かり、タオルを持ち、ユキの背中の垢を落としてくれていた。

「シャルナのもとへ……」

「シャルナ?」

 クロエは垢取りを中断し、ユキの背中に抱きついてきた。ユキはぼうっとしていた。思考が回らない。それは三人の魔力を受け続けてきた結果だったのだ。

「わたしたち以外の女性とは、会っちゃダメなの。ユキにはもうわたしたち以外、関係を築けない」

「呼んでるんだ、ぼくのことを……」

「その女性が?」

 クロエの問いにユキは答えざるを得なかった。

 ユキは彼女の言いなりだったのだ。

「うん……」

「どこにいるの?」

「レジ街にいる……」

「それってまさか、プリンセス・シャルナ?」

「そう、シャルナはプリンセス……」

「まずいかも」

 クロエがユキを離れた。クロエの口調には危機感のようなものが含まれていた。

「魔力を吸い取りすぎて、復活に時間がかかる。帰るとしても、乗り物がない……」

「どうしたの……?」

「ユキ」

 ちからのぬけた表情のユキの顔をクロエがつかんでくる。クロエのその目はいつものユキの愛を求める目ではなかった。いまのクロエの目はとても力強いものだった。

「ユキはニュースを見てないから知らなかったのだけど、レジ街はいま、とんでもないことになってるの」

「え……?」

「これは、わたしたちだからわかったのだけど。王がすり替わっている可能性があって、その王のせいで、内戦がはじまってしまったの。トルニコスタ軍と、マフィアたちが戦いはじめたということ。もしかしたら、ユキは、そのための戦士のひとりだったのかもしれない。どういう役目だったかは、わからないけれど……」

「内戦……?」

「王みずからもいのちをねらわれているのだけど、おそらくそれは演技に過ぎないと思う。彼は、頭が良い。すべて計算していて、そして最後にぜんぶを持っていこうとしている。もちろんそれには家族の存在が邪魔になる。シャルナ姫が始末される可能性がある。ユキは、シャルナ姫と、友達だったの?」

「うん……」

「助けに行かないといけない」

「助けに……?」

「うん、ユキがシャルナ姫の友達だったのなら、きっとシャルナ姫はユキのことを待ってる」

 ララとキキがやってきて、クロエが事情を話した。


 三日間、彼女たちは、ユキとのキスを必死に我慢した。なんどか思わずユキにキスしてしまったが、どうにかユキの魔力を回復させるまでに至ったのだった。

 ユキの頭のなかで、異能力のイメージがすこしずつ回復していった。やがてテレポーテーションができるまでに回復した。

「ずっといっしょにはいられなくなってしまったわね……」

 ララは泣いていた。

「仕方がないかも」

「お姫さまを助けたあとなら、またいっしょになれるの!?」

「うん、そうね。きっとなれるわ」

「待ってる」

 クロエがユキに抱きついた。

「あなたのことが、好き」

 ユキはどう答えてあげたらいいのかわからなかった。

 それからユキはなんとか思いついた言葉でこう答えた。

「……友達としてなら、また会えるかもしれない」

「友達としてなら……?」

「うん。だから、ぼくとキスして魔力を吸い取ったりしないというのなら……」

「わかった」

「え、いいの!?」

 クロエの肯定した返事にふたりはおどろいた。

「我慢するしかないかも」

 とクロエは悲しげにそう言った。

「おねえちゃん、そんなに好きなんだ、ユキのこと……」

 クロエは沈黙していた。

 ララはますます、泣いた。

「青春ね、いいわ、そういうの……!」

「でも、すこしだけキスしたいけれど……」

「すこしなら、ね」

「うんうん、すこしなら、魔力もそんなに吸い取らないし!」

「いいわよね、ユキ?」

「いいよね、ユキ!?」

「え、えっと……」

 キスできるはずないだろ、とは言えなかった。

 なんだかクロエがとても悲しんでしまいそうで……。

「だいじょうぶ、かも」

 クロエが言った。

「ユキといっしょにいられるのなら、わたし、きっと我慢できると思う」

 クロエがユキの手を握ってきた。

「シャルナ姫を助けてきて、ユキ」

「う、うん……」

「わたしは、それを望んでいる」

 クロエの強い言葉に、ユキはうんとうなずいた。

「わかった」

「かならず」

「うん、かならず助けてくる!」

 ユキは、クロエと約束を交わした。

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