81.イリュソリヤ魔術学院、入「国」
テオドアが、あまりにも振り回され続けた『準備期間』のことを語ると、精霊のロムナは微笑ましげに目を細めた。
「テオドアさまは、さまざまな方に思いをかけられているのですね」
「まあ、精霊たちはともかく、光の女神さまは面白がってるだけだと思うんだけどね……」
屋敷の自室にて、椅子に座り、髪を梳かしてもらっている。
それくらい自分でできる、と断ったのだが、「学院に行ってはお世話も充分にできませんので」と強引に押し切られてしまった。
十四――今年で十五歳になる身としては、気恥ずかしいことこの上ないが、ロムナが嬉しそうに櫛を選んでいたので良しとすることにする。
目の前に置かれた大きな鏡越しに、ロムナと目が合った。
「……わたくしなどが、女神さまのお考えを推察するなど、差し出がましいことですが……もしかすると、テオドアさまに、平穏な学院生活をお贈りしたかったのかもしれません」
「女神さまが?」
「はい。噂に聞くだけでも、テオドアさまは平穏とは程遠い生活を余儀なくされておられます。普通なら、魔力を発現することは、素晴らしいことなのですが」
テオドアにとってはそうではなかった。ロムナが言いたいのはそれだろう。
初めから魔力があると分かっていたなら、公爵家での扱いはいくらかマシだった。でもそうはならなかった。
〝依代〟候補者として、危険な戦いに身を投じる段になって初めて、魔力があることが判明した。
判明しないほうが、候補者から外されて、今よりは平穏に生きられたかもしれないのに。
「女神さまは、そのことをとても気になさっているご様子でした。ですから、この機を利用して、テオドアさまにしがらみのない平凡な生活を送っていただきたいのでしょう」
「平凡な生活……」
テオドアは、女神が作った膨大な設定を思い出した。
貴族の家庭に生まれながらも、社交界とは縁がなく。父と母が揃っていて、家庭の不和も少なくて。学院に通いたいと言えば、すんなりと送り出してもらえる環境。
なにを以って「平凡」とするかは分からないが、上流階級に限って言えば、これほど波風の立たない平和な家もないと思う。
鏡の中の自分の髪が、優しく整えられていく。
それを眺めながら、テオドアは、呟くように言った。
「……ヴィンテリオ公爵の処遇が決まったんだ。少し前のことだけど……急病に倒れたっていう名目で、アルカノスティア王国直属の小国に蟄居させられるらしい」
今の国王を殺して王家の転覆を図ろうとしたのは、王弟も公爵も同じ。
主犯の王弟と、手を貸しただけの公爵は、多少罪も異なるだろうが――極秘の処刑が決まった王弟とは違い、公爵は「〝依代〟の父親」だった。
それが、罪を決める上では、とても重要だったと聞く。
「〝依代〟の父親を、罪人にさせるわけにはいかないらしくて。だから命までは取られなかった。母さんは、基本的には『最高神の母神』の神殿で生活するけど、月に一度は公爵のいる小国に行くって……」
だからどうした、という話だ。テオドアには関係がない。
だと言うのに、訳も分からぬまま、口を突くままに事実を述べ続ける。苦しみもなく喜びもなく、ただ淡々と。自分が今、どういう感情なのかも分からない。
それを、ロムナは、黙って最後まで聞いてくれた。
「平凡な……人生って言われても、分からないよ。普通の父親と母親がどういうものかも分からない。学院に行って、もし、周りと違い過ぎて浮いてしまったら……」
潜入の意味がない。下手をすると、正体が看破されてしまうかもしれない。
テオドアがそう言うと、ロムナは手を止めて櫛を置き、椅子のそばに膝をついた。
「それでも良いのです。テオドアさまが、ご自分を抑えることなく、のびのびとされていれば。もちろん、ご依頼がこなせるに越したことはございません。しかし、それだけに囚われ過ぎていても、動きが不自然になって、周囲に余計な疑念を与えてしまうことになります」
そうして、彼女は、テオドアの左手をそっと握った。
「堂々となさいませ。例え失敗しようとも、貴方さまを責める者はおりません。女神さまも、わたくしを含めた精霊たちも。貴方さまの味方は、ここに必ずおります」
「……うん。そうだね。ありがとう」
いくらテオドアが、自己肯定をする力が弱いとは言え。
女神や、精霊や、あらゆる人たちから向けられる好意を信じられないほど、頭が凝り固まっているわけではなかった。
今も、言葉を尽くしてテオドアを励まそうとしてくれている。それが分かって、こんなにも嬉しい。
テオドアはロムナに笑いかけ、しかしすぐ眉を下げた。
「でも、偽りの身分のまま一人で生きるのは、やっぱり不安だな。うまく行くと良いけど」
「いいえ、ご安心を。一人で潜入するのでは――」
そこまで言って、ロムナははっと口を覆った。失言をしたらしい。
きょろきょろと周囲を見渡し、なにかを確認したあと、小声で付け加える。
「……とにかく、ご安心ください。お一人ではありません。行けば分かります」
「そ、そう……?」
分からないながらも、テオドアは頷いた。
どのみち、学院に行けば、なにか起こるのは確かなようだった。
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イリュソリヤ魔術学院。
――ヴェルタの王家が多額の出資をして、運営されている。
学舎としての水準は全世界でも類を見ないほど高く、優秀な少年はどこの国からでも入学を希望するという。
巷では、そこら辺の魔術学院を七年かけて卒業するよりも、イリュソリヤで一年を過ごすほうが実りがある、と言われることも。
ルチアノとは、潜入における打ち合わせも含めて、何度も書簡を交わした。
その中で、この魔術学院の凄さも教えられていたが――それが決して身びいきからではないのだと、身に染みて分かった。
「この街が……全部、学院なんだ……」
大きな荷物を抱えながら馬車を降り、門をくぐったテオドアは、その街を眺め下ろして目を見張った。
城があり、街を囲む壁があり、門がある。ごく一般的な、城下町の様相だ。
けれど、大きな城が『魔術学院』の校舎であり、地平の彼方まで広がる街並みがすべて『学院の一部』あるいは『姉妹校の建物』と考えると、とんでもない規模である。
「学院街と言うか、これはもう、国に近いんじゃ……」
学院の関係者や、それに付随する商売をする人々がいて、さらには警備のために兵士が常駐している。
大通りは活気が溢れ、人通りも多い。生徒らしき子どもたちの姿もある。
比べるものではないが、以前訪れたライルイン伯爵自治領よりも、よほど「国」らしい。
テオドアは、人にぶつかりかけて道の端に寄り、大きく深呼吸をした。
ここからはもう、テオドアは『テオドア』ではない。
(大丈夫、なんとかなるはずだ)
胸に手を当てて、少し早い鼓動を確認しつつ、目だけで自分の身なりを確認した。
下級貴族の子息らしい、質素だが質の良い服装。靴先に至るまで、架空の身分に合わせて徹底的に作り込まれた、精霊たち渾身の作品だ。
これが普段着や日用品にも及んでいるので、その仕事ぶりに感服するばかりである。
今は見えないが、髪も、目立たないように暗い茶色に染められている。
数時間に及ぶ議論を巻き起こしたが、結局、周囲に埋没することを考えてこの色になった。
初見で、自分を〝依代〟と看破するものはいないだろう。
「よし……」
気合を入れ、テオドアは大通りに踏み出した。
鞄の重みが左手に伝わる。まずは入学試験を受けて、合格すれば入学手続きが行えるらしい。
そのためにも、試験を受けるための人間が泊まる、専用の宿屋を見つけなくてはならない。
ルチアノからもらった地図を取り出してみたが、どうも同じような宿屋が近場に複数あり、どれがどれだか分からない。
しばらくぐるぐると歩き回り、悩んだ末、テオドアは近くの人に声をかけた。
「すみません、この宿って、どう行けば良いんでしょうか?」
「おお、いらっしゃい! 試験を受ける生徒さんかね?」
店先で本を読んでいた壮年の男性は、愛想良く笑って立ち上がった。
建物の中を見るに、教科書か、授業に必要な書物を取り扱っている店らしかった。
「ああいえ、試験を受ける前なので、まだ生徒では……」
「細かいことは気にすんなよ! この街に来たってことは、相当優秀なんだろ!」
「あ、はは……どうでしょうか……」
ちょっとノリが掴みづらい人だが、テオドアの行きたい宿への道を丁寧に教えてくれた。
「ありがとうございます。助かりました」
「生徒になった暁には、ウチの店を贔屓に頼むよ! 二割引きにするから!」
「えっ、それは、申し訳――」
テオドアが断りを入れようとした、その瞬間。
「――どォこ見て歩いてんだよ、クズゴミがよぉぉぉ!!!」
テオドアの背後、通りの向こうから、ガラの悪い叫び声が響き渡った。




