80.潜入入学作戦・準備中
「それで? どうしてお前が、身分を隠して留学することになった?」
その日の夜。
王子を含む使者たちを麓の屋敷に泊まらせ、テオドアは山の上に戻ってきた。
そこで待ち構えていたルクサリネに、女神の屋敷へと連れて行かれ、一部始終を話すこととなったのである。
言外に「説明しろ」と目で促す女神に、テオドアは考えつつ答えた。
「いろいろと案は出ました。先に帝国へ視察に行くとか、僕が学院に堂々と出向いて妙な動きを抑止するとか。……でも、根本から解決するには、〝依代〟の顔があまり知られていない現状を、利用したほうが良いと思ったんです」
「あの第二王子は、忍ぼうと思っても忍べないから、か」
「はい。潜入をするなら僕が適任です」
話を聞いて分かったが、ルチアノも、件の学院の卒業生だった。
どこの国でも、学院入学の下限は十歳。最短で学び切って卒業すると十七歳。
今年で二十歳になるらしい彼は、もちろんその道を辿ったため、学院関係者のほとんどに顔を覚えられている。
在学期間が被っていた者も、まだ相当数いるらしい。
「そもそも貴族階級が、自国の王子の顔を知らないのも無理がありますし……。ええと、無理なら別の作戦を考えますが……」
「いや、問題は無い。どうしてその結論に至ったか聞きたかっただけだ」
光の女神は、ふっと息を吐き、目を閉じてソファの背もたれに身を預けた。
「となると、潜入するために身分を考えなくてはな。設定は固めたのか?」
「少しだけ……ヴェルタ王家の遠縁で、数代前からアルカノスティアに移り住んだ家筋の子、という設定にしようかな、と」
「ふうん。無理はなさそうだ。王子が身元を保証するなら、疑う者もそういないだろう」
それからしばらく、女神は黙って何か思案していたが、不意に目を見開いて立ち上がった。
つかつかとテオドアの前にやって来て、勢いよく肩に手を置く。
突然のことに驚いていると、彼女はこちらの顔を覗き込んで言った。
「やるなら徹底的にやるぞ」
「え?」
「徹底的に設定を作り込む――安心しろ。協力は惜しまない」
言って、応接間の扉を振り返る。
合図も何もなかったはずだが、示し合わせたかのように扉が開き、女神付きの女性使用人たちが数人入ってきた。
「お呼びでしょうか、光のお方」
「ああ。テオドアを平凡な男子学生に作り変えたい。架空の身分も作る」
「承知いたしました。私ども一同、腕によりをかけて、〝依代〟さまを平凡な人間に作り変えます」
「え? あの――」
置いてけぼりを喰らったテオドアが、困惑気味に声を上げるが、それは全く無視された。
いつぞやと同じように、両脇を抱え上げられ、部屋から連れ出される。今なら抵抗はできるだろうが、後が怖過ぎる。
何もしないのがいちばん無難だと、直感してしまった。
テオドアが応接間から出される寸前、ルクサリネは美しく微笑んだ。
「こんな面白いこと、私にも一枚噛ませてくれなくては困る。そうだろう?」
女神の悪ノリ――もとい、熱心な協力により。
ルチアノたちがとうに帰った三日後には、「架空の身分」がほぼ完璧に作り上げられた。
テオ・カヴァルロ。
十五歳。ヴェルタ王家の遠縁に当たる家系の出身。アルカノスティア王国では全く社交界に関わっていなかったが、一応は貴族である。
テオ自身、学院に入学してのし上がろうという意識はなく、家庭学習でひと通りの知識を身につけるつもりでいた。
しかし、先の〝依代〟選出の折、魔力検査の間違いが起きていたという噂を知り、再検査。――想定以上に魔力を持っていたことが判明。
家庭学習では、とても賄いきれない。下手をすると暴走の可能性もある。
そういうわけで、父母の後押しもあり、ヴェルタの王家の伝手を頼って、学院に留学してきた。
「どうだ?」
「いや、どうだと言われましても……」
『設定』が書かれているらしい分厚い紙束を、楽しそうに抱えて持ってきた女神に。
立ったまま微動だにできないテオドアは、弱々しく言葉を返した。
「貴族という設定にすると、同郷の留学生がうるさそうだが……アルカノスティアの国王に話を通しておけば、なんとかなるだろう。いや、新しく貴族を作らせるなりしてなんとかさせろ」
「でも、了承してもらえるかどうかは……」
「心配いらない。お前は国王の恩人だからな」
「あ……はい、分かりました……」
女神は弾むような声で怒涛のように語りながら、ぺらぺらと紙をめくっていく。
話を聞くに、精霊たちの手を借りつつ、おおむねは一人で『設定』を書き上げたらしい。
その情熱はどこから……とはとても言えず、テオドアはただ頷くに留めた。
「ああそうだ、家系図も作った」
「家系図も!?」
テオドアは思わず身を乗り出した。
凄すぎる。情熱のひと言で片付けていいものでは無いのかもしれない。
しかし、女神が広げた家系図を覗き込む前に――後ろから襟を掴まれて、物凄い勢いで引き戻された。
「〝依代〟さま。採寸中です。じっとしていてください」
「……はい……」
すごすごと元の位置に戻り、両腕を上げる。
厳しい顔つきの女性精霊たちは、テオドアを取り囲んで、ああでもないこうでもないと言葉を交わす。時折、紐を体に当てて採寸するが、ほとんどは話し合いである。
だと言うのに、少しでも動くと怒られるのだ。
「大変だな。天下の〝依代〟も、精霊の前では形無しか」
「元はと言えば、貴女さまのご命令では?」
「そこまでしろとは言っていない。素材が良いからやり甲斐もあるんだろう」
適当なことを言う。かれこれ三時間は立たされている身にもなってほしい。
テオドアの無言の訴えを察したか、さすがに不憫になったか――女神は精霊たちに歩み寄り、「今は何を決めかねている?」と問うた。
精霊の一人が、うやうやしく頭を下げてから、答える。
「〝依代〟さまのお髪のお色を。私は、白で良いと思うのです」
「いいえ! せっかく質が良い髪なのですから、金の色が映えるに決まっておりますわ!」
「澄んだ空色がいちばんです。分かっていないわね」
「分かっていないのはあなたでしょう!?」
精霊たちは口々に争いながら、意見をぶつけ合う。
女神の前だということを忘れていそうな勢いだ。
「そうか……」
女神はゆっくりと、噛み締めるように頷き、彼女たちに注意を――
「私は光らせるのが良いと思うぞ」
――促すことはせず、嬉々として話題に飛び込んだ。
「光らせる? 悪目立ちしてしまうのでは?」
「いや。月明かりのように控えめに光らせる。昼は白銀に見えるだろう。夜も光って便利だ」
「夜道は危ないですものね」
「お待ちください。それならば金に光らせるのでも良いのでは?」
「だから、それだと目立ってしまうでしょう。バカね」
「でも、金も捨て難いのは分かってください――」
「それは――」
「――」
今までより白熱し始めた議論を眺め、テオドアはそっと腕を下ろした。
誰も見咎めなかった。
放置されたテオドアが、自らの部屋に帰り着けたのは、その五時間後のことであった。




