舞姫不在事(「百日の太政大臣」)
さても五節の舞姫を選り奉るは、平重盛・宗盛にぞ仰せ付くべきとて勅定あり。これには一門、見目良き女人、容優なるを京中より召し出し、千を百に、百を十にと選り給ひて、いよいよ五人の舞姫を奉り給ひぬ。これには清盛、大いに悦び給ひて「定めて一門の誉れ高まる事相違なし」とて、もてなし給ひつる二人の子息を甚だ讃えてぞおはしけるとかや。殊に重盛は熟慮の人にて、もてなしつる事いささかの隙もなし。宗盛はやや賢しがる向きのありけれど、風雅の道にはなべて疎からず、様々にもてなしつる様いよいよめでたし。
然れども、豊明節会の宵も深まりける頃合に、一の舞姫の行方知れずになりにけり。「恐れかしこしとて自ら失せぬるか、天狗にとられたるか」と人々大いにざわめきて、内裏の内外問わず求めなどしけれども、いよいよ得ることをえず、これには宗盛大いに色をなし、「一の舞姫のあらざらば、五節の舞敢えてかなわず、如何はせむ」と申して、日頃は熟慮の重盛も「かくては一門の恥、御父上には許されまじ」と、気も魂も消え失せぬる心地して、急ぎ盛国を召して「如何せむ」と問へば、盛国しばし思案して、「策のなきやうにはあらざるなり」と申して急ぎもてなす。
これは平家の栄えぬる事、いみじく嫉み給ふ人々のはからひと申しけるとぞ云々。
その頃、大納言清盛は、かくなる有様を知るべうもなくして、座にありて、子息のもてなしつる五節の舞姫を「今や遅し」とばかりに待ちておはしけり。悦に入りて杯傾けてありけるに、ふと己が後へより声のしつ。声の「大納言清盛、亡き摂政の所領を得たるは人々が忠義と思し召しつるにやあらむ。大納言・東宮大夫に上らむも建春門院がはからひとや思はるるか。あな、片腹痛し」と申せば、清盛大いに腹を立て、「いざ申さむ」とてかえりみすれば、蘇利古の面のあさましげなるを召したる、覚えもよらぬ舞人の立ちてありければ、いぶかしげに覚え給ふ。舞人申して曰く「いよいよ大臣に上ると覚えけるにや。然らば汝を太政大臣に任ずべし。是人臣位を極むとは申せど、名ばかりにして力なし。その座こそ我が掌の上なれば、ようようおはして政を見よ」と。これには大納言清盛、甚だ驚きて「我が一門の官位、所領の類、総て院が思ふがままに候ぞや」と問えば、舞人、蘇利古の面を取り給ひて「いかにもさにあらむ」と応え給ふ御顔は、院に相違なく、大納言清盛平伏し給ひけるが、心の内にはあさましとぞ覚えける。
院の「いかにや。今生は我が世なり。平家が世にはさすまじよ」と仰せ給へば、にはかに清盛、からからと打ち笑ひて応え給ふ。「世広きとは申せども、院が御手の上の坐り心地を知るは清盛ばかりに候や。人臣数多侍ると申せども、治天の君と権勢を競ふは平家ばかりに候。その御手の上よりいよいよ我が思ふ儘にせむ」と申し給へば、院はいみじく腹立ち給ひて、これや捨て置くまじと覚え給へども、五節の舞姫の殿上に上りぬれば、君とて適わず座しておはしませり。見れば、殿上にありつる舞姫は、祇園女御の御面影に相違なく、院も清盛も、いぶかしき事とて思し召す。
これは乙前と申せし白拍子、院に参りて舞を奉るが、先の白河院の時めき給ひたる祇園女御の、郷へ下がりてのち、白拍子とあらわれたるとかや。一の舞姫のにはかに行方知れずになりぬれば、急ぎ舞手を求めつる盛国が求めにて、霜の降りたる九十九髪、花の色は失せけれど、匂ひは未だ衰えず、めでたき舞を奉る。一門の恥も雪がるる。
つらつらおもむみれば、大納言清盛の、未だいとけなくありつるに、今様の例を引て、人の世のめでたくおもしろき有様を見せ給ふは、この祇園女御におはするなり。今人臣の位を極めむ頃合に、二度御目の適ふはこれ御仏の導きにや候はむ。甚だめでたき御有様、平家一門の栄華のはじめ、誠に天晴と申さぬ人ぞなき。




