千依と結婚・後
「ごめん、遅くなった千依」
「ううん、全然。お仕事お疲れ様、タツ。おかえりなさい」
「ただいま。あー、何か良いな家帰ると千依いるの」
「え、あ、その」
「まだ照れるのか、可愛い」
「う、た、タツの意地悪。私がこうなるの分かってて言ってる」
「あはは、当たり。もうすっかり俺の性格把握してんね、千依」
タツが帰ってきたのは夜の9時を越えた頃だった。
疲れの色も見せずに朗らかに笑うタツ。
その顔を見ると、いつも以上に心臓がキュッと苦しくなる。
いつまで経ってもそんな感じだ。
慣れてくれる日が来るのかなとはもう思わなくなった。
きっといつまで経ってもこんな感じなんだろうなと、そう思う。
「タツ、キッチン借りるね。今何かお茶でも入れるよ」
「ん、ありがとう。でもそれより先に話が聞きたいかな」
「え?」
「隣、座って。大事な話あるんだろ?」
そうしてグイッと少し強めに手を引かれると、私はその力に逆らわずストンと腰をその場で下ろした。
タツの目が真剣だったから。
私は大きく息を吸い込んで目を一度だけギュッと閉じる。
自分でもものすごく緊張していたみたいで、吐き出される息がとても細いのが分かった。
うん、けれど大丈夫。
そう心に言い聞かせて目を開けると、至近距離でジッと私の様子を見つめるタツがいる。
ドキドキと心臓は煩い。
けれど、それ以上に胸に占めるのはタツの近くにいられることへの幸せで。
自分の中に残された答えが1つだけなのだと、私はしっかりと認識した。
「タツ」
「うん」
「その、ね。長い時間ずっとずっと近くにいてくれてありがとう。私、タツの傍にいられて本当に幸せで。今でも夢みたいで」
「はは、夢だと困るのは俺の方だけどね。それで?」
「う、うん。私タツが大好き、ずっとずっと昔も今も未来もきっと」
「ん、ありがとう。俺もだよ」
「あ、ありがとう!だ、だから……結婚、してください。私と」
一番に言うべき言葉は情けないながらしっかりとうわずってしまった。
音量も全然小さくて、顔だってしっかり見れなくて。
一番大事なことはちゃんと伝えたいのに、私にはどうやら言うまでが限界だったらしい。
それでも。
それでも、しっかりタツの顔を見たい。
言う時は色んな気持ちが膨れて顔すら見れない私だけれど。
いつまでもそのままじゃなくて、言ったことに嘘なんてないんだと伝えるためにも。
そうして勇気を出して顔を上へと向ける。
目に入ったタツのその表情は。
「うん。うん、勿論。結婚しよう」
あの時、アーティスト・タツの生まれたあの瞬間を思い出させる、そんな笑顔。
「もしかして最近悩んでたのはこのこと?ちゃんと考えてくれてたんだな、千依」
「う、ご、ごめんね!こんなに待っててくれたのに、最後まで優柔不断で。その、両立できるのかとか色々すごく悩んじゃって」
「いや、思ったより早かったと思うよ。俺あと5年は待つ覚悟してたし」
「え、ご、5年……!?」
「あはは、まじで。仕事のことやこれからのことはじっくり考えていこう、一緒に」
いつまでもタツは私のペースに合わせてくれる。
決して押し付けることなく待ち続けてくれる優しい人。
それでもこうして本当に嬉しそうに笑ってくれるのが、私も嬉しい。
自信のなかった私にずっと想いをとどけてくれた大好きな恋人。
何年経ってもそんなタツに見合えている自信はなかなか持てないほど、タツは魅力的で強敵だ。
それでもタツがこうして笑っていてくれるなら、それで良いと思える。
そっと、気付けば繋がれていた手が引っ張られる。
その力の向かう先は、タツの腕の中。
タツの空気をいっぱいに感じて幸せだって、そんなことを思う。
「これから忙しくなるな。千歳とかますます騒ぎそう」
「あ、千歳くんね応援してくれるって言ってたよ!さっきまで会ってたの」
「ああ、何だもう報告済みか。……で、あいつ何て言ってた?」
「え」
「何も言わないわけないだろ、あいつが。いくら最近落ち着いてきたとはいえ」
「え、あ、その、私が不幸になったら埋めるか潰すって。じょ、冗談って言ってたよ?」
「ふは、脳内再生完璧にできるわ。おそらく半分以上は本気だろうな」
そうして笑いあって、お互いの体温を感じ合う。
一緒にいるのが当たり前になった今でも、やっぱりこれは奇跡のようだと思う自分。
いつかタツが家族だという事実にも慣れてくれる日がくるのだろうか。
それは想像しただけで幸せな毎日だなんて思う。
「タツ」
「なに?」
「ありがとう、私と出会ってくれて。私をここまで連れてきてくれて。素晴らしい歌を私に届けてくれて本当にありがとう」
「……どうした、急に」
「えへへ、いつもは照れて言えないからこんな時くらいは言いたいの。タツのおかげで私はこんなに幸せだよ、だから私もタツを幸せにしたい。たくさん頑張るから、だからこれからもどうぞよろしくお願いします」
「それは全部俺の台詞。千依があの日の俺の想いを拾い上げてくれたからこそ俺は今ここにいる。音楽を諦めないで良かったってそう思わせてくれたのは千依だから。ありがとう、千依。俺は千依がそこにいてくれるだけで幸せだよ。俺も見合えるよう頑張るからこれからもよろしくな」
その大きな体を強く抱きしめれば、その分だけ強く抱き返される。
昔では考えられなかったような、そんな日常。
タツに出会ってからを思い返すと気持ちが詰まって、思わず目が熱くなる。
そんな大事な人に会えてよかったと心から思った。
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「本日は俺達のためにこんなに大勢お集まり下さりありがとうございます。俺達ぼたんのタツと奏のちぃは昨日婚姻届を提出し夫婦となりましたことをご報告させて頂きます。どうか温かく見守ってください」
タツにプロポーズの返事をしてから短い様な長い様なそんな時間が経った。
交際発表した時の予想以上の報道のされ方を覚えている私達は、今こうして結婚会見という形で公表している。
いつもの歌を歌う時以上に明るいライトを浴びて、山ほどのシャッター音が聞こえるとやっぱりガチガチに固まってしまうのは仕方のない話で。
けれど、隣にタツがいてくれるだけで何だかどうにかなると思えてしまうのだから不思議だ。
「プロポーズの言葉は何ですか?」
「普段はどのように呼び合っていらっしゃるんですか?」
「結婚指輪を見せて下さい!」
そんな質問に主だって答えてくれているのはタツだ。
こんな時でもにこやかに笑うタツに、私も幸せそうに笑わなきゃと思うけれど、緊張してしまって硬い笑顔になってしまっている。
それでもタツはこういう時とてもトークが上手で、私の緊張をうまくほぐしてくれた。
「家事はどのように分担されてるんですか?」
「基本的には料理とゴミ出しとかが俺で彼女は掃除や洗濯をやってくれてますが、お互い仕事がありますのでその時々ですね」
「タツさんが料理されているんですか!?」
「あはは、はい。居酒屋で働いていたことがあったので、俺の方が手際良いみたいなんですよね。見ての通り彼女は不器用なので」
「それではちぃさん、タツさんの料理でお好きなものは何ですか?」
「え、え!?ぜ、全部……あ、肉じゃが美味しいです!」
「……ちぃさん、ちょっと。俺におかんなイメージついちゃうからもう少しお洒落な料理名で」
「えっと……、きんぴらごぼうにお味噌汁に、だし巻き卵に」
「……駄目だこれ。どうやったってちぃの好みで答えてたら俺におふくろのイメージついちゃう」
たとえばそんな会話。
会場がどっと笑いに包まれて、タツも楽しそうに笑っていて、思わず私もつられて笑ってしまう。
温かい空気に、安心できる場所。
タツの隣はいつもそんな感じで居心地が良い。
「この先お子さんは何人欲しいですか?」
だからこそ、そんな質問がされた時にはお互い顔を見合わせて自然な笑顔が浮かんでいたんだと思う。
「もし宿ってくれるのなら何人でも。仕事との兼ね合いもあるので何とも言えませんが、賑やかな家庭になれば嬉しいですね」
「私も、です。私には千歳くんのような兄がいてくれたことで頑張れたことがたくさんあるので、そんな風にお互いを支え合えるようなそんな兄弟がいてくれたら嬉しいなって思います」
その時の私達の顔はきっと世界で一番幸せそうだったんだろう。
次の日の新聞に載った写真はこの時の顔ばかりだった。
それからさらに時が経って、この時の言葉通りに大事な命達が宿って笑いの絶えない家族になっていくのだけれど、それはまだまだ先のこと。




