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【完結】ドラゴンに助けていただいたお礼として花を贈ったら、婚姻届が返ってきました  作者: 三木悠希


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1/7

1 脇役令嬢へ転生?!

「ベアリー!!」


 悲鳴が風にかき消される。

 バルコニーの欄干から女の子がこちらに手を伸ばしたが、その甲斐なく私の体は宙を舞った。


「きゃぁああああ!!」


 ドレスの裾がバタバタと音を上げ、私は天に手を伸ばす。


 ん? ベアリー?


 待って、聞いたことがある気がする。


 ……そう、そうだ。

 

 私が昔読んだ、『ドラゴン公爵と聖女様』の物語に出てくる脇役。そして、舞台説明のために悪役令嬢に虐められ、気弱な性格ゆえに即座に退場する伯爵令嬢、ベアリー・ベスト!


 三行即退場という呆気ない出番。

 

『気弱な令嬢ベアリー・ベストは、疎まれていたヒロイン、アレアーヌと友人だった。しかし、ベアリーは悪役令嬢キセに突き落とされ命を落とす。それを知ったアレアーヌは涙し、仲間たちと共に悪役令嬢の悪行を摘発することとなる——』

 

 というありきたりな内容で、ヒロインの燃料として燃え行く存在。


 まさかそのベアリーに、私がなってしまうなんて、どういうこと——!?


 さっきまで家で寝ていたはずなのに、どうして、どうしてバルコニーから落ちてるのよ!


 って言うか、私このまま落ちて死んじゃうの!?

 そんなの嫌すぎる!!


「死にたくなあああああい——!」


 誰か助けて!

 小説改変してごめんなさい、生かしてください。殺さないでください。お願いします!


 アレアーヌ様の邪魔はしないのでー!!!


 ああ、でも、この景色を見て死ぬのも悪くないかも? 夜空に散りばめられた星々と、地球から見るより何倍も大きい月だなんて、なんてロマンチックなのかしら。


 ギュッと目を瞑った。

 

 すると臓物が浮遊する感覚がなくなり、代わりに大理石のようなツルツルとした感覚が手のひらを支配した。


 ゆっくりと目を開くと、視界いっぱいに鮮やかな鱗が広がっていた。月光の光を受けて、真紅の鱗が柔らかく光っている。


 これがあの世か——。


「ってあれ、死んでない!」


 何かが焦げたような匂いや、土の匂いが鼻腔を通る。

 大きな羽が両側で大きく羽ばたき、地鳴りと共に地面へと降り立った。激しく揺れるその巨体に、私はギュッとしがみついた。耳を当てると、太鼓のような大きな鼓動が聞こえた。

 

 どうやら私は、未確認生物の背中に拾われたらしい。


 天を覆えそうなほどの大きな両翼に、ピカピカと光るその体。二本の角を持ち、縦長の瞳孔でこちらをじっと見ている。


「ドラゴン!?」


 鱗の下の身体が強張った気がした。

 

 声が大きかったかな。そう思い、両手で口元を押さえた。


「ドラゴンだあ……。かっこいい」


 均一に並ぶその鱗が綺麗で、思わず手を伸ばしてしまった。

 ひんやりと冷たい鱗が、手のひらの熱を溶かす。ただ、鱗は鋭利で、逆撫ですると簡単に手が切れてしまいそうだ。


 ドラゴンはこの小説の中でも、皆が恐れる存在だ。火を吹き、嵐を呼び、地を割く、人知を超えた生き物がこの小説のドラゴンなのだ。

 そして、ドラゴン公爵とタイトルにあるだけあって、ドラゴンは代々公爵が管理してきている。公爵家に生まれた人間は、その血をもってドラゴンと一生の契約を交わす。


 主人の命令だけを聞き、主人以外には懐かず、善悪の感情がない故にどんなことでもする。そうしてきた歴史がある中で、やはりこの小説の中でも人々はドラゴンを潜在的に恐れていた。

 

 それでも、おとぎ話の中の存在が、リアルとして触れられる存在となったことの喜びが大きい。


 こんな夢が、あっていいのだろうか?


「んふふ」

「アフエン。ここに、いた」


 この状況に甘んじてドラゴンを堪能していると、ドラゴンの腹の下付近から、低い男の声が飛んできた。

 

「グルルルゥ——」


 ドラゴンは名前を呼ばれ、尻尾をブンブンと振っている。おかげで、庭園の木が一本薙ぎ倒された。

 

 あれに叩かれでもしたら死んでしまいそうだ。


「アフエン。その人、背中に乗せない」

「グゥッ」


 男がそう指示すると、ドラゴンの顔が近づいてきた。


「きゃあ!」


 カッコ良すぎて、思わず歓声のような悲鳴が漏れた。大きな宝玉のような凛々しい目、尖った口元にその輪郭に続き滑らかな曲線を描く角。ドラゴンが持つ、そのすべてが勇ましい。


 その声に、ドラゴンの動きがピタリと止まった。


 どうして? あなたの一見柔らかそうに見えて硬い唇で、私のドレスを掴んでくれるんじゃないの!?


 私はドラゴンの口元に背を向けた。


「掴んでください!」

「……グフゥ」


 ドラゴンは口先でドレスの襟をつまみ、私をゆっくり地面へ下ろしてくれた。

 

「ふふふ。ありがとう、可愛い子」


 腕を上に伸ばして、顎下を撫でてみた。こんな機会、逃したら二度とないだろう。

 ぷよぷよしているが、ちゃんと固さのある顎下だった。


「気持ち、よさそう、だ」


 先ほどの男が、隣に立った。黒髪を靡かせ、赤色の目がこちらを見据えている。その男は幼さを残した笑みを見せ、ふわりとこちらへ微笑んだ。

 

 なんだろう、この人を知っている気がする。

 

「……この子の気持ちがわかるんですか?」

「うん」

「グアアアッ」


 男はドラゴンを見て鼻で笑った。


「…………もっと、触れてほしい、って」


 でも、ドラゴンは大きく横に首を振っていた。

 きっと親しくない人に触れられたくないのだろう。


「嫌なことはしないよ」


 ドラゴンは落ち着いたのか、長く息を吐いて顎を地面につけた。


「…………どうして、バルコニーから、落ちた、の?」

「あ……えっと……」


 突き落とされる前の記憶が、今私が持つ記憶と融合を始めた。どんどん頭の中に、私が転生する前のベアリー・ベストの記憶が流れ込んできた。

 

 そして、バルコニーから落ちる前……。


 

◆◇◇◇◇



 この小説が始まる前、たった三行の描写に詰まっている物語と、ベアリーが生きてきた記憶が重なる。まだヒロインであるアレアーヌ様が、キセに目をつけられていない時だ。

 

 アレアーヌ様と共にこの夜会会場である王宮へ着いた後。

 ベアリーが壁の花になっていると、突然キセの取り巻きに絡まれたのだ。


「ちょっと、ベアリー様。今いいかしら?」

「侯爵令嬢からのお呼び出しなんだから、光栄に思いなさいよ」


 気弱なベアリーは自身の伯爵家という身分と、彼女の取り巻きの目を気にして断ることができず、人目の少ないバルコニーへと連れ出された。

 

 重たいカーテンを開けた先、夜空の下でキセの憂さ晴らしに付き合うことになる。


 そこに艶やかなドレスを身にまとったキセがいた。真っ赤なドレスが夜に映える。

 

 キセ・プランドール侯爵令嬢。

 小説では悪役で、ラスボス。欲の権化と言っても差し支えないほど、手に入れるものはなんでも最高級のものでないと、気が済まない女だった。

 だから公爵様に固執し、公爵様に近づく女は全員敵としていた。


「きゃっ」

 

 後ろから髪を掴まれ、抵抗も虚しく取り巻きに腕を固定された。


 そしてベアリーは、公爵様とはなんの接点もない人間だった。ただ、両親が友人であるというだけで、当の本人は会ったことすらない。


 キセはそれすら、気に食わなかったようだ。


「ようこそ。ベアリー。そのドレスのコンセプトは何かしら」


 彼女がこうなるとき、決まって彼女の人間関係や事業が上手くいっていないのだ。だからベアリーは、常にキセの情報を集め、対策をしてきた。


 今日は、公爵様にダンスの相手を断られたことが、引き金だった。


「質素倹約ですわ……」

 

 今日なんて目立たないように、細心の注意を払って質素なドレスにワンポイントの宝飾だけだった。


「これのどこが質素?」


 キセは、ベアリーの頰をキツく掴んだ。

 

「こんなことおやめください、キセ様」

「あんたが、やけに目立つドレスをきているのが悪いのよ?」

「そんなつもりはありません!」


 その叫びはいきり立っているキセに届くことはなく、そのままベアリーは欄干へ投げ飛ばされ、背中を打ち付けた。

 それを見た取り巻きたちが、くすくすとおかしなものを見るように笑った。


 よろよろと立ち上がり、欄干に手をつく。


「……キセ様、こんなことをして、公爵様が振り向くとでも?」

「……は?」


 キセの目が見開かれた。


 珍しくベアリーは、理不尽への苛立ちを表に出してしまった。いつもなら大人しく、憂さ晴らしに付き合ってくれるサンドバックだったベアリーが、この時初めてキセに物申したのだ。


 それも、キセが一番触れられたくなかったところを。


 取り巻きたちが、息をのむ音が聞こえた。


「馬鹿にしやがってえええ!!」


 どれだけ時間が経ったかわからない。


 その間ずっと、蹴られ、殴られ、踏まれた。


「お前なんて消えろ!!」

「……」


 荒々しい声に、ベアリーの身体はピクリとも反応しなくなっていた。


 まるで、屍のように。

 

 キセはそれがつまらなかったのか、ベアリーの身体をいとも容易く持ち上げ、欄干の向こう側へとベアリーを押し出そうとした。

 

「ちょっとキセ! それはまずいよ!」


 キセは取り巻きの制止も聞かず、無抵抗なベアリーの身体を押し続ける。


 そして、欄干から投げ捨てられた。

 

「ベアリー!!」


 そして、王宮の灯りがぐるりと一回転したと思えば、私の体は欄干を飛び越えて宙を舞った。

 


 

「という感じで私はバルコニーから真っ逆さまに落ちてしまったのです」

「…………そう。大変、だったね」


 いや、終わったことはもはやどうでもいい。私はキセの暴力暴言は受けていないから、そこまでの恐怖心はない。

 

 それよりも、自分が生きていることの方が不安だ。

 ベアリーが生きていることで、この小説に与える影響はどんなものだろうか。このイベント自体、小説のストーリーから大きく逸れている。


 もし、よくある小説の強制力が働くのならば、私は必ずキセに殺されることになる。


 いや。死にたくない。

 どうにかして、私の死を切り抜けなければならない。


「……あの、あなたは?」


 男が困ったように眉を下げて聞いてきた。

 

 生きるために色々考えていて、隣にこの人がいることを忘れてた。

 

「申し遅れました。私、ベアリー・ベストと申します」

「ぼ……私は、レオン・シュベルト」


 レオン・シュベルトって、アレアーヌ様の恋人になる公爵様じゃない!


 ひゃ〜〜!! どえらいイケメンだこと! 


 実物はこんな感じなのね。小説だと隙を感じさせない人だったが、いまこうして実物を見ると、シャツのボタンを胸元まで開けているせいか隙を感じる。


 でも今、私がアレアーヌ様の恋人に出会ってしまうのは、どうなんだろうか。これも小説のストーリーから外れている。


 でも、でも、その後ろにいるドラゴンに会えなくなるのは惜しい! なんでこんなにも惹かれてしまうの。死にたくないけど、ドラゴンとの接点は欲しいわ。


 どうしたら自分の欲を満たせて、そして小説通りの展開にできる?

 

「大丈夫?」


 そうよ。ドラゴン好きを公言すればいいんだわ。そして公爵様には一切興味がありませんって示せばいいんだわ。

 

「……シュベルト公爵様、良ければ救っていただいたお礼をさせていただけませんか?」

「…………いらない」


 公爵様は小さく横に首を振った。

 公爵様じゃなくて、ドラゴンにお礼したいんだけど、伝わってないわね。

 

「私、生粋のドラゴン好きなんです! 救っていただいたドラゴンさんにお礼はだめですか!? 一度だけでも!」

「それなら、いいよ?」

 

 そう言って公爵様はクスクスと肩を震わせた。

 

 なんだろう。別に公爵様に贈るわけじゃないのに、公爵様が嬉しそう。


「あ、あの……。公爵様」

「ん」

「この子のお名前を、お呼びしてもよろしいでしょうか」

「いいよ。アフエンって呼んで」

「ア、アフエン……」


 その声に反応するように、ドラゴンの鼻先が近づいてきた。

 

「アフエンは、何が好きですか?」

「花」

「お花。意外ですね」


 獣とか言われるかと思った。


 花なら、伯爵領に群生地があるってベアリーの記憶が言っているわ。集めるのは苦労しなさそうね。


 すると遠くから自分の名前を呼ぶ声が聞こえた。


「ベアリー様!」

「ここにいます!」


 衛兵が甲冑を鳴らして走ってきた。

 私を見つけた衛兵は、安堵したのか膝に手をついて肩を上下させた。

 

「ご無事ですか!」


 衛兵は、喜びに満ちた顔を上げた。そして私の隣にいる人を見て、一歩退いた。


「ひっ……、レオン公爵……」

「…………ん。彼女を突き落とした、人。だれ」

「それは……」


 公爵様は衛兵の失礼な態度を気にすることもなく、ただじっと凍てついた視線を衛兵に送っていた。

 衛兵は言いづらそうに、口をもごもごさせる。私の口から言えばいいものの、少しくらいキセが痛い目見ればいいと思って、黙ることを選んだ。


 そして、キセにも闇落ちしてもらわないと困るのだ。ベアリーにしたことより、もっとひどいことができるようになってもらわないといけない。

 

「ねえ! あの女死んでた?」


 キセは軽い足取りで庭園を闊歩していた。

 

 まさか、キセ本人が来るとは!


「あ、これは、レオン様……。違うのです、彼女が勝手に落ちたのです!」


 公爵様はまだ何も言ってないのに、白状するのはやっ。

 

「…………死にたくないと、叫びながら、飛び降りる人間が、いるのか?」


 え、これは断罪シーン? ここでキセが退場するのは、小説的には困るのでは?

 

 何とかして、キセがこの場で断罪されないようにしないと。

 それよりも私の後ろが気になって仕方がない。背後からものすごい鼻息が聞こえるのだけれど、これはただの突風ですか?

 

 おずおずと、後ろから聞こえる荒い鼻息に振り返る。


「アフエンさん!?」


 アフエンの口の両端から、チリチリと炎が溢れていた。


 主人を守ろうとしているのね! なんて健気! でも今はだめ!

 

「アフエンさん、落ち着いてください。キセ様は悪くありません」


 私はドラゴンの口元に抱きついた。

 

 そう。ただ小説のストーリーに則って、彼女は私を突き落としたにすぎない。


「グアアアアッ——!!」


 うわあああああ、唾液!


 ドラゴンの咆哮と共に、粘度の高い唾液が勢いよくドレスに飛んできた。

 

「キャァァァァア!」


 キセはガタガタと震えながら、耳を塞いでその場にしゃがみ込んだ。


「食べられるッ……」


 アフエンが後ろに一歩退いた。

 人間の言葉を理解しているのか、目を細めてキセから距離を取ったのだ。

 

 なによ、あんただって散々ベアリーに酷いことしたくせに! これじゃあ何もしていないアフエンが悪者みたいじゃない。

 

「この子はそんな子じゃない!」


 アフエンの前で腕を広げ、キセにそう叫んだ。


「な、何よ!」

「私はこの子に助けてもらったのよ! それが証拠でしょう!」

「それでも、わたくしの従者の腕を引きちぎって食べたのよ?!」


 好物が花だっていうこの子が?

 私が言い返そうとする前に、公爵様がキセに食って掛かった。


「あの時は違う! 普通は、人、食べないっ!」


 公爵様が、キセに牙を向くように喉を鳴らした。

 

「グオオオオッ——!!」

「あ……。ごめん、なさい」


 公爵様がシュンと頭を下げ、アフエンの方を向いて謝った。

 

 これじゃあ主従関係が逆転しているみたいじゃない!


「…………と、とにかく。二度とお前は、私の前に、現れるな!!」

「わ、わかりました!! ベアリー! 覚えていなさいよ!」


 なんで私に責任転嫁するの! ていうか、あっさり引きすぎ!


「…………もう帰る」

「公爵様。いつかお礼に伺います!」

「…………好きにしろ」


 公爵様はアフエンに乗り、飛んで行ってしまった。

 

 その場に残された私は、ドレスについた唾液を落とすために噴水へと向かった。


 だんだんと冷静になってくると、私がしたことは正しかったのか分からなくなってきた。この小説の中の人たちからするとドラゴンは畏怖の対象で、恐怖することは仕方のないことだった。


 そして、脇役のくせに出しゃばり過ぎた気もした。



◆◆◇◇◇



 あの後の夜会は地獄だった。


 まず、修復不可能なまでにぐちゃぐちゃになっていた。茶色の髪がぴょんぴょんと跳ねていた。

 貴族の髪形はどうしてこうも複雑なのだろうかと思いつつ、キセにやられたのだから彼女が直すべきでは、とも思った。


 王宮の侍女に即席で治してもらって、難を逃れた。

 

 そして会場に戻るや否や、キセが事前に話したのだろう。私が悪者となっていた。公爵様に色仕掛けをしていただの、公爵様に助けてもらうために自ら落ちただの、散々な言われようだ。


 だがしかし、今のベアリーには何一つ効かない。


 なぜなら私が入っているから!


 残念だけど、キセは公爵様とはくっつかない。アレアーヌ様が公爵様の恋人になるのだから。変えられない運命だってあるのよ。


 そう、私がキセに殺されるという運命も、きっと。

 もし私が現実世界で死んでいないのだとしたら、甘んじて受け入れたい。だが、本当に死んでしまっていて、私がここにしかいないとしたら。次はどこに行くことになる? このまま終わり?


 そんなのいや。だから死にたくない。

 

 まずは小説の内容を思い出そう。


 この夜会にアレアーヌ様はいるけれど、今回はお酒に酔ってすぐ帰るのよね。だからもういない。そして、公爵様も帰った。


 じゃあ、私がここにいる意味、もうなくない? 帰ろ。


 侍従を呼び止めた。

 

「帰るから馬車を呼んでちょうだい」


 あんぐりと口を開け、驚いたような表情をされた。なんでよ、普通のことを普通の顔で言っただけなのに。


 そうして私は夜会を後にした。

 

 そういえば、アフエンって小説だと公爵様のために殺戮兵器になるんだっけ。

 アレアーヌ様は平民だったが、伯爵夫人を道端で救ったことから、伯爵の養女となる。しかし貴族社会で平民の血が流れている存在は異質で、彼女は暫く馴染めないでいた。ベアリーという存在がいたが、それで周りは満足しなかった。公爵様はそんなことは気にせずアレアーヌを慈しみ、血筋に固執する家臣や貴族たちを、アフエンに焼き払わせるというラストが待っている。


 溺愛の結果だと言われれば、それまでだ。


 だけどそんなの、あんまりよ。


 小説の中では、アフエンの気持ちは語られなかった。ただ、今生きているアフエンを見て思う。


 ドラゴンだけど、怖くなんてない。誰よりも優しいと思うわ。



◆◆◇◇◇



 夜会を終えた後、私は怠惰に塗れた生活を送っていた。


 寝台の脇にある紐を引けば誰かが来てくれるし、料理も決まった時間に運ばれてくるし、入浴もお手入れも侍女がしてくれる。至れり尽くせりの生活を満喫していた。


 アフエンへのお礼より、まず生活になれることを優先しただけ。決して怠けているわけではない。


 そんなある日。

 ぬくぬくと布団の中にいた私を、侍女は叩き起こして静かにこう言う。


「ベアリー様。アレアーヌ様がお見えです」


 アレアーヌって、この小説の主人公じゃない!


 私は布団から飛び出し、髪を手櫛で梳かした。


「お通ししてちょうだい! あ、準備するからちょっと時間を頂いて!」

 

 秒速で準備を終え、私はついにヒロインであるアレアーヌと対面することとなる。

 

「ベアリーさま!」


 なんと可愛らしい方なの!


 薄ピンクの髪をサラサラと靡かせ、潤む瞳でこちらを見上げている。鈴の転がる声で名前を呼ばれた私の心臓は、一度大きく跳ねた。


 あ、見惚れている場合じゃない。挨拶はちゃんとしないと。

 

「アレアーヌ様、ご機嫌よう」

「あっ、ご機嫌よう。それでベアリーさま、あの時の夜会! バルコニーから落下されたと聞きました。大丈夫でしたか?」

「えぇ。レオン公爵様のドラゴンに助けていただいたんです」

「まあ! あの公爵様のドラゴンですね! ドラゴンは気性が荒く、主人以外には誰にも懐かないという……」


 確かに、小説にもそんな描写があったような、なかったような。


 まあ、ドラゴンの懐柔を試みている途中だなんて言ったら、驚かれてしまうでしょうし。ここは知らないふりが一番。


「確かに、(多分)主人の命令で助けていただきました。もし公爵様が恐ろしいお方だったらと思うと、ゾッとします」

「えぇ。最近なんて、特におかしいと言われてますから! 幼体化されているだとか、記憶喪失だとか」


 へぇ、そんな風に小説のなかの公爵様は言われていたのね。確かに子どもっぽい一面も、小説にはあったかも。


「あと、契約したドラゴンに体を乗っ取られたんじゃないかって噂もあるんです!」

 

 まって、貴族のあられもない噂をこんな大声で話していいものだっけ。ベアリーの記憶が警鐘を鳴らしている、気がする。

 

「アレアーヌ嬢、少し控えめに……」

「ごめんなさい……」

「いいえ。それで、おかしいと言われているんですか?」

「はい。あとあと、最近の公爵は、妙に色っぽいらしいんです」

「い、色っぽい?」

「いつも肌は見せない禁欲的な方が、最近は着崩しているんです」


 思い返してみると、着崩していたような……。


「なにより、喋り方です。喋り慣れていないというか、言葉そのものを理解していないような感じで……」

「それはわかります。会話がワンテンポ遅れる感じ。考えているというより、答えを待っているような」


 気にしたことはなかったが、言われてみれば、という違和感だけど。

 

「さすがベアリーさまです! わたしもそう思っておりました!」


 アレアーヌはテーブルに拳を落とし、前のめりになって必死にそう言った。


 なんで貴女がそんなに必死なのよ、と思ったのは内緒。


「アレアーヌ様から公爵様に聞いてみたら?」

「いやですよ? 興味ないですし」


 意外とアレアーヌはさっぱりしてるんだ。


「逆に、ベアリーさまが今度の舞踏会で聞いてみてください!」

「舞踏会?」

「えぇ、三ヶ月後の舞踏会が、わたしの初めての舞踏会になります!」


 あ、そうか。

 次の国王主催の舞踏会が、アレアーヌ様の初めての舞踏会になるんだ。

 そこで初めて公爵様と会話し、ラストダンスを踊ることになる。今まで見ているだけの存在だった公爵様に触れて、アレアーヌ様はときめいてしまう。


 公爵様はアレアーヌ様の出自を心では馬鹿にし、見下していた。聖女の力を使って、伯爵家に取り入った女と。

 しかし、実際に出会ってみると聡明で、謙虚で努力家。公爵様は偏見を捨ててアレアーヌを見直し、その舞踏会以降から頻繁に逢瀬を重ねるようになる。


 そこで互いの弱さを補いながら、悪役であるキセを倒して幸せになるという結末、だった気がする。


 そうしたら今の私って、ものすごく邪魔じゃない? というか、すでに邪魔してない?


 残り三か月。この間にアレアーヌ様に聖女になってもらわないと、公爵様はアレアーヌ様を相手にしようとも思わないはず。

 

 いや、もはやストーリーは狂っている。なら、結末までの過程が、変わることもあり得るのでは。それなら私の手で小説の内容を変更させよう!


 アレアーヌ様は自分が平民出身であることを悩んでいる。後ろ盾も伯爵と弱く、社交界では立場が弱かった。そこをつけば、アレアーヌ様は私の案を承諾せざるを得ないはずよ!


「アレアーヌ様、舞踏会のパートナーは決まってるの?」

「実はまだで……」

「公爵様とかどうかしら? 国王に告ぐ権力者と舞踏会のパートナーになれば、あなたの悩みなんて一瞬で消えるわ。私、お願いしてみる」

「い、いいんですか……?」

「もちろん。友人のためならなんだってするわ。できれば王族の方がいいと思うんだけど、生憎私には伝手がなくて……」

「そんな! 十分すぎます!」

「では今度、公爵邸に行く用事があるのでその時、頼んでみますね」


 これで小説通りの結末になるはず。

 あとは、どうやって公爵様を説得するか。とりあえず、公爵邸に行くために、花をたくさん摘まないとね。


 

◆◆◇◇◇

 


 伯爵領から公爵領へは、馬車で向かった。

 

 馬車から見えた公爵邸を見て、思わず息をのんだ。公爵邸は、伯爵邸と比べ物にならないほど横にも縦にも大きく、綺麗で手入れが行き届いている。


 うちとは違うわ。さすが公爵邸。国王に次ぐ権力を持つ方だわ。


 公爵邸に着くと、公爵様が出迎えてくれた。忙しいだろうに、わざわざ出迎えだなんて謙虚な人だと思った。


 しばらく庭園を歩くと、大きな緋色の身体が見えてきた。夜に見た時とはまた違う、幻想的な雰囲気を纏っていた。


 これもこれでかっこいい!

 

「アフエンさん! この間のお礼です!」


 そうして抱えきれないほどの花を、アフエンへ差し出した。

 

「グルゥ……」


 アフエンは私の差し出した花束に、片方の鼻の穴を近づけた。

 アフエンが呼吸をするだけで、花がもぎ取られそうになる。花弁が数枚鼻の中へ入ったが、アフエンは気にしていないようだ。


 ただ目を細めて、ジッとこちらをみていた。


「お気に召さない? じゃあ、これは?」


 私は別の花束を差し出した。花の中にも好き嫌いがあるだろうと踏んで、様々な種類の花を用意してきた。


「フンス、フン」

「全部……?」

「グルゥ」


 口の端から涎がたくさん漏れ出ていた。


「ふふ、可愛い子」

「グアアアッ!」


 びちゃびちゃと唾液が飛んできた。おかげでドレスもベトベトだが、構わない。


 ドラゴンの珍しい唾液と、小説への軌道修正を考えたら、ドレスの一着くらい安いものだ。ベアリーのお父様、まだお会いしたことないけれど、ごめんなさい。

 

「……可愛いは、いや。かっこいい、が、いい」

「公爵様はかっこいいですよ? アフエンさんが可愛いんです」


 公爵様は口を尖らせ、アフエンは目を細めた。

 

 どうして、二人揃ってムスッとしているのだろう。


 はっ! エサ台を浮かそうと思ったのに、私の持ってきた花が思ったより少なくて幻滅してる!? 安心して、幌馬車三台連れてきたから!


「全部食べてください! 私が山で採ってきたものばかりです! 新鮮ですし、珍しいものもありますよ!」

「いいな」


 人間ってあんまり花、食べないよね?

 

「……この花、初めてみたんですが。あ、毒とかあるのかな」


 薄ピンクの不思議な花だった。伯爵領の隅に生えていたこの花が珍しくて、思わず採ってきてしまったのだ。


「それは!」

「やっぱり毒ですか?!」


 アフエンの口がそこまで迫っていて、思わず手を引いてしまった。


 毒を食べて死んでしまったらと思うと、公爵様の仕返しが恐ろしくて堪らない。

 

「グゥッ」

「…………ち、ちがう……。うん、食べる」

「そうですか。よかった」

 

 花束をドサドサと地面に置いていくと、ドラゴンは鼻先で草と花、蕾の選別を器用に始めた。


 なんて愛らしいのかしら。

 こんなに可愛い子が、恐れられているなんて。まぁ仕方のないことだけれど、キセの言っていた人の腕を、という話は小説にも出てこなかった。


 書く必要がなかった描写なのか、それとも、私が転生したことによるイレギュラーな出来事なのか。


 あ、いけない。お願いを忘れるところだった。

 

「公爵様、お願いがございます」

「…………なに」

「三ヶ月後の舞踏会、私の友人であるアレアーヌ嬢と、パートナーになっていただけませんか?」

「…………嫌だ」


 黒髪が激しく左右に揺れた。

 

「そう、ですか……」


 アレアーヌ様とパートナーになってもらって、私は小説のストーリーからフェードアウトが望ましいんだけど……。そうなるための最難関が、公爵様の説得なのよね。


「…………君のパートナーなら、いいよ」

「それには及びません。私はすでに決まっていますから」


 決まってないけど、アレアーヌ様と公爵様を引き合わせるにはこれしかない。アレアーヌ様には公爵様に会う事情もないし、無理矢理にでも出会わせないと……。


 また、死にかけるかもしれないもの。


「私より、アレアーヌ様の方が素晴らしい方です。公爵様にとってもお似合いだと思います」

「僕は、君がいい」

「グアアアッ」

「…………アフエンも、君がいいって」

「どうしても、だめですか?」


 負けちゃダメよ。どうしてもお願いして、アレアーヌ様とパートナーになってもらわないと。

 

「グアッ——」

「草が詰まりましたか!?」

「…………大丈夫。ただ、心臓にきただけ」


 公爵様はアフエンを一瞥し、冷たくそう言った。

 

「心臓!? それこそお医者様に!」

「平気。強いから、死なない」


 ツンとした表情で公爵様は言った。


「グオオオォォ!」

「…………ぼ、私が、そのお願いを聞いたら、君は、何を聞いてくれる?」


 来た! 勝ち確でしょう、これは!

 

 アレアーヌ様に公爵様(死の危機)を押し付けるみたいで嫌になるけど、小説の力を発揮すればなんとかなるのでお許しください。

 

「なんでも聞きます! 死ぬようなことと、悪事でなければ!」

「ふーん。…………いいよ、その人の、パートナーになってあげる」

「やったー!」


 これできっと、アレアーヌ様と公爵様が仲良くなれる! 

 そして私は小説の舞台から抜け出して、ひっそりと隠居するの。


「……ねえ。アフエンの水浴び、一緒に、行かない?」

「ええ!? いいんですか?」

「うん」


 死にたくないがために、とんでもない約束をしてしまった気がするけど、それはもういいわ。


 ドラゴンの水浴びなんて、絶対壮観よ!



◆◆◆◇◇



 森の中にポツンと湖があった。どうやらここは公爵領で、ドラゴン達の水浴び場となっているようだ。


 そして湖に着くなり、公爵様が一番最初に湖へと入った。


「じゃあ……」


 そう言うと、公爵様は外套を脱ぎ捨て、シャツに手をかけた。

 

「わっ」


 アフエンの尻尾がズルリと音を立てて、公爵様と私の間に置かれた。私の四方は、ドラゴンの体で塞がれてしまった。


 ドラゴンの監獄だ! なんて考えていると、アフエンと公爵様が何か言い争いを始めた。


「グアアッ!」

「別に、いいじゃん」

 

 竜語が理解できない私は、その間、ただアフエンの肢体を堪能していた。アフエンが叫ぶ度、鱗の下に隠れている肉体が震えるのが分かる。


「グアア、グアッ!!」

「わかった。下は履くよ」


 な、なに、公爵様、今全裸なの!?


 しばらくすると、アフエンの尻尾が動き、私は解放された。


 目の前にはエメラルドグリーンの湖が広がっていた。奥には山々が聳え立ち、無骨な岩と柔らかな森の緑、そして湖が一面に広がっていた。


 そして、とても気持ちよさそうなのだ。


「私も足だけ……」


 そう思い、ドレスを持ち上げて湖へと足を進めた。


「その怪我、痛む?」

「え?」


 公爵様にそう言われ、自分の足を見た。

 あざだらけだった。これはきっと、キセにつけられてきた傷だろう。一週間経っているとはいえ、まだ痛々しい傷痕が残っていた。


 グニリと、青タンになっている部分を抓った。皮膚の下がジクジクと痛い。


「……痛くありませんよ」

「そう。…………誰に、やられたの?」


 ここでキセにやられたと言えば、アレアーヌ様と共通の話題ができるんじゃないかな。そしたら馬車の中で会話が盛り上がったりして!

 

「キセ様に……」

「あの女」


 湖の温度が、一気に下がった気がした。


「…………ベアリーは、どうしたい?」

「そうですね。アレアーヌ様と公爵様の力を合わせれば、キセ様なんてどうってことないですよ!」

「ふーん。…………ずいぶん、あの人のこと、気に入ってるんだね」

「はい。確かに、まだ教養が足りていない部分もあります。ですが、とても素直な方で、真っ直ぐです。公爵様の好みだと思うのですが……」


 チラリと公爵様の方を見た。

 太陽の光を浴び、水面から反射する光にも照らされて、神々しく見える。

 

「グアアアアアッ!」

「…………もう、好きな人、いる」

「まあ! どなたですか? アレアーヌ様ですよね?」

「…………」

 

 公爵様が黙っていると、ドラゴンの尻尾の先がお腹に巻き付いてきた。まるで湖から出るように押され、私は素直に湖から上がった。

 

 ペチペチと尻尾の先を触ると、鱗が柔らかくて、プニプニしていた。奇妙な感覚に撫で続けていると、尻尾の先端がスルッと手から抜け、私のお腹を撫でるように動いた。


「どうしましたか? あ、お花があれでは足りませんか? 少しだけ待っていてください」

「グアッ、グアアアッ」


 なんだろう。今、ドラゴンに説教をされている気がする。


「わ、わかりました?」

「グウ」


 ドラゴンは納得したのか、喉を鳴らして寝始めた。


 あれ、あなたの水浴びに来たはずでは?



◆◆◆◆◇

 


「公爵様、大丈夫かしら……」


 公爵様は、アフエンにあの花を送って数日後。公爵様が療養するという知らせが、国中を回った。


 世の中の令嬢は、次の舞踏会で婚約者を選ぶために公爵邸の門が閉ざされているのではと、そわそわとしていた。


 それなら見合いでもするでしょうに、と思いながら、私は寝台に寝転んで今後の計画を練っていた。

 

 公爵様は寡黙で、少し不思議な方。

 それでも冷徹公爵と呼ばれるだけはあり、あの湖での瞳を思い出すだけで、時折心が凍りそうになる。


 そして、小説を思い出してしまう私は、違う意味でゾッとする。


 

 小説での公爵様は、アレアーヌ様の愛し方がわからなかった。

 最初は、アレアーヌ様に危険がないように囲い、巣に閉じ込めるような形で彼女を閉じ込めた。だが、アレアーヌ様は真正面から、公爵様に歯向かったのだ。


『閉じ込められるということは、わたしが信用されていないということでしょう!?』


 公爵様は言う。


『周りが、信用できない。だから、アレアーヌはここに、ここに骨を埋めればいい』


 アレアーヌはゾッとしながらも、彼の愛し方のわからない不器用さにときめいていた。

 


 ときめくかねぇ……。私なら、束縛激しすぎて無理だなぁ。まあ、そんなことは絶対ないんだけどね。

 

 そんなことより、アフエンに何かあったのではないだろうか。


「お花を送って、アフエンさんに気に入られたら、いっぱい会えると思ったのに……」


 公爵様に近づいたのは、完璧なる下心からだった。半分はかっこいいドラゴンに気に入られたいという気持ち。もう半分は、主従関係にない人間が、ドラゴンと親しくなれるってすごくない!? というもの。


 この下心は、隠さなければならない。


 だってバレたら、余計にドラゴンから遠ざかってしまうかもしれない。あんなにかっこいい生物がいるっていうだけで、この世界にいる価値があるのよ。

 それに、敵意がないことが、自然と伝わってくるのよね。


「お見舞いにでも行こうかしら。迷惑かなぁ」


 アフエンはどこで飼われているんだろう。あんなに大きな身体なんだから、犬小屋みたいなのには入らないだろうし。

 公爵邸に近づけば、アフエンに会えるんじゃない?


 私は寝台の傍にある紐を引いて、ベルを鳴らした。


「今から公爵邸に行くわ!」


 そうして準備を簡単に済ませ、馬車に揺られて数時間。


 相変わらず、でかい……。


 アミューズメントパークに来ている夢を見ている気分になるくらいに。


 そして、門番の前に私は立った。


「あの、公爵様にお会いしたいのですが」

「申し訳ありません。この門を開けるわけにはいきませんので、お引き取りください」

「では、アフエン様にはお会いできませんか? お願いします!」


 私は渾身の土下座をしてみせた。

 門番は小さくため息をついた。

 

「………………少々、お待ちを」



 なーんだ、普通に入れるじゃない。公爵様にはお会いできないみたいだけど、私の目的はアフエンさんだし。


「アフエンさん! こんにち、っ〜〜!?」


 驚愕の事実に、思わず声にならない声を出してしまった。


「い、犬小屋ぁ!?」


 そう叫ぶと、犬小屋みたいな小さな小屋から緋色のドラゴンが出てきた。


 目はまんまるで、小型犬のように小さくなっていて、明らかにデフォルメされていた。

 

「キュル?」


 思わず膝から崩れ落ちた。


 そんな、こんなに誉に満ち、威厳に溢れたドラゴンが。まさか、本当に犬小屋みたいな小さな家に住んでいるとは——。


「ど、どうしましょう……。ご不便はございませんか?」

「キュゥ!」


 何もない、と言わんばかりの声を上げ、私は思わず身体を持ち上げて抱き寄せた。


「健気……」


 鱗だからか、ひんやりとしている。それがまた気持ちが良かった。


「ギュー」


 いけない、こんな良いようにしては。

 

 そう思い、膝の上に小さなアフエンを下ろした。膝の上を踏まれる感覚さえも愛おしく、この子も生きているのだと実感する。

 

 アフエンは私の膝の上で、猫のように丸まって寝始めた。


 なんて可愛らしいの!


「今とっても幸せです」

「キュウ!」


 私の言葉に呼応するように、アフエンも高い声を出した。


 

◇◇◇◇◇



 あっという間に三ヶ月後の舞踏会。

 国王主催で、国の令息令嬢たちが一同に集まる、大きなイベントの一つで、小説内でもとりわけ大イベントとして扱われていた。


 それはもちろん、ヒロインであるアレアーヌ様と、ヒーローであるレオン・シュベルト公爵の出会いとなるイベントなのだから当然ね。

 


「ベアリーさま! 本当にありがとうございます」


 私は今、アレアーヌ様に泣きながら感謝されている。


 それもそのはず、公爵様がアレアーヌ様を迎えにいき、この舞踏会の会場までエスコートしたのだ。そうすれば必然的にアレアーヌ様と、公爵様の間に一つの噂が流れる。


 レオン・シュベルト公爵は、平民の血を引く伯爵令嬢アレアーヌが貴族社会へ足を踏み入れることを認めた、と。貴族社会に馴染めていなかったアレアーヌ様にとっては、素晴らしい後ろ盾を得たことになる。


「そんな、感謝されることのほどでは……」


 しかし、当の私は下心で動いていたので、感謝されるほど心が痛んでいた。

 

 死にたくないから貴女を利用した、なんて言ってしまえば、アレアーヌ様に失望されてしまうだろう。

 それにキセの嫉妬の矛先が、アレアーヌ様へと向くことだろうし、彼女の負担が大きくなるのは間違いない。早めに聖女の力を得てもらわないと。

 

「ちなみに馬車では二人きりだったんですよね?」

「いいえ、ドラゴンが一匹いました」


 わあ! アフエンも来ていらしているんだわ。あとで会えないかしら。


 それは置いておいて。


「それで、なにかお話はされましたか?」

「そうですね……。パートナーになっていただいたことへの感謝と、ベアリー様についてくらいです」

「わ、私? もっと別の話は……?」

「そんなのありませんよ!」


 アレアーヌ様はケラケラとお腹を抑えながら笑った。


「あは、あはは……」


 対して私は笑えなかった。頰が引き攣り、うまく笑えているかどうか……。


 ちょっと、ちょっと待ってよ! これじゃあ小説のストーリーに戻っていないってことじゃない!


 まずい。このままじゃ死ぬことになる。

 全てが未確定になってしまったこの小説内で、死ぬのかすらわからないが、とりあえず大筋は戻さないと。


 どうしたら二人のイベントが発生するのよ!

 

「ところで、公爵様は?」

「それが、ファーストダンスを踊った後、どこかへ行かれてしまって」

「なんてこと! 探しにいきましょう!」


 私はアレアーヌ様の手を引いて、城内をくまなく探した。

 休憩室、お手洗い、庭園や広間——。

 


「ベアリー様、もう諦めましょう……。わたしたちが探せる範囲は全て探しました」


 そんな、嫌だ、死にたくない!


「というか、キセ様って今日いらした?」

「いいえ? ベアリー様を突き落とした事件のあと、キセ様は階段から落ちて大けがをされたとか」


 なにそれ、そんなストーリ聞いてない。キセが大けがをするのは、アレアーヌ様に突き落とされたと嘘をつくときだけ。それも仮病!


 でもこの舞踏会に来ていないってことは、仮病ではなくガチ。


「おや。こんなところに」


 その声に、全身の血が跳ねた。


 な、なに。いつもと違う、振り向くのも恐ろしいほどの威圧感。

 

「……こ、公爵、さま。ご機嫌よう」

「…………ご機嫌ょぅ」


 アレアーヌ様も小動物のような、弱々しい声で挨拶した。

 後ろを向いている私でさえ、振り向くのが怖いのに、対面しているアレアーヌ様はもっと怖いわよね。首をギギギと音が鳴りそうなほど、ゆっくりと回した。

 

「探されていたようなので」


 なんだろう。柔らかくない、とでも言おうか。


「何か、ご用でも?」


 にこりと微笑むその顔も、筋肉質な胸が見えているのも、以前と変わらないはずなのに、どこかヒリヒリとする空気が流れている。


 その変化を察したのか、アレアーヌ様が手をぎゅっと握ってくれた。

 だから貴女はヒロインで、あの冷徹公爵を溶かすことができるのね! そのまま今の公爵様も追い払ってください、ヒロインパワーでお願いします。


「ベアリーさま、ご安心ください。わたしがなんとか」

「耳打ち? 仲、良いんだね。手も繋いでさ」


 なに。

 本当になに。


 まさか、公爵様に殺される?


「わたしとベアリーさまは、旧知の仲なのです!」

「ふぅん。……約束、忘れていなければ、なんでもいい」


 ただそこにいるだけなのに、謎の威圧感。それも私に向けての。公爵様は眉間に皺を寄せ、ただでさえ底冷えするような目をしているのに、今はもっと冷たく感じる。

 

 心当たりが多すぎて、なにを謝ればいいのか見当がつかない。


 公爵様は腕を組み、短く息を吐いた。


「アレアーヌ嬢、疲れたんだけど」

「は、はい?」

「帰りたいんだけど」

「まだラストダンスすら終わっていません! 帰りません!」

「……はあ。休んでる」


 公爵様はそう言って翻り、休憩室へと入っていった。


 それを見た途端、ブワッと脂汗が出てきた。


「ベアリーさま、大丈夫ですか?」

「え、ええ。今日は諦めましょう……」

「なにを諦めるんですか?」

「……こちらの話です」


 しまった。つい口走ってしまった。


 あなたと、公爵様を今日引き合わせるのは、やめた方が良さそうね。



◆◆◆◆◆

 


 あー、いやだ。これって結構詰んでない?


 現実逃避のために、私は天蓋付きの寝台で大の字になっている。


 舞踏会が終わって、アレアーヌ様と公爵様は小説通りラストダンスは踊っていた。

 でも、二人の帰るときの空気感。思い出すだけでゾッとするほど、冷え切っていた。美男美女が笑い合っているのに、漂う空気に触れると腕が切れそうな感じ。

 

「お、お嬢様! 公爵様がお越しです!」


 ドタバタと音を鳴らして、侍女が部屋に滑り込んできた。

 

「公爵様?」


 


 わざと時間をかけて準備をした。

 その長い準備の間に、帰ってくれないだろうかと思ったが、どうやらまだいるらしい。


 侍女たちの「早くしろ」という無言の圧に耐えかねて、渋々公爵様のもとへ向かうことにした。


 会いたくないよー。

 もしかしたら、今日がこの世界で生きる最後の日になるかもしれないと思うと、泣けてくる。


「はあ……」


 階段の下に続く玄関ホールに、公爵様がいた。

 公爵様は、いつもよりきちんとした身なりだった。ボタンを首元までしっかりと閉め、髪も丁寧に纏め上げられている。

 また、先日とは違う雰囲気を纏っていた。


 階段を降りるのが億劫。降り方を忘れたと言い訳したい。


 ボーッと佇む公爵様を見ていると、パチリと目が合った。


「やぁ。久しぶり、とでも言おうか」


 ニヤリと公爵様が微笑んだ。


「あの時は随分、俺を可愛がってくれたじゃないか」


 なんの話だ。公爵様を可愛がった記憶はないし、そんなことしたら忘れない。


「私は公爵様には、なにもしておりません」

「してくれたじゃないか。俺を庇い、そして花まで贈ってくれた」

「それはアフエンにであって、公爵様にでは決してありません」

「だから、くれたではないか」

「珍しいお花をお贈りしただけで、公爵様にはなにも」


 公爵様は、懐から綺麗に折り畳まれた紙を取り出した。

 

 そして、署名済みの婚姻届を目の前に突き出してきた。


「なにこれ!?」

「あの花は俺への求愛ではなかったのか? だからそれに応えようと思って」

「きゅ、求愛って……。先ほども申し上げましたが、あれはアフエンに向けた贈り物であって、公爵様へでは……」

「俺の背中に乗って、かっこいいと言っていたではないか」


 俺の、背中……?


「え……? え!?」

「君を助けた時、公爵は俺じゃなかった。ドラゴンの中に、本物の公爵がいた」


 じゃあ、あの時の公爵様は、誰?


「てことは、あの時の公爵様は公爵様じゃなくて、ドラゴンが公爵様だったってこと!?」


 自分で言っていても意味がわからない。だが、公爵様は頷いている。


「君が会っていた公爵は、あの時アフエンの魂が入っていた。そしてドラゴンに俺の魂が入っていた」

「つまるところ、魂が入れ替わっていたと」

「そういうことだ」

 

 納得した風にしているけど、全然納得していない。

 だってそしたら、私のしてきたことは全て無意味だったってことでしょう?


「どうして、それを誰にも言わなかったんですか?」

「公爵の中にドラゴンの魂が入っていると知られてしまえば、そこに付け入ろうとする馬鹿が現れる。現に、アフエンは子どもっぽくて、俺の言うことを聞かない時もあった」

「な、なるほど……」

 

 小説の中の公爵は、ぶつ切りの言葉ばかり話すが、政務をしっかりとこなし、ドラゴンと共に国の窮地を救う。それがこの小説のヒーローである公爵様の姿だ。じゃあ小説の方は、二人の魂が正しい位置に戻らないまま、結末を迎えてしまったのね。


 待って、『ドラゴン公爵と聖女様』のドラゴン公爵って、ドラゴンと公爵じゃなくて、そのままの意味だったってこと? ドラゴン(である)公爵と聖女様ってこと!?

 

 そしてその意味が回収されずに完結したってこと?


「あ、あの! いくつか質問が!」

「ああ」

「公爵様が療養中の時、アフエンに会いにいったのですが、その時はどちらですか?」

「ふむ。その時は既にこの身体に戻っていた」


 あの時は既に戻っていたんだ。だから身体が小さかったのかな。


 というか、公爵様がぶつ切りで話していたのって、アフエンが人間の言葉を喋り慣れてないってことだったのでは。


 そう考えればかなり辻褄が合う。

 ワンテンポ遅れて答えが返ってくるのは、ドラゴンに入っていた公爵様に指示をされていたから。公爵様が柔らかい雰囲気だったのは、アフエンの性格が見えていたから。


 小説で公爵様が冷徹だったのは、アフエンがドラゴンに入っていた公爵様に指示されていたからなのね。そして公爵様は、自らを悪者にしてまで、聖女であるアレアーヌを守り抜いた。


「この身体に戻ってから一ヶ月は、長く寝込んでいてな。その間の政務をその次の月に回したせいで、療養が長くなった」

「ではあの舞踏会の時は、どちらだったんですか?」

「ああ、よく演じきれていたと思わないか?」

「は?」

「人が大勢いたから、アフエンが入っていた時の俺を演じていたんだ。プロポーズも兼ねて、二人きりの時に明かそうと思って」


 あれだけの威圧感を放っておいて、アフエンが入っていた公爵様を演じていたつもり!?


「あの花を食べたら、お互いの魂があるべき場所に戻ることができたんだ。やっと、あの花のお返しができる」

「いや、いらないです! お礼なんていらないです!」

「いいのか? お前のだーいすきなドラゴンに、二度と会えなくなっても」


 確かに会えなくなるのはいや! いままでしてきたことが、全て裏目に出て、小説通りの結末の妨げになっていただなんて、到底立ち直れない! 癒してほしい!


 けど、公爵様はアレアーヌと幸せにならないと、私がたぶん死ぬ!

 

「俺と結婚すれば、好きな時に好きなだけあいつに会えるようになる」

「それは……、とても魅力的ですが……。他にもドラゴンはいますから!!」


 力が足りないかもしれないが、愛と勇気さえあれば主従契約できるかもしれない。


「………………断ると言うのか」

「逆に私より、もっと素晴らしい人間がいまして。アレアーヌという名で」

「君より真っすぐな人間が、いるというのか? 君のその真っすぐさ、謙虚で真面目で、人を思いやれる。そんな君より真っすぐな人間はいない。そんな君だから、俺は惚れたんだ」


 そんな脇役の私が、公爵様に惚れられるって何事!? 公爵様の勘違いってことにできないかな。

 

「なっ、なんの話ですか?」

「俺が、君に、惚れた、という話だ」


 待って。小説にもあった、公爵様がアレアーヌ様に惚れた理由。もしかして、そのすべてを私が奪っていたってこと……?


 そしてたぶん、断ったらいろんな意味で殺される!

 

「ま、まずは友達から……」

「ふむ。結果は俺の行動次第というわけか。まぁ、いいだろう」


 納得してくれたみたいでよかった。

 いや、よくないんだけどね?!


 その清々しさに、思わず頷いてしまいそうになった。


 公爵様は婚姻届けを懐にしまい、私の両肩に手を置いた。そして鼻先が触れそうなほど距離が近くなる。


「これからはよろしくな。友人として、そして未来の公爵夫人として」


 逃げられる未来が見えないんですけど!? 


 死にたくなかっただけなのに~~!!



 

読んでくださりありがとうございます。

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― 新着の感想 ―
ただの冷徹な公爵と、彼が従えるドラゴンの話だと思いきや、実は「最初から二人の魂が入れ替わっていた」という設定の開示が鮮やかすぎます。 これによって、前半の「公爵のたどたどしい口調や子供っぽさ」や「なぜ…
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